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芽衣めいちゃんどうしちゃったの、その跡!? だれにやられたの? お姉さんが慰めてあげようか!?」
「い、いえ、間に合ってます大丈夫です……」

 ぐいぐいと自慢の巨乳を押しつけてくる福原ふくはらをかわし、芽衣は苦笑いで返した。
 伊織いおりと福原は同じ学年、同じ学部、同じサークルと仲が良いはずだが、伊織と芽衣が付き合っているということ以上の情報は持ち合わせていないらしい。
 二日たっても、芽衣の首にはくっきりと伊織に絞められた指の跡が残っていた。
 もちろん、坂田さかたにつけられた痕も。

「サークルの男たちになにかされたんじゃないよね?」
「本当に、なにもないですから……」

 伊織にやられたとは、口が裂けても言えない。
 しかし、福原の追及をいつまでも避け続けることはできない。勘のいい福原なら、ちょっとした言葉の端を捉えて、またたく間に問い詰めてくるだろう。
 部室には芽衣と福原の二人。サークルメンバーと何度か廊下ですれ違ったが、まだだれも部室に顔を見せてはいない。
 早く、だれか来て欲しい。
 そんな芽衣の願いが通じたのか、ドアノブがガチャっと回る音がした。

「お疲れさまです」
「お疲れ~! って坂田じゃん! 久しぶり~」

 よりにもよって、部室に顔を出したのは一年生の後輩男子、坂田しゅんだった。
 福原が席を立って、入口に立ち尽くす坂田の身体をベタベタと触っている。坂田はそんなことは気にならないというように、涼しい顔で芽衣のほうを向いた。

「二人だけですか?」
「うん、今日はだれも来てない」
「経済学部が全体休講だから、みんな大学にすら来てないんじゃない?」

 福原が坂田の肩に寄りかかりながら言う。
 坂田がその細く長い指で福原の髪を梳くのを、芽衣は複雑な心持ちで眺めていた。
 サークルの所属メンバーの大半は、経済学部の学生だ。芽衣や福原、坂田のように文学部や法学部の人間は数えるほどしかいない。
 芽衣もたまたまバイトが休みだったから部室にいるものの、福原以外にだれも来ないなら帰ろうと思っていたところだった。

 坂田が来たせいで、あまり見たくもないものを見せられているが。
 そういえばこの二人、もう寝たことあるんだったな、と芽衣は頭の片隅で思い出した。
 別に坂田がだれと寝ようが、関係はないのだけれど。

「坂田、今日ひま?」

 福原が豊かな胸をさらに寄せて、坂田に迫る。あんな肉感的なものを見せられたら、だれだって福原について行きたくなるだろう。女の芽衣だって、福原に迫られたらドキドキするのだから。
 けれど、坂田は一瞬、眼鏡の奥の目を細めただけで、ひょいと福原の身体を離した。

「レポートの締切やばいんで、すみません」

 坂田は事もなげに断ると、そのまま部室のソファーに腰を下ろした。
 リュックから薄っぺらいノートPCを取り出して、本当にレポートに取りかかるつもりらしい。

「ふーん、じゃあ帰ろっかな。芽衣ちゃんまたね!」
「お、お疲れさまです……!」

 福原の変わり身の早さには驚かされる。坂田に断られたことなど、まったく気にしていないようだ。
 そんなことをいちいち気にするようなら、趣味で後輩漁りなどできないのかもしれない。
 福原が部室を出て行き、静寂が訪れる。
 レポート作成の邪魔をしてはいけないし、帰ろうかな。
 そんなことを思って席を立った時、坂田がつとノートPCの画面から顔を上げた。

「帰っちゃうんですか?」

 フレームの細い眼鏡にさっぱりとした白いワイシャツを合わせている坂田は、さながら弁護士のように見える。
 意識して見たことはなかったが、こうまじまじと見るとかなりイケメンの部類だろう。福原がしきりに坂田と寝たがる理由も、なんとなく分かる気がする。

「レポートあるんでしょ? わたしは特にやることないし、帰ろうかなって思って」
「せっかく二人っきりなんだから、もっと話しましょうよ」

 坂田がそう言いながらノートPCを閉じ、ソファーの空いたところをぽんぽんと叩く。そこに座れということだろうか。
 芽衣はおそるおそる歩み寄り、ソファーの端に腰を下ろした。四人まで座れる大きなソファーのため、坂田と芽衣の間にはまだ人が座れるほどの隙間がある。

「そんな離れなくてもいいじゃないすか」

 芽衣が席を立つより早く、坂田がさっと腰を浮かせて芽衣の隣に腰を下ろした。
 太ももがぴったりとくっつくような近距離で、ひんやりとした目が芽衣の顔をのぞきこむ。

「首の跡、まだ消えないんすね」

 坂田の指先が、そっと芽衣の首筋に触れる。
 びくりと肩を揺らした芽衣を見て、坂田は喉の奥で笑った。

「あんまり可愛い反応すると、本気で食いますよ」
「なっ……!」

 首筋をなぞっていた指先が、するりと後頭部に差し入れられる。
 先ほど福原にやっていたように、坂田の指が芽衣の髪を梳く。

「さっき俺が福原先輩とイチャついてたの見て、嫉妬したんですよね?」
「……するわけないでしょ。わたし、別に坂田くんの彼女じゃないし」
「本当に?」

 さらさらと髪を梳いていた指が止まり、芽衣は坂田の顔を見上げた。
 芽衣は息を整えて、頭から坂田の指を引き剥がす。

「坂田くん、いつもそうやって女の子引っかけてるんでしょ? 見た目のわりに、軽いよね」

 坂田の見た目はいたって真面目だ。フレームの細い眼鏡も、ひんやりとした目も、けっして着崩さない服装も。一年生にしては大人っぽい顔つきも、会社員かなにかだと言えば、騙される人もいるだろう。
 しかし、中身はまるでちがう。少なくとも、芽衣から見えている範囲の坂田は真面目なんてものではない。勉強の面に関しては真面目なのかもしれないけれど。

遠井とおい先輩は、俺のこと嫌いなんすか」

 身を押すようにして、坂田は芽衣に顔を近づけた。ふんわりと、歯磨き粉のようなミントの匂いがする。
 後ずさろうとした芽衣の背中が、壁にとんとつく。壁際に座ったせいで、芽衣に逃げ場はなかった。
 眼鏡の奥の瞳が、じっとりと濡れているように見える。

「嫌いじゃないよ……サークルの後輩の一人として、いい子だなって思ってる」

 これは芽衣の、嘘偽りない本心だ。
 坂田はただのサークルの後輩。それ以上でも以下でもない。
 ただ坂田は心外だとばかりに、むすっとした顔を見せる。

「こんなことされてるのに、俺に向かっていい子だなんて言うんすね」

 坂田はほとんど身を乗り出して、芽衣を壁際に追い詰めている。芽衣の脚の間に坂田の膝が割り込んで、両手は坂田があっさりと片手で捕まえていた。
 坂田が親指で、芽衣の耳をするりと撫でる。
 下腹部がぎゅっと縮まり、痺れのような震えが這い上がってくる。
 潤んだ目で見上げると、坂田はぐっと息を飲んだ。

「遠井先輩」

 坂田が熱に浮かされたような声で、ささやく。

「早く、伊織先輩と別れて」

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