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第三話 真知子の宿

隠れ里

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 真知子は片田舎の山奥にある隠れ家的なペンション――その名も「隠れ里」を営んでいる。
 建物自体はそれなりに古いのだが、とても大切に使ってきた。そのおかげだろう、年月を経て更に趣深い建物となっている。
 当時には珍しいタイプの洋館で、今も一部の愛好家が訪れては熱心に愛でている。真知子はそれを嬉しく思っていた。

 雇いの従業員は数名で、家族経営のように小規模。だが、そのおかげで不景気にも負けずになんとかやっていけている。
 仕事は大変だが、好きでやっている事ばかり。
 同じ場所にいながら沢山の地方を旅するような、一期一会の出会いがここにある――真知子は毎日が楽しく、とても充実していた。


 このペンションはやや人里離れた場所にある。それゆえに景観に恵まれて、四季折々の美しい眺めがどの部屋からも楽しめるのも見所だ。
 宿泊部屋は女性らしい気配りで隅々まで整えられており、館内には細々とした日用品一式が取り揃えてある。家庭的で温かみのあるサービスが売りだった。たまに来る地元客にも定評だ。

 ほとんどの客は、天然記念物に指定されて久しい禹河の滝を目当てに訪れる。そんな観光客を温かく迎え入れ、美味しい空気と山の幸をふんだんに使った食事と露天風呂で寛いでいただく。多少の会話も田舎ならではの味わいと楽しんでもらう――それが最も多いパターンだった。



 そんなペンション「隠れ里」には常連様が一人いる。おそらく観光目的ではないのだろうに、遠方からフラッとやってきては数日連泊して去っていく。「隠れ里」唯一のVIP客――篠崎修二という名のちょっと風変わりな男だ。
 私たちからすれば彼は〝特別な客〟であるのだが、彼自身からなにか特別な注文をつけられたわけではない。それどころか懇意な間柄にもなれず、滅多なことでは話さないので未だに謎の多い人だ。

 それでもこうして年に何度も訪れてくれるのだから、多少なりともこの土地やこのペンションを気に入ってくれているのだろう。真知子はそこだけは自信を持っていた。
 彼はここへ来るとすぐ、勝手知ったる宿らしくチェックインからチェックアウトまで会話なしで通過する。当然のことながら宿泊者向けの儀礼的な説明も受けずに部屋に入っていくのだった。
 ときどき真知子が話しかけても何かに集中しているらしくて聞こえていないのか、無視されることも多い。とにかく無口で愛想のない男だが、なぜか真知子は憎めないでいる。
 それは常連客という特別な存在だということを除けば、やたらと多い独り言のせいかもしれなかった。





「今日もいないのか――」

 篠崎修二が窓から外を眺めながら呟いていた。夕飯を下げに来ていた真知子は、片付けながら話しかけてみる。返事が無いのは覚悟の上である。

「鳥かなにかをお探しなのですか?」
「……いいや、違う。きっと見えてないだけで……本当はいるんだ」

 珍しく会話が成り立った。
 それが真知子には嬉しくて、ながら作業を止めて彼に話しかける。すると彼は窓の方を向いたまま、こちらに背を向けて語り始めた――


「僕が悪かった。ずっと後悔しているんだ……それでも許せないと君は思うだろう。分かってる……でもお願いだ、最後に一度だけでいい。もう一度、顔を見せてくれ。話がしたい」

 篠崎氏は苦しげに呟いている――意味が分からない。

「…………?」
「お願いだ……まち子……いるんだろう?」







 真知子は篠崎氏の切なげな声に鳥肌が立つ思いだった。聞いてはいけないものを聞いてしまった……そして、篠崎氏に初めて名前を呼ばれた――女将ではなく名前で。
 長い付き合いなのだから、知られていても不思議ではない。だが、何かがおかしい――自分の名前でありながら自分ではない……そう思いながら真知子は作業半ばにも関わらず、そのまま静かに退席した。邪魔をしてはいけない雰囲気だと感じたからだ。

 思えば随分と昔から贔屓にしてもらっている。いつからなのか思い出せないくらいに昔のことだ……

(本当に、いつからだったかしら。宿帳を遡れば分かることだけれど……)

 真知子は今までそれを確かめようとしたことは無かった。だが、ここにきて急にその事が気にかかる。夜にでも確認してみよう――そう思った。
 先ほどの彼の言動は、まるで病人のようなそれだった。何らかの助けが必要なのかもしれない……真知子は彼の無口で無愛想な態度は心のやまいのせいではないかと疑った。



 厨房に戻ると従業員の二人が何やら深刻そうに話し込んでいた。長いこと住み込みで働いてもらっている、家族同様の二人――高坂しず江と下田和彦――しずちゃんと和くんだ。珍しく沈鬱そうな顔で座って休憩している。何か問題が起こったのだろうか。
 真知子は先ほどの篠崎氏の症状を相談してみようかと思い悩み、暫し入り口の手前で佇んだ。そのせいで二人の会話を盗み聞きしているような格好になってしまう。

「旦那もよく来るよなぁ……あれからもう何年だ? こう言っちゃなんだが、そろそろ忘れてもいい頃なんじゃねぇか?」
「そんな……それじゃあ真知子さんが浮かばれないやないの。篠崎さんとうちらくらいは、ずっと覚えててやんなきゃ……真知子さんが不憫すぎるわ」
「そうかぁ? おれぁ、いつまでも後悔して先に進まねぇ方が浮かばれないと思うけどなぁ……女将さんだって、そんくらい心得てんだろ。だからああして自分から幕下ろしたんじゃねぇのか?」
「そうだとしても。私は絶対に真知子さんのこと忘れんよ。この宿にいる限り。ずっと、ずっと……」
「まあ、忘れようったって無理な話だかんな。未だに掃除の時とかふとした時に話しかけられた気がしたりしてよ……つい返事しちまうんだ」
「私もや……真知子さんの〝しずちゃん〟って呼ぶ声が忘れられん。聞こえる気がするんよ。だから本当は、この宿に生きてるじゃないかって……隠れてるだけなんじゃないかって思ってしまうねん……」
「名前からして隠れ里だかんな……魂んなっても、ここに宿ってるのかもな。篠崎さんが懲りずに来んのもそのせいだろ」
「このまま一生、篠崎さんは通い続けるんやろか……」
「そのために手に入れたようなもんだろ。おれらまで雇い直してよ……例の件も進んでるって話だ」
「ほんまにこの宿が文化遺産になるんやね……真知子さんがいたら、なんて言うたやろか……」


 二人の会話を耳にしたことで、真知子の世界が脆く崩れる――まるで砂で作った城が、打ち寄せる波にさらわれるように流れて消え去っていった。





 *




 
「真知子……」

 篠崎修二は窓に映る自分を見ながら呟いた。こうしてガラスや鏡などを通した方が見えやすいと聞いたからだった。
 しかし何年たっても彼女が姿を現わすことはない。それでも通い続けているのは、ここに居ると真知子の香りとも言える痕跡を感じられるからだった。
 彼女は今もここに息衝いている――何よりも大事だと称したこの宿に。


「……修二さん、老けましたねぇ」

 どこからかそんな声が聞こえてきて、修二はぱっと振り向いた。
 そこには何年も何年も待ち続けた、記憶の中の彼女と寸分違わぬ姿の真知子が立っていた。

「真知子……君、やっと……」

 修二は言葉にならなかった。ずっと待ち望んでいた瞬間だというのに。

「誰だか分からなくて気づくのが随分と遅くなってしまったわ」
「そりゃ、君……だって、あれから十年以上も経つんだ。僕が老けるのは当然だろう……」
「それにしても老け方が尋常ではないような……毎日ちゃんと食べてますか? 今日だってこんなに残して……隠れ里の料理を残すなんて罰当たりな人ですよ、あなたは」
「そう……そうだな。だから出てきてくれなかったのか? 君は、僕を……やはり恨んでいるよな。こうしてこの場所に残っているのも、そのせいなんだろう?」
「どうでしょうか……自分でも、さっき気づいたばかりなので。もうそんなに時が経っているのですね――あの方は、弥生さんはお元気?」
「……ああ、元気だよ。とても、健気な人で……でも僕は――」
「なら幸せにしてあげないと。ちゃんと、彼女と向き合って……彼女を幸せにしてあげてください。だって結婚って、そういうものでしょう? あなたは私ではなく彼女を選んだのですから。きちんと責任を果たさないと……こんな所に来ている場合では無いはずだわ」
「それは違う! 違うんだ……僕と彼女は愛し合って結婚したわけじゃない。僕が愛してるのは君だけだった。今もそうだ……彼女も、それを承知で僕と結婚したんだ。僕はただ、君の大事にしているこの宿を守りたくて……それで彼女と取り引きしたに過ぎない。結婚式が終わったら、君に事情を話すつもりだった。そういう約束だったんだ……それなのに――どうして! ……どうして君は死んでしまったんだ? 僕を残して。どうして――」
「私にはそんな事情は関係なかったからじゃないかしら。言わなかったかもしれないけど、私はあなたと一緒にいられるなら、この宿を手放しても良かった。二人で、どこか別の場所で、別の仕事を始めても良かった。宿じゃなくてもいい。あなたとなら、何をしても幸せだと思ってた。乗り越えられると思ってた――だけど、あなたはそうじゃなかった。あなたは私の心よりも、この宿を守ることを選んだ。道を絶たれた私には、この宿しか残されていなかった。だから運命を共にしようとした……それで魂がこの家に住み着いたのではないかしら」
「そんな……そんなこと、一言も……――」
「あなただって弥生さんとの結婚のことを一言も仰ってくださらなかったわ。おあいこだわ……」
「だからって、何も死ぬことはないだろう……! じゃあ僕は、一体なんのために……どうすれば、良かったんだ……」
「自分で選んだ道ではないですか。私は後悔してませんよ。あなたは弥生さんと結婚した。それなら彼女と幸せになるべきなんです。私のことなんか忘れて――」
「そんなこと、できない……君を忘れるなんて……僕は――」
「なら、忘れないまま生きてください。最後まで自分の選んだ道をしっかり生き抜いて、ちゃんと終着点までたどり着いて……それでもまだ私のことが好きだったら、その時は一緒になりましょう? もちろん、今度は隠し事は無しで――ずっと一緒に」
「……待ってて、くれるのか? それまでずっと、君は待っていてくれるんだろうか」
「いくらでも待ちますよ。この十数年だって私にはほんの一瞬のようでした。あなたの人生が終わるまでの年月だって、きっとあっという間です」
「ずるいな……僕ばかりに苦しい思いをさせるなんて」
「あら。私があなたと彼女の結婚を知った時、ちっとも苦しまなかったとでも? 仮に事情を知っていたとしても、私の胸は張り裂けたでしょうけれど……その何十倍もの苦しみを、あなたは私に与えたのよ? 死ぬ方が楽だと思えるくらいの苦しみをね」
「……すまなかった。本当に、僕が……浅はかだった。君の思いの深さを甘くみていた……許してくれ」
「許しません――でも、もし弥生さんの気持ちを受け止めて、彼女を幸せにしてあげられたら、その時は許します」
「でも、僕が愛してるのは君だけだ……」
「それでもですよ。だってこれは罰なんだもの」
「君って人は残酷だな……」
「あなたには負けますよ、修二さん」

 そう言って微笑んで、真知子は姿をくらませた。
 同時に家中にあったはずの燻べるような甘いカラメルの匂いが無くなって……修二は涙が止まらなかった――


【完】
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