記憶探しの旅に出ます

あかくりこ

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プロローグ

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 朝から数えて五回目の清めの水浴びを終え、シェリアルが椅子に座した。外見はサピエンスとほぼ変わらない。辛うじてミアキスパンテラ系によく見られる淡い翡翠色の虹彩が散る薄黄の瞳で、彼女もれっきとしたミアキスヒューマンだと分かる。
 ゆったりと上品な物腰で、膝を足首を揃えてしとやかに腰掛けるその姿からは、気品と躾の行き届いた育ちの良さを伺わせる。
 彼女は山間の宝石と謳われる渓谷の国アシルの王女。
 幼いころから付き従ってきた侍女シャオチェが、シェリアルの乳白色の柔肌に針葉樹から採れる極上の香油を塗って手入れを施し、艶やかな金褐色の髪を丁寧に結い上げていく。
「ねぇ、シャオチェ」
「はい、なんでしょうか」
「本当にダキア殿下がこのアシル神殿にいらしているのですよね」
 この気心の知れた友人であり良き従者シャオチェに対し、珍しく上擦った声音であることを侍女は聞き逃さなかった。言葉遣いこそ平素と変らないが、しきりと両手の指を揉みしだいている。かと思えば頬を撫でるように押さえ、唇を指先で撫でては、はぁともふうともつかないため息を吐く。普段ならすることのないしぐさに、シェリアル姫が待ち望んでいたこの日を迎えて、期待と不安と焦燥と高鳴りと他にもいろいろないまぜになった感情に胸躍らせているのが伝わってくる。
 シャオチェはこのシェリアルが大好きだった。ほっそりとしなやかな容姿、溶かした蜂蜜のようにきらめく金褐色の髪、乳白色の肌、たおやかで柔和な微笑み、優雅で気品ある立ち振る舞い、そのような儚げな見目からは想像できない気の強い胆力の持ち主であること、シェリアルの全てがシャオチェのひそかな自慢だった。
 そんなシェリアルはやわやわと頭を振っては深呼吸を繰り返して改めて確認をとるようにシャオチェに耳打ちする。
「とうとうダキア殿下にお会い出来るのですよね、私、喜びのあまり取り乱したりしないか心配だわ」
 逸る気持ちを抑えきれないのが明白だ。
 
ダキア殿下。砂漠の国グラディアテュールの第二王子で、シェリアルの婚約者。
 先先の寒季に、シェリアル、シャオチェが生まれる以前から多くのミアキスヒューマンを喰らい、雪の季節が訪れる度にアシルキンツェムグラディアテュールを恐怖のどん底に陥れてきた翼竜、白竜をついに討伐することに成功した英雄だ。
 白竜の飾り毛と共に送られてきた一報を受けた時アシルの城は一斉に沸いた。歓喜の雄たけびが、安堵の声が、感謝の号泣が沸き上がった。
 その光景を見たシェリアルの中に不思議な感情が芽生えた。
 それは思い返してみれば子供っぽい憧憬、憧れに近い情熱なのだけれど、その日からシェリアルは、ダキア殿下に相応しい、釣り合いの取れる存在になりたい。そう強く望んだ。
 それまであまり意識していなかった。実の父母、アルハラッド王とシュクル王妃が歓談の席で話題にあげたり、使節団との晩餐の席などで名前だけは耳にするけれど会った事のない、実在しているのかすら分からない霞か何かといった認識だった。
 翌朝、シェリアルは「父母としてではなく、王に対する臣下の一人として」騎馬と弓の扱いを学びたい。食事も、グラディアテュール兵站の粗食を用意してほしいと申し出た。
 アルハラッド陛下は非常に驚き、「王としてではなく一人の親として問う、シェリアルになにがあった」シャオチェに詰め寄り、シャオチェがシェリアルから本音を聞き出すと「だって、殿下が遠征に出向いていらっしゃる間、ずっと城で待っていろと言うの?そんなのお断りだわ」と返ってきた。
 これはもう梃子でも動きません、諦めてくださいと奏上する以外シャオチェになす術はなかった。



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