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第四章 魔王、旅に出る
14.竜
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悠然と空を泳ぐ竜は、ゆっくりと王宮へと近づいているのがわかった。
それを追うように、珠美は廊下から中庭へと降り立った。
空を見上げれば、くるりと王宮を一周した竜が、ゆっくりと下降してくる。珠美のいる、中庭目掛けて。
「おい、なんかこっち来るぞ!」
「竜なんて初めて見たわ」
「どこから来たんだ? もう随分姿を現してないって聞いたのに」
ラースは珠美を守るように、背後に隠そうとした。
けれど「大丈夫だよ、ラース」とそれを止め、前に一歩出る。その姿がよく見えるように。
竜は頭を中庭に突っ込むような形で降りてくると、光に包まれて姿を消した。
代わりにそこから姿を現したのは、銀髪に蒼い瞳の人の姿。
ゼノンだった。
「ゼノン!? なんでゼノンが……」
「やっぱり」
呟いた珠美を、ラースが驚いて振り返る。
「なんとなくそうじゃないかって思ったの」
どよめく部下たちの前に立つラースと珠美に気が付くと、ゼノンはひらひらと手を振った。
「タマミー、助けにきたよー。って。見ない間に大きくなったねえ。成長を見守る近所のおじさんってこんな気持ちかなあ」
部下たちのどよめきは一層大きくなった。
「竜の獣人? タマさんの仲間?!」
「モンテーナにはまだ竜がいたのか……。魔王に加えて竜までいるなんて、長らく戦争がないのも頷けるな」
「っていうか、タマちゃんを助けに来たって、どういうことだ?」
遠巻きにゼノンを囲む形になり、一同はざわざわと口々に言い合ったあと、一気にその視線がくるりと珠美を向く。
思わずびくりとすると、ラースが代わりに答えた。
「ゼノンはモンテーナの宰相だ。竜だとは俺も知らなかったが」
ラースのぬくもりは、珠美を守るように常に離れずにある。
すたすたと珠美に向かって歩きながら、ゼノンはきょろきょろと周りを見回した。
「おや? あれ? もう危機は去った感じ?」
「あ、うん、ラースが助けてくれて……」
そう答えると、ゼノンは大仰にため息を吐き出した。
「だよねえ。わざわざ駆け付けなくても大丈夫だって言ったんだけどさあ。俺の言葉は精霊に通じないんだよねー。もう、ギイギイ怒ってぶっ飛んで来るもんだからさあ、あまりの剣幕に仕方なくここまで来たんだけど」
「精霊が?」
「うん。魔力の制御ができなくなるほど心を乱したりしなかった?」
「あ……」
確かに珠美はクエリーにキスをされそうになったとき、魔力の大きなうねりを感じて必死に抑え込んだ。
「やっぱり? 精霊には人間の怒りとか感情はあまりわからないんだけどさ。魔力が乱されるってことはおびやかされてるってことだから、危険だと察知して俺に助けろって言ってきたんだよねー。いや、何を言ってるのかはわかんないんだけどさ」
なるほど、と頷きながら、そこまで影響していたのかと申し訳なくなる。
「ごめんね、ゼノン。でも珍しく起きてたんだね」
「いや? 寝てたんだけど、半端ない精霊の殺気で起こされたんだよ。いや、精霊だから殺気っていうのは違うか。とにかくこう、『タダじゃおかねえ』っていう感じ? ありゃあ報復されるよ」
「報復って、それはまずいよ、やめてもらうことはできないの? 相手は王子だから外交上問題が――」
「王子かあ。その人は魔法は使えるの?」
わからず、ラースを振り仰ぐと首を振った。
「いや、殿下は魔法は使えない」
「じゃあ大した影響はないよ。それに精霊のしわざだなんてわからないから大丈夫。魔法が使えない人なら、しばらくぐったりする程度で終わるでしょ」
魔力は多かれ少なかれ誰でも持っていて、気力や体力にも関わってくる。
精霊が怒るとその魔力を一時的に食い尽くされ、気だるく感じるらしい、とゼノンは話してくれた。
「それなら、まあよかったかな?」
ちょっと心がすく思いもする。
「んじゃ、そういうわけで帰ろうか、タマミ」
「え? でも、まだダーナシアに行ってないし、ゴムも市場で少し買っただけだし」
実は城に行く前に通りかかった店に髪ゴムがあり、眺めていたらラースが買ってくれたのだ。
今は城の女官がきれいに結ってくれているからしまってある。
ついでにと輪ゴムのようなものもいくつか買ってあった。旅の間にも役立つかもしれないと思ったから。
だがゴムだけ手に入れても、サンジェスト国王の紹介状だけを手に入れても、ダーナシアと国交を開かなくては意味がない。
「それは一旦モンテーナに帰ってからにしてくれるー? あっちの精霊たちがもうざわついちゃってて制御きかないから、早くここから離れて欲しいんだよね。無事な姿を見れば落ち着くと思うしさー」
「そうなんだ。わかった、じゃあ急いで発つね」
「俺の背中に乗せてくよ。連れて帰るって約束しちゃったしさあ」
「ええ? ゼノンの……竜の背中に?」
「そうそう。タマミほど精霊に好かれる人間も稀だよ。田中だってこれほどじゃなかったなあ。異世界からの人間は初めてだったから、好奇心はすごかったけどさ」
そう言われても珠美には精霊は見えないし、実感もない。
戸惑いながらもゼノンに「早く~」と手招きされるので、珠美は慌てて周囲を振り返った。
隊員たちは残念そうにしながらも、口々に別れの挨拶を口にした。
「ラース隊長、タマさん、なんかよくわかんないけど落ち着いたらまた来てくださいね!」
「待ってるっすよー」
「会えて本当によかったです! 俺、これからも頑張りますから! きっとラース隊長より強くなります。いつか。そのうち。きっと」
ラースは苦笑して、一同を見渡した。
「ありがとな。俺こそおまえらに会えてよかった。モンテーナで武運を祈ってるよ」
ラースの隣には、いつのまにかシルビアが駆け寄っていた。
「隊長。ちょっと耳を貸してください」
「ん?」
ラースがやや身をかがめると、シルビアは口元に手を当て、何事かを呟いた。
ラースの顔が驚きと戸惑いに変わる。
その瞬間、シルビアがぐいっと背伸びをして、ラースの頬に唇で触れた。
「!?」
「!!??」
「シ……シルビア……。ついにやりやがったな、お前」
動揺したのはラースではなく、隊員たちだった。
目の前でそれを見てしまった珠美はピキリ、と固まったまま動けなくなった。
「私はもう部下じゃありませんので。ラース隊長の命令に従う理由はありませんから」
「おいおい、シルビア……」
困りきった顔のラースに、シルビアは破顔した。
その表情を変えられたこと、困らせたことを喜ぶように。
「好きです、隊長。きっとまだあと一年か、二年くらいは忘れないと思います。だけど、隊長が幸せでいてくれることが私の望みですから」
そう言ったシルビアに、ラースはぽんぽん、と頭に手を乗せた。
「ありがとな、シルビア。応えてやれなくてすまない」
「いえ。ずっと困らせてすみませんでした。でも、隊長が振り向いてくれないのは、部下だからでも、隊長にとっては子供みたいな年齢だからでもないってことがわかりましたから、諦めがつきそうです」
唐突にシルビアがひょいっとラースの背後の珠美を覗き込み、ずっと固まっていた珠美はびくりと肩を跳ねさせた。
金縛りから解放されたように、おろおろと戸惑いが支配する。
目が合うと、シルビアは静かな笑みを浮かべた。
「タマちゃん。元気でね。あ、荷物。稽古場に置きっぱなしになってたから持ってきておいたよ」
そう言って端の方で荷物を手に立っていた男を手招きすると、はっとしたようにこちらに駆けてきて手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
そうしてシルビアは他の隊員たちの元へと戻り、同じように手を振って見送ってくれた。
「皆さん、お世話になりました。それと、お騒がせしてしまって、すみませんでした」
その時バタバタと周囲が騒がしくなった。
竜の飛来に気が付いた城の人たちが駆け付けてきたのだろう。
「あ。なんか面倒くさくなりそうだね。タマミ、早く行くよー」
スタスタと中庭の中央に歩いていくゼノンに珠美は慌てた。
「あ、待ってよ、ちゃんと説明した方がいいんじゃ……」
駆け付けた人たちを振り返る珠美に、グランが「へーき、へーき」と手を振った。
「タマさん、またクエリー殿下に見つかるとあの竜欲しいとか言われかねないんで、さっさと行っちゃった方がいいっすよ」
「俺たちが説明しときますんで」
「緊急呼び出しがあって帰ったって言っときます! 詳細は伏せておきますが、事実ですからね!」
他の隊員たちも口々に言い、追い立てられるように珠美はゼノンの傍へと向かった。
ゼノンはラースと同じように、ぼしゅん、と煙を立てるとそこから竜の姿が現れ、空に舞い上がった。
ラースは珠美を抱え、ゼノンのたてがみを掴むとその背に飛び乗る。
空に駆け上った竜はくるりと王宮を一回りすると、遥か遠くのモンテーナに向けて真っ直ぐに空を泳ぎ始めた。
それを追うように、珠美は廊下から中庭へと降り立った。
空を見上げれば、くるりと王宮を一周した竜が、ゆっくりと下降してくる。珠美のいる、中庭目掛けて。
「おい、なんかこっち来るぞ!」
「竜なんて初めて見たわ」
「どこから来たんだ? もう随分姿を現してないって聞いたのに」
ラースは珠美を守るように、背後に隠そうとした。
けれど「大丈夫だよ、ラース」とそれを止め、前に一歩出る。その姿がよく見えるように。
竜は頭を中庭に突っ込むような形で降りてくると、光に包まれて姿を消した。
代わりにそこから姿を現したのは、銀髪に蒼い瞳の人の姿。
ゼノンだった。
「ゼノン!? なんでゼノンが……」
「やっぱり」
呟いた珠美を、ラースが驚いて振り返る。
「なんとなくそうじゃないかって思ったの」
どよめく部下たちの前に立つラースと珠美に気が付くと、ゼノンはひらひらと手を振った。
「タマミー、助けにきたよー。って。見ない間に大きくなったねえ。成長を見守る近所のおじさんってこんな気持ちかなあ」
部下たちのどよめきは一層大きくなった。
「竜の獣人? タマさんの仲間?!」
「モンテーナにはまだ竜がいたのか……。魔王に加えて竜までいるなんて、長らく戦争がないのも頷けるな」
「っていうか、タマちゃんを助けに来たって、どういうことだ?」
遠巻きにゼノンを囲む形になり、一同はざわざわと口々に言い合ったあと、一気にその視線がくるりと珠美を向く。
思わずびくりとすると、ラースが代わりに答えた。
「ゼノンはモンテーナの宰相だ。竜だとは俺も知らなかったが」
ラースのぬくもりは、珠美を守るように常に離れずにある。
すたすたと珠美に向かって歩きながら、ゼノンはきょろきょろと周りを見回した。
「おや? あれ? もう危機は去った感じ?」
「あ、うん、ラースが助けてくれて……」
そう答えると、ゼノンは大仰にため息を吐き出した。
「だよねえ。わざわざ駆け付けなくても大丈夫だって言ったんだけどさあ。俺の言葉は精霊に通じないんだよねー。もう、ギイギイ怒ってぶっ飛んで来るもんだからさあ、あまりの剣幕に仕方なくここまで来たんだけど」
「精霊が?」
「うん。魔力の制御ができなくなるほど心を乱したりしなかった?」
「あ……」
確かに珠美はクエリーにキスをされそうになったとき、魔力の大きなうねりを感じて必死に抑え込んだ。
「やっぱり? 精霊には人間の怒りとか感情はあまりわからないんだけどさ。魔力が乱されるってことはおびやかされてるってことだから、危険だと察知して俺に助けろって言ってきたんだよねー。いや、何を言ってるのかはわかんないんだけどさ」
なるほど、と頷きながら、そこまで影響していたのかと申し訳なくなる。
「ごめんね、ゼノン。でも珍しく起きてたんだね」
「いや? 寝てたんだけど、半端ない精霊の殺気で起こされたんだよ。いや、精霊だから殺気っていうのは違うか。とにかくこう、『タダじゃおかねえ』っていう感じ? ありゃあ報復されるよ」
「報復って、それはまずいよ、やめてもらうことはできないの? 相手は王子だから外交上問題が――」
「王子かあ。その人は魔法は使えるの?」
わからず、ラースを振り仰ぐと首を振った。
「いや、殿下は魔法は使えない」
「じゃあ大した影響はないよ。それに精霊のしわざだなんてわからないから大丈夫。魔法が使えない人なら、しばらくぐったりする程度で終わるでしょ」
魔力は多かれ少なかれ誰でも持っていて、気力や体力にも関わってくる。
精霊が怒るとその魔力を一時的に食い尽くされ、気だるく感じるらしい、とゼノンは話してくれた。
「それなら、まあよかったかな?」
ちょっと心がすく思いもする。
「んじゃ、そういうわけで帰ろうか、タマミ」
「え? でも、まだダーナシアに行ってないし、ゴムも市場で少し買っただけだし」
実は城に行く前に通りかかった店に髪ゴムがあり、眺めていたらラースが買ってくれたのだ。
今は城の女官がきれいに結ってくれているからしまってある。
ついでにと輪ゴムのようなものもいくつか買ってあった。旅の間にも役立つかもしれないと思ったから。
だがゴムだけ手に入れても、サンジェスト国王の紹介状だけを手に入れても、ダーナシアと国交を開かなくては意味がない。
「それは一旦モンテーナに帰ってからにしてくれるー? あっちの精霊たちがもうざわついちゃってて制御きかないから、早くここから離れて欲しいんだよね。無事な姿を見れば落ち着くと思うしさー」
「そうなんだ。わかった、じゃあ急いで発つね」
「俺の背中に乗せてくよ。連れて帰るって約束しちゃったしさあ」
「ええ? ゼノンの……竜の背中に?」
「そうそう。タマミほど精霊に好かれる人間も稀だよ。田中だってこれほどじゃなかったなあ。異世界からの人間は初めてだったから、好奇心はすごかったけどさ」
そう言われても珠美には精霊は見えないし、実感もない。
戸惑いながらもゼノンに「早く~」と手招きされるので、珠美は慌てて周囲を振り返った。
隊員たちは残念そうにしながらも、口々に別れの挨拶を口にした。
「ラース隊長、タマさん、なんかよくわかんないけど落ち着いたらまた来てくださいね!」
「待ってるっすよー」
「会えて本当によかったです! 俺、これからも頑張りますから! きっとラース隊長より強くなります。いつか。そのうち。きっと」
ラースは苦笑して、一同を見渡した。
「ありがとな。俺こそおまえらに会えてよかった。モンテーナで武運を祈ってるよ」
ラースの隣には、いつのまにかシルビアが駆け寄っていた。
「隊長。ちょっと耳を貸してください」
「ん?」
ラースがやや身をかがめると、シルビアは口元に手を当て、何事かを呟いた。
ラースの顔が驚きと戸惑いに変わる。
その瞬間、シルビアがぐいっと背伸びをして、ラースの頬に唇で触れた。
「!?」
「!!??」
「シ……シルビア……。ついにやりやがったな、お前」
動揺したのはラースではなく、隊員たちだった。
目の前でそれを見てしまった珠美はピキリ、と固まったまま動けなくなった。
「私はもう部下じゃありませんので。ラース隊長の命令に従う理由はありませんから」
「おいおい、シルビア……」
困りきった顔のラースに、シルビアは破顔した。
その表情を変えられたこと、困らせたことを喜ぶように。
「好きです、隊長。きっとまだあと一年か、二年くらいは忘れないと思います。だけど、隊長が幸せでいてくれることが私の望みですから」
そう言ったシルビアに、ラースはぽんぽん、と頭に手を乗せた。
「ありがとな、シルビア。応えてやれなくてすまない」
「いえ。ずっと困らせてすみませんでした。でも、隊長が振り向いてくれないのは、部下だからでも、隊長にとっては子供みたいな年齢だからでもないってことがわかりましたから、諦めがつきそうです」
唐突にシルビアがひょいっとラースの背後の珠美を覗き込み、ずっと固まっていた珠美はびくりと肩を跳ねさせた。
金縛りから解放されたように、おろおろと戸惑いが支配する。
目が合うと、シルビアは静かな笑みを浮かべた。
「タマちゃん。元気でね。あ、荷物。稽古場に置きっぱなしになってたから持ってきておいたよ」
そう言って端の方で荷物を手に立っていた男を手招きすると、はっとしたようにこちらに駆けてきて手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
そうしてシルビアは他の隊員たちの元へと戻り、同じように手を振って見送ってくれた。
「皆さん、お世話になりました。それと、お騒がせしてしまって、すみませんでした」
その時バタバタと周囲が騒がしくなった。
竜の飛来に気が付いた城の人たちが駆け付けてきたのだろう。
「あ。なんか面倒くさくなりそうだね。タマミ、早く行くよー」
スタスタと中庭の中央に歩いていくゼノンに珠美は慌てた。
「あ、待ってよ、ちゃんと説明した方がいいんじゃ……」
駆け付けた人たちを振り返る珠美に、グランが「へーき、へーき」と手を振った。
「タマさん、またクエリー殿下に見つかるとあの竜欲しいとか言われかねないんで、さっさと行っちゃった方がいいっすよ」
「俺たちが説明しときますんで」
「緊急呼び出しがあって帰ったって言っときます! 詳細は伏せておきますが、事実ですからね!」
他の隊員たちも口々に言い、追い立てられるように珠美はゼノンの傍へと向かった。
ゼノンはラースと同じように、ぼしゅん、と煙を立てるとそこから竜の姿が現れ、空に舞い上がった。
ラースは珠美を抱え、ゼノンのたてがみを掴むとその背に飛び乗る。
空に駆け上った竜はくるりと王宮を一回りすると、遥か遠くのモンテーナに向けて真っ直ぐに空を泳ぎ始めた。
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