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第3章

第10話 別れる人に贈る言葉

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 名は伏せられていたが聞くまでもない。
 義姉だ。
 案の定、了承などいるものかとばかりに義姉がドアを押し広げ、つかつかと乱入した。
 その顔には一応ベールがつけられていたけれど、義姉をよく知っている人たちが集まるこの場では何の意味もない。
 そのことは義姉もわかったのか、単に邪魔だっただけなのか、義姉は早々にベールを脱ぎ捨てると周囲を見回した。

「ご機嫌よう、みなさま。本日は私の義妹の晴れの舞台に集まっていただき、感謝申し上げますわ」

 厳密に言えば、既に私とは義姉妹の関係ではない。
 私は現ファルコット伯爵家の養子になっているから、義理の従妹ということになる。
 散々私をなんだかんだと言いながら、いつまでも義理の姉妹という関係を引きずっている。
 それは私も同じで、共に過ごした十年という月日の長さを思う。

「私を今も義妹と思ってくださるのでしたら、私もこの場はお義姉様とお呼びします。ですがこの場には――」
「王妃殿下には許可を得ているわ。ベールをつけていれば城内を歩いてもかまわないと言われているもの」

 それは今日以外のことであって、今日だけは室外に出るなと厳命されていたはず。
 義姉を守るためでもあるはずなのに、何故出歩いても誰にも咎められないと自信満々なのだろう。
 だがここで追い返すほうが危険だ。
 もはやここで大人しくしていてもらうほかない。 
 ため息を堪える私の背後で、アリア様が気づかわしげな声を上げた。

「クリスティーナ様、ご病気はもうよろしいのですか?」
「いいえ。そのために残念ながら私はエドワード殿下と共に隣国へ行かなければならなくなったの。今日が皆様とのお別れになるかと思いますわ。私がいなくなって生徒会も大変なことかと心配していたけれど、どうせ議論ばかりで何も進まないようなものでしたもの。変わりはないのでしょうね」

 病気設定を守れと重々言い含められているのだろう。
 しかししんと静まった中、生徒会の面々は含められた嫌味に眉を寄せ、顔を見合わせた。

「クリスティーナ様……。生徒会とは誰かの一存で勝手に物事を進めるものではありませんわ。議論し、生徒にとってよりよい形を探り、分担しながら進めるために役割というものがあるのだと思います」

 アリア様が一語一語はっきりと言い聞かせるように話すのを、義姉は鼻で笑った。 

「音楽祭だって答えは一つしかなかったと証明されたでしょう? 優勝を求めてそれぞれが切磋琢磨し、聴衆たちも固唾をのんで結果を見守り、盛り上がったと、見ていなくてもわかるわ。エドワード殿下に華をもたせ、楽しんでいただくこともできたのだから、私の最後の仕事として結果を出せてよかったわ」

 その言葉に、生徒会の面々がはっきりと怒りをあらわにした。
 しかし声を上げるよりも先に義姉が続けた。

「長年代わり映えもなく、ただ演奏するだけの意味のない催しが、評価を与えることで参加する側にも意義が生まれたの。もっと前から誰かが気が付いて、そうしておくべきだったのに」
「お義姉様! お義姉様がなさったことは音楽祭の意義であるとか、事の良し悪しとは別の問題なのです。アリア様が仰った通り、皆で話し合い、きちんと計画を練って進めるべきことでした。そもそも参加者は既に募り始めた後だったのですから、後になってから決まりを変えては――」

 義姉に言い募る私の言葉を止めたのは、オリヴィア様だった。

「ローラ。残念ながら彼女にあなたの言葉が届くことは永遠にないわ。それはこれまでの日々が証明しているでしょう? だからこの場は私たちに譲ってもらえないかしら」

 確かに義姉ははなから私の話を聞かない。
『平民のあなたなんかが』というのがよくある枕詞だったし、無意識なのかもしれないが私のことをずっと見下していた。
 それを改めて言われると無力を感じるばかりだったけれど、反対側の隣にアンジェリカ様が立ち、はっとした。

「せっかくいらしていただいたのだもの、私たちからも彼女にお別れの言葉を贈りたいわ」

 それは思わずひれ伏したくなるほどの圧倒的な威圧感を持った、小さいのに燃え広がるような笑みだった。
 私が頷くのを見ると、オリヴィア様は私を背にするように一歩前に歩み出た。
 その目は冷たく義姉を見下ろしている。

「クリスティーナの言葉は正しいところもあるわ。けれど音楽祭のことで言えば、芸術というものをまったく理解していない。音楽そのものを楽しむことに意義があるの。優劣を競うのはそこに至るための一つの手段に過ぎないわ。だというのに、あなたはこれまで音楽祭に向けて励んできた参加者たちを無意味だと愚弄し、音楽というものを貶めた。許されるものではないわ」

 音楽に造詣の深い第三王子から優勝と評されたオリヴィア様に、芸術に理解がないと言われながらも義姉は口を開いた。

「……でも今回の音楽祭が盛り上がったことは事実でしょう」
「盛り上がった? いいえ。隣国の王子に忖度し、恥をかかない評を下せるよう場全体を調整し、純粋に音楽を楽しむどころではなかったわ。おまけに本来であれば私一人で称賛を浴びるはずが、アンジェリカ様に合わせてカルテットを編成することを余儀なくされ、甚だ不本意よ。私たちはあらかじめわかっていて参加を表明したのではない。だからといって参加を取りやめては誰もが後に続いてしまい、音楽祭は成り立たなくなる。わかる? 我慢して参加しなければならなかったの。あなたの傍迷惑なやり方のせいでね」

 凍るような苛立ちがまっすぐに義姉に向けられていた。
 アンジェリカ様もオリヴィア様に並び立ち、義姉を見下ろすように顎を上げた。

「あなたにとっては誰もが認める立場に立つこと、自らの『能力』が認められることこそが至上課題だったのでしょうね。それはわかるわ。公爵令嬢である私とて同じだもの。けれど王太子妃として立つということは、人々を導き、国を支える必要がある。聖女は国を守るというお役目がある。生徒会だって生徒のためにあるものよ。その立場に立ったからには、求められる役割というものがある。それをまっとうしてこそ、認められるものなのよ」

 生徒会の面々も静かに頷く。
 しかし義姉はギッときつく周囲を睨み渡した。

「このように大勢で一人を囲んで、文句ばかり。恥ずかしくはありませんの?」
「このように何人にも苦言を呈される事態にまでなったことは、恥ずかしくありませんの?」

 オリヴィア様に首を傾げるようにして疑問を返された義姉は、悔しげに押し黙った。
 それを確認してから続けたのはアンジェリカ様だ。

「これまで私たちが黙っていたのはどうしてだとお思いかしら? すべて、この私の後ろでちまっとおろおろしているローラがいたからよ。あなたがあちらこちらで火を振りまく度に後ろを駆け回って必死に火消しをしていた姿を見ていたら、留飲を下げるよりなかっただけ。だって、私たちがクリスティーナに何か言えば、あなたはローラが周囲に愚痴をもらしたとでも言ってまた責めるでしょう。その間に立つようなことをすればなおさら。あなた方は同じ家に帰るのであって、そこで何かあっても私たちは立ち入れない。そんな無責任な口出しはできなかっただけよ」

 泣きそう。
 まさかアンジェリカ様がそこまで考えていてくださっただなんて。
 けれど義姉は何を言っているのかと言わんばかりの怪訝な表情。
 それを見たアンジェリカ様はため息を吐きだし、続けた。

「たとえ義理であっても妹というものはね、先に生まれたものが守ってやるべき存在のはずよ。間違っていれば諭し、不安があれば支えてやり、共に成長していくもの」
「そんなもの――」

 言いかけた義姉が私を睨み、はっとしたように目を丸くした。

「そのネックレス……やはりローラがレガート殿下を使って奪ったのね!」

 いや人の話を聞こうよ。
 何度こういうやり取りを繰り返すのだろう。
 レガート殿下は呆れを隠しもせずに返した。

「これはローラのものだ。正確にはローラの母の形見だが」
「ですから、平民であるローラの母親がそんなものを持っているわけは」
「ローラの母が本当に平民であったと思っているのか? 短い間だろうと共に過ごしておきながらまったく何も気づきもしなかったのか、それとも単に認めたくなかったのか」

 レガート殿下の言葉に、義姉は眉を寄せ言葉を止めた。

「クレイラーンに行けば誰がそのネックレスの持ち主なのかわかる。だから今は黙っておいたほうがいいと忠告しておこう」

 その言葉に周囲がざわついた。
 しかし義姉はふん、と口を歪めて私を睨んだ。

「そうやって、結局は何でもローラのものになってしまうのよ……。火消しだなんて、そんなものは頼んでもいないわ。私が言ったことをなかったことにされたら根本の解決にならない。役立たずどころか邪魔でしかなかったというのに。私は十分我慢してきたわ」

 そんな風に思われていたのか。
 実際のところ、私が何を言ったとてなかったことにはならないし、相手には義姉の言葉が残る。
 その上で相手が変わらないのであれば、それは義姉の言葉に納得していないということだ。
 それは義姉だって同じはず。私の言葉に納得がいかなかったからずっと変わらずにきたのではないのか。

「本当にクリスティーナは現実を見ないわね」
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