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Ⅵ.新人ですが
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翌日、19時。
四葉は秋葉原にある派遣型風俗店、らぶりぃみんの事務所にいた。日之出の話によると、四葉は簡単な講習を受けた後、早速新人として売り出されるらしい。指名が入れば運転手が客の元まで連れて行くと言われ、顔からさっと血の気が引いていくのを感じた。冗談じゃない、四葉は風俗嬢として働くためにここへ来たわけではないのだ。指名が入る前に、さっさと証拠になりそうなものを見つけて逃げるしかない。
事務所には日之出と四葉以外には誰もいなかった。出勤している女性たちは皆、すでに客の元へ向かっているらしい。日之出は机に置かれたノートパソコンを立ち上げると、動画ファイルをクリックして画面を四葉のほうへ向けた。
「とりあえず講習ビデオを見て、基本的な接客の流れを覚えてほしいんだよね。僕はちょっと、30分くらい出てくるから。もし電話が鳴っても出なくていいよ」
日之出は早口でまくし立てると、スマホでどこかへ電話をかけながら事務所を出て行った。相当忙しいのだろうか、事務所の外から彼が電話の向こうに指示を飛ばしながら遠ざかっていく音が聞こえてくる。
四葉はノートパソコンの画面に表示された再生ボタンをクリックし、動画を再生する。真面目に見る気はない。日之出のいない30分がいかに貴重か、四葉にだってわかる。
パイプ椅子から立ち上がり、事務所の外へ耳をすませる。日之出はとっくにどこかへ行ったようだ。おそらく日之出がいつも使っているらしいデスクトップのパソコンが置かれた机へ目を向ける。四葉は机に歩み寄ると、紙ファイルで綴じられた冊子を手に取った。ぱらぱらとめくり、中を確認する。業務用のマニュアルのようだ。実技講習の四文字を見つけ、見なかったことにする。
幸い、机の上は整理されておらず、物を動かしたところでバレる心配はなさそうだった。この荒れようでは、すこしくらい書類の位置が変わっていたところで気が付くはずがない。書類の山を崩し、目を通し、また戻す。黙々とどこにあるかもわからない情報を求めて、活字の海をさまよう。壁にかけられた時計がカチカチと秒針を刻むたびに、徐々に焦りが生まれる。早く見つけなければ、日之出が帰ってきてしまう。
15分かかって、四葉はエントリーシートの束を書類の山から引き当てた。辞めた人の分まで保管してあるのか、ゆうに二百枚はありそうな束になっている。一番上は四葉の書いたエントリーシートだった。スリーサイズの横に、赤字で制服の号数が書き足されている。
講習ビデオはとっくに再生が止まり、事務所は静寂に包まれている。猛然とエントリーシートの束をめくり、素早く年齢だけを確認していく。おおむね20歳代の人が多い。十の位に1の文字が見え、期待するが19歳だ。三分の一ほどめくったが、まだ目当ての情報は出てこない。
三分の二も過ぎ、28歳の文字を見て諦めかけ、次の一枚をめくった時――四葉ははたと手を止めた。
「日之出、朱里……?」
事務所の外から足音が聞こえ、慌てて年齢の欄に目を走らせる。
15歳の文字が、燦然と輝いていた。外から聞こえる足音はどんどん近くなってくる。
ノートパソコンの横で、四葉のスマホが震えた。パイプ椅子の足元でぽっかりと口を開けているリュックが目に入る。一か八か、四葉はエントリシートの束を元の場所へ戻し、抜き取った一枚をリュックの中に詰め込んだ。
流れるような動作でパイプ椅子に腰かけた時、事務所のドアが開き、日之出が突き出た腹を揺らしながら室内へ入ってくる。
「ビデオ、見終わった?」
返事をしようとしたが、緊張で喉が張りつく。ぎこちなく頷いて、リュックから意識を逸らす。リュックの中を見られるようなことはないはずだが、怪しまれたら終わりだ。今日はじめて来たばかりの新人を事務所で一人きりにする危機管理能力のなさを、これからも遺憾なく発揮してほしい。
日之出はつい先ほどまで四葉が荒らし回っていた机には目もくれず、四葉に席を立つよう促した。
「接客の流れは大丈夫だね?」
「……たぶん」
たぶんもなにも、講習ビデオはちらりとも見ていない。震えそうになる膝にぐっと力を込める。
「じゃあ早速だけど、着替えて車に乗ってくれる? 指名入ったから」
更衣室はあっちね、という日之出の言葉を聞き流す。緊張か、恐怖か、はたまたどちらもか。脚が床に張りついたように動かない。指名が入った、ということは四葉は客と会わなければいけないということだ。絶対に無理。そんなこと、できるわけがない。証拠になりそうなものは手に入れた。あとは、客と会う前に逃げなければ。
「初出勤だから緊張してるかな? 大丈夫、お客さんも新人だってわかって指名してるんだから」
日之出に促され、背中に冷や汗をかきながらぎくしゃくと更衣室へ向かう。渡されたのは薄っぺらい生地の、いかにもコスプレ用らしきセーラー服だった。気持ち悪いくらいにサイズがぴったりで、短いスカートから伸びた脚が夜風に晒される。
証拠が入った大事なリュックを抱え、四葉は裏口に停めてあった車に乗り込んだ。運転手は無口な男で、行き先も、客がどんな人なのかも教えてくれない。
信号待ちで車が停まった瞬間に逃げ出すというプランも考えていたが、運悪く車は一度も信号に引っかかることなく近くのホテルへと吸い込まれた。四葉が車を降りると、運転手の男も一緒に降りてくる。
「あの、一人で行けるので部屋番号を……」
部屋に行かずにそのまま逃げればいい。四葉の願いとは裏腹に男は無表情のまま、首を振った。
「新人は部屋の前まで一緒についていくことになっている」
まるで四葉が客を前に逃げ出すことをわかっているかのような口調で、男は言った。男はなにかスポーツでもやっているのか、やけに体格がよく、短く刈り込まれた短髪も相まって異様な威圧感を醸し出している。
7階の部屋まで進むように言われ、四葉はよたよたとホテルに入り、エレベーターに乗った。こうなったら、指名した客に頼み込むしかない。話が通じるような相手だったら、という条件付きだけれど。
運転手の男が監視する中、四葉は指定された部屋のドアをノックした。すぐさま室内でバタバタと人が動き回る気配があり、扉が薄く開く。運転手の男を振り返ると、仕事は終えたというように四葉に背を向けて歩き出していた。男が角を曲がり、その後ろ姿が見えなくなる。逃げるなら、今しかない……!
「っ……!?」
扉の隙間からにゅっと伸びてきた腕が、四葉の腕を捕らえた。声を上げようとした口を大きな手のひらに塞がれ、四葉の脚が宙を蹴る。抵抗する間もなく、部屋に引きずり込まれる。部屋の中は真っ暗で、自分の手がどこにあるのかすらわからない。ただ左手にリュックを握っているたしかな感触があるだけだ。
四葉のくぐもった悲鳴が闇に飲まれる。無人の廊下に、ドアの閉まる無慈悲な音だけが響いた。
四葉は秋葉原にある派遣型風俗店、らぶりぃみんの事務所にいた。日之出の話によると、四葉は簡単な講習を受けた後、早速新人として売り出されるらしい。指名が入れば運転手が客の元まで連れて行くと言われ、顔からさっと血の気が引いていくのを感じた。冗談じゃない、四葉は風俗嬢として働くためにここへ来たわけではないのだ。指名が入る前に、さっさと証拠になりそうなものを見つけて逃げるしかない。
事務所には日之出と四葉以外には誰もいなかった。出勤している女性たちは皆、すでに客の元へ向かっているらしい。日之出は机に置かれたノートパソコンを立ち上げると、動画ファイルをクリックして画面を四葉のほうへ向けた。
「とりあえず講習ビデオを見て、基本的な接客の流れを覚えてほしいんだよね。僕はちょっと、30分くらい出てくるから。もし電話が鳴っても出なくていいよ」
日之出は早口でまくし立てると、スマホでどこかへ電話をかけながら事務所を出て行った。相当忙しいのだろうか、事務所の外から彼が電話の向こうに指示を飛ばしながら遠ざかっていく音が聞こえてくる。
四葉はノートパソコンの画面に表示された再生ボタンをクリックし、動画を再生する。真面目に見る気はない。日之出のいない30分がいかに貴重か、四葉にだってわかる。
パイプ椅子から立ち上がり、事務所の外へ耳をすませる。日之出はとっくにどこかへ行ったようだ。おそらく日之出がいつも使っているらしいデスクトップのパソコンが置かれた机へ目を向ける。四葉は机に歩み寄ると、紙ファイルで綴じられた冊子を手に取った。ぱらぱらとめくり、中を確認する。業務用のマニュアルのようだ。実技講習の四文字を見つけ、見なかったことにする。
幸い、机の上は整理されておらず、物を動かしたところでバレる心配はなさそうだった。この荒れようでは、すこしくらい書類の位置が変わっていたところで気が付くはずがない。書類の山を崩し、目を通し、また戻す。黙々とどこにあるかもわからない情報を求めて、活字の海をさまよう。壁にかけられた時計がカチカチと秒針を刻むたびに、徐々に焦りが生まれる。早く見つけなければ、日之出が帰ってきてしまう。
15分かかって、四葉はエントリーシートの束を書類の山から引き当てた。辞めた人の分まで保管してあるのか、ゆうに二百枚はありそうな束になっている。一番上は四葉の書いたエントリーシートだった。スリーサイズの横に、赤字で制服の号数が書き足されている。
講習ビデオはとっくに再生が止まり、事務所は静寂に包まれている。猛然とエントリーシートの束をめくり、素早く年齢だけを確認していく。おおむね20歳代の人が多い。十の位に1の文字が見え、期待するが19歳だ。三分の一ほどめくったが、まだ目当ての情報は出てこない。
三分の二も過ぎ、28歳の文字を見て諦めかけ、次の一枚をめくった時――四葉ははたと手を止めた。
「日之出、朱里……?」
事務所の外から足音が聞こえ、慌てて年齢の欄に目を走らせる。
15歳の文字が、燦然と輝いていた。外から聞こえる足音はどんどん近くなってくる。
ノートパソコンの横で、四葉のスマホが震えた。パイプ椅子の足元でぽっかりと口を開けているリュックが目に入る。一か八か、四葉はエントリシートの束を元の場所へ戻し、抜き取った一枚をリュックの中に詰め込んだ。
流れるような動作でパイプ椅子に腰かけた時、事務所のドアが開き、日之出が突き出た腹を揺らしながら室内へ入ってくる。
「ビデオ、見終わった?」
返事をしようとしたが、緊張で喉が張りつく。ぎこちなく頷いて、リュックから意識を逸らす。リュックの中を見られるようなことはないはずだが、怪しまれたら終わりだ。今日はじめて来たばかりの新人を事務所で一人きりにする危機管理能力のなさを、これからも遺憾なく発揮してほしい。
日之出はつい先ほどまで四葉が荒らし回っていた机には目もくれず、四葉に席を立つよう促した。
「接客の流れは大丈夫だね?」
「……たぶん」
たぶんもなにも、講習ビデオはちらりとも見ていない。震えそうになる膝にぐっと力を込める。
「じゃあ早速だけど、着替えて車に乗ってくれる? 指名入ったから」
更衣室はあっちね、という日之出の言葉を聞き流す。緊張か、恐怖か、はたまたどちらもか。脚が床に張りついたように動かない。指名が入った、ということは四葉は客と会わなければいけないということだ。絶対に無理。そんなこと、できるわけがない。証拠になりそうなものは手に入れた。あとは、客と会う前に逃げなければ。
「初出勤だから緊張してるかな? 大丈夫、お客さんも新人だってわかって指名してるんだから」
日之出に促され、背中に冷や汗をかきながらぎくしゃくと更衣室へ向かう。渡されたのは薄っぺらい生地の、いかにもコスプレ用らしきセーラー服だった。気持ち悪いくらいにサイズがぴったりで、短いスカートから伸びた脚が夜風に晒される。
証拠が入った大事なリュックを抱え、四葉は裏口に停めてあった車に乗り込んだ。運転手は無口な男で、行き先も、客がどんな人なのかも教えてくれない。
信号待ちで車が停まった瞬間に逃げ出すというプランも考えていたが、運悪く車は一度も信号に引っかかることなく近くのホテルへと吸い込まれた。四葉が車を降りると、運転手の男も一緒に降りてくる。
「あの、一人で行けるので部屋番号を……」
部屋に行かずにそのまま逃げればいい。四葉の願いとは裏腹に男は無表情のまま、首を振った。
「新人は部屋の前まで一緒についていくことになっている」
まるで四葉が客を前に逃げ出すことをわかっているかのような口調で、男は言った。男はなにかスポーツでもやっているのか、やけに体格がよく、短く刈り込まれた短髪も相まって異様な威圧感を醸し出している。
7階の部屋まで進むように言われ、四葉はよたよたとホテルに入り、エレベーターに乗った。こうなったら、指名した客に頼み込むしかない。話が通じるような相手だったら、という条件付きだけれど。
運転手の男が監視する中、四葉は指定された部屋のドアをノックした。すぐさま室内でバタバタと人が動き回る気配があり、扉が薄く開く。運転手の男を振り返ると、仕事は終えたというように四葉に背を向けて歩き出していた。男が角を曲がり、その後ろ姿が見えなくなる。逃げるなら、今しかない……!
「っ……!?」
扉の隙間からにゅっと伸びてきた腕が、四葉の腕を捕らえた。声を上げようとした口を大きな手のひらに塞がれ、四葉の脚が宙を蹴る。抵抗する間もなく、部屋に引きずり込まれる。部屋の中は真っ暗で、自分の手がどこにあるのかすらわからない。ただ左手にリュックを握っているたしかな感触があるだけだ。
四葉のくぐもった悲鳴が闇に飲まれる。無人の廊下に、ドアの閉まる無慈悲な音だけが響いた。
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