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第1章 二人の婚約

エドワード・ルイス・スタンレー(Edward)

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 私が二人の関係に注目するようになったのは、私立中等学校パブリックスクールの修了試験に合格し、自宅で大学進学を視野に入れて上級レベル認定の取得を目指して勉強している時だった。
 その頃まだパブリックスクールに在籍していた弟のウィリアムは少し変わっていて、わざわざ外泊許可を取り、寄宿舎から週末の度に実家に帰ってくるのを繰り返していた。そして、こちらに滞在している間の多くの時間を婚約者であるデュボワ子爵の令嬢と過ごしていた。理解に苦しむ行動だった。

 何が面白いのか、長時間お茶をしながら庭で話し込んでいたかと思うと、本を読みながらうたた寝していたり……呑気なものだなと呆れていた。まぁ週末の度に外泊許可を取れる程度には良い成績を維持しているのだろうが、そんなことで子爵位とはいえ領主の役目を果たせるのだろうか。せっかく身内が潤沢な土地を継いだとしても、それを活かせないのでは、なんの意味も無いのだが……せいぜい私の足を引っ張るような事だけはしないでもらいたいものだ。





 そんな事を考えていたある日、滅多に使わぬ古い蔵書を求めて北側の書庫室に足を踏み入れた私は、その部屋の窓から思いも寄らぬ光景を目にした。

 裏庭にある樹木の一つに腰掛けたウィリアムが、セリーナ嬢を膝に乗せて向かい合い、何やら不穏な動きをしているのだ……
 どこかで見覚えのあるあれはそう、男女間における情交のようだった。というよりも、それ以外の行為には見えない。そういう動きだった。

 私は最初は自分の目を疑った……ウィリアムはともかくとして、セリーナ嬢はまだ十二かそこらだったはずである。いくらなんでも子供に手を出してはマズいだろう……ましてや彼女は未婚の貴族令嬢だ。そこらの商売女娼婦に手を出すのとは訳が違う。
 だが様子を見ていればセリーナ嬢が嫌がっている素振りは全く無く、少なくとも同意の上である事は確実で……時たま覗かせるその横顔は、酷く扇情的だった。幼さの残る顔でありながら〝女〟の表情をしている――何だか見てはいけないものを見てしまったようで気が咎めるのに、私は二人の睦み合う姿から目が離せなかった。

 そんな風にいつまでも視線を送っていれば、相手に気付かれてしまうのは当然で、ウィリアムと視線がかち合った。だがそれはほんの数秒で、僅かに向きを調整し、彼女の肌が見えないように囲いながら……行為を続けるウィリアム。そのうち微かに彼女の喘ぎ声が聞こえるようになり、そこにきて私はようやくその場を後にした。



 彼女を屋敷に送り届けた後に帰宅したウィリアムを部屋に呼びよせ、入室早々に私は視線で責めつけた。

「なにさ、兄さん。言いたいことがあるなら言えば?」

 ウィリアムは挑戦的だった。

「お前は……っ! いったい何を考えてるんだ?」
「さっぱり意味が分からないけど、もしかして書庫室から僕らを覗き見してたことを言っているのかな」
「……彼女は、まだ子供だろう?」
「セリーナはもう十分に大人だよ。体も心も成熟してるし、やってることの意味だってきちんと解ってる」
「だとしても! 今はまだそういう時期では無いだろうが……それが分からない程お前は愚かなのか?」
「愚かなのは兄さんの方だよ。兄さんはセリーナの何を見てきたと言うの? セリーナが今どんな状況にあるのか知ってるの? 何にも知らないくせに、僕らの関係に口を出すのは止めてもらいたいな。セリーナには僕が必要なんだよ。ほんの気晴らしにしかならなくても、慰めてやりたいし……そもそも愛し合ってるんだから良いじゃないか。どうせいつかはする事だ」
「……お前は。もし間違いがあったどうするんだ!? 彼女は一生笑い者だぞ?」
「僕がそんなこと許すわけが無いだろ。ちゃんと考えてやってるよ……最後までしてるわけじゃない。それはそうと、兄さん……」

 今度はウィリアムが責めるような視線を送ってくる。

「な、なんだよ……」
「随分とセリーナを見つめてたけど、まさか横恋慕する気じゃないだろうな? セリーナは僕のだから。いくら兄さんでも、変なちょっかいを出したら許さないよ」
「お前の頭には彼女のことしか無いのか……男として恥ずかしくないのか?」
「全然恥ずかしくないけど。恋人を大切にして何が悪いのさ。兄さんこそ、勉強の息抜きとか言って遊んでばかりいると、本気で好きな人に出会った時に困る事になるよ。程々にしといた方が良いと思う」
「それが男の甲斐性というものだろうが」
「……あっそ。まぁ、僕には関係ないけどね」





 口を開けば「セリーナが」「セリーナに」と言っていたウィリアムだったが、翌年にはそれも無くなった。
 子爵家に待望の男児が誕生し、セリーナ嬢が後継ぎから外れたのだ。するとウィリアムが王宮務めの文官になると言い出して、専門の家庭教師を付けるようになった。
 あいつは意地でもセリーナ嬢と結婚したいらしい……他にも有力な婿入り先はいくらでもあるのに頑なに拒んで突き進む。

 やがて難関と言われる上級文官試験に合格するほどの結果を出し、私立中等学校パブリックスクールの修了と同時に官吏養成学院カレッジに進学した。そこでの学位も最短である二年で納め、弱冠十八歳で見事に官吏の資格を得た。
 王宮における上級文官エリートの卵として出仕して、今年から正式に仕官して就任したのである。兄である私がまだ学生の立場にあるというのに……

 その野心と実行力に繋がる気力が一体どこから出てくるのか……事情理由を知ってはいても理解は出来ない私だった――





   *





『エイローズ・アズフォード嬢――ウェスター侯爵の御令孫、アズフォード伯爵の御息女』

『マリー・ジョージーナ・コロンバス嬢――コロンバス伯爵の御令妹』


 今宵も大勢の令嬢が煌びやかな衣装に身を包み、その裾を優雅に持ち上げて粛々と淑やかに、ホール上段へと続く赤い道レッドカーペットを歩いていた。
 一体この中のどれだけの女性たちが王族に御目通り願うこの一瞬に望みを掛け、野心を堪えているのだろう。陛下の隣に佇む王太子や他の王子から、特別な視線を貰えることを願っているのかもしれないが……少なくとも私の知る彼女はそんな奇跡は一切望まずに、純粋な挨拶の場としてあそこに立つのだろうなと、ぼんやりとした頭で考えた。


『セリーナ・ロッテ・デュボワ嬢――デュボワ子爵の御息女』

 王宮の舞踏会で、その名が高らかに読み上げられる。会場内の多くが彼女に視線を送った時……私は唐突に子供の頃の記憶を思い出していた。


 当時の私は彼女をほんの子供に過ぎないと思っていて、仮にも婚約者であったのにろくに顔も見せていなかった。有り体に言えば、邪魔者扱いしていたのだ。
 そんな私に疑問を抱いたウィリアムが、私の対応を責めたりしたが……私はそれも相手にしなかった。二つ下の弟もまた子供の域を出ておらず、それ故に理解できないのだと決め付け、お前も大人になれば分かると諭したのだ――私が十歳の時のことであった。

 今思えばその時の私こそ〝わかっていない子供〟だったのだ。自分の幼少時代の経験を棚に上げ、無意識に見下していた罰が当たったのだと……最近は特にそう思う。


 今にこうして現れる、輝くばかりに美しく聡明な女性の存在を無視していたなんて、先見の明が無いにもほどがある。
 だが弟にはそれが備わっていた。だから幼い頃から彼女を宝物のように慈しみ、脇目も振らずに大事に育てた恋を実らせ、願いを成就させたのだ。

 今さら後悔しても遅い……私はそう、負けたのだ。
 そもそも私が彼女に関して知っていることと言えば、そのほとんどが弟によって知らされた――あるいは弟をだしにして彼女から引き出した情報だった。初めから勝ち目など無かった。


 理想の伴侶を得るためには、それ相応の努力が必要なのだと……私は弟たちに学んだ。
 私にもいずれ、そういったことに時間をかけるべき時が訪れるのだろうが、今はまだ二人を見守っていたいと思う。





 国王陛下への謁見という今シーズン一番の催しを無事に終え、緊張からか頬を紅潮させて歩く彼女の腕を取る弟は、この世の何よりも大事なものを手に入れた幸せな男の顔だった。

 この二人が幼い頃からの許嫁であることは、領地内においては言わずと知れた話である。
 まだ正式に発表してはいなくとも、彼女と弟の婚約は両家の家長も望むところで……色々と懸念はあったものの、ウィリアムが上級官吏になったことが決め手となり、婚約はほぼ決まったも同然だった。
 彼女が社交界にデビューしたばかりであることを鑑みて、頃合いを見て――おそらくは今シーズンの終盤には発表されるのだろう。


 そうして来年か、再来年には結婚して……正真正銘、彼女は私の義妹いもうとになるのだ。


 その時、自分はどんな顔をしているのだろうか。
 今はまだ想像もできないが、二人の兄として心から祝福できるようになっていたい。





 子爵夫人に付き従って、セリーナ嬢が挨拶回りをしている。それを遠くからでもしっかりと目を光らせて、彼女の動向を視線で追い続けている弟――自分自身も目上の人との挨拶や近しい者との会話を弾ませながらそれをやっているのだから、大したものだと言いたくなる。それとも意識を逸らしてばかりで相手に失礼だと咎めるべきか……

 そんな事を考えながら、他者と相槌をうって話す自分もまた、同じ穴のむじなだろうか。


 会場を一回りしたらしい彼女と子爵夫人がこちらに向かってやって来る。家同士の付き合いが古くからあって今も親しくしているのに順番を最後にされたのは、もはや身内と同然に思われているからだろう。


 彼女がにこやかに微笑んで、お久しぶりですと辞儀をする。こんな時でなければ彼女と二人で話す事もない。
 私は夫人から彼女を預かると、休息するように促した。往々にして、不慣れな場所で見知らぬ人々に顔を売りながら挨拶をする事は、いつも以上に気疲れするものである。

 会場の隅に並ぶ椅子の一つに腰掛けさせて、その場の雰囲気と会話を楽しんだ。
 彼女が自分のことはセリーナと呼んでくださいと申し入れてくれた時は心が躍ったが、その後に続いた言葉で一気に消沈した。
 自分が彼女の言葉一つで一喜一憂している事実が信じられないと思いつつ、何処かでそれを楽しんでいる――どうしてこうなったのかは分からない。

 ウィリアムとの仲をどうこうしようとは思わないが、自分自身の感情の行方は、もうしばらく静観していたかった。


 そもそもこういった種類の感情について、流れの止め方や変え方などを知っているわけでもない……なるようにしかならないのだと、私の本能は告げていた。


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