薔薇の勇者の軌跡

なすのにびたし

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第2章:勇者ソーンと脅かされた農村

チャプター5

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「怪我はないか、ミカエル君。」

「オレは大丈夫っス。

…マジ躊躇いなかったっスよね。」


尻餅をついているミカエルに、ソーンが見下ろしつつ声をかける。

ミカエルは立ち上がって尻についた土埃を払い落としながら、「ははは」と愛想笑いの声を上げた。

ソーンはその声を受け、腕を組んで胸を張る。


「人を困らせる魔物だ、これだけやっても、何も後悔はない。」

「まあ、その通りなんスけどね…これがもしアルラウネが壮年男性型だったら、どうしてたんスか。」


堂々と言い放ってはいるものの、ミカエルの脳内に思い起こされるのは、記憶に新しい亜人の男に対する態度である。

そんな素朴な疑問をぶつけてみると、ソーンは懊悩の表情を浮かべて、俯いた。


「…そんな時は…すまない、ミカエル君。」

「予想通り過ぎる反応っスね…本当にアンタ、ブレないな…」


恐らく、うつつを抜かして自滅すると、ソーンとミカエルが想像する。

だからこそ、ミカエルはとにかく大きなため息をつくしかなかった。

アルラウネに男性型がいなくて、本当によかったと思う。


「…まあ、それより、今の後悔は一つだな。」


勇者ソーンはそう呟くと、跪いて足元に転がるものを手に取った。

骨と土塊の中に転がっていたのは、誰かの持ち物であっただろう、泥に汚れた指輪。

シンプルな銀色のそれの裏には、二人分の名前が刻んである。


「もう少し、早く来てやれればよかったのに、ということだ。」


見知らぬ誰かの持ち物を見る彼の目の奥には、いつもの好色なそれはなく、悲しみや悔しさが滲む。

顔も知らない、誰ともわからない何者かのために、そのように心を砕ける彼の様子に、ミカエルの眉も下がる。

青年は弔いの意を込めて、目を瞑ると、黒い鎧の胸に手を当てて、ぐっと俯く。

二人きりの黙祷は、暫しの時間続いた。



黙祷を終えて、勇者ソーンはミカエルを抱えて呪文を唱える。

すると、二人の身体は重力を無視してふわりと浮き上がり、ゆっくりと穴の外へと飛んでいく。

速度はないが、高い場所へ登るために利用できる、移動用の浮遊魔法であった。


「ソーンさんは魔法もちょっと使えるんスね。」

「まあな、一人旅が長いから、ある程度は全部自分でやらなければならないと思っていてな。

簡単な補助魔法や回復魔法程度なら学んで覚えた。

流石に専門職には劣るが。」


深い穴からあっさりと脱出して、彼らはようやく地上の世界へと生還する。

鬱蒼とした森の中は相変わらず暗いものの、視界を過度に覆い隠していた薄紫の霧はすっかり消えていた。

アルラウネが消滅した影響だろう。


「さて、ダマセナに帰ろう。

リヒト先生にしっかりとご報告して、たっぷりとご褒美を受け取らねばならないからな。」

「期待するご褒美はないと思いますが、そうっスね。

早く帰って、安心させてあげましょう。」


一度伸びをして、歩き出すソーン。

そんな彼の言葉に頷きミカエルも彼の後に続いて歩き出すと、森の外へと向かう。



森の入り口には、オルドの街の前で乗った、粗末な馬車が停めてあった。

トレードマークのような黒いランタンには、桃色の光ではなく青白い光が灯っている。


「あっ、おいリヒト先生、冒険者さんたちが戻ってきたぜ。」


御者を務めていた若い男が、馬車の中に声をかけると、馬車のドアが開く。

そして、痩せた長身の男がその中から顔を出した。

ダマセナの村を発ったときと同じく、感情の揺らぎが薄い、無表情だった。

しかし、彼の口から安堵のため息が漏れたのは、気のせいではないだろう。


「…ソーンくん、ミカエルくん。

…大きな怪我はないようだね。」

「うおおリヒト先生!

まずはおかえりなさいの熱い抱擁を…」

「ただいま戻りました、リヒト先生。

村はどうなりました?」


顔を出した男に対して、勢いよく詰め寄り、そのまま押し倒してどうにかしてしまいそうなソーンの襟首を、ミカエルが掴む。

興奮した犬のリードを引いて制すような可愛らしいものではなく、そのまま思い切り引っ張っると、地面に向かって容赦なく叩きつける。

ひっくり返ったソーンの方を一瞥することもなく、ミカエルはリヒトに軽く頭を下げて挨拶をした。

彼から投げかけられた問いを受け、リヒトは頷く。


「…その話も含めて、詳しいことは帰りの馬車の中で話そう。

…さあ、乗ってくれ。」


そう言い残すと、リヒトは馬車の中へ。

ミカエルは地面に転がったままのソーンを担ぎ、馬車に乗り込んだ。

それを確認した御者が、馬に綱を通じて出発を命じ、馬車はガラガラという車輪の音を立てて走り出す。



馬車の中で、ソーンとミカエルの首尾を聞いたリヒトは、薄い胸に息を吸い込んで、吐いて、安心の意を示す。


「…そうか、きみたちは巷で噂になっていた『勇者』の一行だったのか。

…なら、森に巣食っていた魔物は、もうここに再び現れることはないだろう。

…何もかもきみたちのおかげだ…本当にありがとう。」


無表情を貫いていたリヒトの口元が少しだけ緩んで、座ったままだが頭を深く下げる。

くしゃくしゃのハーフアップの頭に向けて、ミカエルは少し曇った笑顔を向けて、首を振った。


「いえ、オレは何もしてないんで。

やったのは全部、こっちのソーンさんっスよ。」


そう言って、ミカエルの目線はソーンへ。

ソーンはその視線をばちりと受け止めると、リヒトへと視線を戻す。


「聖剣を持つ者として、当然のことをしたまでです。

これで周辺の農村が救われるのなら。

…それよりも先生、大変なんです。」


何の気なしに言い放った後、ソーンは暫しの沈黙を挟んでまた口を開く。

突然の言葉に、リヒトは顔を上げる。

ミカエルは、この切り出しに少々嫌な予感を覚えてしまった。


「実は、俺の身体には未だに毒が残っているらしく、熱を持って腫れて辛いのです。

願わくば、こちら少し見て触って、今すぐに検査をしていただきたいのですが。

…何ならその乾いた薄い唇で直接毒を吸い出してくれても…」


そこまでソーンが言葉を発し、腰のベルトに手をかけたところで、彼の身体は馬車の外へ弾丸のように放り出される。

強い力で思い切り射出されたせいか、粗末な馬車の扉は吹き飛んでしまった。

自身の前から姿を消した勇者と、あからさまに不機嫌な様子を表した青年騎士。

対面する中年の医者は、一度青年騎士を見てから、ぶち破られた馬車の扉へ視線を。

ガラガラと音を立てる車輪の音は、二人の男を乗せて、ダマセナの村へ走っていくのであった。
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