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第三章 魔王と人々
8.置いてきた過去
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二日ほど族長の家で過ごさせてもらい、珠美とラースはギルドの本部へと向かうことになった。
薬を売りに行くための荷車に乗せてもらったのだが、がたごとと揺れる森の道では舌を噛んでしまいそうで、喋れなかった。
やっと森から抜けて舗装された街道に出ると、揺れは落ち着き、二人はほっと息を吐いた。
「大きな森だったねー」
「ああ。あの中から薬草を採集して里に帰るんだから、ケアルン族ってのはすごいな」
珠美には森の中にいても「森っぽい匂いだな」としか感じられなかった。
あの中からどの薬草がどこら辺にあると匂いで感じ取れるのもすごい。
そうして採集した薬草を煎じ、ある程度数が溜まったところでギルドに売りに行く。
一年に一度、クルーエスクのギルドにも売りに行くのだそうで、セレシアは先日その旅から帰ったところだったのだそうだ。
もしかしたらクライアはセレシアの不在時を狙って日本に行ったのかもしれない。
なんとなくだが、珠美はそう思った。
「あっ」
唐突にあげた声に、ラースが「どうした?」と振り向く。
珠美の掌には解けた紐。
「セレシアが髪を結ってくれたんだけど、馬車の揺れで取れちゃった」
「髪か。別にそのままだっていいと思うがな」
「撥ねて邪魔だからまとめたかっただけ。だけどそれ、女の子に言うと反感買うから気を付けてね。ラースって色気ダダ洩れでモテそうだけど、長続きはしなそうだよね。すぐ怒らせそう」
「ははは! よくわかったな」
さっきのは、セレシアがクライアに言われたらそれはもう頬を膨れさせて拗ねる案件だ。
別に珠美はかわいらしく結いたいという乙女心で残念がっていたのではないから気にはならないが。
珠美の髪はふわふわとした癖っ毛で、邪魔だからといつも三つ編みにしていたのだが、子供の姿になるのと同時に髪も短くなってしまい、それができなくなってしまった。
八歳ほどに体が大きくなった時に肩を越えるくらいまで伸びたのだが、自分ではゴムがないとうまく結えない。
城ではユラとソラがきれいにまとめてくれていたし、ケアルン族の里ではセレシアがうきうきとあれこれヘアアレンジをしてくれたが、不器用な珠美は紐で結うことがうまくできなかった。
そういえばゴムはこの国では見かけない。
クライアの記憶を探ったが出てこなかった。
この世界にはゴムの木とか、それに代わるものはないのだろうか。
「ねえラース。便利な道具でさ、紐みたいなんだけど、こう、ひっぱるとびよーんって伸びるやつない? 髪の毛を結うのに使ったり、書類を束ねるのに使ったり、あとは車輪にぐるりと巻いて衝撃を和らげたりとか」
「ああ、あるぞ。俺のいた国にもあったが、作ってるのはダーナシアって南国だ。なければないで生きてはいけるが、あると便利なんだよな」
「そうなんだよねー。ゴム欲しいなあ」
この世界に落ちてきたとき、ジーパンと鞄は探したが、三つ編みを留めていたゴムまでは思い至らなかった。
きっと今頃はあのあたりで干からびているかもしれない。
実は鞄の中に入れていたポーチに予備のゴムが入っていて、今も持って来てはいるのだが、どうしても使う気になれない。
ゴムはなくしやすいし、切れたりして使えなくなってしまったら、何か一つよすがを失ってしまうようで使えなかったのだ。
しかし、やはり文明というのは、生活に必要だったり便利だと思うものはどこかで生み出されていくものなのだろう。
「ねえ、ラースがいた国には名産とか、これはおいしい、オススメ! みたいな食べ物とかある?」
「ああ。サンジェストにあってこの国にはないものか。あそこは砂漠の国だからな。あまりこれといったものはないんだが。そうだな、ガナンという木の実から採れる油があったな」
「ガナン?」
「ああ。栄養価も高いし、化粧品にも使える」
「そういう、今の生活にプラスアルファみたいなものは、この国の人たちにはすごくいいかも」
「そうだな。大抵のものは食べられるから、よほど珍しいものとか今より生活が楽しくなるようなものとか。そういうものなら喜ぶかもしれんな。サンジェストにとっても、モンテーナとの交易が開ければ願ったり叶ったりだろう。気候が全く違うからな。うまいもんにありつけるようになる」
「砂漠の国、ってことはそうだよね。食べ物はどんなものがあるの?」
「特にうまいものはないぞ。国の真ん中を流れる大きな河があって、農作はそこだけが頼りだからな」
モンテーナとは正反対だ。だからサンジェストは戦をして肥沃な土地を求めているのだろう。
「何もないところだが、花は見事だぞ。食べられるものを育てろと思ったものだが、離れてみればあの光景は目に焼き付いている。まあ果物がなる花もあったから一石二鳥でもあったんだがな」
「花、かあ。ラースがそんな風に言うなんて、どんなだろう。いつか行ってみたいな」
何の気なく珠美はそう呟いていた。
外国も観光地も、行ってみたいと思ったことなどなかったのに。
砂漠なんてなおさら、これまでは大変そうとしか思わなかった。
けれどラースが語る口調は、遠く思いを馳せるようで、懐かしむようで。それらを珠美もいつか見てみたいと、そう思ったのだ。
「はは! 行っても何もないぞ」
そう言って笑った後、何故かラースは少しだけ苦そうな顔をした。
ミッドガルドが言っていた過去を思い出したのかもしれない。
ギルドの本部があるのは港町で、近づくほどに潮風の匂いがした。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
「ギルド本部って……でかっ!」
魔王城の方が大きいのは確かだが、三階建ての建物など他では見たことがない。
それほど多くの人が集まる施設というのが他にないからかもしれない。
族長でありギルド員であるラリアントは前日のうちにギルドに来ているはずだ。
大きな木の扉をあけると、受付のようなものがあり、人でごった返していた。
活気あふれるその光景に気後れしていると、ラースがひょいっと珠美を肩に担ぎ上げた。
「こんなに人がいたんじゃタマは踏まれかねないからな」
「猫じゃないんだから踏まれないよ!」
そうは言ったものの、確かに踏まれたり蹴られたりしてもおかしくないほど、屈強な男たちばかりであふれかえっていた。
こちらは商人ギルドの方で、職人ギルドは隣接する建物にある。
話し合いの場はこの建物の三階と聞いていた。
「まだ時間にはちょっと早いし、一旦外に出るか」
そう言いながらラースは珠美の返事を待たずに外に出た。
大丈夫、と言いたかったが正直助かった。
久しぶりにこんなに大勢の人がいるところに来たので、圧が半端なかったのだ。子供の体では大人の足元に埋もれるようで息苦しい。
珠美は気づけばラースにしがみついていて、慌てて体を離した。
「ん? なんだ、別に重くはない、かまわんぞ」
そんなことを気にしたわけではない。
だがいちいち口にするのもはばかられ、珠美はただ「もう大丈夫、下ろして」とラースの肩をとんとんと叩いた。
「わかった。だがこれだけ人がいたら迷子になりかねんからな。離れるなよ」
そう言ってラースが肩から下ろしてくれたときだった。
今出て来たばかりの扉が開き、一人の女性が勢いよく飛び出してきた。
「隊長! ラース隊長!!」
振り返ったラースが、驚愕に目を見開いた。
「シルビア……」
「ラース隊長、探していたんです!」
シルビアと呼ばれた女性は目を潤ませ、ラースに抱きついた。
「ラース隊長……。お会いしたかったです。ずっと……」
薬を売りに行くための荷車に乗せてもらったのだが、がたごとと揺れる森の道では舌を噛んでしまいそうで、喋れなかった。
やっと森から抜けて舗装された街道に出ると、揺れは落ち着き、二人はほっと息を吐いた。
「大きな森だったねー」
「ああ。あの中から薬草を採集して里に帰るんだから、ケアルン族ってのはすごいな」
珠美には森の中にいても「森っぽい匂いだな」としか感じられなかった。
あの中からどの薬草がどこら辺にあると匂いで感じ取れるのもすごい。
そうして採集した薬草を煎じ、ある程度数が溜まったところでギルドに売りに行く。
一年に一度、クルーエスクのギルドにも売りに行くのだそうで、セレシアは先日その旅から帰ったところだったのだそうだ。
もしかしたらクライアはセレシアの不在時を狙って日本に行ったのかもしれない。
なんとなくだが、珠美はそう思った。
「あっ」
唐突にあげた声に、ラースが「どうした?」と振り向く。
珠美の掌には解けた紐。
「セレシアが髪を結ってくれたんだけど、馬車の揺れで取れちゃった」
「髪か。別にそのままだっていいと思うがな」
「撥ねて邪魔だからまとめたかっただけ。だけどそれ、女の子に言うと反感買うから気を付けてね。ラースって色気ダダ洩れでモテそうだけど、長続きはしなそうだよね。すぐ怒らせそう」
「ははは! よくわかったな」
さっきのは、セレシアがクライアに言われたらそれはもう頬を膨れさせて拗ねる案件だ。
別に珠美はかわいらしく結いたいという乙女心で残念がっていたのではないから気にはならないが。
珠美の髪はふわふわとした癖っ毛で、邪魔だからといつも三つ編みにしていたのだが、子供の姿になるのと同時に髪も短くなってしまい、それができなくなってしまった。
八歳ほどに体が大きくなった時に肩を越えるくらいまで伸びたのだが、自分ではゴムがないとうまく結えない。
城ではユラとソラがきれいにまとめてくれていたし、ケアルン族の里ではセレシアがうきうきとあれこれヘアアレンジをしてくれたが、不器用な珠美は紐で結うことがうまくできなかった。
そういえばゴムはこの国では見かけない。
クライアの記憶を探ったが出てこなかった。
この世界にはゴムの木とか、それに代わるものはないのだろうか。
「ねえラース。便利な道具でさ、紐みたいなんだけど、こう、ひっぱるとびよーんって伸びるやつない? 髪の毛を結うのに使ったり、書類を束ねるのに使ったり、あとは車輪にぐるりと巻いて衝撃を和らげたりとか」
「ああ、あるぞ。俺のいた国にもあったが、作ってるのはダーナシアって南国だ。なければないで生きてはいけるが、あると便利なんだよな」
「そうなんだよねー。ゴム欲しいなあ」
この世界に落ちてきたとき、ジーパンと鞄は探したが、三つ編みを留めていたゴムまでは思い至らなかった。
きっと今頃はあのあたりで干からびているかもしれない。
実は鞄の中に入れていたポーチに予備のゴムが入っていて、今も持って来てはいるのだが、どうしても使う気になれない。
ゴムはなくしやすいし、切れたりして使えなくなってしまったら、何か一つよすがを失ってしまうようで使えなかったのだ。
しかし、やはり文明というのは、生活に必要だったり便利だと思うものはどこかで生み出されていくものなのだろう。
「ねえ、ラースがいた国には名産とか、これはおいしい、オススメ! みたいな食べ物とかある?」
「ああ。サンジェストにあってこの国にはないものか。あそこは砂漠の国だからな。あまりこれといったものはないんだが。そうだな、ガナンという木の実から採れる油があったな」
「ガナン?」
「ああ。栄養価も高いし、化粧品にも使える」
「そういう、今の生活にプラスアルファみたいなものは、この国の人たちにはすごくいいかも」
「そうだな。大抵のものは食べられるから、よほど珍しいものとか今より生活が楽しくなるようなものとか。そういうものなら喜ぶかもしれんな。サンジェストにとっても、モンテーナとの交易が開ければ願ったり叶ったりだろう。気候が全く違うからな。うまいもんにありつけるようになる」
「砂漠の国、ってことはそうだよね。食べ物はどんなものがあるの?」
「特にうまいものはないぞ。国の真ん中を流れる大きな河があって、農作はそこだけが頼りだからな」
モンテーナとは正反対だ。だからサンジェストは戦をして肥沃な土地を求めているのだろう。
「何もないところだが、花は見事だぞ。食べられるものを育てろと思ったものだが、離れてみればあの光景は目に焼き付いている。まあ果物がなる花もあったから一石二鳥でもあったんだがな」
「花、かあ。ラースがそんな風に言うなんて、どんなだろう。いつか行ってみたいな」
何の気なく珠美はそう呟いていた。
外国も観光地も、行ってみたいと思ったことなどなかったのに。
砂漠なんてなおさら、これまでは大変そうとしか思わなかった。
けれどラースが語る口調は、遠く思いを馳せるようで、懐かしむようで。それらを珠美もいつか見てみたいと、そう思ったのだ。
「はは! 行っても何もないぞ」
そう言って笑った後、何故かラースは少しだけ苦そうな顔をした。
ミッドガルドが言っていた過去を思い出したのかもしれない。
ギルドの本部があるのは港町で、近づくほどに潮風の匂いがした。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
「ギルド本部って……でかっ!」
魔王城の方が大きいのは確かだが、三階建ての建物など他では見たことがない。
それほど多くの人が集まる施設というのが他にないからかもしれない。
族長でありギルド員であるラリアントは前日のうちにギルドに来ているはずだ。
大きな木の扉をあけると、受付のようなものがあり、人でごった返していた。
活気あふれるその光景に気後れしていると、ラースがひょいっと珠美を肩に担ぎ上げた。
「こんなに人がいたんじゃタマは踏まれかねないからな」
「猫じゃないんだから踏まれないよ!」
そうは言ったものの、確かに踏まれたり蹴られたりしてもおかしくないほど、屈強な男たちばかりであふれかえっていた。
こちらは商人ギルドの方で、職人ギルドは隣接する建物にある。
話し合いの場はこの建物の三階と聞いていた。
「まだ時間にはちょっと早いし、一旦外に出るか」
そう言いながらラースは珠美の返事を待たずに外に出た。
大丈夫、と言いたかったが正直助かった。
久しぶりにこんなに大勢の人がいるところに来たので、圧が半端なかったのだ。子供の体では大人の足元に埋もれるようで息苦しい。
珠美は気づけばラースにしがみついていて、慌てて体を離した。
「ん? なんだ、別に重くはない、かまわんぞ」
そんなことを気にしたわけではない。
だがいちいち口にするのもはばかられ、珠美はただ「もう大丈夫、下ろして」とラースの肩をとんとんと叩いた。
「わかった。だがこれだけ人がいたら迷子になりかねんからな。離れるなよ」
そう言ってラースが肩から下ろしてくれたときだった。
今出て来たばかりの扉が開き、一人の女性が勢いよく飛び出してきた。
「隊長! ラース隊長!!」
振り返ったラースが、驚愕に目を見開いた。
「シルビア……」
「ラース隊長、探していたんです!」
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