恋愛における引力と加速の法則

文月・F・アキオ

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Season 1:July / side Suguru

acceleration.03 優等生の素顔

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 鬱々とした事を考えあぐねながらも業務を終え、とぼとぼ歩いて職員室へと辿り着く。明日の用意と帰り支度を手早く済ませ、まだ残っている先生方に挨拶してから帰路についた。
 職場近くにある寮までの短い帰り道。ここしばらくで恒例となりつつある孤独な内心反省会は本日も健在だ。

(あーもー、次はいつ会えるのかなぁ……!)

 顔や姿は毎日どこかしらで見てるけど、ちっとも会えてる気がしない。
贅沢なのは分かっている。高望みするな、罰当たりな!とも思う。遠距離な恋愛に比べれば、ずーっと恵まれている環境だとも思うけど……!

(――本当にそうだろうか?)

 ある意味とても曖昧で中途半端にならざるを得ない関係だから、側にいる時でもどこか現実味がない。
 そのせいで、もっともっとと欲しがる気持ちと焦りや不安ばかりが募って襲い掛かってくる。
 この感情にも万有引力が作用しているのなら……いい加減に落ち着いて、安定の軌道を描いて欲しい。

(まぁ、どれだけ苦しくても、自分から手放す気は毛頭ないわけで……だけどもう少し、どうにかならないのだろうかこの状況……この連鎖……)

 溜め息を吐かずにはいられない昨今である。

 それでも、己のこれまでの恋愛経歴を省みれば、こんな悩みを抱えることができるようになったこと自体が大いなる進歩で、快挙で、幸運で……もしかしたら、これが僕の人生最大で最後の僥倖ぎょうこうになるのかもしれない——



     *



 日が沈んだ十九時過ぎ。僕は足取り重く職場近くの教職員住宅——いわゆる宿舎。普通の会社員で言う所の社宅である——へと向かっていた。
 学校から徒歩10分という場所にある我が高校自慢の学生寮。それに付随する形で計画され、同時期に建設されたという宿舎は、何の配慮かそこから更に5分ほど歩いた先にある、小高い土地に建てられた。
 つまり、行きと帰りで著しく速度の変わる坂道、というオマケが僕ら教師には付与されたわけである。これはもしかしたら運動に縁のない教師陣に対する運動不足解消の配慮……かもしれない。
 しかし流石は私立高校。世間の目も多少はあるのだろうが、こだわり具合いが並みじゃない。
 デザインがいかにも外国風(僕にはどの地方の特色なのかまでは判らない)で、曲線的な造形が美しく、所々に色鮮やかなタイルがあしらわれている。どこか田舎風の温もりを感じるのに洗練さも持ち合わせている、小綺麗な2階建てのアパートだった。住んでいるのは男性職員がほとんどだが、広さや利便性はともかくとして、男性よりは女性に好まれそうな外観である。僕の主観だが。

 少なくもないが多くもない程の残業で、家が近いと帰宅してからもそれなりに自由な時間が持てるから有り難い。今週は寮の当番——宿舎利用職員には時間外勤務で寮内自習室の当番が週交替で回ってくる——もないので、ゆっくりできそうだ。
 帰ったら何を作ろう、食材は何があっただろうか……そんなことを考えながら、坂道を登っていると、あと少しで坂道を登り終えるというところにある小さな公園の入口から、聞き覚えのある声に呼び止められた。

すぐるさん」
「……えっ?」
「こんばんは。お仕事お疲れさまです」
「あ、どうも……って、あれ?」

 そこに立っていたのは見知らぬ女性……の、ように見えた。

「……怜子さん?」

 暗くてよくは見えないが、なんだが雰囲気がいつもと違う気がする。が、明らかに声は怜子さんのものだった。

「どうしたんですか?」
「うん。待ってた」

 歩み寄って側に立って見るとよく分かる。怜子さんの長い黒髪が茶色く染まっていて、服もいつもと違っていた。なんていうか、いつもより少し派手めな感じだ。
 スカートが短くて、大きなアクセサリーやベルトなんかも付けてて、心なしか化粧もしているような――でも、僕の恋人の怜子さんだった。

「怜子さん、髪……染めたの?」
「まさか。違いますよ、これはウィッグです」
「???」
「髪の毛のイミテーション。要するにカツラですよ」
「あぁ……そうでしたか。でもどうして?」
「もちろんオシャレで……っていうのは冗談で」
「う、うん」
「ほら、ここ学校から近いから……ね?」
「あ、あぁ……そっか。そういうことか」
「……うん、そういうこと」
「成る程……」

 お互いしばらく無言で見つめ合う。

(――女の子はスゴいなぁ……)

 よく知っているはずの怜子さんが、少し離れたとこから見たら別人のようだった。
 そもそも怜子さんが変装して僕に会いにくるなんて想定外すぎて驚く。それほど急用かつ大事な用件があるのだろうか。

 いつもとは違う種類の美しさに見惚れていると、怜子さんがふと視線を外して、肩にかけている黒っぽいエナメル質なバッグを開けた。なにか、小さな箱みたいな入れ物を取り出す。

「はい、これ。克さんにあげようと思って持って来たんです。明日でも良かったんだけど、一応これ生ものだから 早い方が良いと思って……」
「え、これって……もしかして?」
「うん。なるべく本日中に召し上がり下さいませ」

 にこにこ笑いながら蓋を開いてみせ、売り子のような仕草でケースに入った和菓子を差し出す彼女。
 昼間、食べ損ねたものとは別物で——何かの花を象った、透明感のある和菓子が3つ並んでいて——素人目にも手の込んだ細工であることが分かる。

「あ、ありがとうございます。すごい、綺麗に出来てますね……」
「でしょ? 怜子特製水牡丹です!」
「あの、わざわざコレのために?」
「そうですよ。一番よく出来たやつだから、今度は食べてくれるよね? 別に珈琲のお供でも良いけど、個人的には煎茶がオススメです!」
「ははっ、珈琲は外せないなぁ」
「やっぱり?」

 そう言って笑う怜子さんは可愛い。無邪気な感じがすごく愛しい。もっと、たくさん話して欲しい。話がしたい。一緒にいたい。

「あの……怜子さん、まだ時間ありますか? 少し寄っていきませんか」
「うーん、そうだね。ちょっとお茶するくらいなら大丈夫」

 そう言いながら携帯の液晶に映る時刻を確認している。あるいはこの後のスケジュールを確認したのかもしれなかった。
 だけど彼女は二つ返事で了承して、僕と一緒にいることを選んでくれた。それが心の底から嬉しいと思う。好ましく思う。
 僕に会うために、わざわざ自宅近くにまで来て待っていてくれたのだ。もう今日は会えないと思っていた彼女に、予想外な場所で会えて話せたことが、とてつもなく嬉しかった。欠けていた心のどこかが満たされていく。

 こんなことで相手の愛情を計っているわけではないが……なにかにつけて僕を優先してくれる態度に強かな愛を感じて、僕は幸せな気持ちになる。
 さっきまでの消沈が嘘のように回復していた。我ながら実に現金だ。


 和やかな気持ちのまま宿舎へ向かう。いつの間にか足取りは軽くなっていて、家までの距離が随分と短く感じた。

 そうして辿り着いたアパートの、エントランスをくぐって敷地内に踏み込むと、お互い自然と無言になる。他にも数名の同僚が住むアパートだから、言わずもがなの防衛だった。
 部屋の中に入ってしっかりと扉を閉めれば、防音された建物なので遠慮なく会話できる。
 それでも出入りの際に見られる可能性が大いにあるという危険な場所なのは確かなので、行動する際にはいつも頭の隅に逃げ道を用意して、もしもの場合に備えていた。

 そんなに心配なら、部屋に招くなんていう危ない橋を渡る行為そのものを止めればいいのに……そうできない理由の一つに、怜子さんに有りのままの自分を知って欲しいというのがあった。
 それに、自分のテリトリーに踏み込ませないという頑なな態度で、信用してもらえるのか?と。
 少しでも気持ちが離れる危険性のあることはしたくなかった。
 怜子さんを不安にさせたり、疑われたりするような秘密を持ちたくなかったのだから、仕方がない。

(とにかく、ここでは気が抜けない……)

 足音を響かせないように歩きながら緊張感に包まれる。
 そんな強張った心掛けも、重たい空気も、部屋に入ってしまうと一瞬でどこかに飛んでいってしまうのだが――
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