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3章(3)

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 ジャン静月ジンユエなら、祝福してくれると思っていた。
 レイ藍豪ランハオから「大人になったら交際を考えてやる」と言われたのだ。類の人生において藍豪は、もはやなくてはならない存在である。命の恩人であり、たった一人の家族であり、そしてこの世でもっとも類のそばにいる人物。それが藍豪だ。
 だから藍豪に気持ちを打ち明け、わずかながら受け入れてもらえた時、類は飛び上がるほど嬉しかった。これで大人になっても、ずっと藍豪と一緒にいられる。藍豪は自分のことなど忘れて生きていけなんて言うけれど、忘れられるはずがない。
 今はまだ子ども扱いばかりされているが、きっと藍豪もそのうち気づくはずだ。類は着実に大人になっている。あと四年。あと四年で、藍豪と対等な関係になれる。
 それなのに、なぜ? 静月はまったく喜んでくれないどころか、歪な表情をして「止めたほうがいい」なんて言うのだろう?

「静月は、僕のことを応援してくれるんじゃなかったんですか」

 静月の部屋に上がってから、類ばかり話している。静月に「自分は男性が好きなのかもしれない」と打ち明けた時、彼は類が進むことになる茨の道について丁寧に説明してくれた。好きな人がいるなら応援するとも言ってくれた。
 それが藍豪の名前を聞くなり、強張った顔をして固い声で二、三言なにかを言っただけだ。
 こんな様子を前にもどこかで見たことがある。そうだ、昔の美雨メイユイだ。美雨にはじめて藍豪の話をした時も、彼女は名前を聞くなり態度が変わった。
 皆、藍豪について誤解している。藍豪は九龍街区の人間が思うようなひどい人ではない。見ず知らずの子どもだった類を引き取り、食事や住む場所を与え、ここまで育ててくれたのだ。たしかに阿片の売人という仕事は人に誇れるものではないかもしれないけれど、そんなことは些末な問題に過ぎない。九龍街区にはもっと危ない仕事をしている人が何人もいる。
 静月は肩を怒らせる類に向かって、囁くように言った。

「類は――本当のことを知らないから」
「本当のことってなんですか? 本当の藍豪を知らないのは、静月のほうじゃないんですか?」

 類の言葉に、静月はゆるゆると首を振った。

「申し訳ないけど、類のことは調べさせてもらったよ」

 類はぐっと息を詰まらせる。静月が男娼として日銭を稼ぐ一方で、情報屋もやっていることは知っていたが、情報屋としての彼の顔を見るのははじめてだった。
 固く、強張った顔で静月は続ける。

「類は、雲南の村から来たんだね。村が阿片を作るためのケシ栽培地として選ばれ、家族を殺された上にすべてを焼かれて――類はなんとか村を抜け出して香港にやってきた」

 一体、どこからそんな情報を得たのだろう。すべて当たっている。村から逃げ出して香港までやってきた過程のことは、藍豪にも話していない。けれど、目の前にいる静月はきっとすべてを知っているのだ。類がどうやって、男たちの目をかいくぐって村を逃げ出して来たのかも――。

「村を襲った組織について、類はどんなことを知っているの?」

 まるで教師が生徒に問いかけるような口調で、静月は類に尋ねる。
 類は毎日心の中で唱えているその名前を、口に出した。

「僕の村を焼いたのは、三千龍団サンチェンロンです」
「それは誰から聞いた?」
「藍豪が……そう言っていました」

 静月の顔によぎった色を見て、類はこれから悪いことを聞かされるのだと容易に想像がついた。
 きっと聞いたら、元には戻れない。今すぐ静月の部屋を出て行って、この会話を丸ごとなかったことにしたい。床に足が縫い止められたように、すこしも動かない。予感と緊張でカラカラに喉が渇き、舌が張りつく。
 言わないで、と叫んだつもりだったが、それは類の心の中だけに押し留まった。静月の唇の動きがやけにゆっくりに見える。

「違うよ、類」

 たしなめるような、悲しげな口調で静月は類に突きつける。

「類の家族を殺し、村を焼いたのは瑞蜜会ルイミーフイだ――藍豪も、村焼きに参加している」

 なにもかもが音を立てて、ガラガラと崩れ去っていくようだった。
 類の土台を形作っていたものが、跡形もなく消し飛ぶ。突然宙に放り出されて、どこへ向かえばいいのかもわからなくなる。
 まさか、そんなことがあり得るだろうか? ずっと慕っていた人が、命の恩人だと思っていた人が、類からすべてを奪った張本人だなんて。そんな馬鹿なことがあり得るか?
 静月が嘘をついている可能性もある。一人だけの情報を鵜呑みにしてはいけない。
 顔を上げる。静月の顔を見る。自分は今、どんな表情をしているのだろう?

「信じられないなら、瑞蜜会のウー星宇シンユーの屋敷に行くといい。場所を教えてあげる」
「どうして……?」

 ふつふつと心の底から湧き上がってきたものが、勝手に口からこぼれ出る。

「どうして、僕に本当のことを教えたんですか?」

 静月は整った眉をすこし跳ね上げて、苦笑いのような表情を見せた。

「なんでだろうね、ちょっとした親切心ってやつかな? オレたぶん、もうすぐ死ぬから」

 返す言葉が見つからず、類は黙って静月の顔を見る。静月は心の中に溜まっていたものをすべて吐き出したような、すっきりとした表情をしていた。自分の死期を悟り、悔いがないように生きようとしている静月の姿を、類は受け入れられない。もっと抗って、生きようとしてほしかった。そんな、すべてやり切ったみたいな顔はしないでほしかった。

「ほら、類。ハオちゃんに見つかる前に吴星宇に会いに行くんだ」

 静月がなにかを書きつけた紙切れを類に押しつけ、部屋から追い出すように手を払う。もう一時も、彼の顔を見ていることはできなかった。
 紙切れを握りしめ、滲んでくる視界を無理やり振り払う。静月の部屋を出て、類は無心でアパートの階段を駆け下りた。
 途中、すれ違った男に張静月の部屋の場所を聞かれる。類はなぜか、静月の部屋ではなく藍豪の部屋番号を教えた。
 類が九龍街区に戻る頃にはきっと、誰かが死んでいるのだろう。
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