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第1章

第4話 王太子という人

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「やっと一通りの道筋はつきましたね」
「ああ。ローラ嬢の尽力のおかげだ」
「義姉のしたことの最後の尻拭いですから」

 城の廊下。
 来客の見送りを済ませ、レガート殿下の三歩後ろをついて歩きながらそう返すと、ややしてぽつりとした声が返った。

「――最後ではあるかもしれんがな」

 その含んだ感じは何でしょう。
 私が聞き返す前に殿下が続けた。

「ローラ嬢もこれで彼女に気遣いをする必要がなくなるな。学院でも成績を抑えていたし、彼女よりも目立つことのないように振舞っていただろう」

 気づかれていたのか。
 子供の頃から少しでも義姉より優れているところがあると、『平民生まれでお花畑なあなたの実力なわけがない。ズルをしたのでしょう』とうるさかったし、それは義姉だけではないとわかっていたから、学院で成績優秀者として名前を貼りだされないように気を付けていたのだけれど。

「今後も気を付けるつもりです。気になさるのはお義姉様だけではありませんので」
「そういうものか」
「そういうものです」

 義姉は口でやっかむだけで物理攻撃に及ぶことはなかったけれど、他の令嬢たちはその限りではない。
 私が学院に通う目的は知識を吸収することで、誉めそやされることではないから、教科書をビリビリに破られて授業に支障をきたすより、波風立てず穏やかに生きたい。

「確かにやっかむのは彼女だけでもないだろうが、ローラ嬢ならなんとでもなるだろう」
「買いかぶりですよ」
「そうでもない」

 なぜあなたがそうでもないとか言うのか。
 どう答えたものか戸惑っていると、珍しくレガート殿下の渋面が崩れ、ふっと笑う。

「彼女がローラ嬢を悪く言うのを真に受け、『頭がお花畑で義理の姉をいつも困らせている』などと言う者がいても、ローラ嬢は笑顔をやめるのではなく、自分からぐいぐい突っ込んでいってわからせていただろう。逃げも隠れもせず、仕方ないと諦めることもせず、悪評を自ら覆していく姿は見ていて爽快だった」

 そんな風に言ってもらえると嬉しいけれど、どう反応したらいいかわからない。

「ですが、そういったことも今後はなくなりますから。義姉はいなくとも、平民に戻れば戻ったでなんだかんだと言われることでしょうけれど」

 学院を卒業して、一人で生きていくのが不安ではないといえば嘘になる。
 だがこの社交界で築いた人脈と笑顔で、事業をなんとか軌道に乗せ、今度こそ平穏に暮らすのだ。
 叔母も探し出して恩返しをしたいし。
 そう気合いを入れ直して、ふと気づいた。
 聖女の代替のことばかり考えていたけれど、義姉が放り出したお役目は他にもあるのだ。

「空いてしまった生徒会副会長は立候補者を募るのですか?」
「いや。ただでさえ仕事が滞っているからな。推薦で即戦力を入れる」
「そうですよね。どうせ数か月で新学年になって、役員も決め直しですし」
「あとは私の婚約者だが」
「次は殿下を支えるに相応しい方が選ばれることでしょう」

 義姉が責任を放棄した結果のことであり、迷惑をかけてしまった手前言えることではないけれど、先を考えればこの国のためにはこれでよかったのだと思う。
 
「――ああ。その話だが、ローラ嬢に聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「筋肉は嫌か」

 やはり気にするところはそこらしい。
 令嬢たちは筋肉で覆われた体から放たれる威圧感で身がすくむと言うが、不思議と私はそう感じたことはない。
 ぴっちりとした訓練着でも着ていれば別だが、普段は筋肉なんて服に隠れてわからないし。
 ただ、見つめられると何故だか言葉に詰まることがあるけれど、それは筋肉がどうこうはまったく関係ない。
 短い黒髪に切れ長の黒い瞳があまりにまっすぐだから、だと思う。

「先ほども申し上げた通り、殿下のその筋肉は国のために鍛えたがゆえの結果であって、義姉やその他の令嬢の風評など気にする必要はありませんわ」
「ローラ嬢自身はどう思うのか、聞かせてほしい」
「私の一意見など参考にならないかとは思いますが……。筋肉はいわば付属物にすぎませんし、あってもなくてもどうということは」

 誰も彼もがレガート殿下を語る時に筋肉筋肉と口にするから気になってしまうのだろうけれど、殿下は筋肉だけの人ではない。
 むしろこういう実直さや、国や人を思う姿こそが王太子として、一人の人として尊敬できるところなのに。

「では、相手が何を考えているのかわからないと嫌か」

 そんな風評も知っていたのか。
 確かに殿下は表情があまり動かないし、そもそも言葉も多くない。
 王族が簡単に読まれても困るのかもしれないけれど、接する側としては神経を使うというのが正直なところだ。
 ただ、相手を知ればその限りでもないように思う。

「誰でも相手の気持ちを推し量るのは難しいものですし、わからないと悩むことはあると思いますが……。結婚となれば先は長いのですから、いずれ殿下の誠実さも伝わっていくことでしょうし、気にされることはないと思いますよ」
「なるほど。では極力思っていることは伝えるとしよう。他に結婚相手に望むことはあるか?」
「いえ、別に」
「何もないのか?」
「私は結婚なんて考えたことはありませんでしたから、他の方に――」
「では今考えてみてくれ」

 なぜに。

「私は平民生まれで、生粋の貴族の方々と価値観も感覚も違うことが多いですから、他の方に聞かれたほうがよいかと思いますが」
「他に聞くべき者などおらん」
「すみません」

 殿下、女友達とかいないもんな。
 遠くから筋肉を崇める人か、筋肉が怖くて遠巻きにする人のどちらかばかりだし。

「とは言いましても、結婚となっても何をどうしたらいいのかもわからないですし、戸惑いしかありません。ですから、そうですね、ゆっくりでお願いします、というところでしょうか。一生を共に過ごすのですから、仲良くいたいとは思いますが」
「正直に伝えつつ、抑えなければならないのか……。塩梅が難しいな。だがわかった。心がけよう」
「あの、私の感想など義姉と同じくらいあてになりませんからね? それと、結婚はお互いがあってのことなのですから、殿下だけが相手に合わせなければならないということではないと思います」
「そうだな」
「お互いに自然でいられるのが一番ですし。まあ、そうもいかないものなのだろうとは世間のご夫婦を見ていればわかりますが」

 義姉に合わせながらも鍛えることはやめなかったように、自分をもった上で相手に寄り添える殿下ならどんな相手でもうまくいくのではないだろうか。
 殿下は歩きながら、「自然で、か」とぽつりと繰り返した。

「そのように考えこまずとも、殿下なら大丈夫です」 

 そう微笑めば、レガート殿下はぴたりと足を止めた。
 そしてくるりと私を振り返る。

「ローラがそう言ってくれるのなら、私のできる限りで幸せにできるよう力を尽くそう」

 真っすぐな瞳で、そんな風に言ってもらえる婚約者は幸せだろう。
 頑張ってください、というのもどこから目線だよという話だなと言葉に困り、ただ微笑みを返した。
 再び歩き出した殿下の三歩後ろについて歩きながら、これまで苦労してきた分、殿下が今度こそ幸せになれますようにと心から祈った。
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