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「んっ……」

 まどろみから意識が急速に引き上げられる。
 ほんのりと香った汗の匂いに、芽衣めいは一瞬にしてすべてを思い出した。
 ベッドから抜け出そうと思ったものの、身体はがっちりと坂田さかたに抱きしめられている。

 後処理はすべて、坂田がやったらしい。汗やらなにやらでどろどろだった身体はさっぱりと拭き清められ、一応下着だけは身につけている。
 当の坂田は芽衣の世話だけで力尽きたのか、髪も乱れたままトランクス一枚で寝入っていた。
 窓の外は明るく、手探りにスマホを探し当てて画面を見ると、朝の九時だった。そろそろ、チェックアウトをしなくてはいけない。一晩あけて地下鉄も、今日はちゃんと動いている。

「坂田くん、起きて。帰ろう」
「んー……」

 寝ぼけているのか、曖昧な返事をした坂田はますますぎゅっと芽衣を抱きすくめた。
 眼鏡をかけていない坂田の寝顔は、子どものようにあどけなく、一瞬、自分が昨日寝た人間は別の人物だったのではないかと錯覚するくらいだ。
 この顔を、どこかで見たことがある。
 じわじわと、乾いた土が水を吸うように、芽衣の中に忘れていた記憶が戻ってくる。

 ちょうど去年の今頃。オープンキャンパスのスタッフとして活動していた芽衣は構内を巡回中に講義室でうたた寝をする男の子に会った。
 その子は茶髪で、片耳にピアスをいくつも開けていて、失礼だがいかにもチャラそうな見た目だったのである。
 けれど、その寝顔だけはあどけなく、芽衣が肩を揺すって起こすと綺麗な黒い瞳がこっちを向いた。
 アンケートに書かれていた、彼の名前を見て芽衣は言った。
「ハルくんって、いい名前だね」と。

「思い出しました?」

 いつの間にか起きていた坂田が、芽衣の額に唇を寄せて言う。

「春って書いて、シュンなんです」

 あの夏の記憶が、よみがえる。一年のうちに、彼はずいぶん変わった。会話をしたことも、名前を見たこともあるのに、気づかなかったくらいに。

「茶髪もピアスも、やめちゃったの?」
「だって先輩、明らかに俺のこと見てビビってたじゃないすか」

 それはそうだ。今までの人生、派手な人とは関わりがなかった。芽衣自身、大人しく控えめな人間で、いわゆる陽キャと呼ばれるようなタイプの人間に近づくのが怖かったのだ。
 あの時は、オープンキャンパスのスタッフということもあり、勇気を出して声をかけたが、なにを言われるか内心ヒヤヒヤしまくりだった。
 その怯えが、顔に出ていたということだろうか。

「先輩は真面目な人が好きなんだろうなって思って、黒髪にしてホール塞いで、ついでにコンタクトやめて眼鏡に戻したんすけど」
「えっと、それはどういう……?」
「だから、俺はオーキャンで遠井とおい先輩に一目惚れして、わざわざ真面目くさった格好でサークルまで先輩のこと追っかけて来たんですよ!」

 坂田は早口でまくし立てると、恥ずかしさを隠すように芽衣の髪に顔を埋めた。
 その言葉の意味を実感し、芽衣もじわじわと顔が熱くなる。

 入部した時からずっと思っていた。見た目と中身がまるで釣り合っていない、と。見た目のわりに、中身はとても明るく、学生部なんていう真面目なサークルより、体育会系の男女サークルにいそうだなんて、思っていた。
 あの真面目さは、すべて芽衣の好みに合わせて作り上げられたものだったのだ。本来の坂田の気質とはまるで合わない、型にはまったような真面目さで、坂田は芽衣に迫っていたのだ。

「俺のこと嫌いになりました?」

 坂田がいじけた子どものようなことを聞く。
 芽衣は、そろそろと手を伸ばして坂田に抱きついた。

「なるわけないじゃん。可愛い後輩だもん」
「は?」
「え?」

 坂田が盛大なため息をつく。

「ここまでしといて、まだ後輩の域を出ないんすか、俺」
「ま、まって、坂田くんなんか目が……」

 寝起きとは思えないほど、坂田の目は据わっている。いっそ冷徹と呼んでもおかしくない、ひんやりとした目が、芽衣の全身を眺め回す。

「あの、坂田くん……?」
「なんすか」
「そろそろチェックアウトの時間だから、その服を着たいと思ってて」
「延長でいいでしょ」

 坂田の指が、下着越しに芽衣の秘部を撫でる。
 昨夜の出来事がぶり返してきたかのように、芽衣は喉を鳴らして坂田から目をそらした。
 顎を掴まれ、無理やり視線がかち合う。ついばむようなキスのあと、深く舌をねじ込まれて、吐息と抗議の声が一緒くたになって漏れる。
 かろうじて残った理性が、芽衣を押し留める。ここで坂田の流れに乗ってはいけない。きちんと断れば、坂田だって芽衣の嫌がることを無理やりするような人間ではない。

「芽衣」

 坂田の低く、艶のある声が耳元で囁き、芽衣のなけなしの理性は吹き飛んだ。
 年下の男に、名前を呼び捨てにされたことなど、今まで一度もない。倒錯的な昏い喜びに、頭の芯が痺れたようになにも考えられなくなる。

「先輩の身体に、たっぷり教えてあげなきゃいけないですね。俺が、ただの後輩じゃないってこと――」



―完―
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