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Part 1. 青い瞳のあなた

強すぎる匂いは息苦しい

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 拾いあげたナプキンを片手で持ち、軽くはたいて汚れを払う。すると、どこからか微かに芳しい香りがあがっていることに気付く。

「?」

 エリカは不思議に思って周囲を見渡すも、花壇に植えられた花ではないことは明らかで、それらしい樹木も見当たらない。訝しげに首を傾げて思案する。しばらくすると、嗅いだこともない芳香がどんどん強くなっているようで――

(なにかしら……なんだか落ち着かないわ。嫌な予感みたいな……)

 決して毒ではないと思う。それなのに胸が締め上げられるような感覚に不安が募る。キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡した。
 薬品などの人工的なものとも違う。それでも警戒した方が良いかもしれない。でも一体なにに? 発生源はどこ? それにしても凄まじい匂いである。ひとまずは職場に――建物の中に戻った方が良いかもしれない。
 だが、エリカの身に纏わりつくような甘い匂いは痺れを起こさせるようになり、だんだんと思考するのも億劫になる。全身に震えが走り、どんどん身動きできなくなるのだった。

(胸が苦しい。息が詰まりそう……)

 エリカは気付かないうちに地面に膝をついて屈み、胸をぎゅっと押さえていた。

「君、大丈夫か?!」

 誰かが焦ったような声を掛ける。それはあまりにも近い……本当に〝目と鼻の先〟から発せられた声。そのことに、エリカは内心で衝撃を受けていた。
 普段の彼女は誰かが近づいてくるのを視認する前に察知できるのに、先ほどから漂う異様な香りのせいでスッカリ判断能力が失われていた。
 甘いだけでなくスパイスも効いているような、体が痺れるようなきつい香り――しかし傍に立つ人物は鈍いのか、この充満する匂いを感じないらしい。なんともない様子で立って話しかけてくる。それともエリカの鼻がおかしくなったのだろうか。

 苦しいのか、なにかの病気なのか、と必死に問いかけてくる相手を見上げ、霞む視界に映す。これまで一度も見かけたことの無い、知らない男が焦った顔でエリカを窺っていた。
 その者は城内だけでなく街でもあまり見かけない服装をしており、話し方もたどたどしい。異国の人かもしれず、そんな人物が王城の敷地内にいるなんて怪しい。どう考えても、明らかに不審者だった。
 しかし、その不審者は本気でエリカの身を案じているようである。不安に揺れる瞳は海のように青い。ぼんやりと見つめながらそんなことを思う。
 触れるか触れまいかの距離で、エリカを気にかけている様子な彼に警戒心が緩んでいく。人を呼ぶか、医務室に運ぶかと尋ねるので、エリカはどうにか「必要ない」と示すために首を振って否定した。

 とにかく中に戻ろう――そう言うと立ち上がるために手が差し伸べられる。厚意に甘えようとして、エリカは驚くべきことに気がついた。
 あまりに濃すぎる香りに混乱して判断が遅れたが、諸悪の根源である濃密な匂いの元は、まさにその男であった。

「うっ……さわら、ないで……」

 エリカは両手で口と鼻を覆って塞ぎ、呻くように告げた。
 続けた言葉は全て本心ではあるが、ちょっとばかり配慮が足りなかったかもしれない。
 しかし、そんなことに気づく余裕があるはずもなく……そのせいで絶望に打ちひしがれる男の顔を見ることもなく、蹲ったまま必死に甘すぎる匂いと格闘していた。

 そんなエリカの〝離れて欲しい〟という申し出に従ってくれたのだろう。気づいた時には男は居なくなっていた。だんだん薄れて消える匂いとともに、エリカの思考力も回復していく。
 だが、強烈な香源の副作用はそれだけでは終わらなかった。あれほど苦しめられた濃密な香りがやっと抜けたというのに、なぜか言い知れぬほどの寂しさが込み上げる。
 再び落ち着かない気持ちになって、なにか大切なものを忘れているような錯覚まで起こる。謎の不安や焦燥感がくっきりと残るのだった。

「……なんだったのかしら。まさか新手の刺客? 匂いテロ? それとも海の向こうの国にあるっていう世界一強烈な匂いの果物でも食べたのかしら」

 ソワソワする気持ちを持て余しながら、そんなことを呟いて気持ちを紛らわす。
 ようやく立ち上がったエリカは、一拍遅れて休憩時間を取りすぎていることに気づき、慌ててもと来た道をたどって仕事に戻るのだった。

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