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第三章 魔王と人々

9.再会

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 珠美は一瞬、何が起きているのかわからなかった。

「久しぶりだな、シルビア。元気にしていたか」

 ラースは抱きついてきたシルビアという女性の頭を一度ぽんぽん、と撫でると、その身を離した。

 何故だか珠美の胸が痛んだ。
 いつも珠美の頭を撫でる手が、突然他人のものになってしまったような気がして。
 そもそも珠美のものでもなんでもないのに。

「は、はい! 隊の皆もすっかり回復して、今は元気に戦線を渡り歩いています」

 シルビアはそう言って照れたように笑みを浮かべた。
 ポニーテールに結った金茶色の長い髪はさらりとしていて、藍色の瞳は涙に潤んでラースをひたすらに見つめていた。
 頭の上には丸みのある金茶の耳が二つ、黒い斑点があった。背中でブンブン振られている尻尾も耳と同じ毛色で、豹の獣人のようだ。
 しかし、女豹、という言葉のイメージとは正反対で、快活でいい人そうだ。

 ミッドガルドがラースを元は軍隊にいたと言っていた。
 ラースを隊長と呼んだということは、その時の部下なのだろう。

 シルビアの答えにラースもどこかほっとしたように頬を緩めた。

「そうか。ならよかった」

 穏やかな笑みだった。
 置いてきた過去に清算したような、遠くに想いを馳せるような。

「ですが……」

 正反対に言い淀み、シルビアは複雑な顔を見せた。
 尻尾と視線が下がり、自然とラースの背後から顔を覗かせていた珠美と目があった。
 珠美がはっとして息を呑むと、シルビアもはっとして息を呑んだ。

「……こっ、こども?! ラ、ラ、ラース隊長、お子さんがお出来になったのですか? 奥様はどちらに? あの、私、すぐさまご挨拶をば! 失礼しました、まさかご結婚されているとは思わず」

 シルビアは一歩、二歩とラースから距離を取り、珠美に向かってがばりと頭を下げた。

「隊長のお子さん、申し訳ありません! お子さんの前なのに抱きついたりなど。つい、やっとお会いできた嬉しさから感極まってしまって」

「ははは! こんなくりくりの子供なんぞ俺は産めん」

「そうです、違います、ラースから生まれたりなんてしてません!」

 珠美もラースの背後から慌てて言い添える。
 するとしばらくラースと珠美を見比べるようにしていたシルビアは、再びはっと息を呑んだ。

「ということは、隊長はその、ろり、ろろろろろ、ろり、ろり、」

 こちらの世界にもロリコンという言葉に相当する単語はあるようだ。
 勿論日本語そのまま『ロリコン』と言っているわけではない。

「落ち着け。今の護衛対象だよ」

「あ、そうでしたか……」

 ラースがフードの上からぐりぐりと珠美の頭を撫でるのを見ると、シルビアは明らかにほっとしたように肩の力を抜いた。
 そうして珠美の前にしゃがみこみ、視線を合わせると「こんにちは。お名前は?」と訊いた。

 珠美は子供の頃からこういう人が苦手だった。
 何故しゃがむのかわからない。
 威圧感を与えないように子供と同じ位置に下がって話すのだと大人に近い年齢になった今はわかるのだが。
 それでも珠美は大人は大人、子供は子供だと考えていたから、大人が上から下におりてくる感じが嫌だった。子供ながらに、馬鹿にされていると感じてしまうような子供だったのだ。
 今再び子供の姿になってもその気持ちは変わらなかったようで、つい戸惑いが声に出てしまった。

「タマ……、タマミです」

「タマちゃんですね!」

「タマでいいです!」

 ちゃん付けは猫みたいになる魔法の呼び方だ。ちなみにさん付けはおばあちゃんになる。

「しかしシルビアとこんなところで会うとは思わなかったな。休暇中か?」

 ラースが訊ねると、シルビアは再び言い淀んだ。
 しかしその頬はぽっと赤らんでいる。

「いえ、あの。実は。隊長を探していたんです。隊長ならきっと、戦のない国に行くんじゃないかなって。それでその後働くとしたら、護衛かと。だから、商人ギルドにいれば会えるんじゃないかと、そう思って。そうしたら先程お姿が見えたので、慌てて追いかけてきたところだったんです」

「おお、完全に行動を読まれてたなあ。さすが元部下だ」

「私はずっと、隊長を見ていましたから……」

 この流れはあれだ。
 珠美がすごく邪魔なやつだ。
 珠美は握り締めていたラースの服の裾をそっと放し、静かに一歩、二歩と離れた。

 が、すぐに振り向いたラースに捕まり、逆に肩の上に乗せられた。

「離れるなって言ったろ」

「ご、ごめんなさい」

 遠慮したつもりが、結果邪魔をしてしまった。
 珠美は心底申し訳なくなりシルビアをちらりと見やったが、シルビアはラースの行動を意外そうに見ているだけだった。

 こんないい雰囲気を醸している中邪魔をするほど、珠美は無粋ではないつもりだ。
 それにこのままここにいたら、よくない態度を取ってしまいそうだった。
 先程から珠美は自分でもよくわからない感情に振り回されていたから。
 どうしてラースを取られてしまうなんて思うのだろう。どうしてもやもやするのだろう。

「話の途中ですまなかったな、シルビア。で、前からずっと言ってきたことだが念のため改めて言っておくぞ。俺は部下をどうこう思うことはない。部下は一生部下だ」

 シルビアが何を言いたいのかは、わかっていたのだろう。
 先んじて言ったラースに、だがシルビアは怯まなかった。

「ですが今はもう部下じゃありません」

「俺の中ではおまえは一生部下だよ。いや、俺より出世したらさすがにそうも言えなくなるが」

 静かに笑ったラースに、シルビアはぐっと唇を噛みしめた。

「隊長が私をそういう風に見てくれないことはわかっています。でも、追いかけてきたのはそれだけじゃありません。隊長にもう一度、戻って来てほしかったからです」

「俺はもう二度とあそこには戻らない」

「もうアイツはいません! 隊長が去ってから、アイツも仕掛けてはこなくなりました。きっと今頃他のターゲットを見つけてるはずです」

「そうかもしれんがな。もう俺の中では区切りがついたことだ」

「じゃあ、せめてもう一度みんなに会ってもらえませんか? 隊長の元気な今の姿を、みんな見たがっています。一生部下だと思っているのは隊長だけじゃないんですよ。みんな、隊長の部下だって今でも思ってるんです」

 懸命に言い募るシルビアに、ラースはしばらく答えなかった。
 それから「すまん」と短く言った。

「今はタマの護衛中だ。契約期間が終わるまではタマの傍を離れられない」

「じゃあ、それが終わったら!」

「まだあと何か月もある」

「それでもいいです! 私も、みんなも待ってますから!」

「本当にすまない。もう時間だ、タマ行くぞ」

「隊長。用事が終わったら食事だけでも行けませんか? 終わるまでそこで待ってますから」

「任務中だ。シルビア、また機会があればな」

 そう言ってラースは再びギルドの中へと入っていった。
 すたすたと歩き受付に向かうラースの首元のファーを、珠美はちょいちょい、と引っ張った。

「ねえ、ラース。本当によかったの?」

「俺はな、タマ。あの隊にとって疫病神だったんだよ」

 ラースの目には苦しげな色がたゆたっていた。

「疫病神、って」

「俺のせいで隊は全滅しかけたんだ」
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