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第一章 神様なんて信じてないのに聖女とか
3.二度と会わないと私は思った。後の偽聖女である
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姉のアレクシアは、私のベッドで寝ている男を見てはしゃいだ。
「若い男! かっこいい! 髪が綺麗! こんな整ってるんだもん、絶対お金持ちじゃーん」
おかげで私と一緒に両親の部屋の床で寝ることになっても、文句は言われずに済んだのは助かったけど。
この村には存在しないイケメンという種族が同じ家にいるというだけで心が浮き立つらしい。
「けど私にはエンリケがいるからあんたがおいしくいただきなさい」
「いただくか!」
雨に打たれながら二日も意地で軒下雨宿りをするような男なんて面倒だ。
そもそも、貧しい暮らしぶりを目にするたび顔をしかめるような男と仲良く暮らせるわけがない。
何もかもが、私とは違いすぎるのだから。
「ええ? 弱ってる男を甲斐甲斐しく世話焼いたら当然、『そんな君に惚れた』の流れになるでしょ。もったいない」
それを弱って眠る男の前で言うなと言いたい。
おでこの濡れタオルを載せ替えて、私は小さく息を吐いた。
「あのね。アレクシアは起きてるときにこの人と会ってないから知らないだろうけど、全然そういうタイプの人じゃないからね。こんなところで寝てたくもないのが正直なところだと思うよ」
「えー! だったらさっさと追い出せばよかったのに。面倒見てやる義理なんてないじゃない」
態度を翻すのが早すぎる。
珍しいものもイケメンも騒ぐが、アレクシアも私と同様、顔で選ぶタイプではないから、あっという間に頬をむくれさせて文句を垂れ流す。
「風邪ひいてる人にそんなことできないでしょ」
「うちの他にも家はあるじゃん」
「他の人が看病するなら私がやったって同じでしょ……。風邪人をうろつかせて受け入れてくれる家を探すだけの労力が無駄よ」
この村の人たちの生活水準はそれほど変わらない。
村長が少し大きい家に住めているだけだ。
「お人好しの無駄遣い」
まあ言ってることはわかる。
けど妙に突っかかってくるなあ。
「……エンリケと喧嘩でもしたの?」
「ご名答!」
いや、指をびしっと突きつけられても。
「早く仲直りしなさいよ?」
いちいちこうやって突っかかられても面倒だし。
それに何より、眠るイケメンを見てもエンリケがいいと思うほど好きなんだから。
私だってアレクシアには幸せになってほしい。
「大丈夫。頭冷やしたらあっちから謝ってくると思うから」
「ソウデスカ」
恋愛事は私にはわからない。
「明日には仲直りしてるよ」と、からっと笑ったアレクシアに、私はハイハイと手をぷらぷら振って追い払った。病人が寝ている部屋でいつまでも喋っているわけにもいかない。
それから男の容態はそれほど悪くなることもなく、一時は苦しげだった寝息も穏やかになった。
もし悪化したら打つ手もなかったから、心底からほっとした。
◇
男が寝込んでから二日後の朝。
目覚めたら食べるようにとお粥をベッドサイドに置いて、私は畑仕事に出た。
空に太陽が高く昇った頃、ぼっすぼっすと鍬を突き立てていた土の上に、一つの影が落ちた。
「精が出るな」
「あれ。起きたんだ。歩き回っても大丈夫なの?」
金の髪の、あの男だった。
雨に濡れていたあの時の服を着ていた。洗濯してベッドサイドに置いておいたのだが、目覚めるなり気が付いて、見知らぬおじさんのボロい服から着替えたのだろう。
「ああ。この村をぐるりと一周してきた。本当に小さい村だな」
ただ思ったことを言っただけ。
嫌味で言ってるわけではないのだろう。
そう見えて、たぶんこの男はただ素直なだけなんだろうと思った。
そう思えば、腹も立たなくなった。
「まあね。何もないし、見て回るようなものもないでしょ?」
「いや、楽しかったぞ。ここには畑がある。作物がある。人がいる。ちゃんと、生きている村だ」
男の言葉に、思わずきょとんとした。
「何それ」
「人がいて、作物があるから国は生きていける。だから何もないわけではない。この村はこの村で必要なことをしている。卑下することはない。一人一人が尊い民だ」
「あんたに言われたくないけどね」
尊い民だなんて、まるで王様みたいなことを言う。
思わず声を上げて笑うと、男は何故笑ったのかわからないというように真面目な顔のまま私を見ていた。
「この村は、気がいい人ばかりだな。見知らぬ私にも気軽に声をかけてくれる」
「そりゃ、外から来る人は珍しいからね。興味津々なのよ」
「なんだかいろいろと持たされたしな」
そう言って両手を上げれば、そこにはずしりと重そうな麻袋が掲げられていた。
「わ。やっぱりイケメンは得ね。おばちゃんたちからたくさん野菜を貢いでもらったんだ」
「ああ。だからこれはおまえにやる。世話料だ」
「いらないわよ。それはあなたがもらった物でしょ? 人の好意を無碍にしちゃだめ」
別に何かを期待してたわけじゃないし、大事にならずに済んだのだから、それでいい。
「そうか。では礼は改めて持参するとしよう」
「いやだから、そういうのはいらないってば。たいしたことしてないし」
「人の好意は無碍にするものではないのだろう?」
頭のいいやつは面倒くさい。
私が、む、と口を噤んでいると、男はふっと口元を緩めた。
「おまえは素直ではないな」
なんかそんな顔で言われると、調子が狂う。
怒る気にはなれない。
「私の服もおまえが洗っておいてくれたのか? 手に取ったとき、太陽の匂いがした。借りた服も全て、丁寧に洗われ、繕われているのがわかった。世話になったな」
なんとなく俯いた。
当たり前のことを当たり前にしてるだけだ。だけど誰も目に留めることのないそれらを認められた気がした。
嬉しいような、面映ゆいような。そんな顔はとても見せられなかった。恥ずかしくて。
だから素直じゃない、なんて言われるんだろうけど。
「それ、きっと石鹸の匂いだよ。晴れてる日に干したら太陽に当たるのはみんな一緒でしょ。太陽に匂いなんて、あるわけないし」
つい、またかわいくないことを言ってしまう。けどこれが私。いまさらつくろったってしょうがない。
あの服は、また文句を言われるのが嫌で貴重な石鹸を惜しげもなく使ったから、きっとその匂いだ。お金持ちが使うのとは違うから、それが何か変わった匂いに感じたんだろう。
「確かにな。太陽の匂いなんぞ、知らん」
そう言って男は、ははっと笑った。軽やかに。
「なんだかわからんが、ほっとする匂いだと思っただけだ」
初めてそんな顔を見たと思った。
ほんの少し笑っただけなのに。何故だかそれがとても嬉しかった。
きっと、看病の甲斐あって回復したとわかったからだ。
「また来る。畑、頑張ってくれ、ユリシア」
「あ、うん。元気でね」
そう返すと、男は何か物言いたげな顔をしたものの、結局何も言わずに踵を返した。
あっさりとした別れだった。
彼は両親とアレクシアにも礼と別れを告げ、乗馬用のようなブーツを畑の土からずっぽりと抜いて、砂利道にごつごつと足音を響かせて歩き去って行った。
私は社交辞令を真に受けるほどバカじゃない。
彼とは二度と会うこともないだろう。
だから彼の名前も聞かなかった。
だけど、彼はどうして私の名前を知ってたんだろう。
しかも、アレクシアと私を見分けていた。
双子とは言え、この歳にもなるとそれぞれの違いも大きくなって、知ってる人が見ればわかる程度ではあったけど、彼にその違いがわかるとは思えないのに。
ふと視線を上げると、エンリケがアレクシアの元に向かうのが見えた。
それで合点した。きっとここに来るときにエンリケと行き会って、どっちがどっちか聞いてから私に話しかけたのだろう。
納得して、私は再び土と向かいあった。
家の庭の栗の木が雷で真っ二つに割れてしまった。
だから冬の食糧となる作物を、いつもより多めに作らないといけない。
ぼんやりしている暇はないのだ。
そうして突然の来訪者にほんのり浮き立っていた我が家に、日常が戻ってきた。
はずだった。
彼が有言実行男だったと知るのは、彼が去った翌日のことだった。
着ていた服はきらびやかな装飾のついた、いかにも王子然としたものに変わり。
佇まいも、濡れそぼった犬ではなく、立っているだけで凛とした気品を全身から放つ、王子然としたものに変わり。
そう。
どこからどう見ても王子として、彼は再びボロい我が家の前に現れたのである。
もっとはっきり言えば、彼の後ろに控えている馬車の側面に王家の紋章が見えた。
だけど。
――いや、『またな』って。来るの早くない?
私が思ったのはただそれだけだった。
人は本当に驚くと、意外と冷静なのだと知った。
「若い男! かっこいい! 髪が綺麗! こんな整ってるんだもん、絶対お金持ちじゃーん」
おかげで私と一緒に両親の部屋の床で寝ることになっても、文句は言われずに済んだのは助かったけど。
この村には存在しないイケメンという種族が同じ家にいるというだけで心が浮き立つらしい。
「けど私にはエンリケがいるからあんたがおいしくいただきなさい」
「いただくか!」
雨に打たれながら二日も意地で軒下雨宿りをするような男なんて面倒だ。
そもそも、貧しい暮らしぶりを目にするたび顔をしかめるような男と仲良く暮らせるわけがない。
何もかもが、私とは違いすぎるのだから。
「ええ? 弱ってる男を甲斐甲斐しく世話焼いたら当然、『そんな君に惚れた』の流れになるでしょ。もったいない」
それを弱って眠る男の前で言うなと言いたい。
おでこの濡れタオルを載せ替えて、私は小さく息を吐いた。
「あのね。アレクシアは起きてるときにこの人と会ってないから知らないだろうけど、全然そういうタイプの人じゃないからね。こんなところで寝てたくもないのが正直なところだと思うよ」
「えー! だったらさっさと追い出せばよかったのに。面倒見てやる義理なんてないじゃない」
態度を翻すのが早すぎる。
珍しいものもイケメンも騒ぐが、アレクシアも私と同様、顔で選ぶタイプではないから、あっという間に頬をむくれさせて文句を垂れ流す。
「風邪ひいてる人にそんなことできないでしょ」
「うちの他にも家はあるじゃん」
「他の人が看病するなら私がやったって同じでしょ……。風邪人をうろつかせて受け入れてくれる家を探すだけの労力が無駄よ」
この村の人たちの生活水準はそれほど変わらない。
村長が少し大きい家に住めているだけだ。
「お人好しの無駄遣い」
まあ言ってることはわかる。
けど妙に突っかかってくるなあ。
「……エンリケと喧嘩でもしたの?」
「ご名答!」
いや、指をびしっと突きつけられても。
「早く仲直りしなさいよ?」
いちいちこうやって突っかかられても面倒だし。
それに何より、眠るイケメンを見てもエンリケがいいと思うほど好きなんだから。
私だってアレクシアには幸せになってほしい。
「大丈夫。頭冷やしたらあっちから謝ってくると思うから」
「ソウデスカ」
恋愛事は私にはわからない。
「明日には仲直りしてるよ」と、からっと笑ったアレクシアに、私はハイハイと手をぷらぷら振って追い払った。病人が寝ている部屋でいつまでも喋っているわけにもいかない。
それから男の容態はそれほど悪くなることもなく、一時は苦しげだった寝息も穏やかになった。
もし悪化したら打つ手もなかったから、心底からほっとした。
◇
男が寝込んでから二日後の朝。
目覚めたら食べるようにとお粥をベッドサイドに置いて、私は畑仕事に出た。
空に太陽が高く昇った頃、ぼっすぼっすと鍬を突き立てていた土の上に、一つの影が落ちた。
「精が出るな」
「あれ。起きたんだ。歩き回っても大丈夫なの?」
金の髪の、あの男だった。
雨に濡れていたあの時の服を着ていた。洗濯してベッドサイドに置いておいたのだが、目覚めるなり気が付いて、見知らぬおじさんのボロい服から着替えたのだろう。
「ああ。この村をぐるりと一周してきた。本当に小さい村だな」
ただ思ったことを言っただけ。
嫌味で言ってるわけではないのだろう。
そう見えて、たぶんこの男はただ素直なだけなんだろうと思った。
そう思えば、腹も立たなくなった。
「まあね。何もないし、見て回るようなものもないでしょ?」
「いや、楽しかったぞ。ここには畑がある。作物がある。人がいる。ちゃんと、生きている村だ」
男の言葉に、思わずきょとんとした。
「何それ」
「人がいて、作物があるから国は生きていける。だから何もないわけではない。この村はこの村で必要なことをしている。卑下することはない。一人一人が尊い民だ」
「あんたに言われたくないけどね」
尊い民だなんて、まるで王様みたいなことを言う。
思わず声を上げて笑うと、男は何故笑ったのかわからないというように真面目な顔のまま私を見ていた。
「この村は、気がいい人ばかりだな。見知らぬ私にも気軽に声をかけてくれる」
「そりゃ、外から来る人は珍しいからね。興味津々なのよ」
「なんだかいろいろと持たされたしな」
そう言って両手を上げれば、そこにはずしりと重そうな麻袋が掲げられていた。
「わ。やっぱりイケメンは得ね。おばちゃんたちからたくさん野菜を貢いでもらったんだ」
「ああ。だからこれはおまえにやる。世話料だ」
「いらないわよ。それはあなたがもらった物でしょ? 人の好意を無碍にしちゃだめ」
別に何かを期待してたわけじゃないし、大事にならずに済んだのだから、それでいい。
「そうか。では礼は改めて持参するとしよう」
「いやだから、そういうのはいらないってば。たいしたことしてないし」
「人の好意は無碍にするものではないのだろう?」
頭のいいやつは面倒くさい。
私が、む、と口を噤んでいると、男はふっと口元を緩めた。
「おまえは素直ではないな」
なんかそんな顔で言われると、調子が狂う。
怒る気にはなれない。
「私の服もおまえが洗っておいてくれたのか? 手に取ったとき、太陽の匂いがした。借りた服も全て、丁寧に洗われ、繕われているのがわかった。世話になったな」
なんとなく俯いた。
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嬉しいような、面映ゆいような。そんな顔はとても見せられなかった。恥ずかしくて。
だから素直じゃない、なんて言われるんだろうけど。
「それ、きっと石鹸の匂いだよ。晴れてる日に干したら太陽に当たるのはみんな一緒でしょ。太陽に匂いなんて、あるわけないし」
つい、またかわいくないことを言ってしまう。けどこれが私。いまさらつくろったってしょうがない。
あの服は、また文句を言われるのが嫌で貴重な石鹸を惜しげもなく使ったから、きっとその匂いだ。お金持ちが使うのとは違うから、それが何か変わった匂いに感じたんだろう。
「確かにな。太陽の匂いなんぞ、知らん」
そう言って男は、ははっと笑った。軽やかに。
「なんだかわからんが、ほっとする匂いだと思っただけだ」
初めてそんな顔を見たと思った。
ほんの少し笑っただけなのに。何故だかそれがとても嬉しかった。
きっと、看病の甲斐あって回復したとわかったからだ。
「また来る。畑、頑張ってくれ、ユリシア」
「あ、うん。元気でね」
そう返すと、男は何か物言いたげな顔をしたものの、結局何も言わずに踵を返した。
あっさりとした別れだった。
彼は両親とアレクシアにも礼と別れを告げ、乗馬用のようなブーツを畑の土からずっぽりと抜いて、砂利道にごつごつと足音を響かせて歩き去って行った。
私は社交辞令を真に受けるほどバカじゃない。
彼とは二度と会うこともないだろう。
だから彼の名前も聞かなかった。
だけど、彼はどうして私の名前を知ってたんだろう。
しかも、アレクシアと私を見分けていた。
双子とは言え、この歳にもなるとそれぞれの違いも大きくなって、知ってる人が見ればわかる程度ではあったけど、彼にその違いがわかるとは思えないのに。
ふと視線を上げると、エンリケがアレクシアの元に向かうのが見えた。
それで合点した。きっとここに来るときにエンリケと行き会って、どっちがどっちか聞いてから私に話しかけたのだろう。
納得して、私は再び土と向かいあった。
家の庭の栗の木が雷で真っ二つに割れてしまった。
だから冬の食糧となる作物を、いつもより多めに作らないといけない。
ぼんやりしている暇はないのだ。
そうして突然の来訪者にほんのり浮き立っていた我が家に、日常が戻ってきた。
はずだった。
彼が有言実行男だったと知るのは、彼が去った翌日のことだった。
着ていた服はきらびやかな装飾のついた、いかにも王子然としたものに変わり。
佇まいも、濡れそぼった犬ではなく、立っているだけで凛とした気品を全身から放つ、王子然としたものに変わり。
そう。
どこからどう見ても王子として、彼は再びボロい我が家の前に現れたのである。
もっとはっきり言えば、彼の後ろに控えている馬車の側面に王家の紋章が見えた。
だけど。
――いや、『またな』って。来るの早くない?
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