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第二章 ここは魔王城いいところ

3.代理魔王は思案に暮れる

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 小雨の中をミッドガルドに連れられ城へと戻った。
 珠美を送り届けると、ミッドガルドは「じゃあな」と言ってまた飛び立って行ってしまった。
 次の依頼を聞きに行ったのだろう。
 もう夜になるというのに休みもせずに行ってしまうあたり、強引なところはあるものの根は真面目というか職務に忠実なのだろう。いろいろと思うところはあれど、そういうところがやはり憎めない。

 びしょ濡れのまま中に入れば、ウサ耳の侍女が二人、慌ててタオルを手に駆け寄ってきてくれた。

「タマ様、こんなに濡れて……! お体をお拭きします」

「お部屋にお着替えをご用意しておりますので、お手伝いいたします」

「ありがとう。どうして私が帰って来ることがわかったの?」

「ミッドガルドさんが近づいてきていると、ロロが教えてくれましたので」

 タオルで優しく拭かれながら、初めて聞く名前に首を傾げる。

「黒毛の猫の獣人です。彼は超音波も多少聞き取れるのです。何を言っているかまではわからないそうですが」

 あの猫の獣人たちの仲間のことだろうと気が付いて合点する。
 猫にも超音波が聞こえるのかと驚くのと同時、ミッドガルドがちゃんと城に向けて伝えてくれていたことも意外だった。

「タマ!」

 聞き慣れたラースの声が響き、珠美はすぐさま顔を上げた。
 廊下の端にラースの姿を認めて、知らず珠美の肩がほっと下がる。
 後ろについてきていたモルランを置き去りにし、ラースは一直線に珠美の元へと駆けてくると、そのままの勢いで抱き上げ、無事を確認するようにあちらこちらを確かめた。

「タマ、大丈夫だったか!」

「うん、なんともないよ」

 安心させるように笑って答えれば、ラースは溜め込んでいた息を吐き出すようにして、少しだけ頬を緩めた。
 ラースの後からやってきたモルランは申し訳ないくらいにぜえぜえと息を切らしていた。ラースや侍女たちを呼びに行ってくれたのだろう。

「申し訳ありません、タマ様。私が傍におりながらあのような暴挙を許してしまうなど」

「いや、まだ護衛の任を解かれたわけでもないのに、城に着いたことで油断した俺の手落ちだ。すまなかった、タマ」

 二人に深く頭を下げられ、珠美は慌てて首と手をぶんぶんと振った。

「いやいや、あんなの不可抗力だから。広大な畑に連れて行かれて村長さんと少し話しただけで何ともなかったし、大丈夫だよ」

 モルランはややほっとしたように顔を緩め、侍女たちと共にあれこれ世話を焼いてくれたが、ラースの顔は浮かなかった。
 だからにこっと笑って見せれば、ラースは気の抜けたような顔をして、それから、ふっと笑ってくれた。
 ぽんぽん、と頭を撫でてくれる大きく温かな手が何よりも安心する。
 帰ってきたのだと、そう思えた。

 ただ。

「ラース、あの、もう大丈夫だから下ろして」

 感動の再会も済んだ。
 無事も確認した。
 だからきっとラースは珠美を抱えていることを忘れているのだ。
 そう思ったのだが。

「いやだ。まだ城内にどんな奴がいるか把握もできていない。二の舞を踏むわけにもいかないからな。安心できるまではタマはそこにいろ」

 そこって。
 ずっとラースに抱っこされたまま?

 珠美が「いやいやいやいや! 大丈夫だから!」と手と首をぶんぶんと振ってもラースは聞かなかった。
 トラウマになったのはラースの方だったのかもしれない。

     ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 部屋に戻って着替えが済むと、二人の侍女は改めて珠美付きの侍女だと自己紹介をしてくれた。

「ソラと申します。ご挨拶が遅れ申し訳ありませんでした。今後タマ様のお世話をさせていただきますので、なんなりとお申し付けください」

 ペコリと頭を下げると、長い兎の耳がぺこんと垂れるのがかわいらしい。
 ソラの耳は白だが、髪は黒で、後ろでひとまとめにしている。目がぱっちりとしてかわいらしい顔立ちだ。
 漫画で見るようなメイド服がまた似合っている。

「私はユラと申します。夕飯のご用意ができておりますが、本日はお部屋にお持ちしましょうか?」

 おっとりと首を傾げたユラも同じく兎の白い耳で、長く黒い髪は三つ編みにして背に垂らしている。

「ありがとう。ラースはもう食事は済ませたの?」

 ずっと珠美を離さなかったラースだが、さすがに着替えるとあって下ろしてくれた。
 今は部屋の外でうろうろと珠美が出てくるのを待っていることだろう。

「いえ、タマ様をお待ちになるとのことでしたので」

「それならラースと一緒に食べたいから、私も行く。案内をお願いできる?」

「勿論でございます」

 ソラが扉を開けると、やっぱりうろうろと廊下を歩き回っていたラースが気が付いて足を止めた。

「夕飯に行くのか? もう少し休んでからでもいいんだぞ」

「ううん、大丈夫」

 気づかわしげなラースに笑みを浮かべて見せたものの、実のところは珠美はもうくたくただった。
 今休んでしまえば翌朝まで目覚めることはなさそうだ。
 けれどラースと話したかった。いろいろなことがあったせいで興奮していたのもあったかもしれない。とにかくこのままでは寝られなかった。
 ラースはそんな珠美の様子をじっと覗ってから、再びひょいっと珠美を肩に担ぎ上げた。
 まだ続いていたらしい。
 一応「下ろして?」と言ってみたものの、ラースは頑なに聞いてくれなかった。
 珠美は、それで気が楽になるのならと黙って担がれることにした。

 食事は前菜から運ばれてきて、珠美はカチンと固まった。
 フルコースなど食べたことがない。
 テーブルマナーも何もわからない。
 確か、食器は外側から使うのだと聞いた覚えがあるが、その常識がこの国の常識ともわからない。
 どうしようかとまごついていたが、ラースがさっとフォークを手に取りがつがつと食べ始めたので、それに倣うことにした。
 この国のマナーについては、後でソラとユラに聞いておこう。

 食べ進めながら、ラースにミッドガルドに連れられて行った先のことを話した。
 これがこの国の当たり前の感覚なのか、聞いておきたかったのだ。
 というより、もやもやとしていて誰かに話を聞いてもらいたかっただけかもしれない。

「なるほどなあ。この城に来る前に泊まったあの村では、普通にひしゃくで水撒きしてるのを見かけたことがあるし、どこでも同じことを魔王に頼ってるってんでもないだろうがな。考え方としては、確かにここではみんなそんなもんかもしれんな。俺の生まれた国では考えられんことだが」

 便利な魔王がいれば、汗水働くのも馬鹿らしいと思うようになってもおかしくはない。
 だがたった一人の魔王に頼りきるのはリスクだと珠美は思う。

 魔王とていつ命を落とすかもわからないし、実際にクライアはいなくなり、魔王不在の期間があったのだ。
 その時に魔王のせいだとかなんだとか騒いだところで、作物はどうにもなりはしない。
 結局困るのは、その地に暮らす人々だ。

 人なんて、どこでどう考えを変えるかもわからないし、いつまで元気でいるかもわからないのに。
 そこまで誰かがなんとかしてくれると信じ、頼り切れるのも珠美にはわからなかった。
 信頼と甘え、そのどちらだとしても。

「ラースの国では、作物はどうやって育てるの?」

「そりゃ、自然との戦いだな。雨が降らなけりゃ作物が枯れる。だから水を溜めておくし、川から水を引いてるとこもある。本当に雨が降らない干ばつともなれば、魔術師が陣を組むこともある」

 それを聞いて、珠美が思っていた理想はまさにそれだと何度も頷いた。
 自分たちでとれる対策はとる。自然に勝てないときは使える力を使う。それがちょうどいいのではないか。

 ラースの言葉に、珠美は聞きたかったことをもう一つ思い出した。

「この世界の魔法って、水を出したり、雨を降らせたりって、それはどこから来るものなの?」

 新しく生み出すのか、それとも存在しているところから転移させてくるのか。ずっと気になっていた。

「俺が知ってるのは、転移させるやり方だな。そんで定めた方向に噴出する。そんな魔法陣を組んでると聞いた」

 なるほど、と珠美は頷く。
 量や強さをコントロールすれば、シャワーのようにも使えるし、攻撃にもなるだろう。

 やはり思った通り、プログラムと同じように明確に対象や条件などを定義し命令文を構築すれば、珠美にも魔法が使えそうだ。

 しかし水を転移させるとなると、それはどこから来ているのかという問題になる。
 豊富にあるところからなら問題はないかもしれない。
 でもそこもギリギリの状態だったら? そこから奪っているのだとしたら?

 珠美はいくら魔法といえど、無からは生まれないと思っている。何らかのエネルギーや素になるものは必要なのではないか。
 たとえば、転移ではないとしたら空気中の水素と酸素を合成しているのではないか。
 そこから大量に水へと変化させてしまったら、自然界への影響は?
 その辺りではしばらく雲ができにくくなったり、雨が降りにくくなったりしないだろうか。いや、雲は流れるものだから、その場所が日照りにあうとはいえない。
 だとしても、自然界に無理矢理干渉することは確かで、どんな影響があるかは珠美にはわからない。

 こういったことを考えもせずに、便利だからと安易に魔法を使うこと、その思考に珠美は危険を感じた。
 ここはご都合主義が通る、ファンタジーの世界ではない。
 現実なのだ。

 ただ、便利なものは使えばいいと思う。
 洗濯機があるのに、洗濯板で時間と労力をかけて洗濯すべきだとは思わない。
 だが洗濯機を動かすには電力が必要だ。その消費量、電気代がどれくらいで、電力が十分に供給できる状況なのかを使用者が知っておくのは大切だと思う。
 電気が枯渇しているのにパカパカ使ってしまっては、ある日突然使えなくなって困るかもしれない。もっと大事なことに使いたいときに足りなくなるかもしれない。
 電気代がかさんで生活費が足りなくなるかもしれない。

 同じように、魔法にもエネルギーが必要なはずで、そのために払う代償やデメリットを知らずに使うのは怖いというだけの話だ。

「もしも魔法で広大な農地に雨を降らせたら、その分どこかで雨が降らなくなる。っていうことが起きるんじゃないかなって、気になったんだけど。そういう話、聞いたことはない?」

「さあ。俺もこの国が長いわけじゃないからわからんが。明日、その辺りのこともモルランに聞いてみたらどうだ?」

「うん、そうだね」

 力を持つ限りは、きちんとそれが及ぼす影響を把握しておきたい。
 それも力を持つ者の責任なのではないかと珠美は思う。
 そんなことを考えながら食事をするうち、気づけば珠美のおでこはテーブルとくっついてしまっていた。
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