上 下
25 / 46

4章(4)

しおりを挟む
「ぼく、榊さんのことが好きなんだ」

 屋上へ続く、人気ひとけのない階段に差し掛かった時、冴島くんは固い声でそう言った。僕は後ろを振り返り、薄暗い階段で冴島くんと向かい合う形になる。

「えっと……いつから?」

 僕はなんと聞いたらいいかもわからずに、とりあえず喉元までせり上がってきていた疑問を口にした。
 冴島くんが思い出を探るように、目を伏せる。

「最初は球技大会の時、かな……。でも、夏休みも一緒に出掛けたし、勉強も教えてくれて。榊さんと会えば会うほど、ぼくは榊さんのことが好きなんだって思ったんだ」

 冴島くんの言葉を聞きながら、僕は急激に「裏切られた」と感じた。誰にって? 榊さんに、だ。
 僕の中で、あの夜は――榊さんの家に泊まった夜は特別だった。母親に反抗し、手にした自由。なけなしの自由を一緒に共有してくれた榊さん。深夜のコンビニで出会った時の、共犯者のような秘密めいた関係。それらを僕は、大事に胸にしまい込んでいた。僕と、彼女だけがわかりあえるいびつだけど美しいものとして。
 別に榊さんにとって、僕は特別でもなんでもなかった。僕が家庭という名の檻に閉じ込められている間に、彼女は冴島くんとも遊んでいたのだから。

 いや、僕に榊さんを責めることはできないし、僕が彼女の行動を縛る理由もない。僕が勝手に榊さんに仲間意識を感じていただけのことだし、榊さんが誰と関わろうが自由なはずだ。
 彼女にとって、冴島くんも僕も、等しくただのクラスメイトなのだから。……たぶん。
 冴島くんは幸い、僕の気持ちには気づいていないようだった。というか、榊さんの家に泊まったことがクラスメイトにバレていたら、それはそれでやばい。

「どうして僕に言おうと思ったの?」
「森岡くんだけに言おうと思ったんじゃないんだ」

 冴島くんがすっと僕から視線を逸らして、白色とは程遠い廊下の壁を見ながら言う。

「もう、吉野さんにも言ってある。ほら、球技大会で同じチームだったから、二人には言っておいたほうがいいかなって思って……」

 冴島くんはまるで善意の塊のような人だった。こうすることが、仲間に対する態度として正しいのだと、本気で信じて僕にわざわざ打ち明けたのだから。

「それで……ぼく、文化祭の日に榊さんに告白しようと思ってる」

 今度はまっすぐ僕の目を見て、冴島くんは言った。きっとこのことも、吉野さんに報告してあるのだろう。吉野さんはなんて答えたんだろう。「応援するよ」とか、そんな当たり障りのないところだろうか。
 僕はしばし迷った挙句、「……いいね」という肯定にはすこし足りない、微妙な相槌を打った。感情が出すぎただろうか。そっと冴島くんのほうを見たけれど、彼は僕の言葉の持つニュアンスに気づかなかったようだ。

「応援、してくれるよね……?」

 冴島くんの不安そうな声に、僕は自然と笑顔を作った。

「もちろん。友だちなんだから、応援しないわけにいかないよ」
「ありがとう。森岡くんに話して、よかった」

 薄暗い廊下で向かい合い、僕らは微笑みあった。胸の深いところが痛むのを、僕は知らないふりをして。


◇ ◇ ◇


 家に帰ると、玄関に見慣れない革靴が脱ぎ捨ててあった。爪先の異様に尖った、男物の革靴だ。よく磨かれて、つやつやと光っている。
 僕はそっと家の中に耳を澄ませてみた。ぼそぼそと話をしている声が聞こえる。会話の内容まではわからないが、声の高さから母親と、誰かもう一人いる。男のようだ。
 神経質なくらい物音を殺して、僕は靴を脱ぎ、家に上がった。自分の家だというのに、他人の家に上がった時のような慎重さで廊下を進む。
 リビングのドアを開けて、僕は母と向かい合って座っていた人を見て、息を呑んだ。

「久しぶりだな、瑞希」

 やや白髪の混じった頭を揺らして、父親が呑気に声をかけてくる。その顔にはわずかに笑みのようなものまで張りついている。

「……さら」
「え?」
「今さら、なんの用だよ」

 父親のきょとんとした顔に、苛立ちが募る。なんでそんなお気楽そうな顔してんだよ。ああそうか、僕と違って母親から離れて暮らしているからか。自由っていいよな。なにもかも僕に押しつけて、お前は一人でのうのうと生きてさ――。
 呆けていた父親の顔が、ぐにゃりと歪んだ。映るのは怒りだ。僕の感情を反射したみたいに、父親も怒っている。

「今さらって……父親に向かってなんて口聞くんだ」
「都合のいい時だけ、父親面すんなよ」

 すかさず噛みつく。父親が席を立とうとする。視線が絡み合い、僕は拳をぎゅっと握り込む。

「ちょっと二人ともやめて……」

 母親のか細い仲裁で、僕と父親はお互いを睨みつつも、徐々に目を逸らした。腹の底がふつふつと煮えたぎっている。母親がいなかったら、僕は今すぐ父親に殴り掛かっているだろう。もう一度、目を合わせるのだって嫌だ。母がなんと言おうと、僕は父親を許すことができない。

「瑞希もそんな意地張らないで……ね?」

 感情を丸ごと入れ替えるように、大きく息を吐き出す。吸う。吐き出す。大丈夫、僕は、まだ。大丈夫だ。

「ごめん、久しぶりに会ったからびっくりしちゃって」

 僕はそう言って、中腰になっていた母を座らせた。ここで母親を刺激するのは得策ではない。母にとって、父と息子の些細ないがみ合いですら、耐え難いストレスの原因になる。

「それで、帰ってきたからにはなにか理由があるんだよね?」

 にこやかな声に、すこしの沈黙。父親は、僕を化け物を見るような目で一瞥してから咳払いをした。

「あー……そうだ。瑞希に話があるんだ」

 父親はせわしなく視線を動かしながら、散歩に誘うかのように言った。

「瑞希、母さんと一緒に星海せいかいから出よう。引っ越すんだ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】

S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。 物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

全体的にどうしようもない高校生日記

天平 楓
青春
ある年の春、高校生になった僕、金沢籘華(かなざわとうか)は念願の玉津高校に入学することができた。そこで出会ったのは中学時代からの友人北見奏輝と喜多方楓の二人。喜多方のどうしようもない性格に奔放されつつも、北見の秘められた性格、そして自身では気づくことのなかった能力に気づいていき…。  ブラックジョーク要素が含まれていますが、決して特定の民族並びに集団を侮蔑、攻撃、または礼賛する意図はありません。

夏の決意

S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

EAR OF YOUTU

チャッピー
青春
今年から高校生となる耳塚柿人。しかし、目を覚ますとそこはら耳かきがスポーツとして行われている世界だった。 柿人は先輩に誘われて、耳かきの世界へ飛び込んでいくが…?

礼儀と決意:坊主少女の学び【シリーズ】

S.H.L
青春
男まさりでマナーを知らない女子高生の優花が成長する物語

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

処理中です...