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第三話・罠になった女

Side・秋山 玲子・4

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 お風呂は良い。汚くなったものを、綺麗にしてくれるから。
 私はこの瞬間から、お風呂が好きになった。

 生きていると、誰にも言えないような秘密のひとつやふたつ、出来るものなんだ。
 辛く苦しい秘め事がある人間にしか解らない、独特な匂いのようなものが、きっとあるんだ。
 そんな彼だから、私を見つけてくれたのだと思った。
 それから、私は勝手に壮太に親近感を覚えた。


 壮太のジャージを着ると、随分大きくてダボっとしていた。それが、却って彼に抱きしめられているような気分になって、汚れた自分が恥ずかしくなった。


 綺麗な女でいたかったな――そんな風に意識したことを覚えている。


「あ、猫が上がってきた。オイデオイデ」


 壮太が私を見つけて、ちょいちょいと手招きした。
 ドキン、と私の心が音を立てて鳴った。
 どうしてだろう。何故か壮太を見て、急にドキドキしてきた。

「猫じゃないだろ。可愛いお嬢さんだ」

 先程、壮太と私を出迎えてくれた男性が、壮太のすぐ横にいた。
 そして、ガツ、とゆるく加減された握りこぶしが、壮太の頭を直撃した。
 
「痛ってえな! テメー、何すんだよ! ブン殴んぞ!」

「野蛮人が。サル山に帰るか?」

「やなこった」

 男性に向かって壮太がアカンベーをした。それから壮太は、逃げるようにこちらにやって来て、私を見て言った。「おっ、お前、可愛くなったな」


 可愛い?


 私が?


 壮太にそんな事を言われて、私は急に恥ずかしくなった。それを意識した途端、顔が真っ赤になってしまった。

「なんだお前、猫じゃなくて茹でタコだな。ははっ、おもしれえな」

 くしゃくしゃ、と優しく髪を撫でてくれた。
 あの、黒い手とは違う。男の人に触られているのに、ドキドキして嬉しいって思うなんて。
 優しくて、安心できるって思えるなんて――


 私は、また、涙が止まらなくなってしまった。


「おっ、おいっ! なんだよ急にっ! 茹でタコとか言って悪かった! ウソだ、冗談だ! ああっ、猫っ、もうお前っ、泣くなよっ!!」


 必死になって、壮太が私を慰めてくれた。


 あの黒い手に苦しめられるようになってから、毎晩悪夢を見て、心がこんなにも軋んで、限界で、壊れそうだったのに、壮太に優しくして貰って、嬉しくなって、涙が溢れて、自分では止めることができなくなってしまった。

 
「壮太っ、女の子を泣かすなんてサイテーだ、お前!」

 ガツ、とまた壮太が男性に殴られた。

「ちげーし(違うし)! 俺泣かせてねえって! 猫が勝手に泣き出したんだよっ。それより、ガツガツ殴んなよな! バカになったらどうすんだよ!?」

「茹でタコとか、女の子に向かって失礼な事言うからだっ! それに、お前はもうこれ以上バカにはならないから、大丈夫だ」

「あーっ、言っていい事と悪い事があるだろっ!!」

 彼等のやり取りが面白くて、私は泣きながら笑った。

「お前が急に泣くから、俺が殴られたじゃねえか」

「ごめんなさい・・・・」

「いいよ。気にすんな。お前が笑ったから、それで勘弁してやる。だからもう泣くな。茹でタコとか言って悪かったな。冗談なんだから、マジに取んなよな」

 壮太が優しく涙を拭ってくれた。「猫、お前、名前は? 俺、秋山壮太。壮太でいーよ」

「・・・・須田玲子」ぽつりと自分の名前を呟いた。

「玲子か、オーケー。俺、腹減った。飯食おうぜ。俺の飯分けてやるから、玲子も来いよ」

「あ、うん」私は頷いた。

「ヒデ、玲子と一緒に食堂行って来る。とりあえず飯食ってから、これからの事は考えようぜ」

「解った。玲子ちゃん、だね? 壮太について、食堂行っておいで。お茶なんかもあるし、好きなもの飲んでくれて構わないから。女性職員もいるし、戻ったら、話せる範囲でお話しようね」

 ヒデと呼ばれた男性が、優しく笑いかけてくれた。
 同じ男の人でも、彼等は怖くない。大丈夫だ。
 ありがとうございます、と彼に礼を告げ、私は壮太についていった。
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