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7章(2)
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暁は無造作に宝井の口から布を引き抜いた。宝井が声を出そうとし、激しく咳き込む。口から引き抜かれたものを見て、宝井が目を丸くする。それが女物のショーツだと気づいた時、彼はよみがえる記憶を振り払うように体を震わせた。
「冥途の土産ってやつかな?」
暁は宝井の唾液でぐしょぐしょに濡れた彩鳥の下着を放った。コンクリートが打ちっぱなしの殺風景な灰色の床に、白いレースが映える。
「あ、あの、あの女……!」
宝井が細く開けられたドアを凝視し、言葉にならない悲鳴を上げる。
暁が振り向くと、彩鳥がするりと室内に入ってくるところだった。喪服のような黒い無地のワンピースがぴたりと彼女の体を覆い、なんとも形容しがたい色香を醸し出していた。すらりと伸びた脚はヒールの高いパンプスに押し込められ、歩くたびにコツコツと威圧するような音を出す。
「今日ノーパン?」
暁が床に放られたショーツを指差しながら尋ねると、彩鳥はちらりとワンピースの裾を捲った。白い太ももが露わになったところで、彩鳥は裾を元に戻す。宝井の目は彩鳥の太ももに釘づけになっていた。正確には、彩鳥の太ももに備えられたものに。
「まさか。着替えくらいちゃんと持っているわ」
彩鳥が財布ひとつも入らないような、小さなハンドバッグを振る。
ちらりと宝井を一瞥すると、その顔面を思いきりヒールで蹴飛ばした。蹴られた衝撃と、痛みで宝井はその場を転げ回る。頬にヒールの先端がめり込んだようで、軽く出血していた。
自身の血を見た宝井がさらにパニックに陥る。
「わ、悪かった! お前の、女だって、知らなかったんだ……!」
宝井は暁の足元で、懇願するように顔を見上げている。彩鳥が暁の女だと、少し勘違いをしているようだ。人の女に手を出した人間を始末するためにこんなことをしているのではない。宝井には、本当に覚えがないようではあるが。
暁が止めるより早く、彩鳥は太ももに備えたホルスターから拳銃を抜いていた。一般的な警察官が持つ、38口径の回転式拳銃だ。弾数は少なく、殺傷能力もそれほど高くはないが、当たり所によっては大怪我では済まないだろう。
警察官ですら人に拳銃を向ける機会など、一生に一度あるかどうかというほどなのに、彩鳥は平然と宝井の頭部に銃口を合わせている。
宝井もただ事ではない、と察しはじめたようだ。ガクガクと体を震わせ、助けを呼ぶこともできずに黙ってふたりを見上げている。
彩鳥は膝を折って宝井の目の前にしゃがみ込むと、その額にぴたりと銃口を押しつけた。宝井の口から、悲鳴とも嗚咽ともとれない不気味な奇声がもれる。
「わたしが誰か当てられたら、まだ生かしておいてあげる。でも、もし昨日はじめて会ったなんて言ったら――」
彩鳥の細い指が、拳銃の引き金にかかる。
「問答無用で撃つ」
◇ ◇ ◇
装備室の鍵は、なぜか非番の隊員の制服ポケットから見つかった。本人は寮にこもりきりで本部事務所にはきていないというのに、制服の上衣だけが事務所の椅子にかけられており、そのポケットに鍵が収まっていた。
始末書の危機を逃れた小森はあからさまにほっとした顔をしていたが、相沢の顔は硬く強張っていた。
誰かのいたずらでは済まされない。二重に鍵がかかっているとはいえ、装備室には銃器類も保管されているのだ。小隊長の相沢の責任が問われるのは必至だろう。
犯人捜しとまではいかないが、事情を知っていそうな隊員へ聞き込みを行なうことになった頃、突如として本部事務所に中央署の人間が駆け込んできた。
「宝井本部長はお見えになっていませんか?」
その場に居合わせた相沢と将太は顔を見合わせる。相沢の顔が、さらに厳しくゆがんでいく。
「機動隊にはきていないな。署にいるんじゃないのか?」
「いえ、本部長は今日警視庁へ出張の予定だったのですが、警視庁の方から時間になっても見えないと連絡がありまして。予定を忘れて雑踏警備の視察にでもきているのではないかと思ったのですが……」
部下に予定を忘れる人間だと思われていることは気の毒だが、確かに機動隊には上層部の人間が出入りして訓練の様子などを視察していくことがある。雑踏警備が予定されている今日は装備や人の出入りも多く、現に通常は署にこもっている警備部の部長が顔を出している。
将太の背中を嫌な汗が伝っていった。脳裏に彩鳥の言葉が思い出される。彩鳥は将太に、自分か宝井、どちらかを殺せと望んだ。あの言葉と、宝井がいなくなったことを結びつけるのは時期尚早だろうか。
ちらりと隣の相沢を見ると、相沢は将太以上に思いつめた顔をしていた。
「今日は何日だ?」
相沢が分かりきったことを聞く。今日はハロウィンの――。
「10月31日です」
答えた将太の胸倉を相沢が思い切り掴んだ。殴りかからんとする勢いで引き寄せられ、首元が絞まる。
「暁は10月31日に宝井を殺すと言った」
耳元で相沢の声が反響する。徐々に意味が浸透していくにつれて、将太は驚きで言葉を失った。中央署の人間は相沢の突然の奇行に驚いているが、気にしている暇はない。相沢はわざと、将太にだけその情報を聞かせたのだ。
相沢と暁の関係は絶対に誰にも知られてはならない。将太はなにも聞いていないというふうを装いながら、乱れた制服の首元を直した。
「あんな事件があった後だから、機動隊からも人員を割いて捜索に当たってほしい」と中央署の人間は言い残し、足早に消えていった。
もはや装備室の鍵の謎について調べている場合ではない。将太は指示を仰ぐように相沢の顔を仰ぎ見た。その顔には見たこともないような、黒い感情が渦巻いていた。
「冥途の土産ってやつかな?」
暁は宝井の唾液でぐしょぐしょに濡れた彩鳥の下着を放った。コンクリートが打ちっぱなしの殺風景な灰色の床に、白いレースが映える。
「あ、あの、あの女……!」
宝井が細く開けられたドアを凝視し、言葉にならない悲鳴を上げる。
暁が振り向くと、彩鳥がするりと室内に入ってくるところだった。喪服のような黒い無地のワンピースがぴたりと彼女の体を覆い、なんとも形容しがたい色香を醸し出していた。すらりと伸びた脚はヒールの高いパンプスに押し込められ、歩くたびにコツコツと威圧するような音を出す。
「今日ノーパン?」
暁が床に放られたショーツを指差しながら尋ねると、彩鳥はちらりとワンピースの裾を捲った。白い太ももが露わになったところで、彩鳥は裾を元に戻す。宝井の目は彩鳥の太ももに釘づけになっていた。正確には、彩鳥の太ももに備えられたものに。
「まさか。着替えくらいちゃんと持っているわ」
彩鳥が財布ひとつも入らないような、小さなハンドバッグを振る。
ちらりと宝井を一瞥すると、その顔面を思いきりヒールで蹴飛ばした。蹴られた衝撃と、痛みで宝井はその場を転げ回る。頬にヒールの先端がめり込んだようで、軽く出血していた。
自身の血を見た宝井がさらにパニックに陥る。
「わ、悪かった! お前の、女だって、知らなかったんだ……!」
宝井は暁の足元で、懇願するように顔を見上げている。彩鳥が暁の女だと、少し勘違いをしているようだ。人の女に手を出した人間を始末するためにこんなことをしているのではない。宝井には、本当に覚えがないようではあるが。
暁が止めるより早く、彩鳥は太ももに備えたホルスターから拳銃を抜いていた。一般的な警察官が持つ、38口径の回転式拳銃だ。弾数は少なく、殺傷能力もそれほど高くはないが、当たり所によっては大怪我では済まないだろう。
警察官ですら人に拳銃を向ける機会など、一生に一度あるかどうかというほどなのに、彩鳥は平然と宝井の頭部に銃口を合わせている。
宝井もただ事ではない、と察しはじめたようだ。ガクガクと体を震わせ、助けを呼ぶこともできずに黙ってふたりを見上げている。
彩鳥は膝を折って宝井の目の前にしゃがみ込むと、その額にぴたりと銃口を押しつけた。宝井の口から、悲鳴とも嗚咽ともとれない不気味な奇声がもれる。
「わたしが誰か当てられたら、まだ生かしておいてあげる。でも、もし昨日はじめて会ったなんて言ったら――」
彩鳥の細い指が、拳銃の引き金にかかる。
「問答無用で撃つ」
◇ ◇ ◇
装備室の鍵は、なぜか非番の隊員の制服ポケットから見つかった。本人は寮にこもりきりで本部事務所にはきていないというのに、制服の上衣だけが事務所の椅子にかけられており、そのポケットに鍵が収まっていた。
始末書の危機を逃れた小森はあからさまにほっとした顔をしていたが、相沢の顔は硬く強張っていた。
誰かのいたずらでは済まされない。二重に鍵がかかっているとはいえ、装備室には銃器類も保管されているのだ。小隊長の相沢の責任が問われるのは必至だろう。
犯人捜しとまではいかないが、事情を知っていそうな隊員へ聞き込みを行なうことになった頃、突如として本部事務所に中央署の人間が駆け込んできた。
「宝井本部長はお見えになっていませんか?」
その場に居合わせた相沢と将太は顔を見合わせる。相沢の顔が、さらに厳しくゆがんでいく。
「機動隊にはきていないな。署にいるんじゃないのか?」
「いえ、本部長は今日警視庁へ出張の予定だったのですが、警視庁の方から時間になっても見えないと連絡がありまして。予定を忘れて雑踏警備の視察にでもきているのではないかと思ったのですが……」
部下に予定を忘れる人間だと思われていることは気の毒だが、確かに機動隊には上層部の人間が出入りして訓練の様子などを視察していくことがある。雑踏警備が予定されている今日は装備や人の出入りも多く、現に通常は署にこもっている警備部の部長が顔を出している。
将太の背中を嫌な汗が伝っていった。脳裏に彩鳥の言葉が思い出される。彩鳥は将太に、自分か宝井、どちらかを殺せと望んだ。あの言葉と、宝井がいなくなったことを結びつけるのは時期尚早だろうか。
ちらりと隣の相沢を見ると、相沢は将太以上に思いつめた顔をしていた。
「今日は何日だ?」
相沢が分かりきったことを聞く。今日はハロウィンの――。
「10月31日です」
答えた将太の胸倉を相沢が思い切り掴んだ。殴りかからんとする勢いで引き寄せられ、首元が絞まる。
「暁は10月31日に宝井を殺すと言った」
耳元で相沢の声が反響する。徐々に意味が浸透していくにつれて、将太は驚きで言葉を失った。中央署の人間は相沢の突然の奇行に驚いているが、気にしている暇はない。相沢はわざと、将太にだけその情報を聞かせたのだ。
相沢と暁の関係は絶対に誰にも知られてはならない。将太はなにも聞いていないというふうを装いながら、乱れた制服の首元を直した。
「あんな事件があった後だから、機動隊からも人員を割いて捜索に当たってほしい」と中央署の人間は言い残し、足早に消えていった。
もはや装備室の鍵の謎について調べている場合ではない。将太は指示を仰ぐように相沢の顔を仰ぎ見た。その顔には見たこともないような、黒い感情が渦巻いていた。
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