上 下
21 / 29
第3章

第3話 母を知る人

しおりを挟む
 髪が崩れた。
 今日は急なことだったから、王妃殿下の侍女の方々が私の髪を結ってくださったのに、申し訳が立たない。
 だがエドワード殿下が私以上に衝撃を受けたような顔をしているのが気にかかる。
 その側近も何故だか幽霊を見るような顔で食い入るように私を見ている。

「私をご存じなのですか?」
「いや……、その……。ローラ・ファルコット嬢、ですよね。クリスティーナとは血が繋がっていないと聞きましたが、ローラ嬢の母君は?」
「既に亡くなっておりますが」

 母の知り合いで、私の顔を見て似ていると思ったのだろうか。
 側近と何やら目配せし合っているところからしても、『この顔に見覚えがあります』と言っている。
 母が推測通りクレイラーンの出身なのだとしたら、以前に会っていたとしても不思議ではない。
 後妻であることから義姉に配慮したのか、母はファルコット伯爵家に肖像画なんて残さなかったから、記憶頼りだけれど確かに似てはいると思う。
 しかし、エドワード殿下は私とそれほど年が変わらないように見える。だとしたら、母とクレイラーンで会っていたとしても赤ん坊の頃ではないだろうか。

 だとしたら、他人の空似かもしれない。
 それとも、母の親戚に似ていた?
 王子がぱっと見てすぐに似ていると思うほどよく見慣れた人ということになると、やはり母は貴族の令嬢だったのだろうか。
 生活能力のなさからどこかのお嬢様だったのだろうとは思っていたけど、商家かどこかかと思っていた。

 そんなことを考えていると、側近と目を見合わせるエドワード殿下に苛立ったように、義姉が声を上げた。

「ローラの母は平民です。殿下のお知り合いだなんてことは間違ってもありませんわ。私の母はサスティーナル侯爵家の出身で、祖父は宰相を務めていたそうです」

 聞いていないのだが、エドワード殿下は慎重に見極めようとするかのように義姉に尋ねた。

「クリスティーナの母君は、その、実子? それともローラ嬢のように養女に入ったとか」
「いえ、母は生粋の貴族でしたわ。ですから私は貴族としてあるべき姿を常に追い求め、私の持っているものをこの国のために活かさなければと励んでまいりました。ですがローラはいつもただ笑ってばかりで、ファルコット伯爵家としての教育も受けておりませんでした」
「それは私が絶対に後継ぎにはならないからです。ファルコット伯爵家の血は一滴も流れていないのにそのような教育を私が受けたら、お義姉様は激怒なさったのでは? 私にどうあってほしかったのですか」

 私が受けたのは一般的な教育と淑女教育だけで、義父も敢えてそうして差をつけることによって、義姉だけを後継ぎに考えていると示した。
 そのことに義姉も満足していたはずだ。

 義姉が答えずに憎々しげに私を睨む隣で、エドワード殿下と側近がまた何やら目配せをしあった。
 そうして側近はエドワード殿下の側を離れると、義姉に手を差し伸べた。

「クリスティーナ様。本日はお疲れでしょうから、お部屋に戻りましょう。エドワード殿下がこの後お茶をご一緒したいとのことですから、どうぞこちらへ」

 そう聞くと、義姉は怒りを収め、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。
 自分が選ばれたのだと私に誇示するようにゆっくりとした動作で側近の手を取ると、「では、準備をしてお待ちしておりますわ」と優雅に微笑み、くるりと踵を返した。

 しかしエドワード殿下はその場に残ったまま。
 邪魔者はいなくなったとばかりに改めて私に向き直った。

「ローラ嬢はほとんど市井では暮らさぬうちにファルコット伯爵家に連れて来られたのですか?」
「六歳までは町で暮らしておりました」
「そうですか……。幼い頃から身にしみついたものというのはふとしたときに出てしまうものですが、ローラ嬢の立ち居振る舞いは生粋の貴族と何ら変わりなく見えます。平民と言っても、どこか裕福な商家にでも生まれたのですか?」
「いえ、町はずれの粗末な家で、父が子どもたちに剣を教えて養ってくれました」
「父君が剣を? やはり……。ローラ嬢の教育は母君ですか? さぞ熱心な方だったのでしょうね」

 厳しいというほどではないけれど、母からはよく姿勢を注意されていたし、食事のマナーも一通り教えてくれた。
 そのおかげでファルコット伯爵家に来てもそれほど苦労はせずに済んだ。

 だが――。
 このまま会話を続けていていいのだろうか。
 母の出自は知りたいが、エドワード殿下の疑いが確信に変わった時、どのような反応をするのかがわからない。
 駆け落ちしたのだとしたら、誰かに迷惑をかけていたかもしれない。クレイラーンで何らかの罪に問われるようなこともあるかもしれない。
 私を連れて帰ろうとするだろうか。
 だが私はクレイラーンには行きたくない。
 もし祖父母や親戚がいると言われても、それほど会いたいとも思わない。
 だとしたら、この先の会話は避けたほうがいいのかもしれない。
 でもそれは責任から逃れているだけにならないだろうか。
 そうして態度を決めかねていると、エドワード殿下が核心に迫るように鋭い目を私に向けた。

「つかぬことをお伺いしますが、クリスティーナが身に着けていたあのルビーのネックレスはご存じで? もしや、ローラ嬢の母君のものだったりはしませんか」

 これに答えるわけにはいかない。
 義姉に盗られたと主張することにもなるし、何よりこれに答えたらきっとエドワード殿下は確信を得るだろう。
 相手の思惑がわからない以上、こちらからだけ情報を渡すのは不利だ。
 後手に回ってしまっては身動きが取れなくなる。
 だが黙っていることそのものが答えだとばかりに、エドワード殿下は質問を変えた。

「母君のお名前を聞いても――?」

 つい、母のことを知りたいという思いでここまで話してしまったことを後悔した。
 しかし隣国の王族相手に嘘をつくこともできない。

「ご自分の母親の名前ですよ。忘れてはいませんよね? それとも何か言えないわけでもあるのですか?」
「――シーナです。平民でしたので姓はありません」

 どうせ調べればわかることだと諦めた。
 嘘をついたとわかれば、私が母の存在を隠そうとしていると思われ、立場を危うくしかねない。
 だから正直に答えたのだが、エドワード殿下は眉を顰め、いかにも思ってたんと違うという顔をした。

「それは愛称、とかではなくてですか? 本当に? いや、偽名を名乗っていたという可能性もある。まさか、クライゼルの王家も知っていて、だからローラ嬢はベールで顔を――」 

 エドワード殿下が顎に手をあてぶつぶつと言い始めた時だった。
 義姉から奪い返したベールが私の手からするりと引き抜かれ、驚いて隣を見上げると、レガート殿下が厳めしい顔でそのベールを私の頭に被せ直した。

「エドワード殿下。何故私の婚約者のベールをお取りになったのですか?」
「私ではない。それはクリスティーナが」
「ああ、そうでしたか。しかし、困りますね」

 その言葉に、エドワード殿下が目を細めてレガート殿下を注視した。

「――何が困るのですか?」
「減るからです」
「………………は?」

 たっぷりの間の後に、エドワード殿下が不審げに聞き返す。

「二度も婚約者に逃げられた間抜けな王太子と謗られるようなわけにはいかない。ゆえに、ローラのことは誰にも渡さないし、横から奪われたりせぬよう最大の警戒をしているのです。そのためのベールです。かわいらしい彼女を不用意に晒したくはありませんから。というわけで、そろそろローラは返していただこう」

 そう言ってレガート殿下は私の肩をぐいっと抱き寄せると、眉を寄せるエドワード殿下を置き去りにして歩き出した。
 その後をカインツ様が沈痛な面持ちでついてくる。

「レガート殿下、ローラ嬢、申し訳ありません。ベールで隠していたのは事情がおありだったのですね。姉妹間のことに私がしゃしゃり出ることでもないかと見守ってしまっておりました。レガート殿下のただのむきだしの独占欲ゆえと思っておりましたもので……」
「仕方がない。それもあるからな」

 今この人はさらりと何て言った?

「事情を話せないにしても、ベールを死守しろと命じておくべきだったのにそれをしなかった私の落ち度だ。まさか彼女がそんな行動に出るとは予想もしなかった」

 確かにわざわざ隠しているのに勝手にベールを剥ぎ取るなど意味がわからない。
 そんなことをするのは義姉くらいのものだ。
 そうして執務室にたどり着くと、カインツ様は気合いを入れ直すように廊下に控え、部屋には私とレガート殿下の二人きりとなった。

「レガート殿下。私の母が隣国の出身で、それもかなり王家に近い人間だと、国王陛下も王妃殿下もご存じだったのですね? そしてそれをクレイラーンの方々に気取られないためにベールをつけるようにおっしゃったのですね?」
しおりを挟む
感想 102

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~

ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。 そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。 自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。 マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――   ※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。    ※第二章まで完結してます。現在、最終章について考え中です(第二章が考えていた話から離れてしまいました(^_^;))  書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m    ※小説家になろう様にも投稿しています。

妹に全てを奪われるなら、私は全てを捨てて家出します

ねこいかいち
恋愛
子爵令嬢のティファニアは、婚約者のアーデルとの結婚を間近に控えていた。全ては順調にいく。そう思っていたティファニアの前に、ティファニアのものは何でも欲しがる妹のフィーリアがまたしても欲しがり癖を出す。「アーデル様を、私にくださいな」そうにこやかに告げるフィーリア。フィーリアに甘い両親も、それを了承してしまう。唯一信頼していたアーデルも、婚約破棄に同意してしまった。私の人生を何だと思っているの? そう思ったティファニアは、家出を決意する。従者も連れず、祖父母の元に行くことを決意するティファニア。もう、奪われるならば私は全てを捨てます。帰ってこいと言われても、妹がいる家になんて帰りません。

虐げられていた姉はひと月後には幸せになります~全てを奪ってきた妹やそんな妹を溺愛する両親や元婚約者には負けませんが何か?~

***あかしえ
恋愛
「どうしてお姉様はそんなひどいことを仰るの?!」 妹ベディは今日も、大きなまるい瞳に涙をためて私に喧嘩を売ってきます。 「そうだぞ、リュドミラ!君は、なぜそんな冷たいことをこんなかわいいベディに言えるんだ!」 元婚約者や家族がそうやって妹を甘やかしてきたからです。 両親は反省してくれたようですが、妹の更生には至っていません! あとひと月でこの地をはなれ結婚する私には時間がありません。 他人に迷惑をかける前に、この妹をなんとかしなくては! 「結婚!?どういうことだ!」って・・・元婚約者がうるさいのですがなにが「どういうこと」なのですか? あなたにはもう関係のない話ですが? 妹は公爵令嬢の婚約者にまで手を出している様子!ああもうっ本当に面倒ばかり!! ですが公爵令嬢様、あなたの所業もちょぉっと問題ありそうですね? 私、いろいろ調べさせていただいたんですよ? あと、人の婚約者に色目を使うのやめてもらっていいですか? ・・・××しますよ?

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?

ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。 だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。 これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

私だってあなたなんて願い下げです!これからの人生は好きに生きます

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のジャンヌは、4年もの間ずっと婚約者で侯爵令息のシャーロンに冷遇されてきた。 オレンジ色の髪に吊り上がった真っ赤な瞳のせいで、一見怖そうに見えるジャンヌに対し、この国で3本の指に入るほどの美青年、シャーロン。美しいシャーロンを、令嬢たちが放っておく訳もなく、常に令嬢に囲まれて楽しそうに過ごしているシャーロンを、ただ見つめる事しか出来ないジャンヌ。 それでも4年前、助けてもらった恩を感じていたジャンヌは、シャーロンを想い続けていたのだが… ある日いつもの様に辛辣な言葉が並ぶ手紙が届いたのだが、その中にはシャーロンが令嬢たちと口づけをしたり抱き合っている写真が入っていたのだ。それもどの写真も、別の令嬢だ。 自分の事を嫌っている事は気が付いていた。他の令嬢たちと仲が良いのも知っていた。でも、まさかこんな不貞を働いているだなんて、気持ち悪い。 正気を取り戻したジャンヌは、この写真を証拠にシャーロンと婚約破棄をする事を決意。婚約破棄出来た暁には、大好きだった騎士団に戻ろう、そう決めたのだった。 そして両親からも婚約破棄に同意してもらい、シャーロンの家へと向かったのだが… ※カクヨム、なろうでも投稿しています。 よろしくお願いします。

【完結】婚約者も両親も家も全部妹に取られましたが、庭師がざまぁ致します。私はどうやら帝国の王妃になるようです?

鏑木 うりこ
恋愛
 父親が一緒だと言う一つ違いの妹は姉の物を何でも欲しがる。とうとう婚約者のアレクシス殿下まで欲しいと言い出た。もうここには居たくない姉のユーティアは指輪を一つだけ持って家を捨てる事を決める。 「なあ、お嬢さん、指輪はあんたを選んだのかい?」  庭師のシューの言葉に頷くと、庭師はにやりと笑ってユーティアの手を取った。  少し前に書いていたものです。ゆるーく見ていただけると助かります(*‘ω‘ *) HOT&人気入りありがとうございます!(*ノωノ)<ウオオオオオオ嬉しいいいいい! 色々立て込んでいるため、感想への返信が遅くなっております、申し訳ございません。でも全部ありがたく読ませていただいております!元気でます~!('ω')完結まで頑張るぞーおー! ★おかげさまで完結致しました!そしてたくさんいただいた感想にやっとお返事が出来ました!本当に本当にありがとうございます、元気で最後まで書けたのは皆さまのお陰です!嬉し~~~~~!  これからも恋愛ジャンルもポチポチと書いて行きたいと思います。また趣味趣向に合うものがありましたら、お読みいただけるととっても嬉しいです!わーいわーい! 【完結】をつけて、完結表記にさせてもらいました!やり遂げた~(*‘ω‘ *)

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈 
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

公爵家の家族ができました。〜記憶を失くした少女は新たな場所で幸せに過ごす〜

ファンタジー
記憶を失くしたフィーは、怪我をして国境沿いの森で倒れていたところをウィスタリア公爵に助けてもらい保護される。 けれど、公爵家の次女フィーリアの大切なワンピースを意図せず着てしまい、双子のアルヴァートとリティシアを傷付けてしまう。 ウィスタリア公爵夫妻には五人の子どもがいたが、次女のフィーリアは病気で亡くなってしまっていたのだ。 大切なワンピースを着てしまったこと、フィーリアの愛称フィーと公爵夫妻から呼ばれたことなどから双子との確執ができてしまった。 子どもたちに受け入れられないまま王都にある本邸へと戻ることになってしまったフィーに、そのこじれた関係のせいでとある出来事が起きてしまう。 素性もわからないフィーに優しくしてくれるウィスタリア公爵夫妻と、心を開き始めた子どもたちにどこか後ろめたい気持ちを抱いてしまう。 それは夢の中で見た、フィーと同じ輝くような金色の髪をした男の子のことが気になっていたからだった。 夢の中で見た、金色の花びらが舞う花畑。 ペンダントの金に彫刻された花と水色の魔石。 自分のことをフィーと呼んだ、夢の中の男の子。 フィーにとって、それらは記憶を取り戻す唯一の手がかりだった。 夢で会った、金色の髪をした男の子との関係。 新たに出会う、友人たち。 再会した、大切な人。 そして成長するにつれ周りで起き始めた不可解なこと。 フィーはどのように公爵家で過ごしていくのか。 ★記憶を失くした代わりに前世を思い出した、ちょっとだけ感情豊かな少女が新たな家族の優しさに触れ、信頼できる友人に出会い、助け合い、そして忘れていた大切なものを取り戻そうとするお話です。 ※前世の記憶がありますが、転生のお話ではありません。 ※一話あたり二千文字前後となります。

処理中です...