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4章(2)
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「こんな時間に会うとは思わなかった」
僕は適当にそんなことを言いながら、榊さんに近づいた。入口の照明に虫がたかっている。彼女は時折、自分のところまで飛んでくる虫を鬱陶しそうに空いた手で払いながら、僕のほうを見た。
「森岡くんこそ、学校にも来ないでなにしてるの」
鋭い物言いに、一瞬怯む。
「行かないんじゃなくて、行けないんだよ」
「不登校ってやつ?」
「そんなんじゃないって――」
「わかってるよ」
榊さんは薄笑いだった表情を引き締めた。糸のように細い黒髪が夜風になびく。
「どうせお母さんに捕まっていて、日中は外にも出られないんでしょう」
「そっちこそ、眠れなくてこんな時間に、こんなところにいるんじゃないの?」
「まあね」
そう言って、榊さんは棒に残っていたアイスを一口で頬張った。
コンビニの駐車場はがらんとしていて、店内にも客はいないようだ。窓越しに、暇そうにレジに立っている大学生くらいの若い店員が見える。
あの夜のことが嘘だったみたいに、僕たちは自然と軽口を叩き、言葉を交わしていた。この時、僕は初めて榊さんが僕のことを「同じ匂いがする」と評した理由がわかった気がした。
こうしてなにかから逃げるように深夜のコンビニへ引き寄せられているところを見ると、僕たちは似ているように思う。それに彼女と話していると、すこし心が落ち着く気がする。僕の境遇のことをわかっている人は少ない。僕が積極的に家族の話をしないせいかもしれないけれど。榊さんはその点、僕の数少ない理解者といえるかもしれない。
僕は榊さんに一言断ってから、コンビニの店内へ入った。気怠そうな店員が、ちらりとこちらを見るがなにも言ってはこない。
久しぶりに母親から離れられたという開放感から、僕はめったに飲まない炭酸飲料を手に取った。アニメキャラクターとのコラボ商品なのか、パッケージには制服を着た女の子のイラストが印刷されている。すこし考えて、僕は同じものをもう一本手に取った。
会計を済ませてコンビニを出ると、むわっとした温風を感じた。外にいた時はそれほど暑さを感じなかったが、エアコンが効きまくった店内から出てくると、温度差でじんわりと汗をかくようだ。
僕は二本買った炭酸飲料のうち、一本を榊さんのほうに差し出した。
「……ありがとう」
榊さんが怪訝な顔をしながらも、不承不承といった感じでペットボトルを受け取ってくれる。
僕らはコンビニの前で横並びになって、ちまちまとペットボトルを傾けた。ゆっくりとした時間が流れていく。僕は本当に久しぶりに、落ち着いた時間を過ごしていることを実感する。同時に、自分の家にいても心はまったく休まっていないことを痛感した。
「森岡くん、さ」
榊さんがペットボトルの外側についた水滴をパーカーの裾で拭きながら、僕を呼ぶ。
「なに?」
「学校、来ないほうがいいかも」
僕は一瞬、なにを言われたのかわからなかった。アスファルトを見つめていた視線を上げる。茶色がかった、色素の薄い瞳が僕を見ていた。その顔にはなんともいえない表情が浮かんでいる。榊さんが、こんな困ったような、微妙な表情をするのは珍しいと思った。
「学校で噂になってる。森岡くんのお母さんが、病院に通ってることとか」
「……とか?」
榊さんは細い指で、自分の手首を指した。指先が、すうっと刃を引くような動作をする。僕はそれだけで、榊さんがなにを言おうとしているのか、わかってしまった。
小学校の参観日の時だ。同級生に母親の手首に残るリストカットの痕を見られたのは。
高校にも、何人か小学校の頃から同じだった奴がいる。そこから漏れたのかもしれない。たとえ同級生たちがなにも言わなくても、この小さな田舎で秘密を秘密のままにしておくことは不可能だ。
「落ち着いたら学校に行くよ。いつまでも休んで、進級できなかったら最悪だし」
「――子どもは親を選べない」
ふいに榊さんは思い出したように言った。猫のような丸々とした目が、じっと僕の顔を見ている。
その言葉には同意せざるを得ない。もし生まれてくる前に親が選べるのなら、僕は今の母親を選ばなかっただろう。具体的な理想はないけれど、もっと……普通の家を選ぶと思う。今の僕にとっては、普通の家がなんなのかわからないけど。
「榊さんも、別の家に生まれたかったって思うことあるの?」
僕は気になって、逆に問い返してみた。僕から見た榊さんはいつも飄々としていて、家族のことで悩んでいるようには見えない。彼女の家族に会ったことがないから、僕が勝手にそう思っているだけかもしれない。
「あるよ。むしろ、やり直せるなら今すぐ死んだっていいくらい」
榊さんはあっさりと言い放った。冗談か本気か、いまいちわからないテンションで。
僕はそれ以上聞けずに、黙ってペットボトルを握りしめた。榊さんも、特になにも言わなかった。榊さんはどんな理由で、すべてをやり直したいと思っているのだろうか。きっと僕にはまだ想像もつかないことが、彼女を苦しめているのかもしれない。
僕らを置き去りにして、夜は更けていく。僕はこのまま家に帰らず、ずっとここで夜を過ごしたかった。母親のことも、帰ってこない父親のことも、学校で広まるくだらない噂のことも、すべて忘れて――。
僕は適当にそんなことを言いながら、榊さんに近づいた。入口の照明に虫がたかっている。彼女は時折、自分のところまで飛んでくる虫を鬱陶しそうに空いた手で払いながら、僕のほうを見た。
「森岡くんこそ、学校にも来ないでなにしてるの」
鋭い物言いに、一瞬怯む。
「行かないんじゃなくて、行けないんだよ」
「不登校ってやつ?」
「そんなんじゃないって――」
「わかってるよ」
榊さんは薄笑いだった表情を引き締めた。糸のように細い黒髪が夜風になびく。
「どうせお母さんに捕まっていて、日中は外にも出られないんでしょう」
「そっちこそ、眠れなくてこんな時間に、こんなところにいるんじゃないの?」
「まあね」
そう言って、榊さんは棒に残っていたアイスを一口で頬張った。
コンビニの駐車場はがらんとしていて、店内にも客はいないようだ。窓越しに、暇そうにレジに立っている大学生くらいの若い店員が見える。
あの夜のことが嘘だったみたいに、僕たちは自然と軽口を叩き、言葉を交わしていた。この時、僕は初めて榊さんが僕のことを「同じ匂いがする」と評した理由がわかった気がした。
こうしてなにかから逃げるように深夜のコンビニへ引き寄せられているところを見ると、僕たちは似ているように思う。それに彼女と話していると、すこし心が落ち着く気がする。僕の境遇のことをわかっている人は少ない。僕が積極的に家族の話をしないせいかもしれないけれど。榊さんはその点、僕の数少ない理解者といえるかもしれない。
僕は榊さんに一言断ってから、コンビニの店内へ入った。気怠そうな店員が、ちらりとこちらを見るがなにも言ってはこない。
久しぶりに母親から離れられたという開放感から、僕はめったに飲まない炭酸飲料を手に取った。アニメキャラクターとのコラボ商品なのか、パッケージには制服を着た女の子のイラストが印刷されている。すこし考えて、僕は同じものをもう一本手に取った。
会計を済ませてコンビニを出ると、むわっとした温風を感じた。外にいた時はそれほど暑さを感じなかったが、エアコンが効きまくった店内から出てくると、温度差でじんわりと汗をかくようだ。
僕は二本買った炭酸飲料のうち、一本を榊さんのほうに差し出した。
「……ありがとう」
榊さんが怪訝な顔をしながらも、不承不承といった感じでペットボトルを受け取ってくれる。
僕らはコンビニの前で横並びになって、ちまちまとペットボトルを傾けた。ゆっくりとした時間が流れていく。僕は本当に久しぶりに、落ち着いた時間を過ごしていることを実感する。同時に、自分の家にいても心はまったく休まっていないことを痛感した。
「森岡くん、さ」
榊さんがペットボトルの外側についた水滴をパーカーの裾で拭きながら、僕を呼ぶ。
「なに?」
「学校、来ないほうがいいかも」
僕は一瞬、なにを言われたのかわからなかった。アスファルトを見つめていた視線を上げる。茶色がかった、色素の薄い瞳が僕を見ていた。その顔にはなんともいえない表情が浮かんでいる。榊さんが、こんな困ったような、微妙な表情をするのは珍しいと思った。
「学校で噂になってる。森岡くんのお母さんが、病院に通ってることとか」
「……とか?」
榊さんは細い指で、自分の手首を指した。指先が、すうっと刃を引くような動作をする。僕はそれだけで、榊さんがなにを言おうとしているのか、わかってしまった。
小学校の参観日の時だ。同級生に母親の手首に残るリストカットの痕を見られたのは。
高校にも、何人か小学校の頃から同じだった奴がいる。そこから漏れたのかもしれない。たとえ同級生たちがなにも言わなくても、この小さな田舎で秘密を秘密のままにしておくことは不可能だ。
「落ち着いたら学校に行くよ。いつまでも休んで、進級できなかったら最悪だし」
「――子どもは親を選べない」
ふいに榊さんは思い出したように言った。猫のような丸々とした目が、じっと僕の顔を見ている。
その言葉には同意せざるを得ない。もし生まれてくる前に親が選べるのなら、僕は今の母親を選ばなかっただろう。具体的な理想はないけれど、もっと……普通の家を選ぶと思う。今の僕にとっては、普通の家がなんなのかわからないけど。
「榊さんも、別の家に生まれたかったって思うことあるの?」
僕は気になって、逆に問い返してみた。僕から見た榊さんはいつも飄々としていて、家族のことで悩んでいるようには見えない。彼女の家族に会ったことがないから、僕が勝手にそう思っているだけかもしれない。
「あるよ。むしろ、やり直せるなら今すぐ死んだっていいくらい」
榊さんはあっさりと言い放った。冗談か本気か、いまいちわからないテンションで。
僕はそれ以上聞けずに、黙ってペットボトルを握りしめた。榊さんも、特になにも言わなかった。榊さんはどんな理由で、すべてをやり直したいと思っているのだろうか。きっと僕にはまだ想像もつかないことが、彼女を苦しめているのかもしれない。
僕らを置き去りにして、夜は更けていく。僕はこのまま家に帰らず、ずっとここで夜を過ごしたかった。母親のことも、帰ってこない父親のことも、学校で広まるくだらない噂のことも、すべて忘れて――。
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