5 / 17
Part 1. 青い瞳のあなた
ここで会ったが三百年目
しおりを挟む「…………」
あと少しで仕事場に着くというところで、はたと立ち止まる。エリカは昨日と同じ香りを感じ取り、困惑もあらわに眉間に皺を寄せていた。
仕事があるのだから行かなければならないことは分かっている。しかし、行けば昨日のような発作に襲われること請け合いで、前にも後ろにも進めない。
エリカは嗅覚に優れた種族だった。
毒物や腐敗物、人の気配を察知したりなど、便利な面も多いが鼻が利きすぎて戸惑ったり困ったりすることも多々ある自前の嗅覚が、この先に危険が待つと告げている。
信じられないことだが昨日の人が近くにいるか、同じものを食べた人物がいるのだろう。だが、もっと信じがたいのは、同族ばかりの職場だというのに他の人々が平気な顔でエリカを追い越して城内に入っていくということだ。
まるでエリカだけが、この魅惑的だが混乱を招く濃密ジューシーな匂いに気付いているようだった。どう考えてもおかしい。異常事態であること知る。
とはいえ成すすべもなく……仕方なくエリカは香水を軽く吹きかけたハンカチを鼻に当てて、なるべく口から息を吸うようにする。火事場で煙を避ける人のように腰を低くして歩くエリカ。
そんな彼女を見かけた同僚は、訝しんで声をかけたのだった。
「おはよう、エリカ。どうしたの? 体調でも悪いの?」
「……ノーマ。おはよう……ねぇ、あなたはこの異臭が何かわかる?」
「異臭?」
そう言ってノーマはくんくんと辺りを嗅ぎまわる。
「別に……いつも通りの匂いしかしないけど。なに? そんなに変な匂いがするの? 生臭系? それとも火薬系? 危険なやつなら上に報告したほうがいいんじゃない? あなたの鼻が一級品だってことは既に証明済みだし」
「危険、なのかしら……そうね、無害とはいえないわ。なんていうか、甘すぎて胸が煮詰まるみたいな。むず痒くて……下手すると窒息しそうな匂いなのよ。すっごく濃いと思うんだけど、全然感じない?」
ノーマは無言で頷いて肯定をする。
「私だけなのかしら……だとしたら報告はできないわね」
「胸焼けするくらいの甘い香りって、お菓子屋の店内みたいなやつ?」
「それよりもっとずっと濃いやつよ。花の蜜たっぷりかけた甘々のケーキを十倍にしたみたいな匂い。おまけに痺れ薬入りかもしれないわ。涙が出そうになるの」
「想像できないくらいゴージャスな花の匂いってことかしら。しかも花粉付きの。大変ね……でもそんなに美味しそうな匂いなら少し嗅いでみたい気もするけど」
「とんでもないわよ! こんなんじゃ仕事に集中できないし、日常生活もままならないわ……目が霞んで前がよく見えないし、手も震えてくるんだもの。字が震えちゃう……」
「そうねぇ、それは困るわね。どこから来てるのか突きとめられると良いけど、原因がわかっても取り除くのは難しいかもしれないし……とにかく場所を変えるほうが先決かしら。ここから離れた空き部屋を借りるとか……とにかく、早く行って朝礼前に相談してみましょ?」
エリカはノーマの提案に頷く。
しかし、芳香はどんどん強くなり、だんだん話すために口を開くことも苦痛になっていく。
もしかしなくても発生源は自分の仕事場なのではないかと察しがついた時には本当に震えが止まらなくなっていた。
「おはよう、二人とも。どうかしたのかい?」
入口付近で立ち止まったまましばらく動かない二人を見つけ、上司が声をかける。
どうやら話すこともままならなくなったエリカ。代わりに説明することにしたノーマだった。
「おはようございますー。聞いてください部長、エリカが大変なんですよ。この辺りから強力な異臭がするそうで……業務に差し支えるほど酷いみたいなんです。かなり苦しいみたいですし、なんとかならないでしょうか。今日はほかの棟で作業させてもらうとか――あら? そちらの方はどなたですか?」
ノーマの声を最後まで聞き終えて、珍しく来客のあることを知るエリカ。俯いたままでは失礼だと思い、ゆっくりと顔をあげていく。
しかし開いた扉の前からほとんど動けず、自分の座席にもたどり着けない。これ以上は一歩も前に進めない……まるで昨日、外で蹲ってしまった時のように苦しかったが、今日はなんとか立ったままでいられる。ほんの少し慣れたからかもしれなかった。
エリカはノーマの先にいる部長を見る。隣には予想した通り……昨日の〝発生源〟と同一人物と思しき人が、真っ青な顔で立ちすくんでいる。見るからに苦しそうな表情を眺めながら、エリカは場違いにも「青い顔って本当にあるんだわ」と心の中で呟いた。
どうやら彼もエリカと同じくらい、困惑して震えているようだった。昨日は気づかなかったが、彼にとっては自分こそが異臭の発生源なのかもしれない。
それはつまり、とんでもなく相性の悪い種族ということを示していた。
太古の森で天敵同士だった場合など、遺伝子レベルで反発し合う種族というのがあるらしい。
普通に暮らしていたら、まず有り得ない巡り合わせの元に生まれた同士が出会うなど……まさに奇跡と言えるだろう。
「最悪だわ……」
望んでもいない波乱の予感に、エリカは思わず口の中で呟いていた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
ドラゴン王の妃~異世界に王妃として召喚されてしまいました~
夢呼
ファンタジー
異世界へ「王妃」として召喚されてしまった一般OLのさくら。
自分の過去はすべて奪われ、この異世界で王妃として生きることを余儀なくされてしまったが、肝心な国王陛下はまさかの長期不在?!
「私の旦那様って一体どんな人なの??いつ会えるの??」
いつまで経っても帰ってくることのない陛下を待ちながらも、何もすることがなく、一人宮殿内をフラフラして過ごす日々。
ある日、敷地内にひっそりと住んでいるドラゴンと出会う・・・。
怖がりで泣き虫なくせに妙に気の強いヒロインの物語です。
この作品は他サイトにも掲載したものをアルファポリス用に修正を加えたものです。
ご都合主義のゆるい世界観です。そこは何卒×2、大目に見てやってくださいませ。
転生したらチートすぎて逆に怖い
至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん
愛されることを望んでいた…
神様のミスで刺されて転生!
運命の番と出会って…?
貰った能力は努力次第でスーパーチート!
番と幸せになるために無双します!
溺愛する家族もだいすき!
恋愛です!
無事1章完結しました!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【本編完結】番って便利な言葉ね
朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。
召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。
しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・
本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。
ぜひ読んで下さい。
「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます
短編から長編へ変更しました。
62話で完結しました。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
私が一番嫌いな言葉。それは、番です!
水無月あん
恋愛
獣人と人が住む国で、ララベルが一番嫌う言葉、それは番。というのも、大好きな親戚のミナリア姉様が結婚相手の王子に、「番が現れた」という理由で結婚をとりやめられたから。それからというのも、番という言葉が一番嫌いになったララベル。そんなララベルを大切に囲い込むのが幼馴染のルーファス。ルーファスは竜の獣人だけれど、番は現れるのか……?
色々鈍いヒロインと、溺愛する幼馴染のお話です。
猛暑でへろへろのため、とにかく、気分転換したくて書きました。とはいえ、涼しさが得られるお話ではありません💦 暑さがおさまるころに終わる予定のお話です。(すみません、予定がのびてます)
いつもながらご都合主義で、ゆるい設定です。お気軽に読んでくださったら幸いです。
王命で泣く泣く番と決められ、婚姻後すぐに捨てられました。
ゆうぎり
恋愛
獣人の女の子は夢に見るのです。
自分を見つけ探し出してくれる番が現れるのを。
獣人王国の27歳の王太子が番探しを諦めました。
15歳の私は、まだ番に見つけてもらえる段階ではありませんでした。
しかし、王命で輿入れが決まりました。
泣く泣く運命の番を諦めたのです。
それなのに、それなのに……あんまりです。
※ゆるゆる設定です。
自然神の加護の力でのんびり異世界生活
八百十三
ファンタジー
炎神インゲ、水神シューラ、自然神カーンの三柱の神が見守り、人々と魔物に加護を与えて発展させている異世界・ルピアクロワ。
その世界に、地球で命を落としたごく普通の中学生・高村英助の魂が流れ着く。
自然神カーンの手によってヴァンド市の羊飼い、ダヴィド家に一人息子のエリクとして転生した英助は、特筆すべき能力も見出されることもなく、至極平穏な日々を過ごすはずだった。
しかし12歳のある日、ダヴィド家の家政婦である獣人族の少女・アグネスカと共に、ヴァンド市近郊の森に薪を拾いに行った時に、彼の人生は激変。
転生する時にカーンから授けられた加護の力で「使徒」の資格を有していたエリクは、次々と使徒としてのたぐいまれな能力を発揮するようになっていく。
動物や魔物と語らい、世界を俯瞰し、神の力を行使し。
そうしてラコルデール王国所属の使徒として定められたエリクと、彼に付き従う巫女となったアグネスカは、神も神獣も巻き込んで、壮大で平穏な日常を過ごしていくことになるのだった。
●コンテスト・小説大賞選考結果記録
第1回ノベルアップ+小説大賞一次選考通過
HJ小説大賞2020後期一次選考通過
第10回ネット小説大賞一次選考通過
※一部ボーイズラブ要素のある話があります。
※2020/6/9 あらすじを更新しました。
※表紙画像はあさぎ かな様にいただきました。ありがとうございます。
※カクヨム様、小説家になろう様、ノベルアップ+様、エブリスタ様、ノベルピア様にも並行して投稿しています。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886818732
https://ncode.syosetu.com/n1574ex/
https://novelup.plus/story/382393336
https://estar.jp/novels/25627726
https://novelpia.jp/novel/179
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる