27 / 29
27.レスターの真実
しおりを挟む
入口で亡霊のようにさまよっていたアルマを、大股ですり抜ける影が喋り出す。幾度となく聞いた、ひんやりと心を撫でる声に涙があふれてくる。
「……カルナ、さん」
つとアルマに目線を寄越したカルナは一見すると無表情だが、腹の底には静かな怒りがくすぶっているように見える。
カルナは肩のあたりまで、鱗で覆われつつあるレスターを見下ろしながら言った。
「自分の欲求を満たすためだけに竜の名を騙るなんて、とんでもねぇ人間だな?」
底冷えするような低い声に、アルマまで震えがぶり返してくる。
ミーシャは姿こそ猫ではないが、愛玩動物らしい仕草で、カルナの足元にすり寄った。カルナが育ての親に見えてくるから、不思議な光景である。
カルナは悠長にミーシャの背を撫でてやっている。目を細める仕草は猫の時から変わっていない。
「自分の欲求のためだと? 私が一体、どんなことを思っているか、貴様に分かるはずないだろう!」
掴みかからんとする勢いのレスターを、カルナはあくまで冷ややかに見据える。
「お前が女を痛めつけて喜ぶ変態なのは知っている」
「なにを……」
「全部言わねぇと分かんないか? 三十二年前、自分の目の前で腹裂いて死んだ母親を見て興奮してたクソガキがお前だろ? ビビりすぎて泣けないのかと思っていたが……あの気持ち悪い顔は、この歳になっても忘れらんねぇな」
カルナが嘲るように笑う。レスターは鱗の浸食を受けながらも、反論しようと口を開いては閉じている。羞恥心なのか、表情が歪む。
「あの、つまり、どういうことで……」
アルマはたまらず口を挟んだ。先ほどのレスターの自供から、レスターが女性の死に際の美しさに囚われていることは分かった。
けれど、その源流が母親だと言うのか?
アルマは困惑するしかない。
「私はただ、あの美しい光景を再現したかった……。苦しみながら、竜に喰われ、死んでいく女の表情に、私はどうしようもなく魅せられたのだから……」
倒れるように床に腰を下ろしたレスターが呟く。
「普通の女じゃ、満足できない。目の色が違う女なら、もしかしたら魔女かもしれない……人間なら即死の苦痛を超えて、あの表情が見られるかもしれない。そう思ったのに――」
鱗に蝕まれていく自分のことなど意に介さず、レスターは喋り続ける。
「魔女はいない……貴様が殺した、私の母以来! 私は一度として同じ快感を味わうことができなかった!」
喉を引き裂くような絶叫だった。
すでに鱗はレスターの顔面を半分ほど埋め尽くし、新天地を求めて行進を続けている。アルマは本能的に、レスターに残された時間は、そう多くないことを悟った。
「言いたいことは、それだけか?」
さして興味もなさそうな問い方で、カルナは死にゆくレスターを見やる。
一歩も動くことができないまま、アルマの脳内には様々な思いが駆け巡っていた。
カルナの言う通り、レスターは自分の欲求のために、アルマの母親を殺した。そして、アルマのことも砦に連れてきた。アルマがカルナに喰われ、苦しむ姿が見られるかもしれないと、打算的な考えを持って。
計画が成功しないと分かると、今度は自分で手を下そうとしたのだ。アルマの母親も、セリモッドの妻ドルシーも、一度は砦を出られたのに、レスターの毒牙にかかった。
それは、アルマも。カルナが来なければ、ミーシャがいなければ、今頃は息をしていないか、瞳だけくり抜かれていたかもしれない。すべては竜であるカルナを利用した、レスターによる壮大な狂気の演劇だったのだ。
憎まないわけはない。他でもない母親の命を奪ったのだから。
けれど、一人きりの墓地から救い出してくれたのもまた、レスターなのだ。過去が帳消しになるわけではないし、そもそもレスターが母親を連れていかなければ、アルマが一人になることもなかった。
意味が分からない。相反する二つの感情を持て余している。しかし、ここでレスターを殺してしまうのだけは、避けたかった。
まだ聞かなければならないことがあるはずだ。なにより、ここで死んでしまえばセリモッドが報われないような気がした。
「待ってください、カルナさん」
「なんか言いたいことが?」とカルナが気だるげに視線だけをアルマに向ける。自分を見る目が厳しいことにたじろいだが、ひりつく喉からどんな言葉を紡ごうか逡巡した。
「ここで、殺すつもりなんですか?」
「生かしておく理由がない」
「で、でも、まだ母のことが聞けていなくて……その、もう生きていないだろうってことは分かったんですけど」
カルナの体が、ふるふると震えた。どうやらアルマの言葉を聞いて笑いを噛み殺しているらしい。
揺れに合わせて、ミーシャも牙を見せつけるようにがばりと口を開く。どこか誇らしげだったが、猫の面影が一切ないその生物を、もう一度可愛がることができるかは未知数だ。
「拷問にかけて全部聞き出してから殺せってか?」
「そういうわけでは」
「お前もいい趣味してんな」
よほど面白かったのか、カルナはまた肩を揺らす。拷問にかけたいなどとは露ほども思っていないが、すべてを聞き出したいという気持ちは痛いほどにある。そして、ここにはあいないセリモッドも、同じように思うはずだ。
カルナはいとも簡単にレスターを担ぎ上げた。すっかり鱗に覆われてしまったレスターは、大きな蛹にも見える。かすかに身じろぎしているため、死んではいないようだが、いつ息を引き取るか分かったものではない。
暗く長い階段を上りながら、アルマはしきりいカルナを急かした。ミーシャがふわふわろ飛びながら、アルマの周りを旋回している。
「心配すんな。魔女の血を引いてんだから、すぐには死なねぇよ」
「……カルナ、さん」
つとアルマに目線を寄越したカルナは一見すると無表情だが、腹の底には静かな怒りがくすぶっているように見える。
カルナは肩のあたりまで、鱗で覆われつつあるレスターを見下ろしながら言った。
「自分の欲求を満たすためだけに竜の名を騙るなんて、とんでもねぇ人間だな?」
底冷えするような低い声に、アルマまで震えがぶり返してくる。
ミーシャは姿こそ猫ではないが、愛玩動物らしい仕草で、カルナの足元にすり寄った。カルナが育ての親に見えてくるから、不思議な光景である。
カルナは悠長にミーシャの背を撫でてやっている。目を細める仕草は猫の時から変わっていない。
「自分の欲求のためだと? 私が一体、どんなことを思っているか、貴様に分かるはずないだろう!」
掴みかからんとする勢いのレスターを、カルナはあくまで冷ややかに見据える。
「お前が女を痛めつけて喜ぶ変態なのは知っている」
「なにを……」
「全部言わねぇと分かんないか? 三十二年前、自分の目の前で腹裂いて死んだ母親を見て興奮してたクソガキがお前だろ? ビビりすぎて泣けないのかと思っていたが……あの気持ち悪い顔は、この歳になっても忘れらんねぇな」
カルナが嘲るように笑う。レスターは鱗の浸食を受けながらも、反論しようと口を開いては閉じている。羞恥心なのか、表情が歪む。
「あの、つまり、どういうことで……」
アルマはたまらず口を挟んだ。先ほどのレスターの自供から、レスターが女性の死に際の美しさに囚われていることは分かった。
けれど、その源流が母親だと言うのか?
アルマは困惑するしかない。
「私はただ、あの美しい光景を再現したかった……。苦しみながら、竜に喰われ、死んでいく女の表情に、私はどうしようもなく魅せられたのだから……」
倒れるように床に腰を下ろしたレスターが呟く。
「普通の女じゃ、満足できない。目の色が違う女なら、もしかしたら魔女かもしれない……人間なら即死の苦痛を超えて、あの表情が見られるかもしれない。そう思ったのに――」
鱗に蝕まれていく自分のことなど意に介さず、レスターは喋り続ける。
「魔女はいない……貴様が殺した、私の母以来! 私は一度として同じ快感を味わうことができなかった!」
喉を引き裂くような絶叫だった。
すでに鱗はレスターの顔面を半分ほど埋め尽くし、新天地を求めて行進を続けている。アルマは本能的に、レスターに残された時間は、そう多くないことを悟った。
「言いたいことは、それだけか?」
さして興味もなさそうな問い方で、カルナは死にゆくレスターを見やる。
一歩も動くことができないまま、アルマの脳内には様々な思いが駆け巡っていた。
カルナの言う通り、レスターは自分の欲求のために、アルマの母親を殺した。そして、アルマのことも砦に連れてきた。アルマがカルナに喰われ、苦しむ姿が見られるかもしれないと、打算的な考えを持って。
計画が成功しないと分かると、今度は自分で手を下そうとしたのだ。アルマの母親も、セリモッドの妻ドルシーも、一度は砦を出られたのに、レスターの毒牙にかかった。
それは、アルマも。カルナが来なければ、ミーシャがいなければ、今頃は息をしていないか、瞳だけくり抜かれていたかもしれない。すべては竜であるカルナを利用した、レスターによる壮大な狂気の演劇だったのだ。
憎まないわけはない。他でもない母親の命を奪ったのだから。
けれど、一人きりの墓地から救い出してくれたのもまた、レスターなのだ。過去が帳消しになるわけではないし、そもそもレスターが母親を連れていかなければ、アルマが一人になることもなかった。
意味が分からない。相反する二つの感情を持て余している。しかし、ここでレスターを殺してしまうのだけは、避けたかった。
まだ聞かなければならないことがあるはずだ。なにより、ここで死んでしまえばセリモッドが報われないような気がした。
「待ってください、カルナさん」
「なんか言いたいことが?」とカルナが気だるげに視線だけをアルマに向ける。自分を見る目が厳しいことにたじろいだが、ひりつく喉からどんな言葉を紡ごうか逡巡した。
「ここで、殺すつもりなんですか?」
「生かしておく理由がない」
「で、でも、まだ母のことが聞けていなくて……その、もう生きていないだろうってことは分かったんですけど」
カルナの体が、ふるふると震えた。どうやらアルマの言葉を聞いて笑いを噛み殺しているらしい。
揺れに合わせて、ミーシャも牙を見せつけるようにがばりと口を開く。どこか誇らしげだったが、猫の面影が一切ないその生物を、もう一度可愛がることができるかは未知数だ。
「拷問にかけて全部聞き出してから殺せってか?」
「そういうわけでは」
「お前もいい趣味してんな」
よほど面白かったのか、カルナはまた肩を揺らす。拷問にかけたいなどとは露ほども思っていないが、すべてを聞き出したいという気持ちは痛いほどにある。そして、ここにはあいないセリモッドも、同じように思うはずだ。
カルナはいとも簡単にレスターを担ぎ上げた。すっかり鱗に覆われてしまったレスターは、大きな蛹にも見える。かすかに身じろぎしているため、死んではいないようだが、いつ息を引き取るか分かったものではない。
暗く長い階段を上りながら、アルマはしきりいカルナを急かした。ミーシャがふわふわろ飛びながら、アルマの周りを旋回している。
「心配すんな。魔女の血を引いてんだから、すぐには死なねぇよ」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる