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第2章 二人の誤算

忍び寄る気配 ii(William)

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 次々と配膳される食事に狙いを定めつつ、麦酒を飲んで口を潤したギルバートが話し出す。
 知ってるか、近ごろ巷では尾行が流行っているらしい――面白いだろ?と笑いながら。
 そんなわけ無いだろうとウィリアムが呆れたように言い返せば、自分も流行りに乗ったのか最近しょっちゅう何者かに尾行されている――明らかに〝目的を持って詮索している誰か〟に事あるごとに動向を見張られているのだと。
 もしかしたら命を狙われている可能性も――そんなことをギルバートはあっけらかんとして言い放つ。


「どういうことだ? なにか心当たりでもあるのか?」
「だから、そういう可能性もあるかもしれねぇなって話。ただの究極論だ。まだ確定じゃねーよ」
「それにしたって放っておけない話だろう。本当に尾行は事実なのか?」
「そこは間違いねぇって。ネコの嗅覚がそう言ってる。こそこそ嗅ぎ回ってるヤツの匂いを辿って行動ルート確かめたこともある。本人には上手いこと逃げられたけどな」
「……お前を殺すことで何か得をする人物が?」
「わっかんねー。得するどころか、踏み倒されて損するヤツしか思い浮かばねぇわ」
「そうだな。お前の背後にいる後見人である人物を知れば、普通は迂闊に手を出せないはずだが……」
「今んとこ、つけ回してるだけで直接は何もしてこねぇ。拾い集めてんのも世間話でする程度の身辺情報ばっかだし」
「情報か……ギルバート、お前なにか面倒な事件に関わってるんじゃないだろうな」
「あるわけねーよ。こちとらお前と同じ、駆け出しとはいえ堅気だぜ?」
「とてもそうは見えないが。この際それは置いておく……とすると、妥当なところで民間の素行調査か? お前なら女性絡みの恨みをいくらでも買ってそうだしな。浮気調査というのなら十分あり得るか」
「ひでーな。まぁ俺も少しはその可能性を考えたけど。でもなぁ~……お、美味いなこれ」

 話しながらも肉の塊を頬張る彼からは、緊張感というものが微塵も感じられない。

「……違うのか?」
「んにゃ、つまり……俺が言いたいのはだな。なんでかソイツは俺だけじゃなくお前のことも嗅ぎ回ってるっつーことだよ」
「私を?」
「お前の従者ペット達ならもうとっくに気付いてんじゃねーの?」
「そんな報告は……」

 受けてないからといって無いとは限らない――最近はセリーナのことばかり気にかけるよう頼んでいた。

「俺よりお前の方が拾える情報の種類も多そうだからな。貴族様は守るべき立場や世間体もおありでしょうし? 暴かれたら困る秘密の一つや二つ……とまぁそんなワケで、一応教えといてやろうかなーと気を利かせてやったわけよ」
「…………」
「俺ってば親切すぎじゃね? やっぱメシ奢れよウィリアム」
「…………」

 俯いて考え込み始めたウィリアムに、ギルバートの催促する声は届かなかった。





 真面目な用件とはあれ一つだけらしく、その後の話は当たり障りの無い仕事の内容と、新しい職場の人間関係が主だった。お互い同じような状況で、特筆すべき事がないと判れば自然と話題は私的なものになる。不本意ながらウィリアムは、幼馴染である恋人セリーナとの進展状況について白状させられた。 
 例えそれがギルバートのような男であったとしても〝おめでとう〟と他人に言祝がれることは、存外嬉しいものだった。それにしても――

 ギルバートの言っていたことは本当だろうか……

 彼の嗅覚を疑っている訳ではないが、私生活では誰かの恨みや妬みを買った覚えはほとんど無い――そもそも他人と深く関わってこなかったので、属する居場所もなければ敵対する相手もない。暴かれては困る秘密云々をまだ持った覚えがないウィリアムなのである。
 官吏としての自分も同様で、基盤を築いている最中――まだ何の功績もあげていない。そんな未熟な自分が仕事上で知り得た情報元の誰かに狙われたり、付け回されたりする理由が全く思い浮かばない。かと言って他に心当たりもないので、ついつい考え込んでしまう。

 何か――身辺での異変や原因解明の進捗など、気になることがまた起きれば互いに連絡する約束をして、ギルバートとはその場で別れたウィリアム。
 例によって夜の繁華街の奥へと消えていくギルバートの背中を眺めながら、果たしてこの背中を追い回す理由とは一体何なのだろうかと首を傾げるばかりだった。




 ウィリアムが官舎に戻って自室に入ると、セリーナからの手紙が届いたのだろう、窓枠で一羽の速便鳥ポストバードが羽を休めていた。労いながら手紙を取り出すと、任務から解放されたポストバードは褒美も受け取らずにさっさと飛び去っていく。よほど待ちくたびれたのか鳥舎に帰りたかったらしい。
 気にせずセリーナからの手紙を読み進めるウィリアム。
 不穏な話を聞いたばかりだからだろう、セリーナ婚約者の変わらぬ日常を知っていつも以上に安堵して胸をなでおろす。こちらの身を案じる柔らかな文面に心が温まるのと同時に、せっかくの休日に会えなかった悔しさと恋しさが募った。
 それでも同じ王都内に生活していれば、その気になればすぐにでも会いに行くことができる。今の状況は、普段とは比べものにならないくらいの安心感をもたらしていた。



 離れていても、近くにいても、考えるのはセリーナのことばかり。

 仮に自分も誰かに付け回され、何かを嗅ぎ回られているとして、彼女セリーナに被害が及ばないかどうかが気になるウィリアム。
 つい先日も彼女の住まう屋敷に赴いたばかりである。尾行がいつ頃から始まっているのか分からないが、彼女と自分の関係性を知られてしまうのに時間はかからないだろう……すでに社交界で噂にのぼった事のある二人である。準備が整って婚約の発表が済めば、人々の中で暫定的だった二人の関係が周知の事実となる。

 それはつまり、ウィリアムの弱みがセリーナであると他者に知られる事と同義だった。

 自分と彼女セリーナが好一対で捉えられるようになる前に、己の身に危機が迫っているのか否か、どうにかして白黒はっきりさせたい とウィリアムは考えた。
 大事な婚約者と連れ添う際には、誰だって身綺麗にしておきたいと思うものである――それが例え身に覚えのない不確定な不安要素だったとしても、少しでも可能性があるのなら対処しておきたい。
 万が一それが何らかの悪意の芽だったとしたら、芽吹く前――更に言うなら根を張る前に駆除してしまいたい。



 その力が今の自分に備わっているのかどうか、俄事ゆえに若干の不安を覚えつつ……まずは事の次第を確かめるために動き出したウィリアムだった。





 夜もだいぶ更けた頃、人知れず官舎の裏庭で、秘密裏にそれは行われる――

 建物からは影になっていて見えにくい場所にある物置小屋の周辺に、ぽつぽつと小さな影が集まって、不気味で異様な密集地ヘルホールと化していた。
 滅多なことでは人目につかないという理由から集められた者は皆、小さくて動きまわりやすい生態の者ばかり――およそ害虫と呼ばれる空を飛ぶ者から、忌避されがちな地下に生きる小型の暗躍者まで、様々な姿をした〝小さき能力ちからある者〟たちは、共通の伝令を携えて、やがて暗闇の中へと散り散りになって消えていく。
 彼らの行く先には敷地内に入り込めない中型から大型の生き物が、それぞれの居場所で何かを感じ取り、じっと待機していたのだった。

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