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6章(5)
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冬休み前の定期考査にも、榊さんは現れなかった。僕は登校前や放課後に時間を見つけては、榊さんの家に通った。彼女と会話をし、荒れた部屋を片付け、時には料理を作って食べさせたこともある。
母親には進路のことで先生に相談したり、図書室にこもっているため家に帰るのが遅くなると説明してあった。僕の言葉を信じたかどうかはわからないけれど、母親は特に取り乱すこともなく、大人しく生活している。母が静かなことが、僕にとっては一番嬉しかった。
そうこうしているうちに冬休みがやってきた。
僕は母親にあらかじめ、冬休みは学校で行われる冬期講習に参加する予定だと話してあった。もちろん嘘だけど。進学率が異常に低い星海高校で、冬期講習なんてものが行われるわけがない。卒業生の大半は就職するか、ニートになるかなんだから、進路のために冬休み返上で勉強する奴なんかいないのだ。
僕は嘘をついて手に入れた自由で、榊さんの家に通い詰めた。彼女を家に一人にしておくことが怖かった。いつ榊さんの母親がまた家に来るかわかったものではないし、榊さん自身も抜け殻になってしまったように、生きることを諦めていた。
僕が家に行かなければ余裕で二、三日は食事をしないし、お風呂に入っている形跡もない。僕がいない間に眠っているわけでもなさそうで、会うたびに彼女は目の下に濃い隈を作っていた。
大晦日が近づいてきたある日。僕はスーパーで買い込んだ食材をパンパンに袋に詰めて、榊さんの家に向かっていた。
三角形アパートの前まで来たところで、見覚えのある人影を見つける。アパートの入口の前で行ったり来たりしているのは、同じクラスの冴島くんだった。最近は学校で話すことも減っていたけれど、会えば一応挨拶を交わすくらいの交流は持っている。
「冴島くん」
僕はスーパーのレジ袋を抱え直して、声をかけた。冴島くんが驚いたように肩をビクッと跳ね上げる。冴島くんは分厚いコートにマフラーを巻きつけた姿で立っていた。長い時間そこにいたのか、短髪から覗く耳が真っ赤になっている。
「あ、森岡くん……」
冴島くんは僕を見た途端、なぜかバツの悪そうな顔をした。まるでここにいることを誰にも知られたくなかったみたいな反応で、僕は次にかける言葉を見失ってしまう。
しばらく、二人で黙って向き合う時間が続いた。やがて沈黙に耐えきれなくなった冴島くんがこわごわと切り出す。
「ここ、榊さんが住んでるアパートだよね……?」
「うん、そうだけど――」
僕は答えながら、ちらりと冴島くんの顔を見る。冴島くんは別の市から星海に通ってきていたはずだ。なぜここに榊さんが住んでいると知っているのだろうか。誰かに聞いたのか?
「そ、そうなんだ。今もここに……」
「今もって、どういうこと?」
僕の問いに、冴島くんはふっと視線を逸らした。
「あ、いや……学校で貼られてた新聞に載ってた住所、ここだったから……」
「ああ……」
新聞のことなんて、すっかり忘れていた。榊さんが学校に来ないから、新聞のこともクラスメイトの間ではまったく話題に登らなくなっている。むしろ、大半の生徒はあんな新聞記事ひとつで騒いでいたことなんて忘れてるんじゃないだろうか。
僕は冴島くんのことをまじまじと見つめてしまった。新聞に書いてあった住所までわざわざ来るなんて、なにがあったんだろう?
その時、冴島くんの顔つきが急に険しくなった。眼鏡の奥の目が、真剣な様子で僕を見つめている。
「森岡くんさ……ぼくが話していたこと、忘れたの?」
「なんのこと――」
「文化祭の日。ぼく、榊さんに告白するって言ったよね」
「ああ、うん……」
僕の反応に気を悪くしたように、冴島くんは目を細めた。
「文化祭の日に、榊さんと森岡くんが高校とは逆の電車に乗っていったのを見た人がいたんだ」
僕は無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。早朝のことだったから、誰にも見られていないと思っていた。やはり田舎は狭すぎる。人と違うことをしたら、こうやってすぐにバレる。
誤魔化すわけにはいかない。僕はひとつうなずいた。
「森岡くんは榊さんのこと、どう思ってるの?」
冴島くんが怒りを飲み込むように、すうっと目を閉じて深呼吸をする。
「どう、って言われても……」
僕にとって榊さんは、どんな存在なんだろう。秘密を共有する仲間? 親の呪縛から逃れようと奮闘する戦友? それともただのクラスメイトだろうか。
榊さんのことを守りたいとは思う。でもそれは、異性として好きとか、そういう感情とは違うような気がする。冴島くんは榊さんのことを異性として好きなんだろう。けれど僕は、どうなんだ? 僕は榊さんのことをどう思っているんだろう。
冴島くんが固い声で僕のことを呼んだ。視線がかち合い、彼の考えていることが、手に取るようにわかる。僕はきっと、邪魔者なんだ。そして冴島くんは、真剣だ。真剣に、いっそ僕より真面目に、榊さんとのことを考えている。
冴島くんは両手を握り込み、僕の目をまっすぐ見ながら言った。
「ぼくは今日こそ榊さんに告白する。だから、榊さんのことどうとも思ってないなら、邪魔しないで欲しい」
僕がなにかを言い返す前に、冴島くんはふらっとアパートの入口へと消えていった。
追いかけようとした足が止まる。忘れていたレジ袋の重さを、直に腕に感じる。僕はその場に立ち尽くして、曇天の空を眺めることしかできなかった。
母親には進路のことで先生に相談したり、図書室にこもっているため家に帰るのが遅くなると説明してあった。僕の言葉を信じたかどうかはわからないけれど、母親は特に取り乱すこともなく、大人しく生活している。母が静かなことが、僕にとっては一番嬉しかった。
そうこうしているうちに冬休みがやってきた。
僕は母親にあらかじめ、冬休みは学校で行われる冬期講習に参加する予定だと話してあった。もちろん嘘だけど。進学率が異常に低い星海高校で、冬期講習なんてものが行われるわけがない。卒業生の大半は就職するか、ニートになるかなんだから、進路のために冬休み返上で勉強する奴なんかいないのだ。
僕は嘘をついて手に入れた自由で、榊さんの家に通い詰めた。彼女を家に一人にしておくことが怖かった。いつ榊さんの母親がまた家に来るかわかったものではないし、榊さん自身も抜け殻になってしまったように、生きることを諦めていた。
僕が家に行かなければ余裕で二、三日は食事をしないし、お風呂に入っている形跡もない。僕がいない間に眠っているわけでもなさそうで、会うたびに彼女は目の下に濃い隈を作っていた。
大晦日が近づいてきたある日。僕はスーパーで買い込んだ食材をパンパンに袋に詰めて、榊さんの家に向かっていた。
三角形アパートの前まで来たところで、見覚えのある人影を見つける。アパートの入口の前で行ったり来たりしているのは、同じクラスの冴島くんだった。最近は学校で話すことも減っていたけれど、会えば一応挨拶を交わすくらいの交流は持っている。
「冴島くん」
僕はスーパーのレジ袋を抱え直して、声をかけた。冴島くんが驚いたように肩をビクッと跳ね上げる。冴島くんは分厚いコートにマフラーを巻きつけた姿で立っていた。長い時間そこにいたのか、短髪から覗く耳が真っ赤になっている。
「あ、森岡くん……」
冴島くんは僕を見た途端、なぜかバツの悪そうな顔をした。まるでここにいることを誰にも知られたくなかったみたいな反応で、僕は次にかける言葉を見失ってしまう。
しばらく、二人で黙って向き合う時間が続いた。やがて沈黙に耐えきれなくなった冴島くんがこわごわと切り出す。
「ここ、榊さんが住んでるアパートだよね……?」
「うん、そうだけど――」
僕は答えながら、ちらりと冴島くんの顔を見る。冴島くんは別の市から星海に通ってきていたはずだ。なぜここに榊さんが住んでいると知っているのだろうか。誰かに聞いたのか?
「そ、そうなんだ。今もここに……」
「今もって、どういうこと?」
僕の問いに、冴島くんはふっと視線を逸らした。
「あ、いや……学校で貼られてた新聞に載ってた住所、ここだったから……」
「ああ……」
新聞のことなんて、すっかり忘れていた。榊さんが学校に来ないから、新聞のこともクラスメイトの間ではまったく話題に登らなくなっている。むしろ、大半の生徒はあんな新聞記事ひとつで騒いでいたことなんて忘れてるんじゃないだろうか。
僕は冴島くんのことをまじまじと見つめてしまった。新聞に書いてあった住所までわざわざ来るなんて、なにがあったんだろう?
その時、冴島くんの顔つきが急に険しくなった。眼鏡の奥の目が、真剣な様子で僕を見つめている。
「森岡くんさ……ぼくが話していたこと、忘れたの?」
「なんのこと――」
「文化祭の日。ぼく、榊さんに告白するって言ったよね」
「ああ、うん……」
僕の反応に気を悪くしたように、冴島くんは目を細めた。
「文化祭の日に、榊さんと森岡くんが高校とは逆の電車に乗っていったのを見た人がいたんだ」
僕は無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。早朝のことだったから、誰にも見られていないと思っていた。やはり田舎は狭すぎる。人と違うことをしたら、こうやってすぐにバレる。
誤魔化すわけにはいかない。僕はひとつうなずいた。
「森岡くんは榊さんのこと、どう思ってるの?」
冴島くんが怒りを飲み込むように、すうっと目を閉じて深呼吸をする。
「どう、って言われても……」
僕にとって榊さんは、どんな存在なんだろう。秘密を共有する仲間? 親の呪縛から逃れようと奮闘する戦友? それともただのクラスメイトだろうか。
榊さんのことを守りたいとは思う。でもそれは、異性として好きとか、そういう感情とは違うような気がする。冴島くんは榊さんのことを異性として好きなんだろう。けれど僕は、どうなんだ? 僕は榊さんのことをどう思っているんだろう。
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冴島くんは両手を握り込み、僕の目をまっすぐ見ながら言った。
「ぼくは今日こそ榊さんに告白する。だから、榊さんのことどうとも思ってないなら、邪魔しないで欲しい」
僕がなにかを言い返す前に、冴島くんはふらっとアパートの入口へと消えていった。
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