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第3章

第6話 緑に寄り添う人

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 叔母は私の知っている姿と何も変わっていなかった。
 綺麗な肌に十年の月日の経過は感じられない。

 探しても見つからないわけだ。
 そんなところにいたなんて。

 いや、絶対普通の人じゃない。

「どうしてハンナ叔母さんがいきなり……」
「ああ。あのネックレスをローラがつけたからね」

 そう言って叔母は私の胸元を確かめるように見た。

「もっと説明をください」
「だからぁ、……って。ローラ、あなたどこまで知っているの? もしかしてまだ何も知らない?」
「どこまでって……。どこからどこまでを指しているのかさっぱりわからないわ。全部説明して。順を追って、一から全部」
「あー……。でも、誰、その人。聞かれても困らない?」
「この国の王太子、レガート殿下よ。殿下には何を聞かれてもいいわ。だから話して」
「ふうん。いいけど、その前にさ、この部屋に花とか飾ってないの? 切り花でもいいし、何なら草とか葉っぱでも何でもいいからここに持って来てくれない? お腹が空いたわ」

 空腹で花を要求してくるのは絶対普通の人じゃない。

 レガート殿下は一度叔母をソファの後ろに隠すと一人で外に出てすぐに戻ってきた。
 どうやら廊下に飾られていた花瓶ごと持ってきたものらしい。

「助かるわ、一本二本じゃ全然足りないから」

 レガート殿下がテーブルの上に花瓶を置くと、叔母は「よいしょ」と掛け声をかけた。
 その途端、ぽんっという小さな破裂音が響いたかと思うと、叔母の姿が消えた。
 違う。空中に小さな羽虫のようなものが飛んでいる。

 顔は叔母。
 けれど大きさは私の手のひらに載るくらいで、葉をまとったような服を着ている。

「ふい~」

 昆虫のものに似た透明な羽をぱたぱたと動かし、疲れ切ったかのようにふわふわと花瓶に生けられた花のほうへ飛んでいくと、その上にぽすりと体を下ろした。

「ハンナ叔母さん……?」
「うん。私、妖精ね。だから実はローラの叔母ではないのよ」

 叔母ではないのだろうなとは思っていた。
 しかし妖精だとは思いもしなかった。
 共に暮らした人たちが元王女だとか、妖精だとか、予想を軽々ぶっ飛んでくるこんな事態の連続、そうそう理解は追い付かない。
 妖精というものが実在するとも思っていなかったし。

「ハンナっていうのもマーガレットがつけた名前。本当の名前は長いからどうせ覚えられないだろうし、慣れてるからハンナでいいわよ」
「マーガレットって?」
「シーナのことよ。ローラの母親。ずっと偽名で暮らしてたからローラは知らないのね」
「偽名……ということは」
「そう。クレイラーンの王女だってバレたら面倒だから。それはもう知ってる?」
「ついさっき知ったところよ。面倒ってことは、お母さんはクレイラーンで何か逃げなければならないようなことをしたの……?」
「いいえ? むしろ逆よ」

 花の上に寝そべる格好になったハンナは、クライゼルに来ることになった経緯を話してくれた。
 かいつまむと、このようなことらしい。
 母はクレイラーンの王女として生まれたが、緑が好きな子どもだった。
 ゆえに、王宮でも花を育てており、いつも緑に囲まれて過ごしていた。
 そうしているうち、都会的な暮らしが好きで、王宮の園庭に住んでいたハンナが母に興味を持ち、話しかけるようになり。
 ハンナと母が仲良くしているのを見た他の妖精たちも姿を現すようになっていった。
 母はいつも植物を育てていたことで緑の精霊と親和性が高かった。
 そこでハンナが媒介としてルビーのネックレスを渡したところ、植物の多くはない王都でも母から力を供給し、妖精が増えていった。

 その代わり、妖精たちは頼みごとを聞いてくれるようになった。
 とはいっても妖精の姿が見えない人々はその存在を信じていない。
 母もその存在を明かすことはなかったが、妖精の力を借りてあれこれしていくうちに、まるで聖女のようだと噂されるようになった。

 だがある時、異変が起きた。
 王都近くの森林が伐採され始め、妖精が怒って王宮に押し寄せたのだ。
 そこは妖精たちが多く住み、湖をその森が囲んでいることで様々な動物たちの住処ともなっていた。
 母はすぐに伐採をやめるよう父親である国王に進言したが、まるで聞いてもらえない。
 さらに怒った妖精たちはその姿を国王の前に現し、元に戻すよう訴えたが、わかったと言いながら森林伐採はやまなかった。
 伝達が遅れているに違いないなどのらりくらり言い訳を繰り返し、嘘をつく国王に、妖精たちの怒りは爆発。
 王都に流れ込む川を止めてしまったのだ。
 そこに至ってようやく国王は森林伐採の中止を通達したが、妖精たちの怒りは収まらなかった。
 元に戻せというのが要求であり、新たに木を植えても人間の力でそれを元と同じ高さまで一気に育てることはできない。
 時間が欲しいと妖精たちに頼むも、聞き入れられることはなかった。
 戻すこともできないのに森林を伐採した人間に怒っていたのだ。

 このままでは妖精たちが何をするかわからないと恐れた母は、隣国のクライゼルにも豊かな緑がある、新しい土地もきっと楽しいだろうから、一緒に行かないかと妖精たちを誘い、なんとか気を逸らした。
 それで護衛騎士であり、恋仲でもあった父と共にクレイラーンを出て、妖精たちを新たな住処へと連れて行った。
 しかしハンナは都会暮らしが好きだから、最後にクライゼルの王都へ向かった。
 父と母もそこで暮らすことになったが、あまりに生活力がなく、人の暮らしを長く見てきたハンナが見かねて手助けすることになった。
 それでハンナは人の姿となり、三人で暮らし始めたのだそうだ。

 だが父が亡くなり、残された母も先は長くなかった。
 王都にいたよりもずっと多くの妖精たちを引き連れて移動する間、自らの力を分け与えていたから。
 体の許容量を超え、負担をかけ続けてしまった結果だった。
 ハンナもそんなことになるとは知らず、何とか助けようとしたが、妖精から人間に力を注ぐことはできなかった。
 人が生きるのに必要なエネルギーを妖精は持っていないからだ。
 そこにファルコット伯爵であった義父から母を後妻にと申し入れがあり、私を託すためそれを受けたのだそうだ。
 しかしハンナはクレイラーンよりも緑の少ないクライゼルの王都では、母なしでは長く生きられない。
 緑豊かな場所に移動したくても、その分のエネルギーを母から供給することももはやできない。
 それでハンナは力の結晶であるルビーの中で眠ることにしたのだそうだ。

「それがいきなり目覚めたのは何故なの?」
「だから、ローラがネックレスをつけたからよ」
「でも、私の前にお義姉様がつけていたわ。その時は何故目覚めなかったの?」
「その人、緑を育てたり、緑に近い場所で暮らしてたりした?」
「ううん、全然」
「だからよ。ローラは子どもの頃から野菜を育てていたでしょう? だからローラはネックレスをつけることで私に力を供給することができるの。クレイラーンには聖女っていうのがいて、魔力がすごいらしいけど、私たちが必要としてる力とは違う」

 様々なことの答えがわかった。
 しかしあまりに一気にたくさんのことが頭に入ってきて、まだ混乱していた。
 代わりに「なるほどな……」と口を開いたのはレガート殿下だ。

「ローラの母は逃げたのではなくクレイラーンを救ったのだな。だからクレイラーンの国王も連れ戻すことはできなかったのか。だが、だとしたら何故エドワード殿下は『元王女の娘』をクレイラーンに連れて行こうとしていたのか」
「はあ? 何か企んでるならこの国に移住してきた全妖精が激怒してクレイラーンを滅ぼしに行くわよ」
「怒りは根深いのだな」
「当たり前でしょ? あの国王、マーガレットと似てるのは顔だけよ。こっちはあの国のためにいろいろ言ってあげたってのに、全然人の話を聞かないんだから」

 怒りを再燃させそうなハンナの様子に、慌てて話題を逸らそうとこちらからもハンナが眠っていた間のことを話した。

「ふうん。相変わらず人間は面白いわね。だから都会が好きよ。貴族とか王家とか、本当に飽きないんだもの。自分に害がない限りはね」

 都会が好きって、そういうこと?
 でも確かにハンナは以前から近所の噂話だとかそういうのを聞いてきては話してくれたような気がする。

「ハンナにはずっとお礼を言いたかったの。恩返しもしたいと思ってた。両親だけじゃきっとまともに暮らしていけなかったと思うから。まさかこのネックレスにそんな力があるなんて思いもしなかったから、会えるまでに随分と時間がかかってしまったわ」

 母が亡くなった理由には複雑な思いもあるけれど、両親のことを知ることができてよかった。
 追われる身ではなかったとわかってほっとしたし、何より母の昔のことを聞けたのは純粋に嬉しかった。

「まあ、私は眠ってたから昨日の出来事だけれどね」

 レガート殿下も、しげしげとネックレスを見た。

「妖精というのは想像もつかないような力を持っているのだな。このネックレスも指輪のようになんらかの力があるのではないかと思いはしたが」
「ハンナ、この指輪も妖精がくれたものなの?」
「ああ、昔私が作ったのよ」
「ハンナが!?」

 万能すぎないだろうか。
 っていうか、昔ってどれくらい前なんだろう。

「身分違いの恋ってやつをしている人間がいてさ。なんで一緒になれないのか私にはわからないけど、ダメって言われてるのに会えたら面白いじゃない? だから作って渡してみたの。それからその存在をずっと忘れてたんだけど、ある日アレックス――ローラのお父さんが、護衛から外されてマーガレットが泣いてたから、思い出して、探してみたの。そしたら王宮の奥に仕舞われてたからマーガレットにあげたのよ」

 自由過ぎないだろうか。
 王宮に侵入し放題ではないか。
 だが妖精にしてみれば、人間が定めた領域なんて、知ったことではないのかもしれない。

「それで離れ離れになっていてもマーガレットがアレックスに森と妖精のことを相談できたわけで、一緒に国を出ることになったのも、身分違いだった二人が結婚できたのも、つまりは私のおかげってことよ」
「なるほど。そんな便利な指輪なら、一つはクレイラーンに残して、連絡をとりあうためにも使えたんじゃない?」

 手紙は時間がかかるから、眠気を待てばいいだけならそのほうが早い。
 そう考えたのだが、ハンナは「あら、それは無理よ」ときっぱりと言った。

「この指輪は片方をつけると、その人の好きな相手の指に勝手にはまってしまうし、思い合っていなければ眠っていても会いにはいけないもの」
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