グラシアース物語

文月・F・アキオ

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Part 1. 青い瞳のあなた

三千年の恋は冷めやらぬ

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 短期間で成果を出すために、無理を承知でその道のプロに教えを乞うことにした。
 恥も外聞もかなぐり捨てて身内の伝手をフル活用し、上官の口利きで融通してもらった派遣先の専門部署。書くことに特化したその部署は、言葉のエキスパートの溜まり場だと聞いた。三日間限定で集中的に指導してもらうことになり、やる気があればそれなりの知識が効率よく身につくはずだという激励に希望を見出す。その説明を受けている真っ最中のことだった。

 幸か不幸かわからない偶然がまた起こり、思いがけない再会を果たす……奥底では喜んでいるにも関わらず、彼女の態度に死にたいほどの落胆を覚える。彼女にとって自分が〝害悪〟であることをまざまざと見せつけられて、どうしたら良いのか見当もつかない。動揺して青褪めるばかりのドミニクだった。

 目の前で苦悶に歪む彼女の顔を見て、泣きそうになるのを堪えるも震えてしまう。昨日よりもさらに嫌われてしまったような気がするのは気のせいだろうか。
 そんな自分に追い打ちをかけるように呟かれた囁き声。それをシッカリと耳が拾ってしまい、初めて己の聴覚の良さを恨むことになる。

(馬鹿だった……希望なんか、これっぽっちも無いではないか)

 説明を聞きながら、少しずつ彼女の香りが近づいていることに気付き、柄にもなく舞い上がっていたさっきまでの自分を殴りたい。忘れていたわけでは無かった。そのために自分はここに来たのだから。
 開口する間もなく〝不快だ〟〝消えろ〟と態度で示されて、凍り付いたように動けなかった。自分がどれだけ愚かだったかがわかる。無意識に浮かれていたのだろう。

(こんな役立たずの俺を、だれか殺してくれないか……)

 ドミニクは内心でそんなことを呟きながら、一刻も早くこの場を逃げ出してしまいたかった。



 *



 結論から言うと、ドミニクはその場を逃げ出さずに済んだ。

 話をしていた部長殿は訳知り顔で「なるほどなるほど……」「ほうほう、そんなことが……」などと呟いてばかりでろくに自分の話を聞いていなかった。
 しかし彼女も自分を追い出そうとはしなかった。

 ドミニクは彼女の温情に喜び、あやうく尻尾を出しそうになる。人化した姿でもこれだけ匂いが疎まれているのだ。獣化したらそれこそ最悪な結果が待っているに違いない。高ぶる気を落ち着けようと、ひたすら踏ん張る彼だった。

 ドミニクの代わりに彼女の方が別室に移ることになり……業務に差し支えるからと聞かされて落ち込むも、どうしても嬉しい気持ちの方が上回る。
 抑えようのない本能という衝動と、それに繋がった感情の波に囚われていた。
 まるで、穏やかならざる海の上にありながら、どこへ行くとも分からない船の舵すら放り投げるような……不安もあるが解放感もある。どこまででも、行ける所まで行きたいと願う心。

 彼女――エリカ殿にはひたすら申し訳ないと思いつつ、ドミニクは幸せだった。昨日よりも遥かに長く彼女を眺めることができて、その瞳に映してもらうことができて。輝きを間近に感じながら花のような香りに包まれ、息遣いを聞くことができるのだ。万福すぎる環境だった。

 扉一枚隔てた場所からでも、ドミニクは容易にエリカの生み出す物音を他の雑音と聞き分けることができた。
 すぐ近くに番にと望んでいる運命の人がいるという事実は、随分と己の心を浮き立たせるものなのだということを知る。



 *  *  *



 行ける所まで行きたいと願う心に従った結果の終着港が彼女のところだと嬉しい。そうではなかったとしても、もうどうしようもないのだと悟っている。なにしろ舵を無くした船なのだから。

 もしかしたら彼女はセイレーンのような、海そのものかもしれない。それなら誘われて転覆することも、至福かもしれない。



 それから程なくして――
 吹っ切れたドミニクは、不快顔の彼女にまとわりついて謝罪を重ねながら、知る限りの口説き文句を異国の言葉で何度も何度も繰り返し、三日間ひたすら好意を伝えて押しまくる。
 そんなふうに、最初の意気込みが方向転換した状況で文字の習得が上手くいくはずもなく。手紙はほとんど形にならなかった。

 熱烈なアピールも口説き言葉も懇願も……そのほとんどが正しく伝わっていなかったことを知ったのは、旅程が終わりを告げたのを機に彼女を連れ帰ることを諦めた翌日――
 仲間とともに帰路につこうとしていた彼の前に彼女が現れて、出港間際の倉庫前広場で堂々と、面と向かってドミニクを叱った時のことだった。


 あの時あの場所で、大勢の人の中から自分を見つけて叫んでくれたエリカのことを思うと、ドミニクはたまらない気持ちになる。

 結果的に彼女からプロポーズされ、〝この人〟と欲した人に選ばれたことになるわけで……彼にとって、それは死ぬまでずっと忘れられない、大きな節目となった。

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