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第1章 二人の婚約

お茶会と密談 i(Selina)

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 先日の王宮舞踏会からだいぶ日が経ち、私は知りあった方々の伝であちこちのサロンに招待していただいては交流を深め、顔と名前を覚えていただくための行動を繰り返していた。
 なかでも歳の近い、最初に知り合ったウィンストン伯爵令嬢――ロザンナとは、身分は違えど意気投合し、こうして頻繁に二人きりでお茶会を開いていた。

 ロザンナは、はっきりした物言いの気持ちの良い女性で、とても現実的な考えに則って未来の夫候補を探していて、驚くほどに情報通だった。
 なんでも、王宮にも侍女や下働きのメイドを忍ばせていて、ちくいち噂やなんかの内容と出処を報告させているのだとか……もちろん貴族においてはこのような方法での情報収集は基本的なことかもしれないが、伯爵令嬢自らが間諜を送り込むような事をしているという、その行動力には素直に感心する。
 受け身でいる事の多い自分を自覚しているので、もっと彼女のように積極的に行動を起こしたいなと思うのだ。

 そんな私の積極的な情報収集というのが、今のところ情報通な彼女とお茶会に興じる事が一番なので……甘いものに目が無い彼女への貢ぎ物として、趣味と実益を兼ねた菓子作りを披露しているのだった。
 新作のベリーズマカロンを幸せそうに頬張りながら、彼女が噂の内容を教えてくれる。


「案の定な噂になっていてよ」
「まぁ、そうなの? やっぱりダンスのマナーが悪かったことで顰蹙ひんしゅくを買ったのかしら……ウィルの仕事に悪影響を及ぼしていないと良いのだけど。ロザンナ、どう思う?」
「違うわよ。その〝あなたの大事なウィル〟との仲が、噂になっているのよ」
「……と、言うと?」


 伯爵家の次男とはいえ、将来有望な若手として密かな人気を集めていたウィリアムが、ぽっと出の子爵令嬢なんかに誑かされて許せない――とまぁ、端的に言うとこういう内容ことだった。


「そう。ウィルは凄いのね……もうそんなに人脈を作って」
「人脈っていうか、女の派閥? 利権争い? 程々な身分の貴族とか、婿養子を探してる高貴な令嬢とか、豪商出の使用人なんかから良いまとにされているのは確かね」
「それだってウィルの人柄や仕事が評価されているからだわ。まだ王都に出てきて一年に満たないくらいなのに……やっぱりウィルは凄いわ」
「まぁ、社交界入りしたのは何年も前なんだから……その頃から狙われていた可能性も無きにしも非ずだけどね」
「それなら、ぽっと出の女に腹が立つのも当然よね」
「呑気ねぇ……自分の恋人が狙われているっていうのに、そんなに悠長にしてて良いの?」
「だって、ウィルが素敵なことは変えられないし……私がウィルを好きなことも変わらないんだから、やるべきことは今までと同じだわ。それに恋敵との勝負が少し加わっただけだもの」
「のんびり屋なくせにしたたかで、ところ構わず惚気てみせる貴女にはきっと誰も敵わないわね」
「ふふっ。ありがとう、ロザンナ。そうなるように頑張るわ」



 ロザンナにはああ言ったけれど、実際に恋敵と対面することになるのは随分と先の話だろう。いくつかの夜会パーティーに招待されたのだが、ウィリアムの都合に合わせて断ってしまった。独身の貴族であれば、別にパートナーが居なくても大丈夫なのだが……その場合、向こう会場で女主人から未婚の男性を紹介されることが多い。一夜のパートナーとして――だが実際にはお見合いのようなものだった。

 ウィリアムと一緒でなければ夜会には行かない……そう言った私に、父も母も何も言わなかった。ウィリアムと恋人関係にある事は、すでに黙認されている。
 未だに正式な沙汰は無いけれど、半分くらいは認められているのではないだろうか――彼と結婚することについて。

 カタコトと馬車に揺られながらの帰路で、そんなことを考えた。
 王宮の舞踏会で会って以来、彼とは手紙のやり取りだけだ。そうは言っても毎日のようにやり取りしているので、彼の方の事情は把握している。
 会いに来て欲しいとは思うけど、仕事を犠牲にして欲しいわけじゃない。こちらから会いに行きたいと思っても、伯爵家の別邸に滞在しているのはウィリアムのお父様やお母様とエドワードのみで、肝心のウィルは王宮の敷地内にある官舎に住んでいる。子爵の娘でしかない自分が簡単に行ける場所では無かった――





 屋敷の前に到着すると、見慣れない馬車が停まっていた。よく見ると王宮の紋章が付いていて、王宮からの使者か誰かが訪ねて来たのだろうと推測する。

「お父様の仕事の関係かしら……」

 社交シーズンと呼ばれる季節――晩秋から春の間は普段は領地に居る者も王都に集い、昼に公務、夜に交遊を行うのが貴族の通例だ。父も例に漏れず昼間は王宮に出掛けているか、書斎で仕事をしていることが多い。
 たまの休日には母を連れ立って、やや遠方にある知人宅を訪ねたりしている。いつもだったらジェームズジェミーがまだ小さいので領地に残る母だったが、今回は私の社交入りのために父に同行してきていた。久々に訪れた王都で、会いたい人も多いのだろう……私に付き添いが必要な時は、叔母と交替で当たってくれている。


「ただいま、ホッジス」
「お帰りなさいませ、お嬢様」

 玄関を開けて出迎えてくれた執事に帽子と上着を預ける。「お客様が来てるの?」と尋ねる前に、彼の方から話しかけてきた。

「お客様がお待ちですよ」
「私を? お父様ではなくて?」
「旦那様への御用事を済まされまして、今は客間でお嬢様をお待ちになられてます」
「そうなの。私に用事って、誰かしら……心当たりがないのだけれど」

 にこにこと楽しそうな彼を見る限り、悪い知らせをもたらす客では無さそうだ。
 私の喜びそうな仕事でも舞い込んだのかしら……まさかね、父が許すはずがないもの。

 そんな事を考えながら一階にある居間兼客間に向かう。

 一応ノックをしてから入るが、自宅なので中からの返事は待たなかった。それよりもお客様をどれくらい待たせてしまったのか分からないので早めに伺うに越したことはない。お茶は足りているだろうか。


「デュボワが長女、セリーナにございます。お待たせして申し訳ありません…」

 お客様……と続けようとして目をみはる。
 そこには、自分のよく知る人物が、見慣れない姿で立っていた――


「やぁ、セリーナ嬢。無事のお戻りで何より」
「まぁ……お客様って、ウィルだったの? ホッジスはどうして教えてくれなかったのかしら」
「僕が彼に頼んだんだよ。リーナを驚かせたいから名前は伏せて案内して欲しいってね」

 彼は悪戯が成功して喜ぶ子供のような表情でウィンクして微笑む。つられて私も微笑んだ。

「だったら大成功ね。とても驚いたもの。それに……」
「それに?」
「その格好……それが官服なのね? 初めて見たわ。不思議な黒色をしているのね……」

 そう、何が驚いたって……ウィリアムが着ている官服だ。うわさには聞いていたけれど、シンプルで機能的な詰襟の長衣、ストイックなのに仄かに色気が漂うような、執事服とは全く異なる黒服なのだ。
 なによりもこの黒色……執事服が普通の青黒インク色だとしたら、官服は濡烏ぬれがらす色。内包する色が浮かび上がって――まさに神秘的な色艶の服だった。これが仕事着だというのだから驚きである。王宮指定のお仕着せなわけだが、宮廷官吏はお洒落にも気を遣えということなのだろうか。

「ああ、これか。厄除けの術糸が織り込まれている生地らしいよ。災難を転じて、自身を映す鏡となるとかなんとか……どこまで本当か分からないが。まぁ、何かと恨まれることも多い仕事だろうから、厄除けは助かるかな」

 それを聞いて不安になる。

「そうなの? でも、ウィルは恨まれるようなことはしてないから大丈夫でしょ?」
「今はまだね。でも先の事は分からないよ。自分では正しいことをしたつもりでも、反対側に立つ人間からしたら正しくないわけだし……結果的に誰かに恨まれてしまうことは、仕方の無いことだと思う」
「そうね。そういうのは……仕方がないわよね。全てが丸く収まるなんて、夢物語の中だけよね……」
「悲しませるつもりは無かったんだけどな……今日は、リーナに良い報告をしようと思って待ってたんだ」
「あ、ごめんなさい。お仕事の方は大丈夫? ずいぶん待たせてしまったみたいだけれど……」

 彼が座っていたと思われる席の、飲み終わったカップを見下ろして考える。
 ウィリアムはどれくらい待っていてくれたのだろうか。来るなら来ると、あらかじめ教えてくれればロザンナとのお茶会も早めに切り上げてきたのに……


「うん。今日はさ、デュボワ子爵に大事な話があって来たんだ」
「お父様と?」
「そう。なかなか時間が合わなくて、今日になってしまったけど……本当はもっと早く来たかったんだよ?」
「それで、なんの話をしてきたの?」

 ここまで教えてくれるということは、自分が聞いても問題のない類の話なのだろうと見当をつけて尋ねる。
 私に聞かせられない話なら、ウィリアムはこういう場所――隅に使用人が控えているようなところでは話さない。もっと内密に会った時に話すはずだった。

「実はね、リーナ……」

 私の両手を握るウィリアムはなんだかとても嬉しそうである。

「君の父上に結婚の許しを頂いた。僕たち、正真正銘の婚約者になったんだよ」
「…………まぁ…!」

 私は嬉しさと驚きのあまりに言葉がなかなか出せなくて、ようやく発したのは間抜けな一言のみ。
 けれど、ウィリアムはそんな私に不満を唱えるでもなく……幸せそうに微笑んで、私をゆっくりと抱き寄せてくれた。

「すごいわ……ウィルの努力が認められたのね……」
「一応な。最低限の条件は満たせたみたいだ。暫定な部分も多いから、これから先が腕の見せ所なわけだけど……この資格は誰にも譲らないよ」
「そうね。そうしてちょうだい……その〝資格〟もウィルのところに戻れて喜んでいるに違いないもの」

 私はウィルの胸元に呟いた。


 ずっと願っていたことだし、必ず叶うと信じていた……けれど、こうして現実になったと知って初めて実感したことがある。

 私は不安だったのだ――もしかしたら儚い夢に終わってしまうかもしれない……その懸念がようやくなくなって、幸せな未来が約束された。嬉しくて嬉しくて、私は涙が滲むのを止められなかった。

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