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第二章 ここは魔王城いいところ

4.護衛の逡巡

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 デザートが運ばれてくるまでの間に、珠美はテーブルにごんと頭をぶつけ、突っ伏してしまった。そのまま顔を上げることはなかった。
 ラースは苦笑し、席を立ちあがった。

「今日は歓迎の夕餉だったんだと思うが、どうやら魔王様は限界のようだ。部屋へ連れて行くから、すまないがデザートはみんなで食べてくれ。どの料理もとても旨かった。俺までもてなしてもらっちまって悪かったな。明日からは俺は普通の食事でいいぞ」

 ラースがあとどれくらい滞在するかはわからなかったが。
 珠美と結んだ契約についても、明日改めて話し合わねばならない。
 また先程のようなことがあってはならないし、城とは言え気を抜けなそうだ。
 約束は城までではあったが、珠美さえ許せばこのまま護衛を続けたいと思った。
 まだ支払いだって済んでいない。城にいる護衛だって、どれほどの腕かわからない。
 だから。
 もう少し、安心してタマを手放せるまで。

「おい、タマ。おーい。部屋に行くぞ」

 くうくうと規則的に膨らむ背中に声をかけてみたが、珠美はぴくりとも動かなかった。
 それは疲れているだろうなと嘆息する。

 昨日に引き続き不慣れなことばかりで、さらに子供の体ながら長距離を移動したのだ。
 挙句いきなり遊覧飛行へと付き合わされては限界も限界だったろう。
 それでもミッドガルドに連れて行かれた先でのことをラースに話そうと、半分閉じかけていた瞼を必死にこじ開けていたのだ。

 ラースは珠美を抱え上げると、そっと揺らさないように運んだ。
 廊下を歩いている時、ふっと珠美が目を開けた。
 しかしふにゃふにゃと「なんだ、ラースか」と呟いたかと思うとそのまま目を閉じてしまった。
 またミッドガルドに連れ去られたとでも思ったのだろうか。
 その時のことを思い出し、ラースは腹の中に言い様のない怒りのようなものが沸いてくるのを感じた。

 油断した己に。
 そして無理矢理連れ去り怖い思いをさせたミッドガルドに。

 窓から連れ去られていった珠美の姿を思い返すと、血が沸騰しそうになった。

 そいつはここまで俺が守ってきたのだ。勝手に触れるな。
 そう思った。

 まるで独占欲みたいなそれは、幼い姿の珠美だからラースの未だ知らない父性のようなものが沸き立ち、庇護欲がそそられたのだろう。

 守る者も知っている者も誰もいないこの世界で、まだ子供ながらもここまで自らの足で歩みを進めてきた珠美だから。
 ラースが守ってやりたかった。
 他の誰かではなく、ラースが。

 珠美の部屋に入り、ベッドへとそっと横たえると、心地よさそうな寝息が少しだけ途切れて、また再開された。
 ほっとして屈めていた腰を伸ばそうとすると、ぐいっとそれを引き留めるものがある。
 珠美の手がしっかりとラースの胸元を掴んでいた。

「タマ? 起きてるのか?」

 答えはない。
 すうすうと規則正しい寝息だけが返った。

 ラースは逡巡したものの、珠美の手がつながった衣服ごとそっと脱ぎ捨て、虎の姿へと変貌した。
 またミッドガルドのように、城内にいてノーマークの者から突然攫われてしまわないとも限らない。
 ずっとじりじりと魔王を待っていた者があるかもしれない。ひっ迫した事情を抱えている者もあるかもしれない。理不尽にも、怒りを滾らせている者もあるかもしれないのだ。
 見たところ、城を護る兵士の数もさほど多くはない。
 これまでこの城には最強の魔王がいたのだからそれも当然なのかもしれないが、だとしたらなおさら、珠美がまだ魔王として不慣れなうちは、安全が確認できるまでは、傍を離れない方がいいだろう。

 そう決めて、昨日と同じように虎の体で珠美を包み込むようにして横になる。
 頬に柔らかな腹の毛が触れたのか、珠美はぎゅっとしがみつくように丸まり、すりすりと頬を寄せた。
 気づけば服を掴んでいたはずの手はラースの毛をしっかりと握っている。

 珠美の満足そうな顔に笑みが浮かぶのを感じながら、珠美の背を太い尾でゆっくりと撫でてやった。

 珠美は人に慣れていない猫のようだ。
 常に周囲を警戒し、頭を働かせている。
 それなのにラースには心を許しているかのように、こうしてくっついてくる。
 ミッドガルドに連れられて帰って来た時も、周囲を警戒しきり、疲れ切った瞳が、ラースをみとめてほっと和らいだのがわかった。
 それを見たラースの胸の内に暖かいものが這い登ってくるのを感じていた。

 無事帰ってきてほっとしたのもある。
 だがそれだけではない。
 懐かない小動物が自分にだけ懐いてくれたときのような、そんなくすぐったさも同時に感じていた。

 ――なんだかなあ。このまま一緒にいると、手が離せなくなりそうだ。

 頭の両側に生える巻いた角を眺める。
 クライアもよく正反対の代理魔王を立てたものだ。

 普通、突然魔法が使えるようになったと知ったら、あれこれ試したくなるものではないだろうか。
 魔法が使えないラースがもし自分だったらと考えても、珠美のような考えに至るとは思えない。
 珠美は慎重で、思慮深い。損な性格と言えばそれまでだが、これまでの魔王になかった感覚を持っているというのは、この国にとっても大事な変革となるのではないだろうか。
 しかしいきなり異世界の国を背負うにはまだまだ子供な珠美にとっては、それがあだともなりかねない。
 しかも珠美にとってはまだ誰が味方で誰が敵かもわかっていない状態だ。
 だから魔法のことも、今後について話し合うべきモルランではなく、見知っていたラースに話したかったのだろう。
 少なくとも今この城の中にいる者の中で最も信用してくれているということだ。

「もう少し。タマがもう少しこの城に慣れて、安全が確保できるまでだ」

 自然と、己に言い聞かせるようになってしまった。

 だって、珠美は真面目なゆえに、すぐに無理をしてしまうから。
 クライアのように適当に物事を考えることもできない。
 自然と心に背負ってしまうものも多いだろう。
 そのことを今わかってやれているのはラースだけだ。
 だから。

 そう考えてから、子離れができない親はこんな葛藤を抱いているのだろうかと、ラースは一人思った。
 結婚もしていないし子供もいないのに、と苦笑する。

 そればかりか。
 ラースは慕ってくれていたたくさんの部下を、守れなかったのに。

 忘れられない過去を思い出し、それからミッドガルドに連れ去られた珠美の悲痛な叫びを思い出し、ラースは堅く目を瞑った。

 ――次こそは、守ってやりたい。

 ぐっと奥歯を噛みしめ、それからラースは鼻をちょん、と珠美の額に触れさせた。

 この手にある内は。
 珠美が頼ってくれる限りは、力になろう。
 心にそう決めて、ラースは夜の闇の音を耳に聞いていた。
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