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6章(1)

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 僕は教室に入るなり、一瞬で異様な空気を悟った。僕の席のすぐ近くに人だかりができている。いつもならありえない光景だ。
 気配を殺し、そっと自分の席に近づく。ありがたいことに、輪の中心は僕の席ではなかった。しかし、それがいいとも言えない。
 数人の生徒に囲まれていたのは、机に突っ伏している榊さんだったからだ。

「なにがあったの?」

 僕は遠巻きに人だかりを眺めていた冴島くんを見つけ、声をかける。彼は僕の顔を見るなり、ほっとしたような、それでいてすこし怒っているような微妙な表情をした。

「……あれだよ」

 冴島くんは言葉少なに黒板を指差した。黒板には拡大コピーされたらしき、新聞記事のひとつが貼られている。
 僕は黒板に近づき、文字ばかりの新聞記事にさっと目を走らせる。

『母親の交際相手と長男が死亡 長女が刺したか』

 簡潔な見出しに、五行ほどの記事。情報はそれほど多くない。だが、僕の目を――クラスメイトたちの目を引くには十分すぎるほどだった。この一見ありきたりな事件が、十年前の星海町で起こったということ。そして、記事に記載された母親や長男の名字が「榊」だということ。
 亡くなったのは、長男で三歳の榊ゆう、内縁の夫である光本みつもと浩紀ひろき。第一発見者は長男の母親、榊涼子りょうこである。
 現場には七歳の長女も居合わせたと書いてあるが、長女の名前までは記載されていなかった。記事は短く、「警察は長女が何らかの事情を知っているものとみて捜査を続けている」と締められていた。

 嫌な汗が全身からどっと吹き出す。
 十年前に七歳だった長女は、いま十七歳……順当にいけば、高校二年生だ。
 榊さんは言っていた。自分が七歳の時に、弟が亡くなったと。
 めまいを覚え、黒板に手をつく。
 榊ゆらは人殺し。母親の声が耳にこびりついて離れない。

「ねぇ、聞いてんの? もしかして寝たふり?」
「殺人鬼と同じクラスとか、うちらやばくない?」
「あっ、見て。ネットにも記事上がってる」

 榊さんを取り囲む生徒たちが興奮したような口ぶりで、めいめいに話している。輪の中心にいる榊さんは、本当に眠っているのか先ほどから寸分も姿勢を崩すことなく、無視を決め込んでいる。
 一体、誰が新聞記事を貼ったのか。星海高校は星海町にありながらも町出身の生徒はそれほど多くない。町の中で噂になっていることでも、高校内にはあまり持ち込まれることもなかったのに。
 誰かが故意に榊さんを攻撃しようとして、新聞記事を貼ったことは確かだ。わざわざ十年前の新聞を拡大コピーしてくる手の込みようなのだから、悪意があるとしか思えない。
 けれど、一体誰が……? そして、なんのために?
 僕は黒板についていた手を新聞記事に伸ばした。セロハンテープで貼りつけられていた新聞記事を黒板から引き剥がし、ビリビリと細かく裂く。榊さんの周りにいたクラスメイトたちが、一斉にこちらを振り向いた。

「なに、あいつ」
「実は榊さんのこと好きなんじゃない?」

 馬鹿にしたような笑い声。気にしない。紙吹雪のように粉々になった新聞をゴミ箱に捨てる。僕にできることは、このくらいしかない。
 そのまま僕は誰とも目を合わせることなく、自分の席に着いた。リュックから教科書を取り出して、机の中にしまう。榊さんは顔を上げない。寝たふりなのか、それとも本当に寝ているのか、僕には判別がつかない。
 やがて担任の先生が教室へ入ってきたことによって、机の周りに溜まっていた生徒たちは散り散りに自分の席へと戻っていった。
 先生に言うべきだろうか? だってあれは、いじめの一歩目みたいなものだ。たとえあの新聞記事が本物だったとして、あそこに書かれていた長女が榊さんのことだったとして、今さら十年前のことを蒸し返してなにがしたいのだろう。

 十年前を思い出す。ちょうど父親が不倫をしはじめて、家に寄りつかなくなった頃。母親の調子が一気に崩れだした頃。
 彼女は十年前も、あの三角形のアパートに住んでいたのだろうか。あのアパートで、義理の父親と弟は亡くなったのだろうか。
 榊さんの話を反芻する。義理の父親から包丁で何度も切りつけられた弟。弟を助けようとして、砕かれた膝の骨。第一発見者は母親。母親が見た時には弟はおろか、義理の父親までが死んでいた。榊さんは、ただ一人の生き残りで――。

 考えがまとまらない。なにが真実で、なにが嘘なのか。榊さんは本当に義理の父親や弟を刺したのか? たった七歳の女の子が成人男性を刺すことなんてできるのか? 榊さんの話が本当ならば、彼女は片足の自由がきかなかったはずだ。
 情報が欲しい。あの新聞記事だけでは足りない。図書館に行って十年前の新聞を漁れば、続報が出てくるかもしれない。いや、そんなことしなくても、もっと身近に情報源があるじゃないか。
 家に帰ったら、母親に榊さんの家で起こったことを聞いてみよう。なんたって母親は、この騒ぎの前に榊さんを人殺し呼ばわりした。十年前のことを知っているはずだ。知っているからこそ、あんな物言いをしたはずだ。
 僕はその日、ちっとも授業に集中できなかった。ちらちらと榊さんの様子を気にしてはいたものの、彼女は昼休みでさえ机に突っ伏したまま、顔を上げることはなかった。

 そして榊さんは、この日を境に学校へ来なくなった。
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