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7章(4)
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宝井の捜索は予想通り、難航した。なにせほとんど手がかりがない。中央署の署員は、昨夜署を出たところまでしか見ていないといい、自宅に帰った様子もない。どこかのホテルにでも泊まったようだが、細かい宿泊先まで把握している人間はいなかった。入れ違いで警視庁へ向かったのでは、という話も出たが空港に問い合わせても宝井が飛行機に乗ったという情報は出てこなかった。
時刻は16時をすぎ、まもなくハロウィンの雑踏警備がはじまる。繁華街も心なしが混雑してきているように見える。制服を着た下校中の高校生が歩いている姿が目立つ。
はじめは冷静だった相沢も次第に焦りを隠せなくなっていた。しきりに将太に時間を尋ね、苛立ったようにそわそわと辺りを見回している。
口には出さないが、宝井はもう亡くなっているのではないか、という考えが何度も将太の頭をよぎった。根拠はないが、生きてどこかをさまよっている可能性は限りなく低いのではないかと想像する。亡くなっているか、もしくは誰にも見つからないような場所で監禁されているのか。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。画面を確認するが、非通知番号である。相沢に一言断ってから、将太は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
将太の声に、相手は反応しない。しばらく沈黙が続く。スピーカーから、すうっと息を吸う音が聞こえた。その音を聞いて、直感めいたものが将太の中を駆け巡る。
「……添木さん?」
隣の相沢が目を見開いて将太を凝視する。かすかに、微笑む声がした。子どもをあやす母親のような、ゆったりとした優しい声色が響く。
『正解。さすが将太くん』
「今どこにいるんですか? 弁当屋はどうしたんですか?」
『教えたら、殺しにきてくれる?』
いたずらめいた彩鳥の歌うような声に、めまいがする。彩鳥はすでに決意を固めているようだ。そして、将太にその時を委ねている。どうしても、その道を歩まないといけないのか。他に彼女を救う方法がないのか。
将太は迷うふりをしながらスマホを耳から離し、スピーカーボタンをタップした。息を吸って、覚悟を決める。
「教えてくれたらすぐに行きます」
たった一言。脳裏に彩鳥のやわらかな笑みが浮かぶ。彩鳥の作るポテトサラダは缶詰のみかんが入っていておいしかった。弁当の数々はどれも彩鳥の人柄を反映したようにやさしい味つけで、毎日食べても飽きなかった。機動隊の厳しい訓練も、つらい寮生活も、彩鳥の弁当があったから乗り越えられた。
美しい思い出を、将太は今から自分の手で壊すのだ。徹底的に破壊しつくして、彩鳥とすごした陽だまりのような温かな思い出を塗り替える。
雑踏の中に飲み込まれそうなほど小さな声で、彩鳥は宣告した。
『N銀行のビルの7階』
◇ ◇ ◇
相沢が率いるグループは情報の真偽を確かめる間もなく、4丁目のビルへと駆けた。5年前の今日、1階のN銀行で強盗事件が発生した。その後、N銀行はそのビルから引き払い、長らくテナントを募集していたが、強盗事件のあったところに店を構えたい人などおらず、空きビルの状態になっている。
意図してその場所を選んだとしか思えなかった。彩鳥は死に場所として、夫が亡くなった場所に近いところを選んだのかもしれない。
「宝井本部長も一緒にいるんでしょうか?」
将太は置いていかれまいと懸命に足を動かしながら、相沢の背中に疑問を投げかける。
「たぶんな。暁も一緒になって、任意同行をかいくぐって準備していたとしか思えない」
相沢の予想も、将太と同じだった。暁は彩鳥のために、すべての舞台を整えた。5年間くすぶらせ続けた憎しみを解き放つ、最高の舞台だ。
暁は言った。将太を求めているのは自分ではなく、彩鳥だと。将太には、彩鳥の望みを叶えるために動いてもらうのだと。
確かに彩鳥は自分を求めている。警察に情報が筒抜けになることを承知で将太に電話をかけ、居場所を教え、殺してくれるはずだと信じている。
彩鳥か、宝井か。彼女はどちらかを将太が殺すことを望んでいる。将太はいつの間にか、大きな渦に巻き込まれていた。ただの弁当屋の常連だったはずが、彩鳥の秘密を知り、彩鳥の憎しみを知り、暁に誘われるまま宝井復讐計画の片棒を担いだ。
自分はこんなことをするために警察官になったのではない。兄のような、命がけで人を救えるような人間になりたかっただけだ。胸にあったはずの正義感は、今はくすんで鈍い光を放っている。彩鳥の過去、宝井の所業、相沢の苦悩。数々の出来事が将太の正義感を鈍らせ、確かにあったはずの警察官としての誇りを踏み潰した。
宝井は正当に裁かれ、その地位を追われるべきだ。銀行強盗犯の娘。添木夫婦。相沢の同期。詫びる先はいくらでもある。死をもって終わりにしていいわけがない。
4丁目にそびえ立つ空きビルを前に、相沢は一旦足を止めた。彩鳥がいるはずの7階を見上げる。
「なにか見えるか?」
相沢が将太へ声をかける。じっと窓ガラスに目をこらす。カーテンやブラインドといった視線を遮るものはかけられていないものの、日光が反射して中の様子は窺い知れない。それでも将太はなんとか情報を探ろうと、偵察を続ける。相沢隊の中でも将太が一番目がいい。こんなところで視力2.5を活かせるとは予想もしていなかったが。
ふいに、ゆらりと景色が動いた。地上からはるか遠い7階。その窓に映ったのは、血まみれの宝井の顔だった。
時刻は16時をすぎ、まもなくハロウィンの雑踏警備がはじまる。繁華街も心なしが混雑してきているように見える。制服を着た下校中の高校生が歩いている姿が目立つ。
はじめは冷静だった相沢も次第に焦りを隠せなくなっていた。しきりに将太に時間を尋ね、苛立ったようにそわそわと辺りを見回している。
口には出さないが、宝井はもう亡くなっているのではないか、という考えが何度も将太の頭をよぎった。根拠はないが、生きてどこかをさまよっている可能性は限りなく低いのではないかと想像する。亡くなっているか、もしくは誰にも見つからないような場所で監禁されているのか。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。画面を確認するが、非通知番号である。相沢に一言断ってから、将太は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
将太の声に、相手は反応しない。しばらく沈黙が続く。スピーカーから、すうっと息を吸う音が聞こえた。その音を聞いて、直感めいたものが将太の中を駆け巡る。
「……添木さん?」
隣の相沢が目を見開いて将太を凝視する。かすかに、微笑む声がした。子どもをあやす母親のような、ゆったりとした優しい声色が響く。
『正解。さすが将太くん』
「今どこにいるんですか? 弁当屋はどうしたんですか?」
『教えたら、殺しにきてくれる?』
いたずらめいた彩鳥の歌うような声に、めまいがする。彩鳥はすでに決意を固めているようだ。そして、将太にその時を委ねている。どうしても、その道を歩まないといけないのか。他に彼女を救う方法がないのか。
将太は迷うふりをしながらスマホを耳から離し、スピーカーボタンをタップした。息を吸って、覚悟を決める。
「教えてくれたらすぐに行きます」
たった一言。脳裏に彩鳥のやわらかな笑みが浮かぶ。彩鳥の作るポテトサラダは缶詰のみかんが入っていておいしかった。弁当の数々はどれも彩鳥の人柄を反映したようにやさしい味つけで、毎日食べても飽きなかった。機動隊の厳しい訓練も、つらい寮生活も、彩鳥の弁当があったから乗り越えられた。
美しい思い出を、将太は今から自分の手で壊すのだ。徹底的に破壊しつくして、彩鳥とすごした陽だまりのような温かな思い出を塗り替える。
雑踏の中に飲み込まれそうなほど小さな声で、彩鳥は宣告した。
『N銀行のビルの7階』
◇ ◇ ◇
相沢が率いるグループは情報の真偽を確かめる間もなく、4丁目のビルへと駆けた。5年前の今日、1階のN銀行で強盗事件が発生した。その後、N銀行はそのビルから引き払い、長らくテナントを募集していたが、強盗事件のあったところに店を構えたい人などおらず、空きビルの状態になっている。
意図してその場所を選んだとしか思えなかった。彩鳥は死に場所として、夫が亡くなった場所に近いところを選んだのかもしれない。
「宝井本部長も一緒にいるんでしょうか?」
将太は置いていかれまいと懸命に足を動かしながら、相沢の背中に疑問を投げかける。
「たぶんな。暁も一緒になって、任意同行をかいくぐって準備していたとしか思えない」
相沢の予想も、将太と同じだった。暁は彩鳥のために、すべての舞台を整えた。5年間くすぶらせ続けた憎しみを解き放つ、最高の舞台だ。
暁は言った。将太を求めているのは自分ではなく、彩鳥だと。将太には、彩鳥の望みを叶えるために動いてもらうのだと。
確かに彩鳥は自分を求めている。警察に情報が筒抜けになることを承知で将太に電話をかけ、居場所を教え、殺してくれるはずだと信じている。
彩鳥か、宝井か。彼女はどちらかを将太が殺すことを望んでいる。将太はいつの間にか、大きな渦に巻き込まれていた。ただの弁当屋の常連だったはずが、彩鳥の秘密を知り、彩鳥の憎しみを知り、暁に誘われるまま宝井復讐計画の片棒を担いだ。
自分はこんなことをするために警察官になったのではない。兄のような、命がけで人を救えるような人間になりたかっただけだ。胸にあったはずの正義感は、今はくすんで鈍い光を放っている。彩鳥の過去、宝井の所業、相沢の苦悩。数々の出来事が将太の正義感を鈍らせ、確かにあったはずの警察官としての誇りを踏み潰した。
宝井は正当に裁かれ、その地位を追われるべきだ。銀行強盗犯の娘。添木夫婦。相沢の同期。詫びる先はいくらでもある。死をもって終わりにしていいわけがない。
4丁目にそびえ立つ空きビルを前に、相沢は一旦足を止めた。彩鳥がいるはずの7階を見上げる。
「なにか見えるか?」
相沢が将太へ声をかける。じっと窓ガラスに目をこらす。カーテンやブラインドといった視線を遮るものはかけられていないものの、日光が反射して中の様子は窺い知れない。それでも将太はなんとか情報を探ろうと、偵察を続ける。相沢隊の中でも将太が一番目がいい。こんなところで視力2.5を活かせるとは予想もしていなかったが。
ふいに、ゆらりと景色が動いた。地上からはるか遠い7階。その窓に映ったのは、血まみれの宝井の顔だった。
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