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第二章
【六】青羽―交換条件
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「思ったより整ってるな」
虎爺さんが十二畳ほどの調理場を厳しくチェックしている。そう、ここ『ルキア』は調理台や冷蔵庫、ガス台も全て業務用の立派な設備が備えられていた。ちなみにアイスクリームメーカーやビールサーバーもある。クリスマスを来週に控え、新しい料理人の登場に従業員が驚いた。
「あれ、虎横飯店のご主人ですよね?」
「おや、店に来てくれてたのかい。ありがとう」
「わあ。もしかしてラーメンのメニューが追加されます?」
「あたし食べたーい!」
「あたしも~」
「虎さん、おねが~い」
「いやはや。社長さんに聞かないと、なんとも……」
「日野君が働いていたお店って、もしかして虎横飯店?」
「はい」
「うそー。気づかなかった~」
だって調理場から出ないようにしていたからね……。下田親子にはずっとバイト先を偽っていた。もちろん虎爺さんの指示だ。幸いなことに、あのチンピラ山田に知られずに済んだのだ。いまの今までは……。
昼間のアラフィフ清掃パートさんにチヤホヤされて、虎爺さんは満更でもない様子だ。まあ虎爺さんから見れば、二十歳は年下の女性だしね……。
療養中の佐川シェフが復帰するまでだが、俺はずっとここにいて欲しかった。親代わりの人物を透に隠さなくていいからだ。虎爺さんは探偵屋の実家に居候して、テツさんの父親と酒を酌み交わすのを楽しみにしていた。なるほど。俺が想像する以上に虎爺さんはこの街を仕切る『龍(りゅう)青(せい)会(かい)』との堅固な絆があるんだな。俺が生まれる前から繁華街で生業を営んできた人々……。俺はこの場所にいつまでいられるだろう。事件が解決して借りている指輪を返したら、どんな生活が待っているんだ?
ラーメンはやはり水上社長から却下されて、夜に出勤したバイト連中まで嘆いた。
「虎横飯店のラーメンが食えないなんて悲劇だ!」
「つーか、ここラブホだべ。ラーメン食いたいときは休憩すんのか」
「バイト代が飛んじゃうねえ」
「相手もいないのに来るのかよ」
「うるせー」
「さあさあ、仕事よ」
山本のおばちゃんが若者を追い立てていく。
「青羽君とまた一緒のチームで働けるなんて嬉しいわ」
「たまにですけど。よろしくお願いします」
「よろしくな」
バイトリーダーの高木君が爽やかな笑顔を向けてきた。それ、女子大生が備品倉庫で抱きついた笑顔だろ。爽やかイケメンをジト眼で見てしまったぞ。
「それじゃ、清掃にいってきます」
手を振って去って行く高木君の背中を虎爺さんが目で追っていた。
「最近の大学生は随分老けたもんじゃな……」
「え、何?」
「いや、なんでもない」
「あれえ、新しい人が入ったのか~」
戸口から顔を覗かせたチャラ泉さんは、無遠慮に言葉を投げてきた。
「すげえ爺さんだけど大丈夫なのかよ。社長もどこから見つけてくるんだか」
「!」
「しっ」
反論はよせ、とお玉を振る虎爺さんに制された。いまは名前や経歴を明かさないのが賢明だ。俺が山田の知り合いだと判明してからのチャラ泉さんは、どこか小馬鹿にした態度で接してきた。そのうち山田に吹き込まれたデマを吹聴する気だろうか。
「青羽、あいつが今泉か」
「うん。見たことある?」
「いや。無理に嗅ぎ回るなよ。奴はゴキブリじゃ」
「虎爺さん、エスパーなの?」
「長年の勘じゃ。さあ、作るぞ」
場所とメニューは違えど、経験とチームワークであっという間に料理が出来上がっていった。中華鍋を揺する華麗な手さばきに、フロント社員の佐々木さんがため息をついている。
「さすが、熟練の技だわ~」
「炒飯セットふたつ、出来ましたー」
「悪いけど四階を頼めるかしら。私は三階に運ぶから」
注文が殺到してひとりでは捌ききれなくなった。先ほどAチームの高木君が二階へ料理を運んでいったが戻ってこない。配膳ロッカーの鍵を返し忘れている。
「佐々木さん、鍵が足りません」
チリリン。フロントの来客ベルが鳴った。
「あら、ごめんなさい。どっちもお願いするわ」
「わかりました」
彼女は鍵を差し出すと姿を消した。
二組の客の注文をワゴン車に載せて、業務用エレベーターに乗り込んだ。四階の配膳を終えて、業務用エレベーターにワゴンを置いたままお盆を持って三階の廊下を進む。305室なら食事を届けてから横の非常階段で下りた方が早いし、うっかり客と遭遇せずに済む。配膳ロッカーにお盆を置いて再び施錠する。チャイムを押して配達を知らせてから非常階段のドアを開けた。階段を見下ろすと、折り返しの踊り場でスマホをいじるチャラ泉さんに遭遇した。いまは勤務時間で、スマホの携帯は禁止されている。
「今泉さん、スマホは禁止ですよ」
「社員になった途端、俺に指図すんのかよ。なあ、お前ホモなんだって?」
「違いますよ」
「山田に聞いたぜ。女に迫られてもフニャチンだったんだろ?」
彼の歪んだ笑みが更に年齢を老けさせて、茶髪の若返り効果を消している。『毅然と接するように』と探偵屋は言っていた。
「何を聞いたか知りませんが、それは事実ではありません」
「とぼけるなよ。なあ、いい店紹介するから働かないか。若い男がなかなか見つからないんだよ。山田が金持ちのじじいを紹介するってよ。日野君なら一晩で十万円も夢じゃないぜ」
虎爺さんが十二畳ほどの調理場を厳しくチェックしている。そう、ここ『ルキア』は調理台や冷蔵庫、ガス台も全て業務用の立派な設備が備えられていた。ちなみにアイスクリームメーカーやビールサーバーもある。クリスマスを来週に控え、新しい料理人の登場に従業員が驚いた。
「あれ、虎横飯店のご主人ですよね?」
「おや、店に来てくれてたのかい。ありがとう」
「わあ。もしかしてラーメンのメニューが追加されます?」
「あたし食べたーい!」
「あたしも~」
「虎さん、おねが~い」
「いやはや。社長さんに聞かないと、なんとも……」
「日野君が働いていたお店って、もしかして虎横飯店?」
「はい」
「うそー。気づかなかった~」
だって調理場から出ないようにしていたからね……。下田親子にはずっとバイト先を偽っていた。もちろん虎爺さんの指示だ。幸いなことに、あのチンピラ山田に知られずに済んだのだ。いまの今までは……。
昼間のアラフィフ清掃パートさんにチヤホヤされて、虎爺さんは満更でもない様子だ。まあ虎爺さんから見れば、二十歳は年下の女性だしね……。
療養中の佐川シェフが復帰するまでだが、俺はずっとここにいて欲しかった。親代わりの人物を透に隠さなくていいからだ。虎爺さんは探偵屋の実家に居候して、テツさんの父親と酒を酌み交わすのを楽しみにしていた。なるほど。俺が想像する以上に虎爺さんはこの街を仕切る『龍(りゅう)青(せい)会(かい)』との堅固な絆があるんだな。俺が生まれる前から繁華街で生業を営んできた人々……。俺はこの場所にいつまでいられるだろう。事件が解決して借りている指輪を返したら、どんな生活が待っているんだ?
ラーメンはやはり水上社長から却下されて、夜に出勤したバイト連中まで嘆いた。
「虎横飯店のラーメンが食えないなんて悲劇だ!」
「つーか、ここラブホだべ。ラーメン食いたいときは休憩すんのか」
「バイト代が飛んじゃうねえ」
「相手もいないのに来るのかよ」
「うるせー」
「さあさあ、仕事よ」
山本のおばちゃんが若者を追い立てていく。
「青羽君とまた一緒のチームで働けるなんて嬉しいわ」
「たまにですけど。よろしくお願いします」
「よろしくな」
バイトリーダーの高木君が爽やかな笑顔を向けてきた。それ、女子大生が備品倉庫で抱きついた笑顔だろ。爽やかイケメンをジト眼で見てしまったぞ。
「それじゃ、清掃にいってきます」
手を振って去って行く高木君の背中を虎爺さんが目で追っていた。
「最近の大学生は随分老けたもんじゃな……」
「え、何?」
「いや、なんでもない」
「あれえ、新しい人が入ったのか~」
戸口から顔を覗かせたチャラ泉さんは、無遠慮に言葉を投げてきた。
「すげえ爺さんだけど大丈夫なのかよ。社長もどこから見つけてくるんだか」
「!」
「しっ」
反論はよせ、とお玉を振る虎爺さんに制された。いまは名前や経歴を明かさないのが賢明だ。俺が山田の知り合いだと判明してからのチャラ泉さんは、どこか小馬鹿にした態度で接してきた。そのうち山田に吹き込まれたデマを吹聴する気だろうか。
「青羽、あいつが今泉か」
「うん。見たことある?」
「いや。無理に嗅ぎ回るなよ。奴はゴキブリじゃ」
「虎爺さん、エスパーなの?」
「長年の勘じゃ。さあ、作るぞ」
場所とメニューは違えど、経験とチームワークであっという間に料理が出来上がっていった。中華鍋を揺する華麗な手さばきに、フロント社員の佐々木さんがため息をついている。
「さすが、熟練の技だわ~」
「炒飯セットふたつ、出来ましたー」
「悪いけど四階を頼めるかしら。私は三階に運ぶから」
注文が殺到してひとりでは捌ききれなくなった。先ほどAチームの高木君が二階へ料理を運んでいったが戻ってこない。配膳ロッカーの鍵を返し忘れている。
「佐々木さん、鍵が足りません」
チリリン。フロントの来客ベルが鳴った。
「あら、ごめんなさい。どっちもお願いするわ」
「わかりました」
彼女は鍵を差し出すと姿を消した。
二組の客の注文をワゴン車に載せて、業務用エレベーターに乗り込んだ。四階の配膳を終えて、業務用エレベーターにワゴンを置いたままお盆を持って三階の廊下を進む。305室なら食事を届けてから横の非常階段で下りた方が早いし、うっかり客と遭遇せずに済む。配膳ロッカーにお盆を置いて再び施錠する。チャイムを押して配達を知らせてから非常階段のドアを開けた。階段を見下ろすと、折り返しの踊り場でスマホをいじるチャラ泉さんに遭遇した。いまは勤務時間で、スマホの携帯は禁止されている。
「今泉さん、スマホは禁止ですよ」
「社員になった途端、俺に指図すんのかよ。なあ、お前ホモなんだって?」
「違いますよ」
「山田に聞いたぜ。女に迫られてもフニャチンだったんだろ?」
彼の歪んだ笑みが更に年齢を老けさせて、茶髪の若返り効果を消している。『毅然と接するように』と探偵屋は言っていた。
「何を聞いたか知りませんが、それは事実ではありません」
「とぼけるなよ。なあ、いい店紹介するから働かないか。若い男がなかなか見つからないんだよ。山田が金持ちのじじいを紹介するってよ。日野君なら一晩で十万円も夢じゃないぜ」
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