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Ⅲ.バウンティハンター
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ミウの言葉通り、地下三階に到達してすぐに「第二ボイラー室」と書かれた扉が現れた。第二ボイラー室があるのだから第一ボイラー室もあると思っていたが、地下三階の廊下には扉がひとつしかなかった。日光の差さない地下は薄暗く、コンクリートがむき出しになった灰色の壁が寒々しい。
第二ボイラー室の扉の横には指紋認証式のロックが付いていて、ミウが黒いレースの手袋を脱ぎ、ほっそりとした人差し指をガラス部分に押し当てた。
「あとであなたの分も登録しておかないといけませんわね」
ピッと短い音が鳴った後、ドアノブに緑のランプが点った。無意識のうちに肩が強張る。これから自分は、毎日ここへ通うのだ。できることなら警察庁に、霞が関に戻りたい。こんな日も差さないところで仕事をするなんて……。
ミウが手袋を着け直し、ドアノブを引く。彼女に続いて部屋に入り、四葉は目を見張った。
思っていたよりも広い。小学校の教室くらいはあるだろうか。ボイラー室という名前なのに、それらしい設備は一切見当たらない。
真っ先に目に飛び込んできたのは、奥の壁一面に広がるホワイトボードだった。写真や付箋、書類などが乱雑に貼り付けられ、その間を縫うように箇条書きでなにやら文字が書き込まれている。ホワイトボードの近くには冷蔵庫と電子レンジが置かれ、人が生活している気配をひしひしと感じる。
右側の壁にはパソコンデスクが並び、いくつものモニターが待機画面を映して光を放っていた。デスクと椅子は三つずつ。二つは書類や配線が込み入っているが、一つだけまったく使われた形跡のないデスクがある。おそるおそる近寄ってみると、パソコンのキーボードにはこんもりと埃が積もっていた。
そして四葉は極力見ないようにしていた左側の壁へ目を向けた。壁に沿うようにして置かれたパイプベッドの上で、男性が眠っている。四葉よりすこし年上くらいだろうか。かなりの高身長で爪先がベッドからはみ出しているが、本人はまったく気にしていないようだ。顔面に蛍光灯の明かりを浴びているにもかかわらず、うっすらと唇を開けて熟睡していた。
それ以上まじまじと観察するのも憚られ、四葉はさっと目を逸らすと、部屋の入り口で様子を窺っていたミウのほうを振り向いた。
「見学はお済みになった?」
「はい、大丈夫です」
四葉の答えに、ミウはにっこりと微笑む。そういえば、ミウはいくつなんだろう。四葉より年上にも見えるし、年下にも見える。思い切って年齢を聞こうと思ったが、すんでのところで止めた。いくら同性といえど、女性に年齢を尋ねるのは失礼だ。ミウの年齢は今、必要な情報ではない。必要になった時に聞けばいいだけだ。
「じゃあそこの大木を起こしましょうか。それが起きないと、話が進みませんもの」
ミウは言うが早いか、ベッドにつかつかと歩み寄り、なんの躊躇いもなく男性の胸倉を掴み上げた。
「起きてくださいまし! 仕事ですわよ!」
ガクガクと男性の身体を揺さぶる、容赦のない動きに四葉は息を呑んで動向を見守る。このまま起きなかったら、手を出しかねない勢いだ。
四葉がビビりながら様子を見守る中――男性はのっそりと起き上がった。ミウに掴まれた胸元は皺が寄り、ただでさえ着古した様子だったトレーナーが貧相なほどくたびれたように見える。
男性は眠気を払うように何度かまばたきをした後、おもむろに四葉のほうへ視線を向けた。日本人離れした青い瞳に見つめられ、息が詰まる。
「この方が、新しい警察庁の新人さんですわ。えっと、お名前は……」
「あっ、藤倉四葉です。今日、匿名通報係に配属されてここへ来るように上司から指示が――」
ふんっ、と男が鼻で笑う声が聞こえた。彫りが深く、整った顔に嘲笑が浮かぶ。
「お前みたいなチビが警察庁の人間なわけあるかよ」
「なっ……!」
冷静であれ、と唱える心とは裏腹に、一気に頭に血が上る。昔から、たいていの悪口は笑って流せた。ブスと言われても、馬鹿と言われても、まったく響かなかった。けれど四葉がひとつだけ、どうしても許せない言葉がある。
「なんなんですか!? 初対面の人間にチビって! 失礼でしょう! 撤回してください!」
「チビにチビって言ってなにが悪いんだよ? おい、ミウ。こいつ本当に浅見が回してきたのか?」
「え、ええ。そのはずですわよ」
四葉はミウを押し退けると、バッグに突っ込んでいた手を男の眼前に突きつけた。その手には正真正銘、警察庁が発行した警察手帳が握られている。四葉の顔写真がでかでかと載った警察手帳だ。人前に出すのは、これがはじめてだった。
「この通り! 警察庁生活安全局の人間です!」
男の胡乱げな視線で警察手帳の顔写真と四葉の顔面を見比べる。
「信じられないなら、警察庁に連絡していただいても構いません」
「あー、はいはい。わかったからしまえよ、それ。どうせ使う場面ないし」
「どういうことです?」
男が手を払う。四葉が身を引くと、男はベッドの下に放り出していたスニーカーに足を突っ込んだ。立ち上がって大きく伸びをする。眠っていた時も思ったが、背が高すぎる。四葉の頭は男の肩の辺りにあり、近くにいると首が痛くなるほど見上げないと男がどんな表情をしているかわからない。男から見れば、四葉など視界にも入らないだろう。街中で背の高い男性に「見えなかった」と言ってぶつかられたことが何度かある。
四葉が男の顔を睨み上げていると、ふいに男の顔がぐっと近くなった。思わず後ずさるが、男は四葉が後ずさった分だけ距離を詰めてくる。四葉の身長に合わせるように身をかがめた男は、寝起きの掠れた声で言った。
「いいか、お前の仕事は証拠を集めることだけだ」
「……証拠?」
「そう」と男が息のような返事をする。
「俺たちのやるべきことはひとつだけ。匿名で寄せられた情報を元に証拠を集める。集まった証拠を警察に突き出す。あとは警察が勝手に捜査なり逮捕なりしてくれるってわけだ」
「俺たちって……なんで私まで一括りになるんです? 見たところ、あなた警察官でも公務員でもないですよね?」
着古した紺色のトレーナーに、膝の辺りの生地が薄くなったジャージ。ニートか、いいところフリーターにしか見えない。ミウも格好は綺麗だが、そんな格好で平日に秋葉原をうろついている公務員などいるはずがない。
男は四葉の問いを受けて、喉の奥で笑った。シトラスのような爽やかな香りが漂い、四葉は顔をしかめる。
「知りたいか? 俺のこと」
「当たり前でしょう。私はこれから、ここで……働かないといけないんだから」
「いい心がけだ」
男が背骨を軋ませながら顔を上げる。うんと高くなった男の顔に笑みが混ざる。四葉は苦々しい思いを抱えながらも、その顔を見上げずにはいられなかった。
「俺の名前は凛月。犯罪の証拠を警察に売り渡して生活している――バウンティハンターだ」
第二ボイラー室の扉の横には指紋認証式のロックが付いていて、ミウが黒いレースの手袋を脱ぎ、ほっそりとした人差し指をガラス部分に押し当てた。
「あとであなたの分も登録しておかないといけませんわね」
ピッと短い音が鳴った後、ドアノブに緑のランプが点った。無意識のうちに肩が強張る。これから自分は、毎日ここへ通うのだ。できることなら警察庁に、霞が関に戻りたい。こんな日も差さないところで仕事をするなんて……。
ミウが手袋を着け直し、ドアノブを引く。彼女に続いて部屋に入り、四葉は目を見張った。
思っていたよりも広い。小学校の教室くらいはあるだろうか。ボイラー室という名前なのに、それらしい設備は一切見当たらない。
真っ先に目に飛び込んできたのは、奥の壁一面に広がるホワイトボードだった。写真や付箋、書類などが乱雑に貼り付けられ、その間を縫うように箇条書きでなにやら文字が書き込まれている。ホワイトボードの近くには冷蔵庫と電子レンジが置かれ、人が生活している気配をひしひしと感じる。
右側の壁にはパソコンデスクが並び、いくつものモニターが待機画面を映して光を放っていた。デスクと椅子は三つずつ。二つは書類や配線が込み入っているが、一つだけまったく使われた形跡のないデスクがある。おそるおそる近寄ってみると、パソコンのキーボードにはこんもりと埃が積もっていた。
そして四葉は極力見ないようにしていた左側の壁へ目を向けた。壁に沿うようにして置かれたパイプベッドの上で、男性が眠っている。四葉よりすこし年上くらいだろうか。かなりの高身長で爪先がベッドからはみ出しているが、本人はまったく気にしていないようだ。顔面に蛍光灯の明かりを浴びているにもかかわらず、うっすらと唇を開けて熟睡していた。
それ以上まじまじと観察するのも憚られ、四葉はさっと目を逸らすと、部屋の入り口で様子を窺っていたミウのほうを振り向いた。
「見学はお済みになった?」
「はい、大丈夫です」
四葉の答えに、ミウはにっこりと微笑む。そういえば、ミウはいくつなんだろう。四葉より年上にも見えるし、年下にも見える。思い切って年齢を聞こうと思ったが、すんでのところで止めた。いくら同性といえど、女性に年齢を尋ねるのは失礼だ。ミウの年齢は今、必要な情報ではない。必要になった時に聞けばいいだけだ。
「じゃあそこの大木を起こしましょうか。それが起きないと、話が進みませんもの」
ミウは言うが早いか、ベッドにつかつかと歩み寄り、なんの躊躇いもなく男性の胸倉を掴み上げた。
「起きてくださいまし! 仕事ですわよ!」
ガクガクと男性の身体を揺さぶる、容赦のない動きに四葉は息を呑んで動向を見守る。このまま起きなかったら、手を出しかねない勢いだ。
四葉がビビりながら様子を見守る中――男性はのっそりと起き上がった。ミウに掴まれた胸元は皺が寄り、ただでさえ着古した様子だったトレーナーが貧相なほどくたびれたように見える。
男性は眠気を払うように何度かまばたきをした後、おもむろに四葉のほうへ視線を向けた。日本人離れした青い瞳に見つめられ、息が詰まる。
「この方が、新しい警察庁の新人さんですわ。えっと、お名前は……」
「あっ、藤倉四葉です。今日、匿名通報係に配属されてここへ来るように上司から指示が――」
ふんっ、と男が鼻で笑う声が聞こえた。彫りが深く、整った顔に嘲笑が浮かぶ。
「お前みたいなチビが警察庁の人間なわけあるかよ」
「なっ……!」
冷静であれ、と唱える心とは裏腹に、一気に頭に血が上る。昔から、たいていの悪口は笑って流せた。ブスと言われても、馬鹿と言われても、まったく響かなかった。けれど四葉がひとつだけ、どうしても許せない言葉がある。
「なんなんですか!? 初対面の人間にチビって! 失礼でしょう! 撤回してください!」
「チビにチビって言ってなにが悪いんだよ? おい、ミウ。こいつ本当に浅見が回してきたのか?」
「え、ええ。そのはずですわよ」
四葉はミウを押し退けると、バッグに突っ込んでいた手を男の眼前に突きつけた。その手には正真正銘、警察庁が発行した警察手帳が握られている。四葉の顔写真がでかでかと載った警察手帳だ。人前に出すのは、これがはじめてだった。
「この通り! 警察庁生活安全局の人間です!」
男の胡乱げな視線で警察手帳の顔写真と四葉の顔面を見比べる。
「信じられないなら、警察庁に連絡していただいても構いません」
「あー、はいはい。わかったからしまえよ、それ。どうせ使う場面ないし」
「どういうことです?」
男が手を払う。四葉が身を引くと、男はベッドの下に放り出していたスニーカーに足を突っ込んだ。立ち上がって大きく伸びをする。眠っていた時も思ったが、背が高すぎる。四葉の頭は男の肩の辺りにあり、近くにいると首が痛くなるほど見上げないと男がどんな表情をしているかわからない。男から見れば、四葉など視界にも入らないだろう。街中で背の高い男性に「見えなかった」と言ってぶつかられたことが何度かある。
四葉が男の顔を睨み上げていると、ふいに男の顔がぐっと近くなった。思わず後ずさるが、男は四葉が後ずさった分だけ距離を詰めてくる。四葉の身長に合わせるように身をかがめた男は、寝起きの掠れた声で言った。
「いいか、お前の仕事は証拠を集めることだけだ」
「……証拠?」
「そう」と男が息のような返事をする。
「俺たちのやるべきことはひとつだけ。匿名で寄せられた情報を元に証拠を集める。集まった証拠を警察に突き出す。あとは警察が勝手に捜査なり逮捕なりしてくれるってわけだ」
「俺たちって……なんで私まで一括りになるんです? 見たところ、あなた警察官でも公務員でもないですよね?」
着古した紺色のトレーナーに、膝の辺りの生地が薄くなったジャージ。ニートか、いいところフリーターにしか見えない。ミウも格好は綺麗だが、そんな格好で平日に秋葉原をうろついている公務員などいるはずがない。
男は四葉の問いを受けて、喉の奥で笑った。シトラスのような爽やかな香りが漂い、四葉は顔をしかめる。
「知りたいか? 俺のこと」
「当たり前でしょう。私はこれから、ここで……働かないといけないんだから」
「いい心がけだ」
男が背骨を軋ませながら顔を上げる。うんと高くなった男の顔に笑みが混ざる。四葉は苦々しい思いを抱えながらも、その顔を見上げずにはいられなかった。
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