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第2章 二人の誤算

忍び寄る気配 i(William)

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 ウィリアムは上機嫌で街を歩いていた。

 ここのところ計画がとんとん拍子に進んだために憂いが晴れ、世界すべてに感謝したい気分なのだ。その機嫌の良さが伝染したかのように、少し離れた場所から彼を取り囲んで見守る動物鳥や犬や猫たちの機嫌もまた上々だった。


 今から向かうのは老舗の宝飾店――昔から実家が贔屓にしている店だった。せっかくの休日、セリーナに会いに行きたいのは山々だが、その前に婚約の証を用意するのが最優先。
 先日はあまりの嬉しさに浮かれており、少しでも早く伝えようと花束の一つすら用意せずに彼女を出迎えて、婚約の事実のみを伝えてしまった……
 本当なら報告するよりも先に証を用意して、正式に求婚プロポーズする手順を踏むべきだったと後になって気付いたのである。そうして名誉挽回するつもりで行動したのが今日だった。


 セリーナに求婚するのは二度目である――しかし一度目は説得に近い宣言のみで、目標を達成するために素早く行動に移ったものの、物的なものはなにも残さなかった。それに対して今回はより現実的な未来ものとなって、すぐ手が届く場所にまで来ている。
 これが本来の〝求婚プロポーズすべき正しい時期タイミング〟だろう。それゆえに、今度こそ完璧なものにしたいと考えていた。





 三階建てのその建物は、教会に似せた建築様式の入り口からして天井が高い造りとなっていた。建物の全長は一般的な五階建てくらいの高さがあるだろう。
 入ってすぐに目に付くのはフロント中央にあるクリスタルガラスの結晶を模した縦長のシャンデリアで、それを取り囲むように――楕円型の陣形を彷彿とさせる形で、透明な筒型の陳列棚が並んでいた。その中には大小様々な色や形の宝石類が、多種多様なデザインに加工された装身具が、上品に飾られている。
 一見すると脆そうな透明の筒棚ケースだが、実際には厳重な保護術が施されており、巨大な岩を投げ付けられても壊れない――割れ目すらも入らない強度を誇っている。全ての商品は見えない頑強檻セキュリティーに守られていた。これは王都に来てから初めて知った技術の一つで、ウィリアムはこれ以外にも領地では見かけない種類の発達した技術スキルを何度か目の当たりにしていた。
 さすがは王都中枢の栄える町。王宮技官による一般向けの商品が最初に出回る場所である。そしてこの土地に、古くから店を構えているだけのことがある――様々な信用やら繋がりやらがあればこそ成せることなのだろう。


 ウィリアムが入店すると店員の一人がスッと奥に消え、すぐに店主オーナーを伴って現れる。王都に暮らし始めてからというもの、母親の遣いで来店オーダーすることが以前よりも格段に増えて、すでに顔馴染みとなっていた。
 そうでなくても相手は接客のプロらしく。得意先はもちろん、目ぼしい貴族の顔と名前くらいは一通り把握しているのが常識な世界のようだった。

「いらっしゃいませ、スタンレー様。本日はどのような御用件でしょうか」

 壮年の男が柔和な笑みで話し掛けてくる。

「今日は個人的な買い物なのだが……奥で相談しても?」
「勿論ですとも。さあ、どうぞこちらへ」



 ウィリアムは案内された応接間のソファーに腰掛けると、さっそく用件を端的に店主オーナーに告げる。物の種類と大きさや雰囲気などを注文リクエストして、近ごろの流行りと合わせて現物サンプルをいくつか見繕ってもらうと、談話と質問を交えつつ、ゆっくりと品を吟味した。

「うん、やはりこれが一番良い気がするな。もう少し幅を狭くしたいのだが、そうすると細部ディテールが潰れてしまうか? できればここの模様は生かしたい」
「ご安心ください、可能でございます。こちらと同じサイズの貴石でしたら、最大でこの程度は細くできるかと」
いね。それくらいの方が彼女に合う気がする」
「ご婚約者様は繊細な方でいらっしゃるのでしょうか。優美で可憐な印象デザインになりますな」
「そうだな。見た目はそんな感じだよ。でも芯の強い人だから、石はもう少し色味が濃くて輝きの強いものが良いかな……できればあおみどり系で、何か良い意味イメージのある石が良いのだが」
「それでしたら黄玉トパーズなどいかがでしょうか。十一月の誕生石として有名なのは黄色のトパーズですが、本来トパーズには様々なお色がございまして、黄色の他にも青や紫や緑があり、稀に赤に近い色味のものもございます。中でもブルーの範囲は幅広く、透明に近い澄んだ青から深海のように複雑な濃い青まで……こちらにあります見本図チャートのように、様々な色味がございます。石言葉には〝知性〟〝希望〟〝誠実〟〝潔白〟などがございまして、意志の強い方には相応しいかと」
「へぇ……これなんか綺麗な紺碧ブルーだな。それに紫や緑もあるのか。石言葉も良いね、彼女にピッタリだ。それに彼女、十一月生まれなんだよ」
「なんと。それでしたら、まさにお勧めの逸品ですな。己の誕生石は自身を守るとも強めるとも言いますし、古くからの言い伝えでは、隠れた才能を開花する助けとなるとか」
「守護石か。私も持っているよ……良いかもしれないな。この石を使って、まずはさっきの二つから作ってもらいたい。石の現物はあるのか?」
「お持ち致します。少々お待ちくださいませ」


 それから小一時間ばかり石の色味や加工と飾りデザインについて話し合ったあと、最初の二つの装身具――婚約指輪エンゲージリング首飾りペンダントの注文を終えたウィリアムは、それらの完成を待つ数日から数週間の間にするべき事の数々について考えながら、再び街を歩いていた。



 やがて街はずれにある林の奥までやって来ると、怪鳥アベルたちを呼び出し、改まって近況を報告する。近いうちにアベルかアデレにセリーナを乗せて、彼女を安心させるという約束を果たすつもりだった。その事前確認である。
 思った通り、アベルは嫌がる素振りを全く見せず、アデレもそれほど気にしていないようだった。ついに彼女との結婚が正式に決まった――動物たちで言うところのつがいになるという報告が効いたのかもしれなかった。





    *





 ウィリアムが官舎に戻ると、珍しいことに来客があると知らされた。正式に官位を拝命して所属部署に就き、研修生の寮を出て以降は一度も会うことの無かった同期の一人――ほんの短い期間だが同室で過ごしたために多少なりとも親しくなった者の一人で、同じ異能保持者でもあるギルバートという男だった。
 同期のほとんどがそうであるように、一応彼も年長者であるのだが、とても敬う気の起こらない不真面目なところがあり、そのぶん彼とは気安い関係となっていた。
 その彼が前触れなくやって来た。もともと〝先触れ〟の意味すら敢えて理解してなさそうな人物なので、その点についての驚きはない。ただ、用も無いのにわざわざ会うような仲でもなかったので、少しだけ彼の事情が気になった。新しい職場でなにか問題でも起こしたのだろうか……

 一階にある共有広間スペースに赴くと、久々に会っても以前と変わらぬ調子で語り合うこととなり、内心でほっとするウィリアムだった。


「よぉ、久しぶり」
「どうした。私に何か用事か?」
「用事があるから来たんじゃねーか」
「ようやく貸した物を返しに来たのか」
「え? いやいや、あれはギブアンドテイクだろ? 俺だってお前に貸し作ったことあんじゃん!」
「明らかに私の〝貸し〟の方が多いと思うが」
「まぁ、それは追い追いにだな……ってそうじゃねーよ。今日は本気マジで真面目な話があってだな!」
「分かったから。声が大きい、まわりに迷惑だ。外に出ないか? 私はこれから夕食をとるのだが」
「え、なに。奢ってくれんの?」
「そんなわけないだろう。用件次第ではお前が奢れ」
「ああ……さいですか。相変わらずシビアですねぇ旦那は」
「……意味が分からない」



 ウィリアムはギルバートに合わせた簡素な服に着替えて出ると、彼がよく行くという商工業者などの労働者で賑わう大衆食堂へと向かった。

 およそ貴族の子弟が訪れることの無い、水準レベルの低い区域エリアと呼ばれる場所での外食でも、質の良いところは一流シェフの料理に勝るとも劣らない味を安価で提供してくれることを、ウィリアムは身をもって知っていた。
 それは主に研修時代のギルバートに無理やり付き合わされたおかげだが、今では良い経験をしたと思っている。


 こういった食堂の中は非常に騒がしいのだが、だからこそ隠れて聞き耳を立てることも難しく、意外と密談にも向いている。
 陰気でいかにも怪しげな店の片隅でヒソヒソとやり取りをするよりも、明るく賑やかな店で堂々と笑顔で楽しげに呑みながら語っている方が、ずっと怪しまれないというわけだ。

 ギルバートの言うところの〝真面目な話〟がそのような配慮が必要な内容とは思わないが、万が一そうだった場合でも困らない程度の場所だということである。



「なぁ……お前、知ってたか?」

 メニューを見ながら、肉、肉、肉……と呟いていたギルバートが、急に真面目な顔になって話し出す。

 無言で先を促すと、ウィリアムにとって思いがけない事実を彼は告げたのだった――


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