上 下
4 / 11

(4)

しおりを挟む
「わたしは……別れる気とか、ないから」

 かろうじて、芽衣めい坂田さかたから目をらしながら言った。
 もしここで、部室にだれか来たら?
 サークル内ではたちまち、芽衣と坂田が付き合っていると噂を流されるにちがいない。二年生の芽衣はともかく、たった三ヶ月前に入部したばかりの坂田がサークルの先輩と付き合っているなんて誤解されたら、気持ちのいいものではないだろう。
 両手で坂田の胸を押してみるが、びくともしない。
 それどころか、そのまま引き寄せられ、芽衣はあっという間に坂田に抱きすくめられた。

「ちょっ、ちょっとだれか来たらどうする――」
「黙って」

 坂田が言うのと同時に、部室のドアがドンドンとノックされた。
 芽衣は坂田を振りほどこうともがくが、ますます力をこめて抱きしめられて、だれが来たのかすら確認することもできない。

「会計は……っと、いないみたいですね。すみません、邪魔して」

 坂田の腕の中で、くぐもった男の声が聞こえる。
 おそらく、他のサークルの代表者かだれかが予算の確認をしに来たのだろう。
 しかし、その人物は会計係がいないと分かるとそそくさと退出したらしい。バタンとドアが閉まる音がして、部室にしんとした静けさが戻ってくる。

「バスケサークルの部長でした」

 坂田が何事も起こっていないというような涼しい顔で報告してくる。

「絶対この前の予算会議の話じゃん! どうして離してくれないの!?」

 芽衣は抗議しながら両手を引くが、坂田はまったく力を緩めない。
 形のいい、薄い唇が弧を描く。

「見せびらかしたかったんすか? 真面目な会計補佐が、後輩と部室で今まさにヤろうとしてるところ」
「ヤろうとなんてしてないけど!」
「大丈夫ですよ、俺のおかげであの部長、遠井とおい先輩だって気づいてませんでしたから」

 飄々ひょうひょうとのたまう坂田とは対照的に、芽衣は恥ずかしさや後悔や不甲斐なさやらなにやらで、ふるふると震えた。
 芽衣の顔をのぞきこんだ坂田が、一瞬目を見張る。
 きっと自分は、泣きそうな目をして坂田を睨んでるのだろう。他人事のように、芽衣はそう思った。

「すみません、調子乗って」

 坂田が心底申し訳なさそうな顔をして、芽衣の両手を離し、身を引く。
 やっと解放された芽衣は、ふらふらとソファーから立ち上がった。
 部室の中をうかがうように、入口に立っている人物と目が合って、芽衣は腰が抜けたようにゆらりと傾いた。
 ローテーブルにぶつかる寸前で、坂田が芽衣の身体を支える。

「遠井って、男だったらだれでもいいんだな」

 微塵も親しみを感じさせない、硬質な声。
 芽衣を見下ろす、冷ややかな目。

伊織いおり先輩……」

 坂田も伊織の存在に気づき、はっと顔を上げる。
 芽衣をソファーに座らせた坂田は、果敢にも伊織に歩み寄った。流れるような動作で、伊織のTシャツの胸倉を掴みあげる。

「今さら、なんの用すか」
「なんのって、遠井を迎えに来たんだけど」

 伊織が、坂田に詰められたまま、ちらりと芽衣を見る。
 伊織の冷たい視線に、足が竦みあがる。

「人の彼女に手出すの、やめてくれないかな」
「ヤるだけヤって、夜中に放り出しておいて彼氏面するんすか」

 伊織の目が厳しくなる。そんなことまで喋ったのか、という芽衣に対しての批難の目。
 芽衣はただ黙って、二人の行く先を見守るしかない。芽衣がなにを言っても、伊織には響かないから。

「分かりませんか? 遠井先輩は、伊織先輩と付き合って傷ついてるんですよ」
「そうなの?」

 伊織がふいに芽衣に問いかける。
 伊織に聞かれたところで、素直に「はい」と言えるわけがない。
 なにも言えないでいる芽衣に、伊織はさらに問う。

「遠井は、俺と付き合えて幸せだもんね?」

 有無を言わさない、にこにことした笑顔。坂田に詰められているのに、自分の勝利を信じて疑わない、まっすぐな目。
 芽衣はただ足元を見て、こっくりとうなづいた。
 坂田がすうっと息を飲む音がする。

「だってさ。全部、坂田の勘違いだから手離してくれない?」

 解放された伊織が、こちらに歩いてくる音がする。芽衣の視界に、伊織のスニーカーが映った。

「ほら、遠井立って。今日は俺の家に来るって約束だったよね?」

 そんな約束、していない。
 けれど、見上げた伊織の目は冷え冷えとしていて、なにも言い出せない。
 芽衣がのろのろと立ち上がると、待ちきれなくなったのか伊織に強く手を引かれた。半ば引きずられるようにして、部室を後にする。
 最後に見た坂田の顔は、怒りと悲しみとがない混ぜになったような、奇妙な表情だった。



◇ ◇ ◇



 少し身じろぎしただけで、痛みに息が詰まる。芽衣の白い太ももにはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた。
 伊織は服を着ればたちまち隠れてしまうところばかりを狙って、芽衣を痛めつけているようだ。
 首を絞める指に、わずかながら手心を感じる。

「もっと締めて、ほら」

 ろくな前戯もなしに挿入され、ナカが擦り切れるように痛む。
 伊織の暴力的な行為を前に、芽衣はぼんやりと坂田のことを思い出していた。
 芽衣の髪を梳く、やさしげな手つき。首筋を這う、薄い唇。自分がやったことにすればいいと笑う、あのひんやりとした目。
 ずるり、と下から抜ける感覚がして、芽衣は急に圧迫感から解放された。

「もういいや、飽きた」

 伊織はそう言うが早いか、さっさと芽衣から手を離し、いそいそと服を着込む。
 芽衣のことなど忘れたように、背を向けてテレビの電源をつける。
 芽衣は噛み跡から流れる血を簡単に拭い、よろよろと下着や服を身につけた。
 帰る前に一声かけようか。そう悩んだものの、伊織はすでに芽衣のことなど興味がないようだ。
 音を立てないようにそっと立ち上がり、玄関のドアノブに手をかける。
 芽衣が家を出る寸前、伊織が「あっ」と声を上げた。

「もう俺の部屋に来なくていいから」
「それは、どういう……」

 芽衣も思わず足を止めて、伊織に聞き返す。
 伊織はなんの感慨も持たずに、あっさりと言った。

「別れよ。遠井と付き合うの、めんどくさくなったし」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒王子の溺愛は続く

如月 そら
恋愛
晴れて婚約した美桜と柾樹のラブラブ生活とは……? ※こちらの作品は『黒王子の溺愛』の続きとなります。お読みになっていない方は先に『黒王子の溺愛』をお読み頂いた方が、よりお楽しみ頂けるかと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

君から逃げる事を赦して下さい 番外編

鳴宮鶉子
恋愛
君から逃げる事を赦して下さい 番外編 エタニティ描写入ります

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

溺愛婚〜スパダリな彼との甘い夫婦生活〜

鳴宮鶉子
恋愛
頭脳明晰で才徳兼備な眉目秀麗な彼から告白されスピード結婚します。彼を狙ってた子達から嫌がらせされても助けてくれる彼が好き

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

雨音。―私を避けていた義弟が突然、部屋にやってきました―

入海月子
恋愛
雨で引きこもっていた瑞希の部屋に、突然、義弟の伶がやってきた。 伶のことが好きだった瑞希だが、高校のときから彼に避けられるようになって、それがつらくて家を出たのに、今になって、なぜ?

処理中です...