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あなたに微笑む
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最後の数段になった。震える足にもうひとつ強く力を込め、踏み出した。身体をぐんと持ち上げ、えいっと大きく声を張り、地上にしっかりと足を付け、その先に広がる景色を見たさくらは息を呑んだ。
目の前に現れたのは、一本の大きなヤマザクラ。まるでそこへ鎮座しているかの様子が目に飛び込んで来た。大きく聳え立つ一本のヤマザクラは樹齢何百年にもなるような、高さは十メートルほどの立派なものだった。
凛々しい立姿。放射状に広がる無数の大枝に、太い幹の緩やかな傾きに付く花は満開で、風に吹かれると少しずつ花びらが散っていく。全てが美しく、心が震えた。
そして更にもうひとつ驚いたことがあった。
神々しく輝くように咲いているヤマザクラの下に、なんと、祖母の姿があったのだ。
今ではもうすっかり見なくなったはんてんを羽織り、着物姿で立っている。はんてんは茶色で、手芸の得意な彼女が縫い直した箇所に見覚えがあり、それは祖母が亡くなるまで愛用していたものだ。
「おっ、お婆ちゃん!?」
『よう来た』
微笑む祖母は、記憶の中の祖母と合致した。あまりの衝撃に、足の痛みや疲労は吹き飛んでしまい、さくらは思わず駆け寄った。
「どうしてお婆ちゃんがここに!?」
『待っちょった。こっち、ってさくらを呼んだが?』
「お婆ちゃんが呼んでくれていたの?」
『そん通り』
彼女は深く頷いて答えた。
「えっ、でも、何で!?」
『さくら、今、困っちょるやろ。話しちみなぃ(話してごらん)。楽になるちゃ。婆ちゃんが聞いちゃん(聞いてあげる)から』
婆ちゃんが聞いちゃんから――幼い頃から、さくらは祖母に愚痴をよく言っていた。
貧乏だから、やれ晩御飯のおかずが他の家に比べて少ないとか、やれ同じクラスのケンイチによく意地悪されて泣かされるだとか、他愛もない事を、色々と。
きっとこれは夢なんだ、とさくらは思った。死んだはずの祖母に会える訳が無い。ここに辿り着いて疲れ切った自分が見せている夢幻なのか、都会の狭い学生マンションの一室のベッドの中で眠る自分が見ている夢なのか、真意の程は定かではないが、どちらにせよ故人の祖母と会話が出来る筈がない。
深く考える事は止めて、さくらは祖母に就職が駄目であった事、将来を考えていた彼氏との縁が切れてしまった事、先行きが不安である事、全てを話した。
『さくらは、よう頑張っちょる。けんど、苦しい事に負けたらいかん』
大好きな祖母の口癖。十年前に他界するまで、何時もそうやってさくらを励ましてくれた。
「でも職無しは、都会じゃ生きていけんよ」
祖母と喋っていると、久々に田舎のなまりが言葉尻に現れた。喋り慣れた言葉は、都会では笑われるだけ。方言は恥ずかしいものだと思い、ひた隠しにしてきた日々を思い出す。都会は、さくらにとって生きにくい場所だった。
『職無しがなんや。まだまださくらは若い。何とかなる。胸張って生きちゃ(生きなさい)』
「でもっ、稼がんと、そのうち家賃も払えんごつなる(払えなくなる)。都会に住めん」
『そん時は、帰ってきちゃ(帰ってきなさい)』
田舎へ帰ってくる――その選択肢は今までのさくらには無かった。一度田舎を出た自分は、都会で頑張るしか無いと思っていたから。
『婆ちゃんが、待っちょる。家族が、待っちょるよ』
祖母の一言はさくらの胸に刺さった。家族が待っている――たった一人で苦しいと思っていたけれど、頼っていい存在があった事をさくらは忘れていた。
駄目だった時は、田舎がある――どうして今までそう思えなかったのだろうか。
「お婆ちゃん、ありがとう。元気、出た」
その言葉に祖母は満足そうに頷いた。
「お婆ちゃん、あの、もう少し話せると?」
『ああ。いいちゃ』
満開のヤマザクラの下で、さくらは祖母と談笑した。昔の思い出に花が咲いた。
心地よい日の当たる縁側で、祖母と会話をしていた日々。二度と戻らない幸せな日々を、さくらはしっかりと記憶の引き出しから蘇らせていた。
「そういえば、昔――」
このヤマザクラを見て、自分の名前を付けてくれた事が本当かどうか祖母に尋ねた。
『もう忘れてしもうたんか。なんべんも喋ったのに、さくらは忘れん坊じゃの』
「覚えちょらん」
『ええか、さくら。お前は幸せを運ぶ子や。このヤマザクラの神様のように』
祖母がさくらを見つめ、真剣に訴えた。
『さくら、よう覚えちょかんといかん。ヤマザクラの神様の言葉は――』
目の前に現れたのは、一本の大きなヤマザクラ。まるでそこへ鎮座しているかの様子が目に飛び込んで来た。大きく聳え立つ一本のヤマザクラは樹齢何百年にもなるような、高さは十メートルほどの立派なものだった。
凛々しい立姿。放射状に広がる無数の大枝に、太い幹の緩やかな傾きに付く花は満開で、風に吹かれると少しずつ花びらが散っていく。全てが美しく、心が震えた。
そして更にもうひとつ驚いたことがあった。
神々しく輝くように咲いているヤマザクラの下に、なんと、祖母の姿があったのだ。
今ではもうすっかり見なくなったはんてんを羽織り、着物姿で立っている。はんてんは茶色で、手芸の得意な彼女が縫い直した箇所に見覚えがあり、それは祖母が亡くなるまで愛用していたものだ。
「おっ、お婆ちゃん!?」
『よう来た』
微笑む祖母は、記憶の中の祖母と合致した。あまりの衝撃に、足の痛みや疲労は吹き飛んでしまい、さくらは思わず駆け寄った。
「どうしてお婆ちゃんがここに!?」
『待っちょった。こっち、ってさくらを呼んだが?』
「お婆ちゃんが呼んでくれていたの?」
『そん通り』
彼女は深く頷いて答えた。
「えっ、でも、何で!?」
『さくら、今、困っちょるやろ。話しちみなぃ(話してごらん)。楽になるちゃ。婆ちゃんが聞いちゃん(聞いてあげる)から』
婆ちゃんが聞いちゃんから――幼い頃から、さくらは祖母に愚痴をよく言っていた。
貧乏だから、やれ晩御飯のおかずが他の家に比べて少ないとか、やれ同じクラスのケンイチによく意地悪されて泣かされるだとか、他愛もない事を、色々と。
きっとこれは夢なんだ、とさくらは思った。死んだはずの祖母に会える訳が無い。ここに辿り着いて疲れ切った自分が見せている夢幻なのか、都会の狭い学生マンションの一室のベッドの中で眠る自分が見ている夢なのか、真意の程は定かではないが、どちらにせよ故人の祖母と会話が出来る筈がない。
深く考える事は止めて、さくらは祖母に就職が駄目であった事、将来を考えていた彼氏との縁が切れてしまった事、先行きが不安である事、全てを話した。
『さくらは、よう頑張っちょる。けんど、苦しい事に負けたらいかん』
大好きな祖母の口癖。十年前に他界するまで、何時もそうやってさくらを励ましてくれた。
「でも職無しは、都会じゃ生きていけんよ」
祖母と喋っていると、久々に田舎のなまりが言葉尻に現れた。喋り慣れた言葉は、都会では笑われるだけ。方言は恥ずかしいものだと思い、ひた隠しにしてきた日々を思い出す。都会は、さくらにとって生きにくい場所だった。
『職無しがなんや。まだまださくらは若い。何とかなる。胸張って生きちゃ(生きなさい)』
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田舎へ帰ってくる――その選択肢は今までのさくらには無かった。一度田舎を出た自分は、都会で頑張るしか無いと思っていたから。
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駄目だった時は、田舎がある――どうして今までそう思えなかったのだろうか。
「お婆ちゃん、ありがとう。元気、出た」
その言葉に祖母は満足そうに頷いた。
「お婆ちゃん、あの、もう少し話せると?」
『ああ。いいちゃ』
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心地よい日の当たる縁側で、祖母と会話をしていた日々。二度と戻らない幸せな日々を、さくらはしっかりと記憶の引き出しから蘇らせていた。
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『もう忘れてしもうたんか。なんべんも喋ったのに、さくらは忘れん坊じゃの』
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