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第一章 まだ時給を聞いてない
3.魔王、始まってました
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「はっ……!」
自分が吐いた荒い息で目を覚まし、珠美は飛び起きた。
そして頭の重さにそのままぐしゃりと二つ折りになった。
「ぐえ」
重い。
とにかく頭が重い。
そっと手を伸ばし、角を引っ張ってみた。
しかし取れない。外れない。
カチューシャとかヘアピンでくっついているのかと周りの地肌を探るがそれらしいものもない。
それどころか、地肌を辿って行けばそのまま角に辿り着いた。
生えている。
珠美の頭から。
「なんで?!」
その問いに、ドアがコンコンとノックされた。
気づけば珠美は木のベッドに寝かされていて、そこは辺り一面が木でできている部屋だった。
思わず辺りを見回すのに忙しく応えないままでいると、勝手にドアがギィと開けられた。
「おい、やっぱり起きてんじゃねえか。返事くらいしろよ、チビ」
「チビじゃない! 珠美!」
「じゃあタマ」
「猫みたいな呼び方しないでよ」
「猫? 猫の愛称と言えばアレクサンドラだろ」
――猫つよっ……。
「気分はどうだ? あれだけ地面にめり込んでたんだから生きてるのが不思議なくらいだが、魔王サマだからな。ちゃんと防壁張ってたんだろ?」
珠美が「何の話ですか」と顔面に張り付けていると、男は眉を顰めた。
「おい。まさか、何にも聞いてないのか?」
「代わりに仕事をしてほしいとか、誰にでもできる簡単なお仕事だとか、勤務地が他国だとか、そんなことしか聞いてないです。なんで角が生えてるのかとか、なんで体が縮んでるのかとか、わからないことだらけです」
確かに、最後の最後に彼は魔王だと名乗った。
ということは、頼みたい仕事というのも魔王代理、ということなのだろう。
それはわかった。
だがこれは現実なのか?
「体が縮んだ、って。地面にめり込んだからか? っていうのは冗談だが、元々はどれくらいだったんだ?」
「私、十八歳なんです。身長だって百五十八センチありましたし。四月からは就職予定で、もう立派な準成人です」
「ふうん。なんとなくだが話は見えてきたな。おまえが魔王なのは、頭に立派な角が生えてるからだよ。それは魔王の象徴だ。そんな獣人はこの国には二人といない」
珠美はそっと角に手を触れた。
ざらざらとしていて、硬質で、重くて。とても作り物とは思えない。
シンボルとしてただ必要なだけなのだったら、もっと何か取り外し可能な王冠とかティアラとかにしてほしかった。
これではどうやって寝ればいいのかわからない。
「体が縮んだってのも、いきなり魔王としての力を受け入れることになって、体がエネルギー消費を抑えにゃならんかったんだろうな。そのうち戻るだろうよ」
珠美にはまだ話が見えない。
どうにも現実離れしていて、まだ夢を見ているのかと思ってしまう。
その混乱が目に見えたのだろう。
男は深くため息を吐くとベッドサイドに椅子を持ってきて座った。
「俺はラースだ。時々商隊の護衛なんかやって稼いだりしてるが、基本的には森の中のこの小屋でのんびり気ままにやってる」
「ラース……さんはクライアとどういう関係なんですか?」
「ラースでいい。クライアは何かに追われて逃げてたみたいだったから、かくまったんだよ。それだけの縁だ。だがどこかへ急いでたようでな。ロクな説明もせずに、ここに出入り口を作って消えたんだ」
クライアが出口付近に力になってくれる人がいるはずと言っていたのはラースのことだろう。
だが、あのクライアの様子からすれば、ラースが事情を知らないまま強引に巻き込まれたのだろうことは簡単に想像がついた。
しかし、だとしたらラースに頼るわけにもいかない。
珠美はこれからどうしたらいいのかと思案した。
そうして不安そうな顔をしていたのがわかってしまったのだろう。
ラースは珠美の頭をぽんぽん、と撫でると苦笑した。
「俺にわかることなら説明してやる。そんな顔すんな」
遠慮したところで、文字通り他に頼れる人もいない。こんな何もわからない状態では誰かに頼らなければ珠美一人ではどうにもならない。
縋るようにこくりと頷くのをみとめて、ラースはゆっくりと口を開いた。
「ここは魔王が治める獣人の国、モンテーナだ。大陸の端っこにあって、隣り合っているのは人の住む国クルーエル。その二つの国の周りを海と高い岩山が囲っていて、陸の孤島と呼ばれている。だからまあ、隣国同士は交流もあって友好的な関係を築いている」
話を聞いているうち、知らないはずの情報が記憶に滲みだしてくる。
モンテーナ国は獣人の住む国。
そこは代々魔王が治めていて。
獣人たちや人間にも魔力のあるものはいるが、魔王はそれとは比べ物にならない絶大な魔力を持ち、干ばつなどの自然災害に見舞われてもその力をもって人々を助け、豊かな国を築いていた。
隣国のクルーエル国にも依頼があれば力を貸す。
両国の争いのない穏やかな関係は、魔王が保っていると言ってもいい。
何故そんな記憶が珠美にあるのか。
知らないはずだ。
それなのに、何故。
最後にクライアと名乗った黒づくめの男の頭から、角が一瞬にして消えたことを思い出す。
角は魔王の象徴だという。
そしてクライアは代わりに仕事を任せたいと言っていた。
つまりは、クライアは珠美に魔王代理を任せるために、その角と力を委譲したのだろう。
この世界で過ごすために差し支えない程度の知識と一緒に。
クライアはインプットしたと言っていた。
珠美の肩に置かれていた手が熱くなっていたこと思い出す。きっとあれは相互に情報の読み書きをしていたのではないかと思う。
クライアは珠美の名前を知っていたから。
おあいこなのかもしれないが、プライバシーも何もあったものではないと腹が立つ。
そこまで考えて、珠美は頭がクラリとするのを感じた。
角が重かったからではない。
クライアが委譲したのだろう記憶に一気に触れようとすると、その量は膨大で、パンクしそうになるのだと思う。
一気に思い出さず、少しずつ折に触れて記憶を引き出すようにした方がよさそうだ。
だが、おかげで今の状況は大方理解できた。
「私が、魔王……」
バイトに押し付けるには重すぎる。
しかも二週間と言ったのに、こちらでは一年過ごすことになるとか反則じゃないだろうか。
長すぎる。
そんなに珠美一人で耐えられるのだろうか。
だが文句を言う相手は、目の前にはいない。
珠美はそっと角に手を伸ばす。
ごつごつとしていて、今まで珠美の体のどんな部位にも存在しなかった手触り。
ざらざらとしていて、くるりとらせん状に走っていて尖った先端は空を向いている。
先程はこれが地面に突き刺さっていたのだ。
「そりゃこんだけ鋭かったら地面にも突き刺さるわ」
あんな空高くから落ちたし。
「ああ。見事なもんだったな」
珠美の独り言に、ラースが頷いて返す。
それで何故死ななかったのか。
その答えもなんとなくわかった。
その魔王の、魔力ゆえだ。
珠美は知らぬうちに自分で自分を守っていたのだ。咄嗟に腕で木や枝から己を守ろうとしたように。
視力が回復したのも魔力ゆえなのだろう。
いつの間にかメガネをなくしていたのに、それでもきちんと見えている。
ラースの「大丈夫か?」というような怪訝な表情も、眉間に寄せられた皺の数が二つであることも。
ラースは考えるように静かになった珠美を見守っていた。
顔を上げると、珠美を安心させるようにゆったりとした笑みを浮かべる。
その優しさが、ここがどうしようもなく現実であると思い知らせた。
――ケモ耳とイケオジの組み合わせなんか、私の脳内からは沸いてこない。
プログラムとか、論理的なことばかり考えてきた珠美は想像力があまり豊かではない。
夢も見ない。
漫画も小説もアニメも、あまり広くは知らない。
こんな世界を、珠美が妄想で思いつけるわけがないのだ。
「落ち着いてきたか?」
珠美はこくりと頷く。
そうだ。ラースの言葉もわかる。
日本語だと思っていたけど、違う。
ラースが話しているのは日本語ではない。
珠美が知らない言語。
一つの言語を編み出すほど緻密な妄想など珠美には練れない。
もはや認めるしかない。
珠美がこれまでにない力を受け取ったことを。
そしてここが、珠美のいた世界とは異なる世界――そんな魔法や魔王、獣人が存在するような異世界であることを。
自分が吐いた荒い息で目を覚まし、珠美は飛び起きた。
そして頭の重さにそのままぐしゃりと二つ折りになった。
「ぐえ」
重い。
とにかく頭が重い。
そっと手を伸ばし、角を引っ張ってみた。
しかし取れない。外れない。
カチューシャとかヘアピンでくっついているのかと周りの地肌を探るがそれらしいものもない。
それどころか、地肌を辿って行けばそのまま角に辿り着いた。
生えている。
珠美の頭から。
「なんで?!」
その問いに、ドアがコンコンとノックされた。
気づけば珠美は木のベッドに寝かされていて、そこは辺り一面が木でできている部屋だった。
思わず辺りを見回すのに忙しく応えないままでいると、勝手にドアがギィと開けられた。
「おい、やっぱり起きてんじゃねえか。返事くらいしろよ、チビ」
「チビじゃない! 珠美!」
「じゃあタマ」
「猫みたいな呼び方しないでよ」
「猫? 猫の愛称と言えばアレクサンドラだろ」
――猫つよっ……。
「気分はどうだ? あれだけ地面にめり込んでたんだから生きてるのが不思議なくらいだが、魔王サマだからな。ちゃんと防壁張ってたんだろ?」
珠美が「何の話ですか」と顔面に張り付けていると、男は眉を顰めた。
「おい。まさか、何にも聞いてないのか?」
「代わりに仕事をしてほしいとか、誰にでもできる簡単なお仕事だとか、勤務地が他国だとか、そんなことしか聞いてないです。なんで角が生えてるのかとか、なんで体が縮んでるのかとか、わからないことだらけです」
確かに、最後の最後に彼は魔王だと名乗った。
ということは、頼みたい仕事というのも魔王代理、ということなのだろう。
それはわかった。
だがこれは現実なのか?
「体が縮んだ、って。地面にめり込んだからか? っていうのは冗談だが、元々はどれくらいだったんだ?」
「私、十八歳なんです。身長だって百五十八センチありましたし。四月からは就職予定で、もう立派な準成人です」
「ふうん。なんとなくだが話は見えてきたな。おまえが魔王なのは、頭に立派な角が生えてるからだよ。それは魔王の象徴だ。そんな獣人はこの国には二人といない」
珠美はそっと角に手を触れた。
ざらざらとしていて、硬質で、重くて。とても作り物とは思えない。
シンボルとしてただ必要なだけなのだったら、もっと何か取り外し可能な王冠とかティアラとかにしてほしかった。
これではどうやって寝ればいいのかわからない。
「体が縮んだってのも、いきなり魔王としての力を受け入れることになって、体がエネルギー消費を抑えにゃならんかったんだろうな。そのうち戻るだろうよ」
珠美にはまだ話が見えない。
どうにも現実離れしていて、まだ夢を見ているのかと思ってしまう。
その混乱が目に見えたのだろう。
男は深くため息を吐くとベッドサイドに椅子を持ってきて座った。
「俺はラースだ。時々商隊の護衛なんかやって稼いだりしてるが、基本的には森の中のこの小屋でのんびり気ままにやってる」
「ラース……さんはクライアとどういう関係なんですか?」
「ラースでいい。クライアは何かに追われて逃げてたみたいだったから、かくまったんだよ。それだけの縁だ。だがどこかへ急いでたようでな。ロクな説明もせずに、ここに出入り口を作って消えたんだ」
クライアが出口付近に力になってくれる人がいるはずと言っていたのはラースのことだろう。
だが、あのクライアの様子からすれば、ラースが事情を知らないまま強引に巻き込まれたのだろうことは簡単に想像がついた。
しかし、だとしたらラースに頼るわけにもいかない。
珠美はこれからどうしたらいいのかと思案した。
そうして不安そうな顔をしていたのがわかってしまったのだろう。
ラースは珠美の頭をぽんぽん、と撫でると苦笑した。
「俺にわかることなら説明してやる。そんな顔すんな」
遠慮したところで、文字通り他に頼れる人もいない。こんな何もわからない状態では誰かに頼らなければ珠美一人ではどうにもならない。
縋るようにこくりと頷くのをみとめて、ラースはゆっくりと口を開いた。
「ここは魔王が治める獣人の国、モンテーナだ。大陸の端っこにあって、隣り合っているのは人の住む国クルーエル。その二つの国の周りを海と高い岩山が囲っていて、陸の孤島と呼ばれている。だからまあ、隣国同士は交流もあって友好的な関係を築いている」
話を聞いているうち、知らないはずの情報が記憶に滲みだしてくる。
モンテーナ国は獣人の住む国。
そこは代々魔王が治めていて。
獣人たちや人間にも魔力のあるものはいるが、魔王はそれとは比べ物にならない絶大な魔力を持ち、干ばつなどの自然災害に見舞われてもその力をもって人々を助け、豊かな国を築いていた。
隣国のクルーエル国にも依頼があれば力を貸す。
両国の争いのない穏やかな関係は、魔王が保っていると言ってもいい。
何故そんな記憶が珠美にあるのか。
知らないはずだ。
それなのに、何故。
最後にクライアと名乗った黒づくめの男の頭から、角が一瞬にして消えたことを思い出す。
角は魔王の象徴だという。
そしてクライアは代わりに仕事を任せたいと言っていた。
つまりは、クライアは珠美に魔王代理を任せるために、その角と力を委譲したのだろう。
この世界で過ごすために差し支えない程度の知識と一緒に。
クライアはインプットしたと言っていた。
珠美の肩に置かれていた手が熱くなっていたこと思い出す。きっとあれは相互に情報の読み書きをしていたのではないかと思う。
クライアは珠美の名前を知っていたから。
おあいこなのかもしれないが、プライバシーも何もあったものではないと腹が立つ。
そこまで考えて、珠美は頭がクラリとするのを感じた。
角が重かったからではない。
クライアが委譲したのだろう記憶に一気に触れようとすると、その量は膨大で、パンクしそうになるのだと思う。
一気に思い出さず、少しずつ折に触れて記憶を引き出すようにした方がよさそうだ。
だが、おかげで今の状況は大方理解できた。
「私が、魔王……」
バイトに押し付けるには重すぎる。
しかも二週間と言ったのに、こちらでは一年過ごすことになるとか反則じゃないだろうか。
長すぎる。
そんなに珠美一人で耐えられるのだろうか。
だが文句を言う相手は、目の前にはいない。
珠美はそっと角に手を伸ばす。
ごつごつとしていて、今まで珠美の体のどんな部位にも存在しなかった手触り。
ざらざらとしていて、くるりとらせん状に走っていて尖った先端は空を向いている。
先程はこれが地面に突き刺さっていたのだ。
「そりゃこんだけ鋭かったら地面にも突き刺さるわ」
あんな空高くから落ちたし。
「ああ。見事なもんだったな」
珠美の独り言に、ラースが頷いて返す。
それで何故死ななかったのか。
その答えもなんとなくわかった。
その魔王の、魔力ゆえだ。
珠美は知らぬうちに自分で自分を守っていたのだ。咄嗟に腕で木や枝から己を守ろうとしたように。
視力が回復したのも魔力ゆえなのだろう。
いつの間にかメガネをなくしていたのに、それでもきちんと見えている。
ラースの「大丈夫か?」というような怪訝な表情も、眉間に寄せられた皺の数が二つであることも。
ラースは考えるように静かになった珠美を見守っていた。
顔を上げると、珠美を安心させるようにゆったりとした笑みを浮かべる。
その優しさが、ここがどうしようもなく現実であると思い知らせた。
――ケモ耳とイケオジの組み合わせなんか、私の脳内からは沸いてこない。
プログラムとか、論理的なことばかり考えてきた珠美は想像力があまり豊かではない。
夢も見ない。
漫画も小説もアニメも、あまり広くは知らない。
こんな世界を、珠美が妄想で思いつけるわけがないのだ。
「落ち着いてきたか?」
珠美はこくりと頷く。
そうだ。ラースの言葉もわかる。
日本語だと思っていたけど、違う。
ラースが話しているのは日本語ではない。
珠美が知らない言語。
一つの言語を編み出すほど緻密な妄想など珠美には練れない。
もはや認めるしかない。
珠美がこれまでにない力を受け取ったことを。
そしてここが、珠美のいた世界とは異なる世界――そんな魔法や魔王、獣人が存在するような異世界であることを。
応援ありがとうございます!
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