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7章(7)
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「容疑者とみられる人物を発見、7階に残ります」
将太は考える間もなく、無線で告げた。階段を下っていた隊列はもう見えない。おそらく下に着いただろう。
『応援がくるまで絶対に近寄るな!』
相沢の切迫した指示が飛んでくる。耳では指示を聞いていながら、目は一心不乱に彩鳥を追う。
彩鳥は将太ひとりしかいないと見て取ると、大胆にも全身をドアから出した。ぴったりと体に沿う黒いワンピースに身を包んでいる。彩鳥は敵意はない、というように両手を上げて将太の方へ歩み寄ってきた。
将太の方も盾を構えたまま、じりじりと距離を詰める。後で相沢に知られたら、まちがいなく怒られる。怒られるだけじゃすまないかもしれない。隊長の命令に背くことは、それだけで処分の対象になってもおかしくない。
彩鳥は将太から5メートルほど離れたところで止まった。挙げていた両手を下ろし、ゆっくりとワンピースの裾を捲り上げる。露わになった白い太ももに、ぴったりと巻かれたホルスターが目に入った。拳銃は差されていない。
彩鳥の挑むような目つきと、将太の視線が交錯する。
「持ってたんだけどね、暁さんに取られちゃった」
不満げな彩鳥の表情。おそらく拳銃のことを指しているのだろう。彩鳥自身は丸腰だとアピールしているが、なにを隠し持っているか分からないし、どこかに潜んでいるであろう暁がいきなり発砲してこないとも限らない。
盾を下ろすことなく、注意深く彩鳥の様子を窺う。
「弾は?」
「入ってるよ。たぶん、残り5発くらい」
インカムの向こうで、相沢が息を飲む音が聞こえた。将太が彩鳥と接触したことに気づいたのだ。
「宝井本部長はそこにいますよね?」
「ええ、いるわ」
「下から見た時には、怪我をしているように見えましたが」
「将太くんは目が良いのね。頬にちょっと擦り傷と、頭にたんこぶがひとつあるだけで、ちゃんと生きているわ」
彩鳥が嘘をついているようには見えない。まだ生きているということも、たいした怪我ではないということも本当だろう。
「本部長を、解放してくれませんか」
一縷の望みをかけて、将太は切り出した。ここで彩鳥があっさり宝井を解放してくれれば、事を荒立てる必要がなくなる。将太とて、彩鳥に銃を向けるようなことはしたくないし、誰かの血が流れるところを見たいわけでもない。あくまで穏便に、最小限の被害で切り抜けたい。
彩鳥は少し考え込むように小首をかしげたが、すぐにうつむいて手を擦り合わせた。
「ごめんね、それはできない」
か細い声ながら、はっきりとした拒絶。彩鳥の表情には翳りが見え、本当に将太に申し訳ないと思っているふうである。
将太はさらにじりじりと歩を進め、手を伸ばせば彩鳥に触れられる距離までやってきた。彩鳥のすぐ横にはドアがある。そのドアの向こうに、宝井がいて、もしかしたら暁も同じ部屋にいるのかもしれない。
危険を承知のうえで、将太は構えていた透明盾を下ろした。顔を上げた彩鳥がかすかに目を見開く。将太は彩鳥の視線を一身に浴びながら、深々と頭を下げた。
「本部長に会わせてください」
無線の向こうで相沢が喚く声がするが、将太は無視した。彩鳥がここまで出てきてくれたのは奇跡に近い。自分ひとりが残ったからこそ、交渉の余地が生まれたのだという自負もあった。
将太はすでに腹を括っていた。きっと彩鳥を止められるのは自分しかいない。彩鳥のためなら命を捨ててもいい、という覚悟を彼女に見せたかった。それほどまでに自分は彩鳥のことを想っているということをこの身をもって伝えたかった。
彩鳥が将太から目を離して手を伸ばし、ドアを開ける。すぐに宝井の怯えたような泣き声と、暁の笑い声が廊下に反響した。
「下で突入指示を待っている人たちを全員下がらせて。将太くんがひとりできてくれるなら、宝井の安否くらいは確認させてあげる」
ドアノブに手をかけたまま、彩鳥が艶然と微笑む。こんな状況じゃなかったら、まちがいなく恋に落ちるような、脳をとろけさせるような甘い笑みだった。
「相沢さん、指示をお願いします」
事の顛末をすべて聞いていたであろう相沢に、将太は呼びかける。相沢は珍しく迷っているようだ。宝井を生きて救い出せるかもしれない、またとない機会なのは明白だ。しかし、ひとりで部屋に入った将太の命を保証するものはなにもない。そのことは、将太もよく分かっている。分かったうえで、相沢に頼み込んでいるのだ。
「お願いします、これ以上のチャンスはもうこないかもしれないんです!」
迷う相沢に、将太は何度も呼びかける。絶対に無理はしない、必ず生きて戻ってくる。渋る相沢に思いつく限りの言葉をかける。
『もし本部長に危険が迫ったとしたら――』
相沢が神妙な声で、将太に意思を問う。
『お前は彼女を撃てるんだな?』
いざとなったら彩鳥を撃ってでも、職務を全うする。その覚悟が将太にあるのか、相沢は尋ねている。鉛のように重い、その一言。将太は苦しみながら噛み締め、咀嚼し、飲み下す。
すべては、彩鳥をこの地獄から救うため。
「問題ありません。下の配備を解いて、俺に指示をください」
ちらりと彩鳥の顔を見る。まるで我が子の成長を見守るような、慈しみにあふれた彼女の視線に、将太は戸惑った。
この期に及んで、どうしてそんな目で自分を見るのか。彩鳥の穏やかな表情を見ていると、とても宝井を殺したいほど憎んでいるようには見えなかった。
相沢の深いため息が思考を中断させる。
『分かった。だが、すべてをお前の言う通りにはできない。制圧計画Cでやらせてもらうぞ』
将太はその一言を聞いた途端、背筋に冷たいものが走った。
制圧計画C。銃器対策部隊による遠方からの狙撃の決行。
すなわち、彩鳥はまちがいなく死ぬ。
将太は考える間もなく、無線で告げた。階段を下っていた隊列はもう見えない。おそらく下に着いただろう。
『応援がくるまで絶対に近寄るな!』
相沢の切迫した指示が飛んでくる。耳では指示を聞いていながら、目は一心不乱に彩鳥を追う。
彩鳥は将太ひとりしかいないと見て取ると、大胆にも全身をドアから出した。ぴったりと体に沿う黒いワンピースに身を包んでいる。彩鳥は敵意はない、というように両手を上げて将太の方へ歩み寄ってきた。
将太の方も盾を構えたまま、じりじりと距離を詰める。後で相沢に知られたら、まちがいなく怒られる。怒られるだけじゃすまないかもしれない。隊長の命令に背くことは、それだけで処分の対象になってもおかしくない。
彩鳥は将太から5メートルほど離れたところで止まった。挙げていた両手を下ろし、ゆっくりとワンピースの裾を捲り上げる。露わになった白い太ももに、ぴったりと巻かれたホルスターが目に入った。拳銃は差されていない。
彩鳥の挑むような目つきと、将太の視線が交錯する。
「持ってたんだけどね、暁さんに取られちゃった」
不満げな彩鳥の表情。おそらく拳銃のことを指しているのだろう。彩鳥自身は丸腰だとアピールしているが、なにを隠し持っているか分からないし、どこかに潜んでいるであろう暁がいきなり発砲してこないとも限らない。
盾を下ろすことなく、注意深く彩鳥の様子を窺う。
「弾は?」
「入ってるよ。たぶん、残り5発くらい」
インカムの向こうで、相沢が息を飲む音が聞こえた。将太が彩鳥と接触したことに気づいたのだ。
「宝井本部長はそこにいますよね?」
「ええ、いるわ」
「下から見た時には、怪我をしているように見えましたが」
「将太くんは目が良いのね。頬にちょっと擦り傷と、頭にたんこぶがひとつあるだけで、ちゃんと生きているわ」
彩鳥が嘘をついているようには見えない。まだ生きているということも、たいした怪我ではないということも本当だろう。
「本部長を、解放してくれませんか」
一縷の望みをかけて、将太は切り出した。ここで彩鳥があっさり宝井を解放してくれれば、事を荒立てる必要がなくなる。将太とて、彩鳥に銃を向けるようなことはしたくないし、誰かの血が流れるところを見たいわけでもない。あくまで穏便に、最小限の被害で切り抜けたい。
彩鳥は少し考え込むように小首をかしげたが、すぐにうつむいて手を擦り合わせた。
「ごめんね、それはできない」
か細い声ながら、はっきりとした拒絶。彩鳥の表情には翳りが見え、本当に将太に申し訳ないと思っているふうである。
将太はさらにじりじりと歩を進め、手を伸ばせば彩鳥に触れられる距離までやってきた。彩鳥のすぐ横にはドアがある。そのドアの向こうに、宝井がいて、もしかしたら暁も同じ部屋にいるのかもしれない。
危険を承知のうえで、将太は構えていた透明盾を下ろした。顔を上げた彩鳥がかすかに目を見開く。将太は彩鳥の視線を一身に浴びながら、深々と頭を下げた。
「本部長に会わせてください」
無線の向こうで相沢が喚く声がするが、将太は無視した。彩鳥がここまで出てきてくれたのは奇跡に近い。自分ひとりが残ったからこそ、交渉の余地が生まれたのだという自負もあった。
将太はすでに腹を括っていた。きっと彩鳥を止められるのは自分しかいない。彩鳥のためなら命を捨ててもいい、という覚悟を彼女に見せたかった。それほどまでに自分は彩鳥のことを想っているということをこの身をもって伝えたかった。
彩鳥が将太から目を離して手を伸ばし、ドアを開ける。すぐに宝井の怯えたような泣き声と、暁の笑い声が廊下に反響した。
「下で突入指示を待っている人たちを全員下がらせて。将太くんがひとりできてくれるなら、宝井の安否くらいは確認させてあげる」
ドアノブに手をかけたまま、彩鳥が艶然と微笑む。こんな状況じゃなかったら、まちがいなく恋に落ちるような、脳をとろけさせるような甘い笑みだった。
「相沢さん、指示をお願いします」
事の顛末をすべて聞いていたであろう相沢に、将太は呼びかける。相沢は珍しく迷っているようだ。宝井を生きて救い出せるかもしれない、またとない機会なのは明白だ。しかし、ひとりで部屋に入った将太の命を保証するものはなにもない。そのことは、将太もよく分かっている。分かったうえで、相沢に頼み込んでいるのだ。
「お願いします、これ以上のチャンスはもうこないかもしれないんです!」
迷う相沢に、将太は何度も呼びかける。絶対に無理はしない、必ず生きて戻ってくる。渋る相沢に思いつく限りの言葉をかける。
『もし本部長に危険が迫ったとしたら――』
相沢が神妙な声で、将太に意思を問う。
『お前は彼女を撃てるんだな?』
いざとなったら彩鳥を撃ってでも、職務を全うする。その覚悟が将太にあるのか、相沢は尋ねている。鉛のように重い、その一言。将太は苦しみながら噛み締め、咀嚼し、飲み下す。
すべては、彩鳥をこの地獄から救うため。
「問題ありません。下の配備を解いて、俺に指示をください」
ちらりと彩鳥の顔を見る。まるで我が子の成長を見守るような、慈しみにあふれた彼女の視線に、将太は戸惑った。
この期に及んで、どうしてそんな目で自分を見るのか。彩鳥の穏やかな表情を見ていると、とても宝井を殺したいほど憎んでいるようには見えなかった。
相沢の深いため息が思考を中断させる。
『分かった。だが、すべてをお前の言う通りにはできない。制圧計画Cでやらせてもらうぞ』
将太はその一言を聞いた途端、背筋に冷たいものが走った。
制圧計画C。銃器対策部隊による遠方からの狙撃の決行。
すなわち、彩鳥はまちがいなく死ぬ。
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