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5.竜と生贄
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ごとごとと心地良い揺れが、全身を包んでいる。
ゆったりと意識を引き戻して、薄く目を開けると、向かいに領主の男が座っているのが見えた。馬車の窓から差し込む夕日が、男の顔を蜜色に染めている。
男はアルマが起きたことに気づき、ちらりと目線を向けた。
「気づかれましたか」
夕日と同じ、蜂蜜色の瞳が瞬き、アルマのおぼろげな視線をやんわりと受け止める。
「どこへ……」
「この馬車は西の砦へ向かっています。本当は屋敷に招待したいのですが、妻がうるさくてね」
「西の――竜の砦ですか?」
男は一瞬、呆気に取られたように黙り込んだ。アルマが砦の話を知っているとは思っていなかったのだろう。
しかし墓地での、あの言葉。アルマの代わりに生贄を出せない者は……。
アルマは乾ききった唇を湿らせ、言葉を探す。男は自分から話を切り出すのを諦め、アルマに先を促している。
「わたしは、竜の砦の生贄になる、ということですね」
いざ口に出してみると、その重みは想像以上で、アルマは足元に這い寄る死の影に怯える。墓地で死ぬか、砦で死ぬかの違いしかないようだ。
男はアルマの言葉を聞いても、表情ひとつ変えない。
「すべてご存知で?」
「噂には聞いていました。もしかしたら、わたしの目の色で、生贄にならずに済むと思ったことも、ありますけれど……」
「君の瞳の色になんの関係が」
男は本当に意味が分からないというように、肩をすくめた。
不思議な男だと思った。アルマの目の色を見てもなお、異端だと罵ることもなく、避けることもしない。それどころかアルマの目を深く見つめて、綺麗だと言った。
黙り込んでしまったアルマに助け船を出すように、男が問いかける。
「君の家族はどこに?」
「今はいません。出稼ぎに行ったまま、何年も帰ってきていないので、生きてるかどうかも……」
「すまない。無神経な質問でしたね」
また、馬車の中に沈黙が下りる。気まずさから見るともなしに窓の外を眺めると、冬に向けてすっかり葉を落とした木々ばかりが目に入った。
進むごとに木々の密度が濃くなっていることを見ると、どうやら馬車は森の方面へ向かっているらしい。村の外に出たことのないアルマにとっては、すべてが新鮮に映ったが、景色を楽しむ余裕はなかった。
「そういえば」と男が切り出し、アルマの意識も景色から、男に引き戻される。
「名前を告げていませんでしたね」
アルマが視線を投げかけると、男はすっと居住まいを正す。
「私はレスター・アルフォンライン。アルフォンライン家の次男で、領主です。西の砦のみならず、アルフォンライン領で起こるすべてについて、決定権を持っています」
「領主様は、その……」
「レスターで構いませんよ」
領主の男、レスターはアルマの泥だらけの手を握り、包み込む。力仕事をほとんどしたことのない人だけが持つ、柔らかく繊細な手のひらが、アルマの硬くこわばった手を優しく撫でる。
アルマはどう切り出すか、少しだけ迷ってから口を開いた。
「レスター様は、竜人ではないのですか?」
問われたレスターは、ぽかんと口を開けたまま、しばらくアルマの顔を見つめていた。的外れな質問をしたらしいと気づくのに、そう時間はかからず、レスターの返答を前に、アルマは自分の発言を取り消したくなった。
耳まで赤く染めてうつむくアルマに、レスターの独り言が降ってくる。レスターは一人、なにかを納得したらしく、笑いながら「顔を上げてください」とアルマに指示した。
「君は、少し誤解しているようですね。私は竜人でもないし、戦う力もない、ただの領主なのですよ。砦の騎士たちに指示を出し、領地を守るのが私の仕事です」
「砦の生贄を選ぶのも、レスター様の仕事なんですよね?」
口をついて出たその言葉は、アルマの意図に反して過分に皮肉がこもっていた。レスターも好きでこんな仕事をしているのではなさそうなのに、結果的に責めるような言い方になってしまったが、レスターは飄々としたまま、アルマの言葉を受け流す。
「生贄が必要なのは、竜人が住んでいる西の砦だけですよ。人を喰えば、あれは千人隊でも一瞬で屠れる力を秘めているのだから」
後半は、ほとんど独り言のようだった。しかし、人を食べることで力を発揮する竜人の話は、アルマを震え上がらせるには十分だった。
竜人と言うからには、人に似た姿を持っているはずである。人に似た竜人が人を喰らう。その光景のおぞましさに、ぶるりと身震いをする。
「西の砦には竜人以外にも、人が住んでいるのですか?」
「最初は竜人が一人で住んでいましたが、何年か前に見張り塔の番人を一人雇いました。あとはその時々によって、生贄がいたり、いなかったりします」
生贄の話は、あまり聞きたくなかった。アルマは馬車がいまだ枯れた木々を追い抜いているだけなのを見て、エムイ村から西の砦まで、かなり距離があると推測した。
「その竜人はどこからきて、砦を守ることになったのでしょう……」
ちょっとした疑問だったが、レスターの琴線に触れたらしい。忌々しいと言わんばかりに顔をゆがめたレスターが、間を置くように外へ目を向ける。感情を抑えつけるように長い息を吐き出して、レスターは表情を作り直す。
「竜人の騎士は、私の曾祖母の息子なんです。と言っても見た目は二十代の男だが……。なんでも、曾祖母が国境で行方不明になったときに、助けてもらった竜との間の子らしいのです」
深いため息を吐いて、レスターが続ける。
「彼には竜の血が半分、流れています。そのため、人間とは時間の流れが違うのでしょう。私が子どものときから、彼は西の砦を治める騎士でした」
ゆったりと意識を引き戻して、薄く目を開けると、向かいに領主の男が座っているのが見えた。馬車の窓から差し込む夕日が、男の顔を蜜色に染めている。
男はアルマが起きたことに気づき、ちらりと目線を向けた。
「気づかれましたか」
夕日と同じ、蜂蜜色の瞳が瞬き、アルマのおぼろげな視線をやんわりと受け止める。
「どこへ……」
「この馬車は西の砦へ向かっています。本当は屋敷に招待したいのですが、妻がうるさくてね」
「西の――竜の砦ですか?」
男は一瞬、呆気に取られたように黙り込んだ。アルマが砦の話を知っているとは思っていなかったのだろう。
しかし墓地での、あの言葉。アルマの代わりに生贄を出せない者は……。
アルマは乾ききった唇を湿らせ、言葉を探す。男は自分から話を切り出すのを諦め、アルマに先を促している。
「わたしは、竜の砦の生贄になる、ということですね」
いざ口に出してみると、その重みは想像以上で、アルマは足元に這い寄る死の影に怯える。墓地で死ぬか、砦で死ぬかの違いしかないようだ。
男はアルマの言葉を聞いても、表情ひとつ変えない。
「すべてご存知で?」
「噂には聞いていました。もしかしたら、わたしの目の色で、生贄にならずに済むと思ったことも、ありますけれど……」
「君の瞳の色になんの関係が」
男は本当に意味が分からないというように、肩をすくめた。
不思議な男だと思った。アルマの目の色を見てもなお、異端だと罵ることもなく、避けることもしない。それどころかアルマの目を深く見つめて、綺麗だと言った。
黙り込んでしまったアルマに助け船を出すように、男が問いかける。
「君の家族はどこに?」
「今はいません。出稼ぎに行ったまま、何年も帰ってきていないので、生きてるかどうかも……」
「すまない。無神経な質問でしたね」
また、馬車の中に沈黙が下りる。気まずさから見るともなしに窓の外を眺めると、冬に向けてすっかり葉を落とした木々ばかりが目に入った。
進むごとに木々の密度が濃くなっていることを見ると、どうやら馬車は森の方面へ向かっているらしい。村の外に出たことのないアルマにとっては、すべてが新鮮に映ったが、景色を楽しむ余裕はなかった。
「そういえば」と男が切り出し、アルマの意識も景色から、男に引き戻される。
「名前を告げていませんでしたね」
アルマが視線を投げかけると、男はすっと居住まいを正す。
「私はレスター・アルフォンライン。アルフォンライン家の次男で、領主です。西の砦のみならず、アルフォンライン領で起こるすべてについて、決定権を持っています」
「領主様は、その……」
「レスターで構いませんよ」
領主の男、レスターはアルマの泥だらけの手を握り、包み込む。力仕事をほとんどしたことのない人だけが持つ、柔らかく繊細な手のひらが、アルマの硬くこわばった手を優しく撫でる。
アルマはどう切り出すか、少しだけ迷ってから口を開いた。
「レスター様は、竜人ではないのですか?」
問われたレスターは、ぽかんと口を開けたまま、しばらくアルマの顔を見つめていた。的外れな質問をしたらしいと気づくのに、そう時間はかからず、レスターの返答を前に、アルマは自分の発言を取り消したくなった。
耳まで赤く染めてうつむくアルマに、レスターの独り言が降ってくる。レスターは一人、なにかを納得したらしく、笑いながら「顔を上げてください」とアルマに指示した。
「君は、少し誤解しているようですね。私は竜人でもないし、戦う力もない、ただの領主なのですよ。砦の騎士たちに指示を出し、領地を守るのが私の仕事です」
「砦の生贄を選ぶのも、レスター様の仕事なんですよね?」
口をついて出たその言葉は、アルマの意図に反して過分に皮肉がこもっていた。レスターも好きでこんな仕事をしているのではなさそうなのに、結果的に責めるような言い方になってしまったが、レスターは飄々としたまま、アルマの言葉を受け流す。
「生贄が必要なのは、竜人が住んでいる西の砦だけですよ。人を喰えば、あれは千人隊でも一瞬で屠れる力を秘めているのだから」
後半は、ほとんど独り言のようだった。しかし、人を食べることで力を発揮する竜人の話は、アルマを震え上がらせるには十分だった。
竜人と言うからには、人に似た姿を持っているはずである。人に似た竜人が人を喰らう。その光景のおぞましさに、ぶるりと身震いをする。
「西の砦には竜人以外にも、人が住んでいるのですか?」
「最初は竜人が一人で住んでいましたが、何年か前に見張り塔の番人を一人雇いました。あとはその時々によって、生贄がいたり、いなかったりします」
生贄の話は、あまり聞きたくなかった。アルマは馬車がいまだ枯れた木々を追い抜いているだけなのを見て、エムイ村から西の砦まで、かなり距離があると推測した。
「その竜人はどこからきて、砦を守ることになったのでしょう……」
ちょっとした疑問だったが、レスターの琴線に触れたらしい。忌々しいと言わんばかりに顔をゆがめたレスターが、間を置くように外へ目を向ける。感情を抑えつけるように長い息を吐き出して、レスターは表情を作り直す。
「竜人の騎士は、私の曾祖母の息子なんです。と言っても見た目は二十代の男だが……。なんでも、曾祖母が国境で行方不明になったときに、助けてもらった竜との間の子らしいのです」
深いため息を吐いて、レスターが続ける。
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