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エピローグ
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加藤将太巡査部長、31歳は頭を悩ませ、さらには腹まで空かせていた。
見渡す限り畑しかないような田舎の駐在所にやってきた、ひとりの少女。14歳だと言っていたが、学校の制服は着ていない。尋ねても年齢の他にはなにも言わず、氏名も用件もまるで分らなかった。
少女の様子を窺おうとそっと書類から顔を上げると、目尻の少し吊り上がった大きな目で睨まれる。ショートカットの髪型も相まって、気が強そうな印象を与えるが、ワンピースから覗く肌は病的なまでに白く、生気を感じない。
普段ならとっくに昼食をとって巡回に出かけている時間である。しかし、少女の対応に苦慮し、いまだ昼食にもありつけていない。かれこれ2時間近く少女と相対しているが、なかなか事が進む気配はなかった。
「ごめんね、名前だけでも教えてもらっていいかな?」
何度目か分からない質問を少女に投げかける。そもそも高齢者ばかりのこの村で、年頃の少女を見かけること自体が珍しい。将太が知る限り、この村の最年少は28歳の若い人妻だ。
どこかへ出かける途中で迷子になり、駐在所へやってきたのだろうか? 迷子になったことが恥ずかしくて、なかなか言い出せないとか?
ありとあらゆる考えを巡らせるが、答えは出ない。せめて名前や住所だけでも分かれば、照会をかけられるのだが。
「私、は」
少女がはじめて「14歳」以外の言葉を話した。根気よく、次の言葉を待つ。
「私は、添木ことり」
その名前を聞いた瞬間、毛穴という毛穴から冷や汗が吹き出した。
「でも、ことりは本当の名前じゃない。おじさんが、勝手にそう呼んでるだけ」
「ちょ、ちょっと待って……君の、お母さんは」
夢であってほしい。何度もそう願う。
「お母さんは添木彩鳥。お父さんは、私が生まれる前に死んだ」
現実は、将太をどん底に突き落とした。少女が喋るたびに、息が詰まる。意識は否応なしに10年前に引き戻されていく。
「あなた、お母さんと一緒に落ちたって聞いた」
少女のつたない言葉が、じわじわと将太を苦しめる。封じ込めて、見ないようにしていた傷を、無遠慮に掘り返される。
10年前、10月31日。
将太は当時の本部長、宝井幸次を殺害目的で誘拐、監禁した被疑者のひとりである添木彩鳥とともに、ビルの7階から飛び降りた。一緒に死んで、という彼女の望みのままに。
まちがいなく死ねると思った。7階は相当高かった。しかし、結果的にふたりとも重症を負いながらも、助かったのだ。警察が用意した落下防止ネットを突き破りながら、ふたりはゆるやかに地面に衝突した。
犯人と心中するという暴挙を犯したにも関わらず、一命を取り留めた将太に下された処分は、懲戒免職ではなかった。本部長を救うため、ひとり監禁場所へ乗り込んだ勇者として、田舎の駐在所への左遷だけで済んだ。しかし、巡査部長以上の昇進は望めない。この小さな村の駐在所で、定年退職まですごす。
「お母さんは、その……元気?」
少女が悲しげに視線を落とす。次に顔を上げた時、彼女の顔を彩っていたのは凄まじい憎悪だった。
「お母さんは一生、目覚めない。おじさんも刑務所に行った。なのになんであなたは元気に働いてるの?」
剥き出しの憎悪が、ほとばしる悪意が、将太の体を蝕む。
少女がパイプ椅子に置いていた鞄に手を突っ込んだ。するりと出てきたのは、小さな果物ナイフ。すでに血に濡れ、乾いた跡がある。将太が腰に吊るした警棒を引き抜くより早く、鋭い切っ先が防刃ベストに突き刺さる。
彩鳥によく似た笑顔で、少女は迫る。
「今度こそ、お母さんと一緒に死ね」
―終―
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