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「わたしは……別れる気とか、ないから」
かろうじて、芽衣は坂田から目を逸らしながら言った。
もしここで、部室にだれか来たら?
サークル内ではたちまち、芽衣と坂田が付き合っていると噂を流されるにちがいない。二年生の芽衣はともかく、たった三ヶ月前に入部したばかりの坂田がサークルの先輩と付き合っているなんて誤解されたら、気持ちのいいものではないだろう。
両手で坂田の胸を押してみるが、びくともしない。
それどころか、そのまま引き寄せられ、芽衣はあっという間に坂田に抱きすくめられた。
「ちょっ、ちょっとだれか来たらどうする――」
「黙って」
坂田が言うのと同時に、部室のドアがドンドンとノックされた。
芽衣は坂田を振りほどこうともがくが、ますます力をこめて抱きしめられて、だれが来たのかすら確認することもできない。
「会計は……っと、いないみたいですね。すみません、邪魔して」
坂田の腕の中で、くぐもった男の声が聞こえる。
おそらく、他のサークルの代表者かだれかが予算の確認をしに来たのだろう。
しかし、その人物は会計係がいないと分かるとそそくさと退出したらしい。バタンとドアが閉まる音がして、部室にしんとした静けさが戻ってくる。
「バスケサークルの部長でした」
坂田が何事も起こっていないというような涼しい顔で報告してくる。
「絶対この前の予算会議の話じゃん! どうして離してくれないの!?」
芽衣は抗議しながら両手を引くが、坂田はまったく力を緩めない。
形のいい、薄い唇が弧を描く。
「見せびらかしたかったんすか? 真面目な会計補佐が、後輩と部室で今まさにヤろうとしてるところ」
「ヤろうとなんてしてないけど!」
「大丈夫ですよ、俺のおかげであの部長、遠井先輩だって気づいてませんでしたから」
飄々とのたまう坂田とは対照的に、芽衣は恥ずかしさや後悔や不甲斐なさやらなにやらで、ふるふると震えた。
芽衣の顔をのぞきこんだ坂田が、一瞬目を見張る。
きっと自分は、泣きそうな目をして坂田を睨んでるのだろう。他人事のように、芽衣はそう思った。
「すみません、調子乗って」
坂田が心底申し訳なさそうな顔をして、芽衣の両手を離し、身を引く。
やっと解放された芽衣は、ふらふらとソファーから立ち上がった。
部室の中を窺うように、入口に立っている人物と目が合って、芽衣は腰が抜けたようにゆらりと傾いた。
ローテーブルにぶつかる寸前で、坂田が芽衣の身体を支える。
「遠井って、男だったらだれでもいいんだな」
微塵も親しみを感じさせない、硬質な声。
芽衣を見下ろす、冷ややかな目。
「伊織先輩……」
坂田も伊織の存在に気づき、はっと顔を上げる。
芽衣をソファーに座らせた坂田は、果敢にも伊織に歩み寄った。流れるような動作で、伊織のTシャツの胸倉を掴みあげる。
「今さら、なんの用すか」
「なんのって、遠井を迎えに来たんだけど」
伊織が、坂田に詰められたまま、ちらりと芽衣を見る。
伊織の冷たい視線に、足が竦みあがる。
「人の彼女に手出すの、やめてくれないかな」
「ヤるだけヤって、夜中に放り出しておいて彼氏面するんすか」
伊織の目が厳しくなる。そんなことまで喋ったのか、という芽衣に対しての批難の目。
芽衣はただ黙って、二人の行く先を見守るしかない。芽衣がなにを言っても、伊織には響かないから。
「分かりませんか? 遠井先輩は、伊織先輩と付き合って傷ついてるんですよ」
「そうなの?」
伊織がふいに芽衣に問いかける。
伊織に聞かれたところで、素直に「はい」と言えるわけがない。
なにも言えないでいる芽衣に、伊織はさらに問う。
「遠井は、俺と付き合えて幸せだもんね?」
有無を言わさない、にこにことした笑顔。坂田に詰められているのに、自分の勝利を信じて疑わない、まっすぐな目。
芽衣はただ足元を見て、こっくりとうなづいた。
坂田がすうっと息を飲む音がする。
「だってさ。全部、坂田の勘違いだから手離してくれない?」
解放された伊織が、こちらに歩いてくる音がする。芽衣の視界に、伊織のスニーカーが映った。
「ほら、遠井立って。今日は俺の家に来るって約束だったよね?」
そんな約束、していない。
けれど、見上げた伊織の目は冷え冷えとしていて、なにも言い出せない。
芽衣がのろのろと立ち上がると、待ちきれなくなったのか伊織に強く手を引かれた。半ば引きずられるようにして、部室を後にする。
最後に見た坂田の顔は、怒りと悲しみとがない混ぜになったような、奇妙な表情だった。
◇ ◇ ◇
少し身じろぎしただけで、痛みに息が詰まる。芽衣の白い太ももにはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた。
伊織は服を着ればたちまち隠れてしまうところばかりを狙って、芽衣を痛めつけているようだ。
首を絞める指に、わずかながら手心を感じる。
「もっと締めて、ほら」
ろくな前戯もなしに挿入され、ナカが擦り切れるように痛む。
伊織の暴力的な行為を前に、芽衣はぼんやりと坂田のことを思い出していた。
芽衣の髪を梳く、やさしげな手つき。首筋を這う、薄い唇。自分がやったことにすればいいと笑う、あのひんやりとした目。
ずるり、と下から抜ける感覚がして、芽衣は急に圧迫感から解放された。
「もういいや、飽きた」
伊織はそう言うが早いか、さっさと芽衣から手を離し、いそいそと服を着込む。
芽衣のことなど忘れたように、背を向けてテレビの電源をつける。
芽衣は噛み跡から流れる血を簡単に拭い、よろよろと下着や服を身につけた。
帰る前に一声かけようか。そう悩んだものの、伊織はすでに芽衣のことなど興味がないようだ。
音を立てないようにそっと立ち上がり、玄関のドアノブに手をかける。
芽衣が家を出る寸前、伊織が「あっ」と声を上げた。
「もう俺の部屋に来なくていいから」
「それは、どういう……」
芽衣も思わず足を止めて、伊織に聞き返す。
伊織はなんの感慨も持たずに、あっさりと言った。
「別れよ。遠井と付き合うの、めんどくさくなったし」
かろうじて、芽衣は坂田から目を逸らしながら言った。
もしここで、部室にだれか来たら?
サークル内ではたちまち、芽衣と坂田が付き合っていると噂を流されるにちがいない。二年生の芽衣はともかく、たった三ヶ月前に入部したばかりの坂田がサークルの先輩と付き合っているなんて誤解されたら、気持ちのいいものではないだろう。
両手で坂田の胸を押してみるが、びくともしない。
それどころか、そのまま引き寄せられ、芽衣はあっという間に坂田に抱きすくめられた。
「ちょっ、ちょっとだれか来たらどうする――」
「黙って」
坂田が言うのと同時に、部室のドアがドンドンとノックされた。
芽衣は坂田を振りほどこうともがくが、ますます力をこめて抱きしめられて、だれが来たのかすら確認することもできない。
「会計は……っと、いないみたいですね。すみません、邪魔して」
坂田の腕の中で、くぐもった男の声が聞こえる。
おそらく、他のサークルの代表者かだれかが予算の確認をしに来たのだろう。
しかし、その人物は会計係がいないと分かるとそそくさと退出したらしい。バタンとドアが閉まる音がして、部室にしんとした静けさが戻ってくる。
「バスケサークルの部長でした」
坂田が何事も起こっていないというような涼しい顔で報告してくる。
「絶対この前の予算会議の話じゃん! どうして離してくれないの!?」
芽衣は抗議しながら両手を引くが、坂田はまったく力を緩めない。
形のいい、薄い唇が弧を描く。
「見せびらかしたかったんすか? 真面目な会計補佐が、後輩と部室で今まさにヤろうとしてるところ」
「ヤろうとなんてしてないけど!」
「大丈夫ですよ、俺のおかげであの部長、遠井先輩だって気づいてませんでしたから」
飄々とのたまう坂田とは対照的に、芽衣は恥ずかしさや後悔や不甲斐なさやらなにやらで、ふるふると震えた。
芽衣の顔をのぞきこんだ坂田が、一瞬目を見張る。
きっと自分は、泣きそうな目をして坂田を睨んでるのだろう。他人事のように、芽衣はそう思った。
「すみません、調子乗って」
坂田が心底申し訳なさそうな顔をして、芽衣の両手を離し、身を引く。
やっと解放された芽衣は、ふらふらとソファーから立ち上がった。
部室の中を窺うように、入口に立っている人物と目が合って、芽衣は腰が抜けたようにゆらりと傾いた。
ローテーブルにぶつかる寸前で、坂田が芽衣の身体を支える。
「遠井って、男だったらだれでもいいんだな」
微塵も親しみを感じさせない、硬質な声。
芽衣を見下ろす、冷ややかな目。
「伊織先輩……」
坂田も伊織の存在に気づき、はっと顔を上げる。
芽衣をソファーに座らせた坂田は、果敢にも伊織に歩み寄った。流れるような動作で、伊織のTシャツの胸倉を掴みあげる。
「今さら、なんの用すか」
「なんのって、遠井を迎えに来たんだけど」
伊織が、坂田に詰められたまま、ちらりと芽衣を見る。
伊織の冷たい視線に、足が竦みあがる。
「人の彼女に手出すの、やめてくれないかな」
「ヤるだけヤって、夜中に放り出しておいて彼氏面するんすか」
伊織の目が厳しくなる。そんなことまで喋ったのか、という芽衣に対しての批難の目。
芽衣はただ黙って、二人の行く先を見守るしかない。芽衣がなにを言っても、伊織には響かないから。
「分かりませんか? 遠井先輩は、伊織先輩と付き合って傷ついてるんですよ」
「そうなの?」
伊織がふいに芽衣に問いかける。
伊織に聞かれたところで、素直に「はい」と言えるわけがない。
なにも言えないでいる芽衣に、伊織はさらに問う。
「遠井は、俺と付き合えて幸せだもんね?」
有無を言わさない、にこにことした笑顔。坂田に詰められているのに、自分の勝利を信じて疑わない、まっすぐな目。
芽衣はただ足元を見て、こっくりとうなづいた。
坂田がすうっと息を飲む音がする。
「だってさ。全部、坂田の勘違いだから手離してくれない?」
解放された伊織が、こちらに歩いてくる音がする。芽衣の視界に、伊織のスニーカーが映った。
「ほら、遠井立って。今日は俺の家に来るって約束だったよね?」
そんな約束、していない。
けれど、見上げた伊織の目は冷え冷えとしていて、なにも言い出せない。
芽衣がのろのろと立ち上がると、待ちきれなくなったのか伊織に強く手を引かれた。半ば引きずられるようにして、部室を後にする。
最後に見た坂田の顔は、怒りと悲しみとがない混ぜになったような、奇妙な表情だった。
◇ ◇ ◇
少し身じろぎしただけで、痛みに息が詰まる。芽衣の白い太ももにはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた。
伊織は服を着ればたちまち隠れてしまうところばかりを狙って、芽衣を痛めつけているようだ。
首を絞める指に、わずかながら手心を感じる。
「もっと締めて、ほら」
ろくな前戯もなしに挿入され、ナカが擦り切れるように痛む。
伊織の暴力的な行為を前に、芽衣はぼんやりと坂田のことを思い出していた。
芽衣の髪を梳く、やさしげな手つき。首筋を這う、薄い唇。自分がやったことにすればいいと笑う、あのひんやりとした目。
ずるり、と下から抜ける感覚がして、芽衣は急に圧迫感から解放された。
「もういいや、飽きた」
伊織はそう言うが早いか、さっさと芽衣から手を離し、いそいそと服を着込む。
芽衣のことなど忘れたように、背を向けてテレビの電源をつける。
芽衣は噛み跡から流れる血を簡単に拭い、よろよろと下着や服を身につけた。
帰る前に一声かけようか。そう悩んだものの、伊織はすでに芽衣のことなど興味がないようだ。
音を立てないようにそっと立ち上がり、玄関のドアノブに手をかける。
芽衣が家を出る寸前、伊織が「あっ」と声を上げた。
「もう俺の部屋に来なくていいから」
「それは、どういう……」
芽衣も思わず足を止めて、伊織に聞き返す。
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