76 / 150
スマイル29
双子の兄妹・3
しおりを挟む 荷物を抱えて廊下を歩くティアは、3年前から歩き方は変わらない。
ビーズ装飾も刺繍もないフラットシューズを履いて、ぽてぽてと歩く。
ただその姿は傍から見たら、両腕で抱える荷物が大き過ぎて、まるで衣装の塊が移動しているかのよう。
しかも時折よろめいたりするので、妙にひやひやさせられる。
けれど、これは娼館にとったら日常の光景。
ティアがうっかり荷物を床にぶちまけることはしないとわかっているので、すれ違うバトラーもメイドも、ティアの行き道を塞がないよう道を譲る。
すれ違う使用人たちは働き者のティアを手伝いたい。けれど、あと5分でメゾン・プレザンの門が開く。
忙しさは最高潮。上を下への大騒ぎ状態。
お互い頑張ろうとティアに声を掛けるのが精一杯だった。
地下の衣裳部屋は倉庫のように広い。
けれど、ドレスや靴などの小物が溢れかえっているので、実際はかなり狭く感じる。
躓かない程度の明かりが灯る中、ティアは抱えていた荷物を一旦手近な棚に置く。次いで、ドレスを一着一着丁寧に作り付けのクローゼットにしまい込む。
「……よし。完璧」
ティアは綺麗にクローゼットに収まったドレスを目にして頷くと、今度は小物と靴をしまう為に、梯子に登り始める。
収納棚は天井まであるので、背の低いティアは、つま先立ちしても到底届かないのだ。
靴や扇子、それから髪飾り。小物と言ってもそれなりの数があるため、一気に全部をしまうことはできない。
なので、ティアは荷物を抱えては所定の棚に戻すことを繰り返す。
そうしているうちに、楽団の曲目がオーバーチュアから迎賓曲へと変わった。
それは地下の衣裳部屋にいるティアの耳にも届いていた。
「………ふぅ」
やっと最後の靴をしまい終えたティアは、梯子の一番上に腰かけて、大きく息を吐いた。
裏方に徹しているティアは、毎日この音楽が流れると、やっと一息つくことができるのだ。
本当に毎日毎日、開館時間の直前はいつも慌ただしい。
どれだけ事前に準備をしていても、気まぐれな娼婦の姐さまによって結局バタバタしてしまう。
だが、ティアはその忙しさが好きだった。
忙しければ、何も考えなくて良い。ただ黙々と手を動かしていれば時間が過ぎてくれる。
それに姦しい娼婦の姐さま達の声を聴くのも嫌いではなかった。
そんな娼婦の姐さま達は今頃、極上の笑みを浮かべ接客を始めているだろう。
自分もこんなところで、のんびりしている場合ではない。
ティアは、ぼんやりしていた思考をすぐさま切り替える。
さてこれから、調理場へ行って、料理の盛り付けの手伝いをしなければ。それに娼館は部屋を回してなんぼ。
だからマダムローズの伝令係として、館中を走り回らなくてはならない。
よし、頑張るか。
ティアは気合を入れる為に軽く伸びをして、梯子から降りようとした……が、その瞬間、ガチャリと扉が開いた。
「ティア、お客さんだよ」
ノックもなく地下の衣裳部屋の扉を開けたのは、バトラー見習いのロムだった。
ロムはティアより1つ年上の19歳。
西のトニアという海沿いの町で貿易商を営む商家の次男坊。
経営が悪化したのをきっかけに、2か月前からここで住み込みで働くようになったのだ。
そんなロムは、先輩のバトラーから知らせを受けて慌てて走ってきたのだろう。
ティアに声を掛けた後、肩で息をしている。
頬も僅かに赤い。けれど、それはティアを前にしているから。
……つまりロムは、現在進行形でティアに想いを寄せているのだ。
それは、このメゾン・プレザンに身を置く者なら周知の事実。
だが、誰も口には出さないし、ティアに伝えることもしない。
ティアはこれから先、未来永劫、ずっとずっと結婚しないと決めている。そして、誰とも恋仲になるつもりもないのだから。
「ん?お客様ですか?」
ロムの言葉を受けて、ティアの宝玉のような翡翠色の瞳が、不思議そうにくるりと動く。
ティアは娼館生まれの娼館育ちだけれど、客を取ることはしない。
あくまで下働きに徹している。
「えっと……バザロフさまがいらしたそうだよ」
「あ!」
短く声を上げた後、ティアの口元が僅かに緩んだ。
ティアには一人だけ顧客がいる。
その人とは長い付き合いで、ティアが信頼を置く数少ない者でもある。
思い当たる人物に気付いたティアは、ロムに向かって、こくりと頷いた。
「すぐに行きます」
「うん。そうしてくれ───…って、うわぁ」
ロムを見下ろしながらそう言ったティアは、ふわりと梯子から飛び降りたのだ。
その勢いでティアのスカートの裾が靡き、膝と足首が丸見えとなる。
めったに日に当たらないせいか、それは、白くすらりとして、年頃のロムにとったら、かなり目の毒だった。
「わぁああっ」
ロムは声を上げながら慌てて目を逸らす。
本音は食い入るように見ていたいところだが、ティアに嫌われるくらいならと、なけなしの理性でそうしたのだ。
けれど猫のように音もなく着地したティアは、ロムのそんな気遣いというか下心などまったく気付いていない。
ワンピースの裾を軽くたたいて埃と皺を取る。
「じゃあ、行ってきます」
ぺこりと頭を下げたティアは、そのまま勢いよく廊下へと飛び出した。
後に残されたロムは、慌てて廊下を走るティアに声を掛ける。
「ああ、ティアっ、エプロンは外して行けっ。あと、髪に結んでいる麻紐も外しておけよっ」
妹に向けるような言葉ではあったけれど、内心、自分の気持ちに気付かないティアに苦い気持ちでいるロムであった。
ビーズ装飾も刺繍もないフラットシューズを履いて、ぽてぽてと歩く。
ただその姿は傍から見たら、両腕で抱える荷物が大き過ぎて、まるで衣装の塊が移動しているかのよう。
しかも時折よろめいたりするので、妙にひやひやさせられる。
けれど、これは娼館にとったら日常の光景。
ティアがうっかり荷物を床にぶちまけることはしないとわかっているので、すれ違うバトラーもメイドも、ティアの行き道を塞がないよう道を譲る。
すれ違う使用人たちは働き者のティアを手伝いたい。けれど、あと5分でメゾン・プレザンの門が開く。
忙しさは最高潮。上を下への大騒ぎ状態。
お互い頑張ろうとティアに声を掛けるのが精一杯だった。
地下の衣裳部屋は倉庫のように広い。
けれど、ドレスや靴などの小物が溢れかえっているので、実際はかなり狭く感じる。
躓かない程度の明かりが灯る中、ティアは抱えていた荷物を一旦手近な棚に置く。次いで、ドレスを一着一着丁寧に作り付けのクローゼットにしまい込む。
「……よし。完璧」
ティアは綺麗にクローゼットに収まったドレスを目にして頷くと、今度は小物と靴をしまう為に、梯子に登り始める。
収納棚は天井まであるので、背の低いティアは、つま先立ちしても到底届かないのだ。
靴や扇子、それから髪飾り。小物と言ってもそれなりの数があるため、一気に全部をしまうことはできない。
なので、ティアは荷物を抱えては所定の棚に戻すことを繰り返す。
そうしているうちに、楽団の曲目がオーバーチュアから迎賓曲へと変わった。
それは地下の衣裳部屋にいるティアの耳にも届いていた。
「………ふぅ」
やっと最後の靴をしまい終えたティアは、梯子の一番上に腰かけて、大きく息を吐いた。
裏方に徹しているティアは、毎日この音楽が流れると、やっと一息つくことができるのだ。
本当に毎日毎日、開館時間の直前はいつも慌ただしい。
どれだけ事前に準備をしていても、気まぐれな娼婦の姐さまによって結局バタバタしてしまう。
だが、ティアはその忙しさが好きだった。
忙しければ、何も考えなくて良い。ただ黙々と手を動かしていれば時間が過ぎてくれる。
それに姦しい娼婦の姐さま達の声を聴くのも嫌いではなかった。
そんな娼婦の姐さま達は今頃、極上の笑みを浮かべ接客を始めているだろう。
自分もこんなところで、のんびりしている場合ではない。
ティアは、ぼんやりしていた思考をすぐさま切り替える。
さてこれから、調理場へ行って、料理の盛り付けの手伝いをしなければ。それに娼館は部屋を回してなんぼ。
だからマダムローズの伝令係として、館中を走り回らなくてはならない。
よし、頑張るか。
ティアは気合を入れる為に軽く伸びをして、梯子から降りようとした……が、その瞬間、ガチャリと扉が開いた。
「ティア、お客さんだよ」
ノックもなく地下の衣裳部屋の扉を開けたのは、バトラー見習いのロムだった。
ロムはティアより1つ年上の19歳。
西のトニアという海沿いの町で貿易商を営む商家の次男坊。
経営が悪化したのをきっかけに、2か月前からここで住み込みで働くようになったのだ。
そんなロムは、先輩のバトラーから知らせを受けて慌てて走ってきたのだろう。
ティアに声を掛けた後、肩で息をしている。
頬も僅かに赤い。けれど、それはティアを前にしているから。
……つまりロムは、現在進行形でティアに想いを寄せているのだ。
それは、このメゾン・プレザンに身を置く者なら周知の事実。
だが、誰も口には出さないし、ティアに伝えることもしない。
ティアはこれから先、未来永劫、ずっとずっと結婚しないと決めている。そして、誰とも恋仲になるつもりもないのだから。
「ん?お客様ですか?」
ロムの言葉を受けて、ティアの宝玉のような翡翠色の瞳が、不思議そうにくるりと動く。
ティアは娼館生まれの娼館育ちだけれど、客を取ることはしない。
あくまで下働きに徹している。
「えっと……バザロフさまがいらしたそうだよ」
「あ!」
短く声を上げた後、ティアの口元が僅かに緩んだ。
ティアには一人だけ顧客がいる。
その人とは長い付き合いで、ティアが信頼を置く数少ない者でもある。
思い当たる人物に気付いたティアは、ロムに向かって、こくりと頷いた。
「すぐに行きます」
「うん。そうしてくれ───…って、うわぁ」
ロムを見下ろしながらそう言ったティアは、ふわりと梯子から飛び降りたのだ。
その勢いでティアのスカートの裾が靡き、膝と足首が丸見えとなる。
めったに日に当たらないせいか、それは、白くすらりとして、年頃のロムにとったら、かなり目の毒だった。
「わぁああっ」
ロムは声を上げながら慌てて目を逸らす。
本音は食い入るように見ていたいところだが、ティアに嫌われるくらいならと、なけなしの理性でそうしたのだ。
けれど猫のように音もなく着地したティアは、ロムのそんな気遣いというか下心などまったく気付いていない。
ワンピースの裾を軽くたたいて埃と皺を取る。
「じゃあ、行ってきます」
ぺこりと頭を下げたティアは、そのまま勢いよく廊下へと飛び出した。
後に残されたロムは、慌てて廊下を走るティアに声を掛ける。
「ああ、ティアっ、エプロンは外して行けっ。あと、髪に結んでいる麻紐も外しておけよっ」
妹に向けるような言葉ではあったけれど、内心、自分の気持ちに気付かないティアに苦い気持ちでいるロムであった。
0
お気に入りに追加
202
あなたにおすすめの小説

それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。

ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる