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第1章
第8話 続・婚約者同士
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私は慌てて続けた。
「ですが、殿下はそれでよいのですか?」
「私はローラしか考えられない」
「え……?」
「父上と母上も言っていたように、ローラとの結婚はこの国が生まれ変わり、長く続いていくためにも必要なことだ」
一瞬ドキッとしてしまったせいでさらりと挟まった『も』について聞き損ねた。
「私は、ローラとなら意見を交わし合い、互いに高め合うことができると思っている。私にない発想を与えてくれるローラは、気づかぬうちにこの国に溜まった膿とも言うべき課題も解決する手助けとなるだろう」
生徒会室では、堅実な殿下と多少の不利益はあってもそれを乗り越えた利を取ろうという私の意見は対立することが多く、議論が白熱し、言い合いのようなることもあった。
だから殿下がそんな風に言ってくれるとは思っていなかった。
私のために言ってくれているのだろうけれど、期待値が高すぎて逆に怖い。
どう答えたものか戸惑う私を、レガート殿下がいつもの淡々とした表情でじっと見つめた。
「ローラはクリスティーナに言ってくれたことがあったな。夫婦とは互いに助け合い支え合うもので、一人では難しいこともこなしていけるのが理想なのではないかと。だからもっと歩み寄れと。私もその通りだと思う。私一人ではどんなにいい発想も潰してしまいかねないが、ローラならきちんとそれを育ててくれる。だからこそ、共に歩みたいと思う」
そう言って、殿下が静かに三歩、距離を詰め、私は思わず息を止める。
「だから。夫となる者として疑いようのない愛を示し、ローラを何者からも守り、今度は逃げたいなどと思われないよう努める」
早速逃げたいのはどうしたらいいだろうか。
距離が詰まれば詰まるほどそわそわして落ち着かない。
「いえ、あの――」
しかしじっと見下ろすまっすぐな瞳に根負けするように、気づけば私は再び小さく「はい」と返事をしていた。
とはいえ、こんな距離にすぐ慣れるものでもない。
殿下の体温が伝わってくるようで、そわそわする。
殿下は鍛えているから体温が高いのだろうか。
それとも私の体温が上がっているのか。
だってこれまで義姉の婚約者であったレガート殿下とは決して近づきすぎないよう気を付けていたし、他の男性だって私を結婚相手として見る人はいなかったから、そんな距離にいたことはない。
すぐに目を逸らすと、殿下がゆっくりと歩き出した。
ついくせで三歩離れるのを待っていると、すぐに殿下が足を止め、私の手をそっと引いた。
優しく、壊れ物を扱うように繋がれた手が急激に熱を帯びる。
汗で滑ったらどうしよう。
あれ? こういう時って、腕をとるものなのではなかったっけ。
手をつないだままでよいのか、熱いのか冷たいのかももはやわからないその手をどうしたらよいのかわからず、心拍数がやたら高いなと数えていたら、がちがちに固まっていた私の手はそっと解放された。
急に風に触れた私の手はひんやりと感じて、私は思わず自分で自分の手を包んだ。
ふと、殿下とは歩幅が違うのに、私は普段通りに歩いていることに気が付いた。
殿下が私に合わせてゆっくりと歩いてくれているのだ。
まるで先ほどの言葉を証明するかのように。
より落ち着かなくなってしまって、必死に頭を巡らせ、話題を探す。
そうだ。結局答えを聞きそびれていた。
「先ほどの質問ですが。婚約相手が自分であると私が知る前に聞いたのは、黙っておいて言いくるめるつもりだったのか、先に私が嫌じゃないかどうか探りたかったのか、またはその他か、どれですか」
「どれも、だな」
おい。
って言ってもいいだろうか。この国の王太子相手に。
おかげで調子が取り戻せた。
「一番は、決まってからではローラが文句など言わないだろうと思ったからだ。先に聞いておきたかった」
確かに。
決まった以上、殿下のこんなところが嫌だなんて言えないし、言いたくもない。
自分なりに前向きに対処していくほうがいい。
「でも自分が相手だと知らずに答えたのですから、無効です」
「そうか。どこが違う?」
言われて、考えた。
本当にレガート殿下と婚約したとなった今では、うまく頭がまわらない。
うまく想像できないし、戸惑いしかない。
こうなると、やはり冷静なうちに聞いておいた殿下は正解だったのかもしれない。
ぐう、と答えに詰まる私を、気づけばレガート殿下が見下ろしていた。
その口元に小さく笑みが浮かんでいることに気づき、思わずむっとする。
「私が慌てているのを楽しんでいらっしゃいます?」
「いや? それほどの余裕はない」
殿下が?
いつもと変わらず泰然としているのに。
「婚約者になったからと言って、無理に変わる必要はない。もちろん求められる役割というものはあろうが、それもローラ一人でやろうと思わなくていい。私がいる。嫌なことや文句があればいつでも言ってくれ」
「文句なんて……」
そこまで言ってもらえて、文句なんてあるわけがない。
実直で、誠実で、だからこそ不器用に見えるところもあるけれど、何より私の気持ちを考えてくれているのがわかる。
しかし、流れるように自然と『ローラ』と呼ばれているような。
いつからだったのか、いっぱいいっぱいだったから気づきもしなかった。
はっと顔を上げれば既に馬車止めまで来ていて、殿下が手を差し伸べてくれた。
「送ってもいいか?」
聞かれて、少し考えたものの頷く。
まだ戸惑いが大きくて、話すべきことを話せた気がしない。
とはいえ、何を聞くべきか、何を言うべきか、まだまともに頭も整理できていないのだけれど、なんとなく離れがたかった。
殿下の手を借り馬車に乗り込むと、向かい側に殿下が乗り込んだ。
義姉の置手紙を見つけて城に向かう時もそれぞれの馬車に乗ったし、同乗するのは初めてのことだ。
だから何を話せばいいのかがわからない。
殿下は私にない視点を持っていて、尊敬できる人であり、今後の国のことや生徒会のことを話すのがとても楽しく、いくら時間があっても足りないくらいだったけれど、二人きりになることはなかったから。
これまで殿下は義姉の婚約者だったから、常に周りの目を気にしていた。
いつも笑顔を貼り付けたお花畑に見える私が殿下の傍にいたら、それこそ義姉ではなくともいいようにはとられない。
何よりレガート殿下の評判を貶めるわけにはいかないと、生徒会室も他の役員の人たちがいない時は決して踏み入らなかったし、家で義姉が殿下を待たせてしまう間おもてなしする時も必ず侍女や殿下の護衛が同席していた。
歩くときだって、決して隣には並ばない。
私だけじゃない。殿下も同じように配慮していた。
それだけ義姉を大事にしていたのだ。
婚約者として、義姉に疑われるような行動はしてはならないと。
レガート殿下は元々口数が多くないから、沈黙も苦ではないのだろう。
時折「ラルーの花が咲く季節だな」とか、「もう日が暮れるな」とか話しかけてくれるけれど、私は「はい」と返すばかりで話は広がらない。
私が話題を提供しなければと思うのだが、これまで培った社交経験が今日はまったく活きてこない。
そのうち、しんと沈黙が流れていることに気が付き、私は不意に顔を上げた。
斜め前に座る殿下は、顎に手を当て真剣に何事か考えこんでいた。
「殿下? どうされたのですか……?」
「こういう時に適当な話題は何かと考えていた。感想を告げても同意か否定が返り終わってしまう。だから広がりのある話題とするためには、どのような語り掛けが有効かと」
相変わらず真面目で武骨な殿下に、私は思わずふっと笑ってしまった。
突然のことにどうしたらいいかわからなくて、不安だった。
だけど、殿下は殿下だ。距離も関係性も変わったけれど、何も変わっていない。
まだ私たちは婚約者になったばかりで、殿下だってまだ戸惑いがあるに違いない。
これから一緒に私たちらしい形を探していければいい。
そう思うと肩の力が抜けた。
「そうですね。私もわかりません。私たちはこれまで、国の話や生徒会のことばかりで、他愛無い話などしたことがありませんものね」
「そうだったな。これからは他愛無い話も、日々の話も、私としてくれるか? まだ何を話せばいいのかもわからんが」
その言葉に私が再び笑い、「はい」と頷くと、レガート殿下の目が優しく細められた。
初めて見る顔に驚いて、私は思わず顔を俯けさせてしまった。
少しずつ慣れていこう。そう思ったのは本心だけれど。
殿下は筋肉ばかり取りざたされるが、実はとても顔がいい。
そんな人がそんな風に柔らかく私を見る目に慣れることはできるのだろうかと、秒で自信を失った。
いちいち顔が赤らまなくなるといいのだが。
このまま面と向かっているのは恥ずかしすぎる。
そんな風に私はいっぱいっぱいだったから、殿下が小さく、ふ、と笑ったのを風の音だと聞き流していた。
「ですが、殿下はそれでよいのですか?」
「私はローラしか考えられない」
「え……?」
「父上と母上も言っていたように、ローラとの結婚はこの国が生まれ変わり、長く続いていくためにも必要なことだ」
一瞬ドキッとしてしまったせいでさらりと挟まった『も』について聞き損ねた。
「私は、ローラとなら意見を交わし合い、互いに高め合うことができると思っている。私にない発想を与えてくれるローラは、気づかぬうちにこの国に溜まった膿とも言うべき課題も解決する手助けとなるだろう」
生徒会室では、堅実な殿下と多少の不利益はあってもそれを乗り越えた利を取ろうという私の意見は対立することが多く、議論が白熱し、言い合いのようなることもあった。
だから殿下がそんな風に言ってくれるとは思っていなかった。
私のために言ってくれているのだろうけれど、期待値が高すぎて逆に怖い。
どう答えたものか戸惑う私を、レガート殿下がいつもの淡々とした表情でじっと見つめた。
「ローラはクリスティーナに言ってくれたことがあったな。夫婦とは互いに助け合い支え合うもので、一人では難しいこともこなしていけるのが理想なのではないかと。だからもっと歩み寄れと。私もその通りだと思う。私一人ではどんなにいい発想も潰してしまいかねないが、ローラならきちんとそれを育ててくれる。だからこそ、共に歩みたいと思う」
そう言って、殿下が静かに三歩、距離を詰め、私は思わず息を止める。
「だから。夫となる者として疑いようのない愛を示し、ローラを何者からも守り、今度は逃げたいなどと思われないよう努める」
早速逃げたいのはどうしたらいいだろうか。
距離が詰まれば詰まるほどそわそわして落ち着かない。
「いえ、あの――」
しかしじっと見下ろすまっすぐな瞳に根負けするように、気づけば私は再び小さく「はい」と返事をしていた。
とはいえ、こんな距離にすぐ慣れるものでもない。
殿下の体温が伝わってくるようで、そわそわする。
殿下は鍛えているから体温が高いのだろうか。
それとも私の体温が上がっているのか。
だってこれまで義姉の婚約者であったレガート殿下とは決して近づきすぎないよう気を付けていたし、他の男性だって私を結婚相手として見る人はいなかったから、そんな距離にいたことはない。
すぐに目を逸らすと、殿下がゆっくりと歩き出した。
ついくせで三歩離れるのを待っていると、すぐに殿下が足を止め、私の手をそっと引いた。
優しく、壊れ物を扱うように繋がれた手が急激に熱を帯びる。
汗で滑ったらどうしよう。
あれ? こういう時って、腕をとるものなのではなかったっけ。
手をつないだままでよいのか、熱いのか冷たいのかももはやわからないその手をどうしたらよいのかわからず、心拍数がやたら高いなと数えていたら、がちがちに固まっていた私の手はそっと解放された。
急に風に触れた私の手はひんやりと感じて、私は思わず自分で自分の手を包んだ。
ふと、殿下とは歩幅が違うのに、私は普段通りに歩いていることに気が付いた。
殿下が私に合わせてゆっくりと歩いてくれているのだ。
まるで先ほどの言葉を証明するかのように。
より落ち着かなくなってしまって、必死に頭を巡らせ、話題を探す。
そうだ。結局答えを聞きそびれていた。
「先ほどの質問ですが。婚約相手が自分であると私が知る前に聞いたのは、黙っておいて言いくるめるつもりだったのか、先に私が嫌じゃないかどうか探りたかったのか、またはその他か、どれですか」
「どれも、だな」
おい。
って言ってもいいだろうか。この国の王太子相手に。
おかげで調子が取り戻せた。
「一番は、決まってからではローラが文句など言わないだろうと思ったからだ。先に聞いておきたかった」
確かに。
決まった以上、殿下のこんなところが嫌だなんて言えないし、言いたくもない。
自分なりに前向きに対処していくほうがいい。
「でも自分が相手だと知らずに答えたのですから、無効です」
「そうか。どこが違う?」
言われて、考えた。
本当にレガート殿下と婚約したとなった今では、うまく頭がまわらない。
うまく想像できないし、戸惑いしかない。
こうなると、やはり冷静なうちに聞いておいた殿下は正解だったのかもしれない。
ぐう、と答えに詰まる私を、気づけばレガート殿下が見下ろしていた。
その口元に小さく笑みが浮かんでいることに気づき、思わずむっとする。
「私が慌てているのを楽しんでいらっしゃいます?」
「いや? それほどの余裕はない」
殿下が?
いつもと変わらず泰然としているのに。
「婚約者になったからと言って、無理に変わる必要はない。もちろん求められる役割というものはあろうが、それもローラ一人でやろうと思わなくていい。私がいる。嫌なことや文句があればいつでも言ってくれ」
「文句なんて……」
そこまで言ってもらえて、文句なんてあるわけがない。
実直で、誠実で、だからこそ不器用に見えるところもあるけれど、何より私の気持ちを考えてくれているのがわかる。
しかし、流れるように自然と『ローラ』と呼ばれているような。
いつからだったのか、いっぱいいっぱいだったから気づきもしなかった。
はっと顔を上げれば既に馬車止めまで来ていて、殿下が手を差し伸べてくれた。
「送ってもいいか?」
聞かれて、少し考えたものの頷く。
まだ戸惑いが大きくて、話すべきことを話せた気がしない。
とはいえ、何を聞くべきか、何を言うべきか、まだまともに頭も整理できていないのだけれど、なんとなく離れがたかった。
殿下の手を借り馬車に乗り込むと、向かい側に殿下が乗り込んだ。
義姉の置手紙を見つけて城に向かう時もそれぞれの馬車に乗ったし、同乗するのは初めてのことだ。
だから何を話せばいいのかがわからない。
殿下は私にない視点を持っていて、尊敬できる人であり、今後の国のことや生徒会のことを話すのがとても楽しく、いくら時間があっても足りないくらいだったけれど、二人きりになることはなかったから。
これまで殿下は義姉の婚約者だったから、常に周りの目を気にしていた。
いつも笑顔を貼り付けたお花畑に見える私が殿下の傍にいたら、それこそ義姉ではなくともいいようにはとられない。
何よりレガート殿下の評判を貶めるわけにはいかないと、生徒会室も他の役員の人たちがいない時は決して踏み入らなかったし、家で義姉が殿下を待たせてしまう間おもてなしする時も必ず侍女や殿下の護衛が同席していた。
歩くときだって、決して隣には並ばない。
私だけじゃない。殿下も同じように配慮していた。
それだけ義姉を大事にしていたのだ。
婚約者として、義姉に疑われるような行動はしてはならないと。
レガート殿下は元々口数が多くないから、沈黙も苦ではないのだろう。
時折「ラルーの花が咲く季節だな」とか、「もう日が暮れるな」とか話しかけてくれるけれど、私は「はい」と返すばかりで話は広がらない。
私が話題を提供しなければと思うのだが、これまで培った社交経験が今日はまったく活きてこない。
そのうち、しんと沈黙が流れていることに気が付き、私は不意に顔を上げた。
斜め前に座る殿下は、顎に手を当て真剣に何事か考えこんでいた。
「殿下? どうされたのですか……?」
「こういう時に適当な話題は何かと考えていた。感想を告げても同意か否定が返り終わってしまう。だから広がりのある話題とするためには、どのような語り掛けが有効かと」
相変わらず真面目で武骨な殿下に、私は思わずふっと笑ってしまった。
突然のことにどうしたらいいかわからなくて、不安だった。
だけど、殿下は殿下だ。距離も関係性も変わったけれど、何も変わっていない。
まだ私たちは婚約者になったばかりで、殿下だってまだ戸惑いがあるに違いない。
これから一緒に私たちらしい形を探していければいい。
そう思うと肩の力が抜けた。
「そうですね。私もわかりません。私たちはこれまで、国の話や生徒会のことばかりで、他愛無い話などしたことがありませんものね」
「そうだったな。これからは他愛無い話も、日々の話も、私としてくれるか? まだ何を話せばいいのかもわからんが」
その言葉に私が再び笑い、「はい」と頷くと、レガート殿下の目が優しく細められた。
初めて見る顔に驚いて、私は思わず顔を俯けさせてしまった。
少しずつ慣れていこう。そう思ったのは本心だけれど。
殿下は筋肉ばかり取りざたされるが、実はとても顔がいい。
そんな人がそんな風に柔らかく私を見る目に慣れることはできるのだろうかと、秒で自信を失った。
いちいち顔が赤らまなくなるといいのだが。
このまま面と向かっているのは恥ずかしすぎる。
そんな風に私はいっぱいっぱいだったから、殿下が小さく、ふ、と笑ったのを風の音だと聞き流していた。
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