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第1章
プロローグ・ヒロインの逃亡
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その手紙はもぬけの殻になった義姉の部屋の中、何も置かれていない机の上にひっそりと、けれど妙に存在感たっぷりに置かれてあった。
応接室で待っていたレガート殿下に急ぎ渡すと、読み始めてすぐにいつもの渋面になった。
『平民であったローラがファルコット伯爵家に来てから、お父様も、生徒会も、ドレスも奪われ、私のものではなくなってしまった。
ただ私は聖女として、生徒会副会長として、王太子の婚約者として務めることを強いられ、ひたすら努力をしてきたというのに。
もう私のものはすべてローラに譲ります。
ここに私の居場所はない。どうか探さないでください。』
譲るも何も、王族でもない義姉に指名権などないのだが。
私はため息を堪え、レガート殿下に向かって深く腰を折った。
「申し訳ありません。これまでも義姉がご迷惑をおかけし通しでしたが、このようなことになってしまったのはファルコット伯爵家の責任です」
「いや。なるようになったというだけのことだ、ローラ嬢が気に病むことはない」
私にあわせて慌てて頭を下げていた侍女のアンが、私と殿下の会話に戸惑ったように両者の顔をちらちら盗み見ているのがわかる。
まあ無理もない。
我が家に来たばかりな上に、義姉のお付きの侍女であったアンは私が『お花畑でわがままな義妹』だと聞かされていたようだし、『優秀な義姉から何もかも奪い、追い出した』状況にしか見えないだろう。
それなのに義姉の婚約者であるレガート殿下が何もかも諦めたように慌てもせず、しかも私を気に掛けるような言葉までかけているのだから疑問に思うのもわかる。
しかしアンははっと我に返ったように声を震わせた。
「聖女であるクリスティーナ様がいなくなったということは、この国クライゼルを覆う防御壁はじきになくなってしまうのですよね? そうなれば魔物たちに侵入されてしまうのでは……! 急いでクリスティーナ様を追いかけなければ」
「そうね。お義姉様がどれだけ準備をなさっていたのかはわからないけれど、貴族の令嬢が一人で家を出て生きていくのは容易いことではないし。手の空いている者はお義姉様を探すよう伝えて。ただし、内密にね。聖女がいなくなったと知れ渡れば混乱が起きてしまうから」
義姉のベッドは冷たく、使われた様子もなかった。
昨夜のうちにこの家を出たのだろう。
行く場所がなく、王都のあたりをうろついていれば見つかることもあるだろうけれど、目的地に迷わず向かっていたら追いつける可能性は低い。
「で、でも、今はとにかく人手をかけてでも探さなければ、町に魔物が入ってきて大変なことに――」
「そのようなことにはならない」
「え?」
レガート殿下の落ち着き払った様子に戸惑うアンに、私は苦笑した。
「お義姉様がいなかろうと、この国は回っていくのよ」
「彼女のおかげというべきか――。既に準備は整っている」
義姉一人がいなくなろうと、この国が揺らぐことはない。
それでも、すべてを投げ出した事実は重い。
私はレガート殿下に向き直り、改めて深く頭を下げた。
「ただ一人残された家族として、義姉の咎はできる限り償わせていただきます」
伯爵位を継ぐわけでもない私に償いきれるものでもないことはわかっている。
それでも、私は私にできることをするしかない。
「彼女の咎は彼女のものだ。だが今はローラ嬢の助けがほしい。私と共に城へ来てもらえるか」
「はい。この国のために、精一杯尽くさせていただきます」
苦境を救ってくれた義父のため、ひいてはファルコット伯爵家のためにとこれまでずっと義姉の尻ぬぐいをしてきたけれど、これで最後だ。
殿下に続いて歩き出した私に、アンが慌てて声をかけた。
「で、でも、ローラ様は魔力をお持ちでは……」
「そうね。お義姉様の代わりに私が聖女になることはできないわ。でも、魔力がなくてもできることはあるのよ」
魔力もない。生粋の貴族でもない。私は義姉とは正反対で、何も持っていない。
けれど、それは何もできないということではない。
私は戸惑うアンに笑ってみせた。
「大丈夫よ。この国はそんなにもろくはないわ」
義姉は自分がいなくなったらどうなるかわかっていて、何もかもを捨てた。
そんな義姉に戻ってきてほしいと縋ることなどない。
私も、王家も、義姉に振り回されるのはもう終わりだ。
応接室で待っていたレガート殿下に急ぎ渡すと、読み始めてすぐにいつもの渋面になった。
『平民であったローラがファルコット伯爵家に来てから、お父様も、生徒会も、ドレスも奪われ、私のものではなくなってしまった。
ただ私は聖女として、生徒会副会長として、王太子の婚約者として務めることを強いられ、ひたすら努力をしてきたというのに。
もう私のものはすべてローラに譲ります。
ここに私の居場所はない。どうか探さないでください。』
譲るも何も、王族でもない義姉に指名権などないのだが。
私はため息を堪え、レガート殿下に向かって深く腰を折った。
「申し訳ありません。これまでも義姉がご迷惑をおかけし通しでしたが、このようなことになってしまったのはファルコット伯爵家の責任です」
「いや。なるようになったというだけのことだ、ローラ嬢が気に病むことはない」
私にあわせて慌てて頭を下げていた侍女のアンが、私と殿下の会話に戸惑ったように両者の顔をちらちら盗み見ているのがわかる。
まあ無理もない。
我が家に来たばかりな上に、義姉のお付きの侍女であったアンは私が『お花畑でわがままな義妹』だと聞かされていたようだし、『優秀な義姉から何もかも奪い、追い出した』状況にしか見えないだろう。
それなのに義姉の婚約者であるレガート殿下が何もかも諦めたように慌てもせず、しかも私を気に掛けるような言葉までかけているのだから疑問に思うのもわかる。
しかしアンははっと我に返ったように声を震わせた。
「聖女であるクリスティーナ様がいなくなったということは、この国クライゼルを覆う防御壁はじきになくなってしまうのですよね? そうなれば魔物たちに侵入されてしまうのでは……! 急いでクリスティーナ様を追いかけなければ」
「そうね。お義姉様がどれだけ準備をなさっていたのかはわからないけれど、貴族の令嬢が一人で家を出て生きていくのは容易いことではないし。手の空いている者はお義姉様を探すよう伝えて。ただし、内密にね。聖女がいなくなったと知れ渡れば混乱が起きてしまうから」
義姉のベッドは冷たく、使われた様子もなかった。
昨夜のうちにこの家を出たのだろう。
行く場所がなく、王都のあたりをうろついていれば見つかることもあるだろうけれど、目的地に迷わず向かっていたら追いつける可能性は低い。
「で、でも、今はとにかく人手をかけてでも探さなければ、町に魔物が入ってきて大変なことに――」
「そのようなことにはならない」
「え?」
レガート殿下の落ち着き払った様子に戸惑うアンに、私は苦笑した。
「お義姉様がいなかろうと、この国は回っていくのよ」
「彼女のおかげというべきか――。既に準備は整っている」
義姉一人がいなくなろうと、この国が揺らぐことはない。
それでも、すべてを投げ出した事実は重い。
私はレガート殿下に向き直り、改めて深く頭を下げた。
「ただ一人残された家族として、義姉の咎はできる限り償わせていただきます」
伯爵位を継ぐわけでもない私に償いきれるものでもないことはわかっている。
それでも、私は私にできることをするしかない。
「彼女の咎は彼女のものだ。だが今はローラ嬢の助けがほしい。私と共に城へ来てもらえるか」
「はい。この国のために、精一杯尽くさせていただきます」
苦境を救ってくれた義父のため、ひいてはファルコット伯爵家のためにとこれまでずっと義姉の尻ぬぐいをしてきたけれど、これで最後だ。
殿下に続いて歩き出した私に、アンが慌てて声をかけた。
「で、でも、ローラ様は魔力をお持ちでは……」
「そうね。お義姉様の代わりに私が聖女になることはできないわ。でも、魔力がなくてもできることはあるのよ」
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けれど、それは何もできないということではない。
私は戸惑うアンに笑ってみせた。
「大丈夫よ。この国はそんなにもろくはないわ」
義姉は自分がいなくなったらどうなるかわかっていて、何もかもを捨てた。
そんな義姉に戻ってきてほしいと縋ることなどない。
私も、王家も、義姉に振り回されるのはもう終わりだ。
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