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5章(6)

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 僕たちはお昼頃までぼうっと海を眺めたあと、どちらからともなく立ち上がり、帰路に着いた。駅近くのコンビニで、肉まんとピザまんを半分ずつ分け合って簡単な昼食にして、来た時と同じように二時間ほど電車に揺られる。
 星海に戻った頃には十五時になろうとしていた。文化祭が終わるにはまだ一時間ほどあって、駅にも人はまばらだ。
 母親はまだ高校にいるだろうか。それとも僕がいないことに気づいて、家に戻っているだろうか。スマホの電源は切りっぱなしで、今からスマホを再起動して通知を確認する勇気はない。

 僕はひとまず、榊さんを家まで送っていった。帰りの電車の時から榊さんは言葉少なで、僕のすこし後ろをゆっくりとした足取りでついてきていた。
 榊さんの過去はわかったが、「十八歳までに死なないといけない」という言葉の真意についてはわからずじまいだ。母親との約束だと言ったきり、榊さんは詳しいことを話そうとしなかった。その約束が、弟さんが亡くなったことと関係があるのかも、わからない。

「じゃあ、僕はここで」

 部屋の前までたどり着くと、榊さんは鍵を差し込みながら僕を振り返った。

「冴島くん、怒ってるかな」

 その名前を聞いた瞬間、僕はどきりとした。冴島くんが文化祭の日に榊さんに告白しようとしていることを知っているのは、僕と吉野さんだけだと思っていたからだ。まさか、榊さんは気づいていたのだろうか?
 僕の疑問に、彼女はあっさりと答えた。

「どうしても言いたいことがあるから、文化祭に来て欲しいって本人に言われてた。すっかり忘れて、森岡くんと海に行ったけど」
「……今から学校に行く?」
「行かない。どうせわたしじゃ、冴島くんには応えられないから」

 榊さんはそれだけ言って、部屋に消えていった。どういう意味、と聞き返す間もなかった。立ち尽くした僕の目の前で扉が完全に閉まり、ガチャリと鍵をかける音が響く。明確な拒絶。これ以上、踏み込まないで欲しいという、榊さんの願いを僕はそこに見出だしたみたいだった。


◇ ◇ ◇


「瑞希は何度お母さんを裏切れば気が済むの?」

 ダイニングテーブルを挟んで向かい側に腰かけた母が、穏やかだが冷え切った声で問うてくる。
 テーブルの上には電源を切られたままの僕のスマホ。それに母親の淹れた紅茶のカップが二つ。家に帰った僕を出迎えたのは、奇妙なほど落ち着きを払った様子の母親だった。

「正直に言いなさい。文化祭にも行かないで、瑞希はどこでなにをしていたの?」

 僕は一瞬、迷った。榊さんと一緒にいたことを言うべきか、僕一人で脱走したことにするか。
 注意深く、母親の様子を観察する。対応を間違えたら、榊さんにまで火の粉が飛んでいく。それはどうしても避けたい。僕だけが怒られて終わるなら、そのほうが百倍いい。
 黙り込む僕を見て、母がため息を吐く。

「ねぇ、瑞希。お母さんも反省してるのよ。お母さんの通院に付き合っていたせいで、文化祭の準備にも参加できなかったんでしょう? 瑞希と同じクラスの子から聞いたわ……」

 僕は頭を抱えたくなった。今さら反省しているなんて言われて、はいそうですかとすんなり許せるほど、僕の心は広くない。
 それに母親は根本的に認識を間違っている。僕が文化祭の準備に参加できなかったのは、通院に付き添っていたからではなく、母親のそのヒステリックな性格のせいだ。僕がすこしでも母親から離れるそぶりを見せると、父親に似ていると罵倒する、厄介な性質。
 むくむくと反抗心が湧き上がってくるのを感じる。僕は母親の操り人形じゃない。父親の代わりでもない。たった一人の、森岡瑞希という人間だ。僕がどこでなにをしようと自由なはずだ。

「文化祭には行かなかった。同じクラスの榊さんと出かけていたんだ」
「榊さんって……駅の近くに住んでるあの子のことね?」

 榊さんの名前を出した途端、母親の顔にさっと赤みが差した。

「そうだよ。僕がクラスで仲間外れにされているのを見かねて、声をかけてくれた」

 僕は言外に「あなたのせいで」という意味を込めるのを忘れなかった。僕だって、クラスに馴染めていたら、文化祭の準備に参加できていたら、わざわざ榊さんと一緒に逃走することなんてなかった。普通の高校生活を送りたいという、僕のささやかな願いを壊しておきながら、母親は僕を咎め、榊さんの名前に眉をひそめる。

「どうしてあの子と仲良くするの?」

 母親の言葉には、非難の色が多く含まれていた。まるで榊さんと交流を持つことが、良くないことだというみたいに。

「別に、たまたま同じクラスで、席も近くて。それに家だって、すぐそこだし」

 僕はむっとして、言い返した。母親の顔がますます曇る。なぜそんな顔をするのか。相手が榊さんじゃなければいいのか。僕にはさっぱりわからない。母親の考えていることなんか、わかりたくもない。

「……なさい」
「え?」
「あの子と仲良くするのはやめなさい!」

 母親のあまりの剣幕にぎょっとする。

「な、なに、急に……」
「瑞希はなにも知らないのよ! だからあんな子と仲良くして……!」

 またいつもの癇癪だと思った。僕が離れていく、榊さんに僕を取られたような気がして怒っているだけだと。
 しかし今回ばかりは様子がちがう。母親はまるで榊さんの存在に怯えるように、ぎゅっと目を閉じた。痩せた肩が震えている。僕がなだめるのも聞かず、ぶんぶんと首を振る。血走った目が僕を捉える。
 そして母親は、決定的な一言を口にした。

「三角アパートに住む、あの子は……榊ゆらは、人殺しなのよ」
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