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Ⅸ.はぐれものたち
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「素性の知れない人間とは一緒に働けない」という四葉の主張を、生活安全局の上司である浅見はゆっくりとうなずいて受け止めた。
「ごめんなさい。もうすこしきちんと説明するべきだったわね」
浅見に謝られると、尻がむずむずするような居心地の悪さを感じる。浅見は生活安全局のフロアを一瞥してから、「会議室に行きましょう」と四葉を誘った。
彼女の後についてフロアを出て、空室の会議室へ入る。四葉が手近な椅子に座ったところで、浅見もパイプ椅子に腰を下ろし、深いため息のような呼吸をした。
「それで、なにから聞きたい? 私が答えられることなら、なんでも話すわ」
なにから、と言われてすこし迷ったが、息を整えて疲労の滲む浅見の顔をまっすぐに見つめる。
「まず聞きたいのは、二人の素性です。彼らは名字すら教えてくれなくて」
浅見がふっと遠くを見るような目つきをする。目の前にいる四葉のもっと向こう、別の誰かを見ているような。
「ミウと名乗った子がいるでしょう。あの子は、御園長官の息子さんよ」
「御園長官って、警察庁の――」
「そう、一番偉い人。ミウなんて呼ばれているけれど、本名は御園怜哉。今年、長官官房に配属になった御園斗弥って子がミウのお兄さんね」
次々に衝撃の事実を告げられて、頭が上手く回らない。あの女装して、不思議なお嬢様言葉を使う青年が警察庁長官の息子? しかもお兄さんは長官官房に配属されたエリート新人ときた。なぜ彼は、あんな地下でお金になるかも怪しい仕事をやっているのだろう? 素性を聞くはずが、ますます迷宮に迷い込んだ気がしてくる。
「大丈夫?」と浅見に声をかけられて、四葉はぎしぎしと骨が軋みそうなぎこちない頷きを返した。
「噂では御園長官が怜哉くんのことを家から追い出したって聞いたけど、本当のところは本人にしかわからないわね」
「凛月さんのほうは……そもそも、凛月って本名なんですか?」
「彼ね、名前がないの」
それはまったく予想もしていなかった一言だった。
「正確に言うと、国が把握している名前がないって感じかしら」
「そんなこと――」
「凛月には、戸籍がないから」
戸籍がない? 浅見は本当にそう言ったのだろうか。聞き返すこともできず、彼女が続きを話すのを待つ。
「産まれた時に出生届が出されなかったのね。だから無戸籍になった。本人は小学校にも行っていないって言っているけれど、きっとどこかでちゃんと勉強していたんじゃないかしら。読み書きはできるみたいだし」
――悪かったな。小学校も卒業してないようなガキで。
あれは比喩ではなかったのだ。実際に、凛月は小学校を卒業していない。卒業どころか、通うことすらなかった。
日本にも無戸籍者がいることは知識として知っているつもりだった。けれど、心のどこかで自分には関係のない話だと思い込んでいたのだ。もし、彼が無戸籍ゆえにバウンティハンターなどと名乗って怪しい仕事をしているのだとしたら。戸籍がないと就職すらままならないと聞いたことがある。
「どうにかならないんですか? 今から戸籍を作るとか」
「本人が動かないことには……どうにも、ね」
彼に言われたひとつひとつの言葉が、槍となって四葉の心に突き刺さる。凛月は自分のことを指して「国から見捨てられた人間もいる」と言ったのだ。無戸籍というのは、国からその存在を認められていないということ。今まさに呼吸をして生きているのに、生きていることすら知られていないということ。
なにが行政の支援だ。なにもわかっていなかった。15歳が犯罪になると知りながら身体を売ることの意味を、凛月が四葉の言葉に怒った意味を。彼の言う通り、自分はただ高みに立ってきれいごとを並べていただけだ。見たくない事実から目を逸らし、自分の理想を声高に語っていた。そんな人間、軽蔑されて当然だ。
四葉は浅見に向かって丁寧に礼を述べると、会議室を後にした。行き先は決まっている。
きっと彼は今日も、第二ボイラー室にいる。
◇ ◇ ◇
第二ボイラー室はもぬけの殻だった。
パイプベッドの上のシーツには皺が寄り、先ほどまで誰かが寝ていたことを示すようにわずかなぬくもりが残っている。パソコンのディスプレイもつけっぱなしで、キーボードの横には冷え切ったコーヒーの入ったマグカップが置かれていた。
ふいに、スーツのポケットに突っ込んでいたスマホがぶるぶると震える。画面を見ると、つい先日登録したばかりのミウの番号だった。頭の中をさっと嫌な予感がよぎり、応答ボタンをタップする指が震える。
『お前、今どこにいる?』
相手はミウではなかった。凛月の第一声は、妙に切迫している。やはりただならぬことが起こっているような気配を感じ、背筋がきゅっと引き締まる。
「今、第二ボイラー室に来たところですけど」
『逃げられた』
「え?」
『日之出の野郎、こっちが探ってることに勘づきやがった』
聞けば事務所があったビルの一角に、テナント募集の張り紙がされていたらしい。オーナーの日之出は匿名通報から調査が入り、いずれ警察へ報告されることに気づいたのだ。彼は事務所ごと、そっくりそのまま消えてしまった。
『とにかくすぐに来い。事務所前に転がってた女を保護したんだが、ミウと俺だけじゃ手が回らない』
四葉が返事をする前に、通話がぷつりと切れる。場所はわかっている。
四葉は第二ボイラー室を飛び出し、来たばかりの道を駆け出した。
「ごめんなさい。もうすこしきちんと説明するべきだったわね」
浅見に謝られると、尻がむずむずするような居心地の悪さを感じる。浅見は生活安全局のフロアを一瞥してから、「会議室に行きましょう」と四葉を誘った。
彼女の後についてフロアを出て、空室の会議室へ入る。四葉が手近な椅子に座ったところで、浅見もパイプ椅子に腰を下ろし、深いため息のような呼吸をした。
「それで、なにから聞きたい? 私が答えられることなら、なんでも話すわ」
なにから、と言われてすこし迷ったが、息を整えて疲労の滲む浅見の顔をまっすぐに見つめる。
「まず聞きたいのは、二人の素性です。彼らは名字すら教えてくれなくて」
浅見がふっと遠くを見るような目つきをする。目の前にいる四葉のもっと向こう、別の誰かを見ているような。
「ミウと名乗った子がいるでしょう。あの子は、御園長官の息子さんよ」
「御園長官って、警察庁の――」
「そう、一番偉い人。ミウなんて呼ばれているけれど、本名は御園怜哉。今年、長官官房に配属になった御園斗弥って子がミウのお兄さんね」
次々に衝撃の事実を告げられて、頭が上手く回らない。あの女装して、不思議なお嬢様言葉を使う青年が警察庁長官の息子? しかもお兄さんは長官官房に配属されたエリート新人ときた。なぜ彼は、あんな地下でお金になるかも怪しい仕事をやっているのだろう? 素性を聞くはずが、ますます迷宮に迷い込んだ気がしてくる。
「大丈夫?」と浅見に声をかけられて、四葉はぎしぎしと骨が軋みそうなぎこちない頷きを返した。
「噂では御園長官が怜哉くんのことを家から追い出したって聞いたけど、本当のところは本人にしかわからないわね」
「凛月さんのほうは……そもそも、凛月って本名なんですか?」
「彼ね、名前がないの」
それはまったく予想もしていなかった一言だった。
「正確に言うと、国が把握している名前がないって感じかしら」
「そんなこと――」
「凛月には、戸籍がないから」
戸籍がない? 浅見は本当にそう言ったのだろうか。聞き返すこともできず、彼女が続きを話すのを待つ。
「産まれた時に出生届が出されなかったのね。だから無戸籍になった。本人は小学校にも行っていないって言っているけれど、きっとどこかでちゃんと勉強していたんじゃないかしら。読み書きはできるみたいだし」
――悪かったな。小学校も卒業してないようなガキで。
あれは比喩ではなかったのだ。実際に、凛月は小学校を卒業していない。卒業どころか、通うことすらなかった。
日本にも無戸籍者がいることは知識として知っているつもりだった。けれど、心のどこかで自分には関係のない話だと思い込んでいたのだ。もし、彼が無戸籍ゆえにバウンティハンターなどと名乗って怪しい仕事をしているのだとしたら。戸籍がないと就職すらままならないと聞いたことがある。
「どうにかならないんですか? 今から戸籍を作るとか」
「本人が動かないことには……どうにも、ね」
彼に言われたひとつひとつの言葉が、槍となって四葉の心に突き刺さる。凛月は自分のことを指して「国から見捨てられた人間もいる」と言ったのだ。無戸籍というのは、国からその存在を認められていないということ。今まさに呼吸をして生きているのに、生きていることすら知られていないということ。
なにが行政の支援だ。なにもわかっていなかった。15歳が犯罪になると知りながら身体を売ることの意味を、凛月が四葉の言葉に怒った意味を。彼の言う通り、自分はただ高みに立ってきれいごとを並べていただけだ。見たくない事実から目を逸らし、自分の理想を声高に語っていた。そんな人間、軽蔑されて当然だ。
四葉は浅見に向かって丁寧に礼を述べると、会議室を後にした。行き先は決まっている。
きっと彼は今日も、第二ボイラー室にいる。
◇ ◇ ◇
第二ボイラー室はもぬけの殻だった。
パイプベッドの上のシーツには皺が寄り、先ほどまで誰かが寝ていたことを示すようにわずかなぬくもりが残っている。パソコンのディスプレイもつけっぱなしで、キーボードの横には冷え切ったコーヒーの入ったマグカップが置かれていた。
ふいに、スーツのポケットに突っ込んでいたスマホがぶるぶると震える。画面を見ると、つい先日登録したばかりのミウの番号だった。頭の中をさっと嫌な予感がよぎり、応答ボタンをタップする指が震える。
『お前、今どこにいる?』
相手はミウではなかった。凛月の第一声は、妙に切迫している。やはりただならぬことが起こっているような気配を感じ、背筋がきゅっと引き締まる。
「今、第二ボイラー室に来たところですけど」
『逃げられた』
「え?」
『日之出の野郎、こっちが探ってることに勘づきやがった』
聞けば事務所があったビルの一角に、テナント募集の張り紙がされていたらしい。オーナーの日之出は匿名通報から調査が入り、いずれ警察へ報告されることに気づいたのだ。彼は事務所ごと、そっくりそのまま消えてしまった。
『とにかくすぐに来い。事務所前に転がってた女を保護したんだが、ミウと俺だけじゃ手が回らない』
四葉が返事をする前に、通話がぷつりと切れる。場所はわかっている。
四葉は第二ボイラー室を飛び出し、来たばかりの道を駆け出した。
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