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3章(5)

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 ウー星宇シンユーの屋敷は、九龍街区から歩いて二十分ほどのところに建っていた。
 レイは通行人のふりをしながら、星宇の屋敷をちらりと窺う。西洋風の大きな門の両脇にはスーツを着込んだ屈強そうな男たちが立っており、通行人の様子に目を光らせている。用心棒だ、と類はすぐに気づいた。類が働く娼館にも似たような男が出入りしていて、迷惑な客をつまみ出しているのを見たことがある。女主人の珠蘭シュランは、彼らがいるから娼館の秩序は保たれていると言っていた。
 入り口に用心棒を立たせているくらいだ、吴星宇はきっと地位の高い人に違いない。
 類は一呼吸置いて心を落ち着けると、通り過ぎた道を引き返して吴星宇の屋敷に近づいた。門の前に来ただけで、両脇に立っていた男らがすぐさま類を取り囲む。

「あ、あの、僕……」

 なんと言えばいい? 用意してきたはずの文言は、すっかり頭から消し飛んでしまった。言葉に詰まる類を、男たちは鋭い目つきで見下ろしている。類がすこしでも怪しい動きをしたら、たちまち首をへし折られるだろう。ひしひしと殺意だけを感じる。
 なかなか言葉が出ず、意味のないうめきが口から漏れる。情けないことに、膝がガクガクと震えていた。類がもうすこし幼かったら、今この場で失禁していたかもしれない。

「ガキがなんの用だ?」

 低く、どっしりとした声に類は危うく悲鳴を漏らしかけた。阿片中毒者を脅す時の藍豪だって、こんな怖い話し方はしない。
 一歩、二歩と類はじりじり後ずさる。もう一秒たりともこんな場所にはいたくないと思うが、類はまだなにも成し遂げていない。ジャン静月ジンユエが言っていたことが本当なのか、たしかめないといけないのだ。藍豪への疑いが晴れるまで、類はアパートに逃げ帰るわけにはいかない。
 類は引きかけていた足を戻し、震えて縮みそうになる躰を無理やり伸ばした。男たちはあいかわらず、類のことを敵だと言わんばかりに睨みつけている。

「吴星宇さんに、会いに来ました」
「なんの用件で?」

 萎えそうになる足に力を込める。ようやく道中に考えてきた言葉が、すっと頭の中に戻ってきた。

瑞蜜会ルイミーフイが雲南の村に作った阿片栽培地のことで、話があります」

 目の前に立つ男の眉が、ぴくりと動いた。男たちの威圧感が増したように感じ、類は服の裾をぎゅっと握る。

「お前、名前は?」
「類です。九龍街区でリー藍豪ランハオと一緒に住んでいます」

 男たちはそっと目配せをすると、一人が屋敷のほうへ駆け出していった。
 残った男が大きな門を開け、類に通るよう促す。門を抜けると、さまざまな花が咲き乱れる庭園の真ん中に舗装された一本の道が通っている。九月のやわらかい日差しを受けて、色とりどりの花が道の周りを囲っていた。一本道を男の後ろについて進み、ようやく大きな屋敷の玄関へとたどり着く。
 てっきり玄関で待たされるものだと思っていたが、男はすんなりと玄関の扉を開けるとそのまま類を一階の談話室まで通した。
 土足で毛の長い絨毯の上を歩くのは、なんとも奇妙な心地がする。談話室のソファも、類が浅く腰掛けただけでぐっと沈み込み、バランスを崩して後ろにひっくり返るところだった。

 数人の使用人らしき女性が、談話室のテーブルにてきぱきとなにかを並べている。首を伸ばして見てみると、どうやらお茶菓子のようだが、類には見覚えもなければ食べたこともないものばかりで、勝手に手を伸ばしていいものかもわからなかった。
 けれど、お茶の代わりにジュースを渡された時はさすがにむっとした。子ども扱いされていると思ったのだ。

「君が類だね?」

 新緑のように爽やかな声がして、類は振り返る。男の人を見て、「かっこいい」よりも先に「綺麗だ」と思うのははじめてだった。
 ぱっちりとした二重に囲まれた青みがかった瞳が、ソファに座る類を抜け目なく見つめている。西洋風のスーツがよく似合う彫りの深い顔立ちで、すこし茶色っぽい髪は元のウェーブを活かすようにふんわりと整えられていた。

「あなたが」

 ぼんやりと開いた口から、意味のない問いかけが漏れる。しかし相手は気にした様子もなく、類の向かいにあるソファに腰を下ろしながら「俺が吴星宇だ」と丁寧に挨拶をしてくれた。
 てっきり藍豪のように目つきが鋭く、野性的な雰囲気のある人間が出てくると思っていた。香港裏社会の人間は皆、藍豪のようにすこし怖くて、近寄りがたい空気があると思っていたのだ。類の予想は大きく裏切られた。まさか、こんな綺麗な人が出てくるなんて。

「ジュースはお気に召さなかったかな?」

 星宇はほとんど減っていないりんごジュースのグラスを見ると、すぐに人を呼びつけて類のために花茶を淹れてくれた。湯気と共に花の香りが漂ってきて、目の前のテーブルには見たこともないお菓子が並んでいて、類はついここへ来た目的を忘れそうになる。
 星宇は花茶に伸ばした手を止めて、じっと類の顔を見つめた。綺麗な人に見つめられると、どうにも落ち着かない。類はソファの上でそわそわしながら、早く目を逸らしてくれないかな、などと呑気なことを思っていた。

「なるほどね」

 類から目を逸らした星宇がくつくつと喉の奥で笑う。

「僕の顔に、なにか……」

 類は不安になってそう尋ねたが、次に目が合った星宇の顔はすこしも笑っていなかった。
 氷のように凍てついた視線に臓腑が縮み上がり、指先が冷たくなる。

「李藍豪がなぜ君にそこまで執心するのか、よくわかったよ」

 星宇は獲物を狙う狼のような目つきを類に張りつけたまま、はっきりと言った。

「君の目は、藍豪の死んだお姉さんとよく似ているね」
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