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Ⅱ.名字なんてありませんわ
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初日から波乱万丈すぎる。希望の部署には入れず、霞が関のキャリアウーマンになろうとしたら、警察庁の建物からも追い出された。生活安全局配属とは名ばかりで、実際に配属されたのは秋葉原の地下にデスクの置かれた匿名通報係。しかもこの係に任命されているのは四葉ひとりしかいないという。前任者は忽然と消え、以来ずっと空席だったところに新人の四葉が来たわけだ。
なにもかも上手くいかない、というのはこういう時のことを指すのではないだろうか。上司の決定に逆らう気はさらさらない。そんなことをして、職場で厄介な新人だと認識されるのは嫌だ。しかし、すこしくらい新人の希望を汲んでくれてもいいのではと思わずにはいられない。霞が関に向かって意気揚々と歩いていた今朝の自分が馬鹿みたいだ。
四葉は秋葉原駅で降り立つと、人通りがまばらな辺りを見回した。平日の午前中とあって、歩行者天国もやっていない。秋葉原といえば、メイド服姿の女性がチラシ配りをしているイメージがあったが、それらしき姿もない。休日や夜になれば、また違った様相を見せるのだろうか。
東京出身ではない四葉にとって、秋葉原は一種の憧れのような場所でもあった。昔テレビで見たような活気がないのは残念だが、一ヶ月もすれば見飽きるくらいになるだろう。なんたって、仕事場所はここなのだから。
記憶の中の住所と、スマホのマップアプリを照らし合わせる。どうやら秋葉原駅からそう遠くない場所のようだ。改札を抜けてきた方角も合っている。
回転寿司屋の前を通り過ぎ、コンビニの前を通り過ぎると、すぐに目当ての建物が見えてきた。これが秋葉原電波会館。二階建ての、すこしレトロな雰囲気のある建物だ。軒先には緑と白の縞模様が延々と続いている。一階部分はシャッターが下り、まだ開店時間ではないのか、そもそも閉店しているのか判然としない。
四葉は地下へ下りる階段を探しながら、電波会館の前を行ったり来たりした。二階へ上がる階段は見つけたが、地下へ下りる階段が見つからない。電波会館のインターネットサイトを見ても、そもそも地上二階建てと書かれており、地下があるという表記はない。
二階へ上がる階段の前で呆然と立ち尽くす。本当に、こんなところに自分の仕事場が? どこからどう見ても、ただの電化製品を扱う店の寄り合いだ。近くにはパソコンの専門店や大型の家電量販店があるから、そちらに客を取られて繁盛しているかどうかも怪しい。
四葉は階段探しを諦めて、浅見に電話で確認しようとし、手を止めた。そういえばまだ浅見の電話番号も知らない。他の職員の紹介すらしてもらえていない。仕方なく生活安全局直通の電話番号をプッシュしようとする。
その時、階段をトントンと駆け下りてくる足音が聞こえた。四葉は道を譲るためにスマホから顔を上げ、ぎょっとする。
黒を基調としたドレスをまとった女性が階段を下りてくるところだった。フリルとレースがたっぷりと使われたそのドレスは、コスプレ衣装にしか見えない。女性の髪はくすみがかったピンク色に染められ、頭の高い位置でツインテールになっている。毛先がふんわりと巻かれ、まるでアニメに出てくるお嬢様のような出で立ちだ。
四葉は道を譲ることも忘れて、目の前に立った女性を呆けた顔で見つめた。陶器のようになめらかで白い肌に、艶のある唇。身長は浅見と同じくらいだろうか。四葉と並ぶと、相手が女性であっても高身長に見える。
女性が長いまつ毛を伏せ、四葉を見下ろした。黒いドレス姿の女性と、かたや真っ黒なパンツスーツを着込んでいる四葉。日常生活では到底ありえない対面だ。これが秋葉原なのか。メイド服の女性がいるのだから、ドレス姿の女性がいてもなんらおかしいことはないのだ。
「あなた……もしかして警察庁の新人さん?」
透き通った囁き声が耳を打つ。見た目が綺麗なら声も綺麗だ。花の咲くような甘い声に誘われて、四葉はなにがなんだかわからないまま頷いた。
女性の長いまつ毛が目元に影を落とし、憂いの残る紫の瞳が四葉を見つめる。彼女は四葉の手を取ると、くすりと笑った。
「大変だったでしょう? 地下三階と言われたのに、その地下へ行くための階段が見つからないんですものね」
「あ、いえ……」
彼女は本物のお嬢様かなにかなのだろうか。本当にアニメか漫画の世界から飛び出してきた人みたいで、四葉はろくに返事もできずにまごつく。
「第二ボイラー室まで案内しますわ」
そんな四葉にも気にせず、女性はそう言いながら握っていた手を引いた。四葉は女性に連れられて階段を上りながら、頭はフル回転であれこれ考えている。この女性は何者なのだろう? なぜ、四葉が警察庁の人間だと気づいたのだろう? 彼女は四葉の目的地が第二ボイラー室であることを知っていた。まさかこの人が、匿名通報係になにか関連する人なのだろうか?
考えていても仕方ない、と四葉は思い切って女性の背中に声をかけた。
「あ、あの、お名前を伺っても……」
女性がちらりと振り向き、四葉の顔を一瞥する。いつの間にか二階に着いていたが、彼女の足は止まらない。二階の廊下を突っ切り、廊下の突き当たりにある「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を躊躇なく開ける。
「ミウ、と呼んでくださいまし」
「名字は――」
「そんなものありませんわ」
きっぱりと言い切られ、それ以上は聞けなくなる。服装といい、口調といい、謎が多すぎる。ミウという名前だって、本名か定かではない。
四葉の背後で扉が閉まり、一瞬辺りが完全な暗闇に包まれる。彼女が一歩踏み出すと天井のセンサーライトが反応して、地下へと続く階段を浮かび上がらせた。
「さあ、ここを下りたらすぐに着きますわよ」
さっさと歩き出すミウの後を追って、四葉も階段を下る。四葉の頭の中には、前途多難の四文字が浮かび上がっていた。
なにもかも上手くいかない、というのはこういう時のことを指すのではないだろうか。上司の決定に逆らう気はさらさらない。そんなことをして、職場で厄介な新人だと認識されるのは嫌だ。しかし、すこしくらい新人の希望を汲んでくれてもいいのではと思わずにはいられない。霞が関に向かって意気揚々と歩いていた今朝の自分が馬鹿みたいだ。
四葉は秋葉原駅で降り立つと、人通りがまばらな辺りを見回した。平日の午前中とあって、歩行者天国もやっていない。秋葉原といえば、メイド服姿の女性がチラシ配りをしているイメージがあったが、それらしき姿もない。休日や夜になれば、また違った様相を見せるのだろうか。
東京出身ではない四葉にとって、秋葉原は一種の憧れのような場所でもあった。昔テレビで見たような活気がないのは残念だが、一ヶ月もすれば見飽きるくらいになるだろう。なんたって、仕事場所はここなのだから。
記憶の中の住所と、スマホのマップアプリを照らし合わせる。どうやら秋葉原駅からそう遠くない場所のようだ。改札を抜けてきた方角も合っている。
回転寿司屋の前を通り過ぎ、コンビニの前を通り過ぎると、すぐに目当ての建物が見えてきた。これが秋葉原電波会館。二階建ての、すこしレトロな雰囲気のある建物だ。軒先には緑と白の縞模様が延々と続いている。一階部分はシャッターが下り、まだ開店時間ではないのか、そもそも閉店しているのか判然としない。
四葉は地下へ下りる階段を探しながら、電波会館の前を行ったり来たりした。二階へ上がる階段は見つけたが、地下へ下りる階段が見つからない。電波会館のインターネットサイトを見ても、そもそも地上二階建てと書かれており、地下があるという表記はない。
二階へ上がる階段の前で呆然と立ち尽くす。本当に、こんなところに自分の仕事場が? どこからどう見ても、ただの電化製品を扱う店の寄り合いだ。近くにはパソコンの専門店や大型の家電量販店があるから、そちらに客を取られて繁盛しているかどうかも怪しい。
四葉は階段探しを諦めて、浅見に電話で確認しようとし、手を止めた。そういえばまだ浅見の電話番号も知らない。他の職員の紹介すらしてもらえていない。仕方なく生活安全局直通の電話番号をプッシュしようとする。
その時、階段をトントンと駆け下りてくる足音が聞こえた。四葉は道を譲るためにスマホから顔を上げ、ぎょっとする。
黒を基調としたドレスをまとった女性が階段を下りてくるところだった。フリルとレースがたっぷりと使われたそのドレスは、コスプレ衣装にしか見えない。女性の髪はくすみがかったピンク色に染められ、頭の高い位置でツインテールになっている。毛先がふんわりと巻かれ、まるでアニメに出てくるお嬢様のような出で立ちだ。
四葉は道を譲ることも忘れて、目の前に立った女性を呆けた顔で見つめた。陶器のようになめらかで白い肌に、艶のある唇。身長は浅見と同じくらいだろうか。四葉と並ぶと、相手が女性であっても高身長に見える。
女性が長いまつ毛を伏せ、四葉を見下ろした。黒いドレス姿の女性と、かたや真っ黒なパンツスーツを着込んでいる四葉。日常生活では到底ありえない対面だ。これが秋葉原なのか。メイド服の女性がいるのだから、ドレス姿の女性がいてもなんらおかしいことはないのだ。
「あなた……もしかして警察庁の新人さん?」
透き通った囁き声が耳を打つ。見た目が綺麗なら声も綺麗だ。花の咲くような甘い声に誘われて、四葉はなにがなんだかわからないまま頷いた。
女性の長いまつ毛が目元に影を落とし、憂いの残る紫の瞳が四葉を見つめる。彼女は四葉の手を取ると、くすりと笑った。
「大変だったでしょう? 地下三階と言われたのに、その地下へ行くための階段が見つからないんですものね」
「あ、いえ……」
彼女は本物のお嬢様かなにかなのだろうか。本当にアニメか漫画の世界から飛び出してきた人みたいで、四葉はろくに返事もできずにまごつく。
「第二ボイラー室まで案内しますわ」
そんな四葉にも気にせず、女性はそう言いながら握っていた手を引いた。四葉は女性に連れられて階段を上りながら、頭はフル回転であれこれ考えている。この女性は何者なのだろう? なぜ、四葉が警察庁の人間だと気づいたのだろう? 彼女は四葉の目的地が第二ボイラー室であることを知っていた。まさかこの人が、匿名通報係になにか関連する人なのだろうか?
考えていても仕方ない、と四葉は思い切って女性の背中に声をかけた。
「あ、あの、お名前を伺っても……」
女性がちらりと振り向き、四葉の顔を一瞥する。いつの間にか二階に着いていたが、彼女の足は止まらない。二階の廊下を突っ切り、廊下の突き当たりにある「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を躊躇なく開ける。
「ミウ、と呼んでくださいまし」
「名字は――」
「そんなものありませんわ」
きっぱりと言い切られ、それ以上は聞けなくなる。服装といい、口調といい、謎が多すぎる。ミウという名前だって、本名か定かではない。
四葉の背後で扉が閉まり、一瞬辺りが完全な暗闇に包まれる。彼女が一歩踏み出すと天井のセンサーライトが反応して、地下へと続く階段を浮かび上がらせた。
「さあ、ここを下りたらすぐに着きますわよ」
さっさと歩き出すミウの後を追って、四葉も階段を下る。四葉の頭の中には、前途多難の四文字が浮かび上がっていた。
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