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4章(3)
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夏休み終了から二週間と三日後。僕は坂道を上り、高校の正門をくぐった。
同じ制服を着た生徒たちが、それぞれ談笑しながら僕の脇を通り抜けていく。いつもならうんざりするその光景も、今日はとても新鮮に見える。
ああ、これが僕の望んでいた日常だ。人並みに高校へ通い、人並みに勉強して、卒業して、大学なんか行っちゃったりして。母親と一緒に田舎の家に閉じ込められることを、僕は一度も願ったことはない。
薄暗い玄関で上履きに履き替え、階段を上る。二年三組の教室に入ると、一瞬だけ、周りからの視線が鋭くなったような気がした。教室内にいたクラスメイトが一斉に僕のほうを向く。
僕が席に座るまでじっと見つめている影。扱いに困り、そっと目を逸らす影。クラスメイトが思い思いの反応を示す中、僕は平静を装って、席に着き、リュックから教科書類を引っ張り出す。
「も、森岡くん! 久しぶり!」
皆が遠巻きに僕を遠慮がちに見つめる中、一番に声をかけてきたのは冴島くんだった。夏休みの間に髪を切ったのか、さっぱりとした短髪と夏服がよく合っている。
「あ、ああ……久しぶり」
僕はなんだかぎこちなさを覚えながらも、無理やり笑顔を作って応える。
冴島くんは僕の机の前まで来ると、辺りを窺うように声をひそめた。
「その……お母さんのこと、大丈夫?」
好奇心ではなく、純粋に心配してくれているみたいだ。彼の目には、他の人が宿しているような無遠慮な好奇心はなく、僕をまっすぐ見ている。
「大丈夫だよ。ちょっと体調崩していただけだから」
「そっか……ならよかった。あ、休んでいた間のノート見る?」
「いいの?」
「もちろん。遠慮しないでよ」
冴島くんは一度、自分の机まで戻ると今日の時間割には入っていない数学や日本史のノートを持ってきた。僕のために、わざわざ学校まで持ってきてくれたのだろうか。
「ありがとう。なるべく早く返すよ」
僕がお礼を言いながらノートを受け取ると、冴島くんは恥ずかしそうに、だけどすこしだけ誇らしそうに微笑んだ。
「あ、あの……! 森岡くん!」
女子の声に呼びかけられて、僕は借りたノートから顔を上げた。
冴島くんの隣に、吉野さんがちょこんと立っている。彼女の手には紙の束が握られていて、吉野さんはその束を押しつけるようにして、僕に差し出してきた。
「私も、ノートのコピー取ってきていて……あの、森岡くんのためにって――」
吉野さんがしゅんと顔を下げる。ショートカットの髪に隠れた瞳が、僕のほうを窺うようにちらちらと見ている。
「ありがとう……本当に助かるよ」
僕は吉野さんの手からコピー用紙の束を受け取りながら、お礼を言った。冴島くんだけでなく、吉野さんまで僕のことを気にかけていてくれたなんて、思いもしなかった。
僕は二人の顔を交互に見る。入学してからずっと、友だちらしい友だちができなかった僕だけど、この二人は間違いなく友だちだといえるだろう。願わくば、二人も僕のことを友だちだと思っていてくれると嬉しい。
二人が自分の席に戻っていくのを見届けてから、僕は借りたノートとコピー用紙の束をめくりはじめた。周りのクラスメイトはすっかり関心を失って、それぞれのグループでおしゃべりに興じている。時折、僕のほうを見る人間がいることは気になったが、わざわざ話している内容に聞き耳を立てて自分から傷つきにいこうとするほど馬鹿ではない。僕は知らんふりをして、教科書やノートを机の中にしまいこみ、ポケットからスマホを取り出す。
そういえば、榊さんはもう登校しているのだろうか。ふと気になって、前方に目を向けると丸まっている背中が目に入った。机の横にかけられたリュックが、力なく揺れている。
榊さんは通常運転だった。周りの喧騒を気にすることもなく、いつも通りの睡眠体勢に入っている。僕が登校したことすら、知らないかもしれない。
僕はどこまでいっても、榊さんが羨ましかった。周りを気にせず睡眠に明け暮れる胆力も、猫のようにふらふらと生きていける自由さも、全部僕にはないものだ。僕が欲しいと思いながらも、手に入らなかったものだ。
「あ、そうだ。森岡くん」
僕は冴島くんの声で、榊さんの背中から視線を引きはがした。自分の席に戻ったはずの冴島くんが、僕の席のそばに立って、真剣な顔をしている。
「どうしたの?」
「あとで、話したいことがあるんだ。できれば、森岡くん以外には聞かれたくないんだけど……」
なんの話だろう? 頭の中を一瞬にして様々な想像が駆け抜けていく。しかし考えたところで思いつくことはすくない。せいぜい、僕の母親のことだろうかとか、そんなレベルだ。でも、冴島くんがそんな話をしてくるとは思えない。
「わかった。昼休みに、屋上の階段のところでどう?」
僕の提案に、冴島くんは唇を引き結んでうなずいた。よほど大切な話なのだろうか。その顔には決意のようなものがみなぎっている。
ふいに、榊さんがむくりと起き上がった。長い黒髪が、肩から背中のほうへ流れていく。振り返った榊さんは、なにも言うことなく僕を見ていた。その目になんらかの意味が込められているような気がしたが、それがなんなのか、僕にはわからないままだった。
同じ制服を着た生徒たちが、それぞれ談笑しながら僕の脇を通り抜けていく。いつもならうんざりするその光景も、今日はとても新鮮に見える。
ああ、これが僕の望んでいた日常だ。人並みに高校へ通い、人並みに勉強して、卒業して、大学なんか行っちゃったりして。母親と一緒に田舎の家に閉じ込められることを、僕は一度も願ったことはない。
薄暗い玄関で上履きに履き替え、階段を上る。二年三組の教室に入ると、一瞬だけ、周りからの視線が鋭くなったような気がした。教室内にいたクラスメイトが一斉に僕のほうを向く。
僕が席に座るまでじっと見つめている影。扱いに困り、そっと目を逸らす影。クラスメイトが思い思いの反応を示す中、僕は平静を装って、席に着き、リュックから教科書類を引っ張り出す。
「も、森岡くん! 久しぶり!」
皆が遠巻きに僕を遠慮がちに見つめる中、一番に声をかけてきたのは冴島くんだった。夏休みの間に髪を切ったのか、さっぱりとした短髪と夏服がよく合っている。
「あ、ああ……久しぶり」
僕はなんだかぎこちなさを覚えながらも、無理やり笑顔を作って応える。
冴島くんは僕の机の前まで来ると、辺りを窺うように声をひそめた。
「その……お母さんのこと、大丈夫?」
好奇心ではなく、純粋に心配してくれているみたいだ。彼の目には、他の人が宿しているような無遠慮な好奇心はなく、僕をまっすぐ見ている。
「大丈夫だよ。ちょっと体調崩していただけだから」
「そっか……ならよかった。あ、休んでいた間のノート見る?」
「いいの?」
「もちろん。遠慮しないでよ」
冴島くんは一度、自分の机まで戻ると今日の時間割には入っていない数学や日本史のノートを持ってきた。僕のために、わざわざ学校まで持ってきてくれたのだろうか。
「ありがとう。なるべく早く返すよ」
僕がお礼を言いながらノートを受け取ると、冴島くんは恥ずかしそうに、だけどすこしだけ誇らしそうに微笑んだ。
「あ、あの……! 森岡くん!」
女子の声に呼びかけられて、僕は借りたノートから顔を上げた。
冴島くんの隣に、吉野さんがちょこんと立っている。彼女の手には紙の束が握られていて、吉野さんはその束を押しつけるようにして、僕に差し出してきた。
「私も、ノートのコピー取ってきていて……あの、森岡くんのためにって――」
吉野さんがしゅんと顔を下げる。ショートカットの髪に隠れた瞳が、僕のほうを窺うようにちらちらと見ている。
「ありがとう……本当に助かるよ」
僕は吉野さんの手からコピー用紙の束を受け取りながら、お礼を言った。冴島くんだけでなく、吉野さんまで僕のことを気にかけていてくれたなんて、思いもしなかった。
僕は二人の顔を交互に見る。入学してからずっと、友だちらしい友だちができなかった僕だけど、この二人は間違いなく友だちだといえるだろう。願わくば、二人も僕のことを友だちだと思っていてくれると嬉しい。
二人が自分の席に戻っていくのを見届けてから、僕は借りたノートとコピー用紙の束をめくりはじめた。周りのクラスメイトはすっかり関心を失って、それぞれのグループでおしゃべりに興じている。時折、僕のほうを見る人間がいることは気になったが、わざわざ話している内容に聞き耳を立てて自分から傷つきにいこうとするほど馬鹿ではない。僕は知らんふりをして、教科書やノートを机の中にしまいこみ、ポケットからスマホを取り出す。
そういえば、榊さんはもう登校しているのだろうか。ふと気になって、前方に目を向けると丸まっている背中が目に入った。机の横にかけられたリュックが、力なく揺れている。
榊さんは通常運転だった。周りの喧騒を気にすることもなく、いつも通りの睡眠体勢に入っている。僕が登校したことすら、知らないかもしれない。
僕はどこまでいっても、榊さんが羨ましかった。周りを気にせず睡眠に明け暮れる胆力も、猫のようにふらふらと生きていける自由さも、全部僕にはないものだ。僕が欲しいと思いながらも、手に入らなかったものだ。
「あ、そうだ。森岡くん」
僕は冴島くんの声で、榊さんの背中から視線を引きはがした。自分の席に戻ったはずの冴島くんが、僕の席のそばに立って、真剣な顔をしている。
「どうしたの?」
「あとで、話したいことがあるんだ。できれば、森岡くん以外には聞かれたくないんだけど……」
なんの話だろう? 頭の中を一瞬にして様々な想像が駆け抜けていく。しかし考えたところで思いつくことはすくない。せいぜい、僕の母親のことだろうかとか、そんなレベルだ。でも、冴島くんがそんな話をしてくるとは思えない。
「わかった。昼休みに、屋上の階段のところでどう?」
僕の提案に、冴島くんは唇を引き結んでうなずいた。よほど大切な話なのだろうか。その顔には決意のようなものがみなぎっている。
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