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第2章

第5話 演説

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 再び眠りについてもあの夢を見ることはなかった。
 しかし、しっかりと寝たはずなのに、スッキリしない。
 ぼんやりする頭を馬車に揺られるに任せ、城に辿り着き、指定された部屋で座って待つ。
 間もなくしてやってきたのは、相変わらずいかめしい顔のレガート殿下で、互いにいつもと変わらぬ挨拶を交わすも、私はその目が見られなかった。

「今日は国王陛下の演説だ。ローラのお披露目も兼ねているが、気負わずともいい」
「はい」
「眠そうだな」
「申し訳ありません。昨夜あまり寝た感じがなくて」
「疲れがたまっているのだろう。連日駆け回っていたからな。これが済んだら帰って休め」

 相変わらずぶっきらぼうな口調だが、気づかってくれているのがわかる。
 しかし私より疲れている人たちがいるのに、夢一つで動揺しているわけにはいかない。

「いえ、その後も予定が――」
「目先のことばかりにとらわれていては判断を誤るぞ。一度休みをとったほうが効率がいいとローラもいつも私に言っているだろう」

 そうだよね。殿下は『私』だよね。
 私は何故夢の中の殿下に『俺』と言わせたのか。
 何の願望なのか? 自分がわからなすぎて本当に恥ずかしい。

「――ありがとうございます。では今日の予定はなるべく早くすませて、家に帰って休むことにします」

 その返事に満足したように頷くと、殿下は私の手を引き部屋を出た。
 その手はすぐに離され、代わりに差し出された腕を取り、歩く。
 昨日言われたことが頭にぐるぐるとしていて、今日は自然にできただろうかと気になって仕方がない。
 そうして指定された部屋へと入ると、「あら」と中から王妃殿下の軽やかな声が上がった。

「昨夜は遅くまで仕事をしていたみたいだけれど、それにしては今日はずいぶんとご機嫌なようね、レガート。いい夢でも見たのかしら?」

 にっこりと問われた殿下は「いえ」といつも通りの固い返事。

「どんなにいい夢でも夢は夢ですから。現実に勝る夢はありません」

 そう言って私の手を引きソファに座らせると、殿下も隣に座った。
 私もいい夢が見たい。
 困惑したり、いっそ疲れたりする夢ではなく、ほわんと息が抜けるような夢がいい。
 ただでさえ現実で婚約者としての距離にまだ慣れずひたすらどぎまぎしているというのに、触れられないとわかっている夢でもあれだ。
 結局、夢でも現実でも、ままならないのは自分自身だ。
 私は深呼吸を繰り返し、なんとか心を落ち着けた。

 そんな私を緊張していると思ったのだろう。
 レガート殿下の大きな手が、膝に置かれた私の手を包む。
 余計に心拍が上がり、このままでは破裂してしまいそうだ。
 私はすっと立ち上がり、くるりとレガート殿下を振り返った。

「大丈夫です。立派にレガート殿下の『婚約内定者』を務めてみせます」

 安心してもらえるよう、キリッと宣言すると、レガート殿下は一瞬、呆気にとられたようになった。
 それからにやりと笑う。

「そうか」

 なんだか見たことがある笑みだなと思った。
 でもそんなわけはない。あれは夢なのだから。

   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 よく晴れた日の広場には、国王陛下の声が広く響き渡っていた。

「残念な報せと、素晴らしい報せがある。この度、次代の聖女が――」

 しかし悲痛な顔で声を詰まらせる。

「その務めを果たすことが未来永劫、できなくなってしまった」

 広場に集まった国民たちの間にざわりとざわめきが広がる。

「なんてことだ……」
「次代の聖女様がお亡くなりになったのか」
「そんな……! ではこの国はどうなるんだ?!」
「いや、まだ今代の聖女様である王妃様はご健在だ! その間にまた次の聖女を探せばいいだけだろ?」
「だが聖女ってのは大変なんだろう? 王妃様も、見ろよ。以前より頬が痩せて……」
「だから次代の聖女様も身体を壊してしまったのか? なんてことだ! それじゃあこの国は――」

 陛下は一切『死んだ』とは言っていない。
 だが訂正することもなく、ざわめきを収めるようにゆっくりと上げた手を人々へ向けてみせた。

「次代の聖女がその務めに耐えられる体でないことはしばし前よりわかっておった。皆も知っての通り、この国の守りはこれまで聖女たった一人が背負ってきたが、この国はそれでよいのか? 誰か一人が重責を負い、任せきりでよいのか? 次の聖女を定めても、また同様のことが起きたらこの国はどうなる。当代である王妃がいなかったら今回もその場をつなぐことはできなかった。病気。事故。誰にでもありうることだ。ただ一人の人間にこの国の守りを任せていていいのか? 我らは何もせずただ恵みを享受していてよいのか?」

 国王陛下はたっぷりと間を開け、しんとなった国民を見渡した。

「我らの国は、我らの力で守るべきだ。そうではないか? これまでわが国は聖女一人に頼り過ぎたのだ。各地に守りの石を送ってある。それぞれがその守りの石に祈りを捧げることで魔力を注ぎ、この国の守りとするのだ。一人の力では聖女に及ばずとも、多くの国民の力があればはるかにそれを凌駕することができよう。今こそ我らの力を発揮すべき時がきた。それぞれの力が我が国を守るのだ!」

 陛下の熱く響き渡る声に、戸惑っていた国民たちの顔が一斉に紅潮していく。

「おおおおおお!!」
「そうだ! これからは自分たちで国を守るんだ!」
「だが本当にそんなことできるのか……?」
「まだ王妃様はいるんだもの、やってだめならなんとでもなるでしょう」
「そもそもたった一人に国を任せて安穏としてたなんて、考えてみれば怖ぇよな……。人間なんだからいつ死んじまうかもわかんねえのに」

 聞こえてくる声の中には戸惑いや変革を恐れる声、不満もあったが、概ね前向きに捉えられているようだ。
 国王陛下も満足そうに国民たちを見渡し、そうして顔だけでこちらを振り向いた。
 レガート殿下が頷き、私も小さく礼をする。
 それを確認すると陛下は前に向き直り、再び手をあげた。
 しんと静まった中に、やや声の調子を上げた陛下の声が響き渡る。

「長らく何もかもを聖女に依存してきたこの国にとって、代替手段を講じなければならないのは国の守りだけではない。よりこの国を堅固なものにするにはどうしたらよいか。その知恵を貸してくれたのは、ローラ・ファルコットだ。彼女は惜しくもその立場を去るしかなかった聖女の妹であり、すべてを託されていた。まだ学院に通う身でありながら、我々にはない新しい発想で、聖女に頼らぬ国づくりを共に検討し、議論を交わし、ここまで尽力してくれた」

 国民がその姿を探すように、陛下の後ろに控える私を見つけ、歓声と拍手を送ってくれる。
 いよいよだ。
 ――胃が痛い。

「皆も知っての通り、次代の聖女は我が子レガートの婚約者ともなっていた。しかしそちらも代わりが必要だ。そこで此度この国のために尽力してくれたローラ・ファルコットを新たな婚約者とし、王太子妃、そしてゆくゆくは王妃としてこの国をレガートと共に支えていってもらいたいと考えている」

 わあああっ! と一際大きな歓声が沸き起こる。
 プレッシャーがすごい。
 本当に私でいいのかと、覚悟を決めたはずなのに戸惑いが胸を浸す。
 思わずぎゅっと胸元を握ると、その肩にそっと触れる温もりがあった。
 隣を見上げれば、いつもの厳めしい顔でまっすぐに前を向いたままのレガート殿下が、守るように私の肩を抱いてくれていた。
 私は覚悟を決め、一つ頷いた。
 レガート殿下は私を振り向かず目だけでそれを確認すると、私と歩幅をあわせて前へと進んだ。
 陛下の隣に二人で並んで立ち、私はただ黙って精一杯に上品な微笑を浮かべた。

 再び歓声が辺りを満たし、陛下が手を上げてもしばらくそれが止むことはなかった。
 その中に、私が土壌や肥料の作り方を教えた農産物協会の人たちや、肥料を流通させるための会合をした商会の人たちの顔を見つけた。
 レガート殿下のおかげで周りを見る余裕ができたから気づけたことだ。
 本当に私を王太子妃として歓迎してくれる人がいるのだと感じることができて、やっと自信を持てた気がする。
 そんな私の隣で、レガート殿下が声を上げた。

「レガート・クライゼルの名にかけて、ローラ・ファルコットと共にこの国を盛り立てていくと誓おう。この国はこれから大きな変容を迎える。どうか共に新しいこの国を作っていってほしい」

 怒鳴っているわけではないのに、遠くまでしっかりと通るような声が国民に降りかかり、これまでで一番大きな歓声が返った。
 やはり王太子として絶大な信頼を得ているのだ。
 視察に出かけてもその真面目で不正を許さない態度と、国民に対しても偉ぶらず一貫して誠実な態度は評判が高く、まさに王太子としてあるべき王太子とまで言われていたことをまざまざと目にしたようだった。

 私がここで発言することは許されていない。
 まだただの婚約者で、王族の一員ではないからだ。

 今の私にできるのは、この国を支える人間として認めてもいいかもしれないと思ってもらえるよう、堂々と、そして笑顔でいること。
 そして、これからその功績を認めてもらえるように尽力すること。
 やれることをやっていくしかないのだ。
 その背を見るばかりだった、レガート殿下の隣で。
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